ン屋の1ースBaker's dozenみたいなもんですよ」 

 

生物学者リチャード・ドーキンス
 

 純粋で、私欲のない利他主義というのは、自然界に安住の地がない。

 世界の全史を通じて、かつて存在したためしのないものである。しかしわたしたちは、

 それを計画的に育成し、教育する方法を論じることができる。

 リチャード・ドーキンス

 

きのう、日本画の高橋俊景画伯から電話をいただき、「会いませんか?」というお誘いを受けた。

「きょうは暑すぎませんが、会いましょうか」ということで、ぼくは草加の街へと繰り出した。

きのうは格別暑い日ではなくても、ぼくはけっこうぐったりしていた。

水をいっぱい飲んで、ヒゲを剃り、自分の顔を鏡でのぞきこみ、しょげて見える自分の顔にげんなりして、これじゃいけないとおもい、シャワーを頭から浴びて汗を落とし、それからオーデコロンをピュッピュッとふりかけると、ノリのきいた真っ白い立ち襟のシャツを着て、白いお気に入りのズボンを履き、モディリアーニの恋人に会うみたいな気分で街に出かけた。

すると、猛烈な炎暑が路面を焦がしていて、鉄の金床を想像するような砂漠の炎暑を想像した。82歳のぼくは、一見して元気そうに見えるけれど、コルネイユの「ドン・ジュアン」にははるかおよばない。「まことにわれは若し、されど気高く生まれし者には歳月を待たずともいさおしあらわる」と書かれている。「勲(いさお)し」とは、逞しいという意味だろう。

……なるほどなとおもう。

気取ってみてもしかたないのだが、きのうは、遺伝子の話をしてみたいと考えていた。「生物は遺伝子の乗り物である」とある人はいったが、そういった当人に、

「DNAというのは、いったい何の訳でございましょうか?」とたずねると、

「Don't (K)Now Anything(何もわかっていない)の略字だ」と答えたというではないか。イギリスの生物学者リチャード・ドーキンス(1941年生まれ)のことばだ。

なんにもわかっていないというなら、自分とおなじだなとおもえる。どうせこの世は、何もわかっていないのさ、そうおもうと、なんだか愉快になってくる。

道々そんなくだらないことをおもいながら、カゲロウのゆれる草加の夏の道を歩いた。4号線にさしかかり、信号待ちをしていると、おなじマンションのきれいな女性が、ぼくの後ろから声をかけた。

「どちらまで?」ときいている。

「なーに、ちょっと越谷まで。……」

「リュックサックなんか背負っちゃって、これから、北海道にでも行くのかしらっておもいましたわ」といっている。

「北海道ねぇ、……いいだろうね。いまごろは、ラベンダーやハマナスが咲いてますよ」

「ひまわりはどうかしら?」

「ひまわりは8月でしょうね。なーに、まもなくですよ。ぼくのいなかには、ゴッホの丘というのがありましてね、一面、ひまわり畑の一色になりますよ」

「行ってみたいです」といっている。彼女は元某航空会社でパーサーをしていた人だ。この人は、どうして結婚しないのだろうとおもっている。

「これから、高橋俊景先生に会います」

「あら、先生、お元気かしら? よろしくいっておいてください」そんなおしゃべりをしながら駅前で別れた。リュックサックのなかには、一冊の本が入っている。

カナダの作家アリステア・マクラウドの「彼方なる歌に耳を澄ませよ(No Great Mischief)」という小説だ。

彼の本はいろいろ読んできた。18世紀末、スコットランドからカナダに家族とともに渡った男を描いたヒット作「静かな巨人」は、すばらしい小説だったなとおもう。

マクラウドの文章は、土の匂いがしていて、その語りは凜として、森のなかにこだまする反響音の鳴り響くような文章なのだ。なにしろその清澄感のある文章は、ぼくはことのほか好きだ。

しばし、そんなイメージをおもい浮かべながら電車に乗り、流れる汗を拭きながら、リュックサックのなかからペットボトルを取り出し、ホームで水を飲んだ。

「彼が目を覚ましたとき、恐竜はまだそこにいた」

こういう文章ではじまる小説がある。このときの物語に使われている動詞の時制は、「目を覚ましたdespertó」とあるように、不定過去になっているのだが、起こった出来事を語る語り手はもちろん、その出来事より後の未来に身を置いていて、語り手のいる未来から見て、間接的な過去というイメージを語っているようだった。

