英銀イヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)綻劇

 

 

「世界最大の銀行を破綻させた男たち」(イアイン・マーチン、冨川海訳、WAVE出版、2015年)
 

鳥島から東に約270キロの海域で20日深夜、海上自衛隊の哨戒ヘリコプター2機が墜落した。

艦艇や航空機とともに潜水艦を探知する訓練に加わっていたという。その状況から、2機は衝突した可能性が高いという。搭乗していた計8人のうち、救助された隊員の死亡が確認されたという。

きのうは温かく、とても穏やかな一日だった。

日陰から出ると、容赦なく炒()りつける炎熱とでもいいたくなるような冬の太陽を感じたものである。日向は宇宙から飛んでくる光を受けて、きらきら輝いて見えた。

「いい天気ですなあ」と、トルーマン・カポーティみたいな、緑色のブレザーを羽織った芸能人みたいな男が、マンションの入口のエッジに長い脚を降ろして、コーヒー缶を口にしながらあいさつした。そのわきを、ばあさんが小さなカートを押してマンションのほうに向きを変えると、ぼくの顔を見て、こんにちはといった。

「こんにちは」

そのとき、ここはまるで、闘牛を見る観覧席みたいだとおもった。

ソル(日向席)とソル・イ・ソンブラ(日蔭席)で分けられた人生の観覧席だ。60歳を過ぎて一線を退いた者は、ぜんいん日蔭席に、若い連中は、男も女もぜんいん日向席に陣取る。

彼は70ぐらいだが、日向に出ると、年の割には5月の木の葉のように青い顔をしている。

「何か、はじまりそうな天気ですなあ」とタケさんはいった。

「そんな予感がしますか? 日本の円は下落しちゃって、インバウンドにはいいでしょうが、また金融ビッグバンが起きるんじゃないでしょうね