そこにはふたつの時間が流れている。おたがいに越えられない断絶した時間があるらしい。

この場合、スペイン語では、不定過去は現在から切り離され、もう過ぎ去った過去の出来事になるということなのだろうか。

語り手の時間は、未来時。語られている内容は、間接的な過去時。――おもしろいのは、お互いに断絶しているというのに、物語を語っている時点の直前に起こったかのように読めるおもしろさである。

ペルー出身のノーベル賞作家、ホルヘ・マリオ・ペドロ・バルガス・リョサ(Jorge Mario Pedro Vargas Llosa, 1936年生まれ)のエッセイは、このようにきわめて明快で奇抜だ。そんなふうな断絶した時間の連鎖を語っている。

じっさいは、恐竜時代の末期、ようやっと哺乳類が誕生しているので、そこに人間がいたなんて、おかしいに決まっている。だが、時間は繋がっているのだとおもえてくる。いみじくも「生物は遺伝子の乗り物である」といったことと符合して、ぼくはそこに生き物の連鎖を感じる。

人類の記憶も、えんえんとつづくDNAのビークルに乗って、現代に受け継がれてきたとおもえる。――何だかわからない、ひとつのおまけをつけて。

この話をいうと、先生は生物進化の話を切り出し、

「その、おまけっていうのは何ですか?」ときいた。

「つまりですね、パン屋の1ダースみたいなものです」とぼくはいった。

「なーるほど。ははははっ、それはおもしろいですね」と先生はいった。

 

「低糖質メニュー」ブランパンとトマト、モッツァレラ、パテのホットサンドサラダ仕立て。

 

 

 

パン屋の1ダース。――(Baker's dozen)とは、数量の単位で、13を表す英語表現で、まれに14、15を表すこともあるらしい。

1266年に、イギリスで公布された「パンとビールの基準法(英語版)」という法律が元になっている。むかしパンにかぎって、1ダースは12個ではなかった。13個ということになっているという話である。

13世紀のイングランドでは、パン屋がパンの重さをごまかして売っているという噂が流れ、これを受けて1266年にヘンリー3世が公布した法律なのだそうだ。それによると、パン屋が販売するパンの重さを誤魔化していた場合に重い罰則が定められたものの、個々のパンをまったく同じ重さで焼くことはとてもむずかしく、焼きたてのパンも時間が経つにしたがって、水分が蒸発してとうぜん重さが変わってしまう。

そこで、罰則をおそれたパン屋は、1ダース(12個)をオーダーした顧客に、1個おまけをして13個で売ったという由来が元になっている。

「それはわかるとして、さっきの生物学的なおまけっていうのは?」と先生は質問した。

「ぼくのいうおまけっていうのは、先生、ナゾのことですよ。いまもってわからないナゾ。――人類はサルから生まれたというのに、動物園にいるサルは、いつ人間になるんでしょうかね? ぼくにはナゾです。この先も、きっとサルのままじゃないかっておもいますけどね」

「……」

「だって、ぼくは20年ほどまえ、ある坊やにきいたんですよ。氷が解けたら何になる? って。そしたら、坊やは《春になる》って答えました。その坊やに、人間はサルから生まれたといったら、動物園にいるサル、いつ人間になるのってきいたんですよ。ぼくは、何もいえませんでしたよ」

人類とか、生物進化とか、DNAとか、数字にも遺伝子があるとか、そういうことのひとつひとつがぼくには謎なのだ。国柄によってもいろいろ謎めいた話がある。イギリスでは、預金口座をつくるとき、誕生日や電話番号、または1066という数字は使わないでください、といわれるそうだ。誕生日や電話番号はわかるとして、1066という数字は日本人にはピーンとこない。けれどもイギリス人にはピーンとくる。

イギリス人ならだれでも知っている、ノルマン人によってブリテン島が征服された歴史的な敗北の年だ。それ以来、イギリスにノルマン人の使うフランス語、――正確にはノルノン・フレンチが大量に入ってきた。

先に書いた表現のひとつに、Baker’s Dozenがあるのはたしかだ。

日本語にすると“パン屋の1ダース”となり、1ダースというものの、12ではなく13を意味する。

その由来は、13世紀のイギリスでのこと。1266年に公布された法律「パンとビールの公定価格法」が原因だったとされる。

この法律は、「パンの重さをごまかして販売してはならない」という項目も含まれており、見つかった場合には厳しい罰則が待っていた。

だが、いくらパンを焼く前の状態で正確に測っても、焼く時に水分が蒸発するのだから、仕上がりのパンの重さは、時間の経過やその日の天候などで変わってくる。

そこで、パン屋が考案したのが、総重量でバランスをとるという仕掛け。重くなる分には問題ないわけで、12個のところをあらかじめ1個多い13個で売り、これがBaker’s Dozenの由来である。

まあ探せば他の説もあり、それは重量の統制とは無関係に、パン屋のおまけの慣習からというもの。

いずれにせよ、Baker’s Dozenは、12ではなく13を表すことで合致しているという。

Baker’s Dozenという表現は、あくまでイギリス的な表現といえる。

映画化された「長距離ランナーの孤独」をはじめ、イギリスの文学作品にも登場するのでそれでいいのだが、アメリカではウェブ記事などでほとんど見かけないらしい。

以来300年間、イギリスの公用語がフランス語になってしまった。英語をむずかしくしているのは、きっとノルマン人だ。英語にはまったく意味がおなじ単語が2つもある。

たとえばstartとcommence、endとfinish、lookとregard。

「商品を買う」は、merchandise(商品)をpurchase(買う)となり、goodsをbuy(買)うという。ふつうの人は後者を使うだろうけれど、雑誌編集のライターなら、ちょっとおしゃれな前者を使うだろう。ちょっと気取った感じになるけれど。

それから、先生とは戦後の民主主義の話をし、丸山眞男の話をし、日本人って何だろう、それを考えた司馬遼太郎の話をし、昭和の戦争を書かなかった司馬遼太郎のいいぶんについて話した。

高橋俊景画伯は、地球の歳差運動の話をし、地球の自転軸が、横道面にたいして垂直の線のまわりを2万5800年周期で首ふり運動しているという話をし、そのことが、生物進化との関連に、大きな影響をあたえたのではないかという話をした。

そして、体外受精の話におよび、非配偶者間の体外受精、つまり胚移植の人工的な授精の人道的な諸問題について話した。

ドクターは超音波プローペに穿刺針を使って、膣を経由して採卵をする。

体外受精は、採卵ののち6時間以内におこなわれるのが常識だが、多精子受精をふせぐために、卵細胞質内注入法というのを採用している。

これは、1匹の精子を卵細胞のなかに直接入れる方法で、ピペットで卵を固定すると、そこにたった1匹の精子をニードルという針を刺して、卵のなかに精子を注入する方法だ。つまり、「試験管内受精」のことだ。

あとは受精卵を培養し、発育させ、細胞分裂を起こすのを待つ。

正常に分裂していることをたしかめると、48時間後に患者の体内にもどす。あとは子宮にうまく着床してくれるのを待つだけ。

海外では精子の仲介をするビジネスが盛んだそうだ。いっぽう、そういった企業や医療機関をまったく介在しない非配偶者間人工授精もあるといわれている。

アメリカでは、家庭で容易に精子の採取ができるキット(精子の運動性を阻害しないような材質が使用されている)や、家庭で女性ひとりで人工授精できる専用のキットがわずか17ドルで販売されているらしい。

人工授精は、1776年、ジョン・ハンターがイギリスではじめて成功している。

日本では1949年に、慶應大学病院ではじめて成功した。現在日本では、1年あたり約1万人の新生児が人工授精、または人工受精技術によって生まれている。家畜の人工授精は250年の歴史をもっている。

しかし、歴史の教訓として、そこにビジネスが介在する歴史は、なんだか不自然なものを感じる。

 

北海道・北竜町にある田園の温泉ホテル

 

 

T・S・エリオットはいった。――

「これほどまでに、あちらこちらを探検してまわった。その結果はといえば、出発点に舞い戻ったうえで、そこがいかなる場所かをはじめて知るというものだった」(「リトル・ギディング」より、1942年)。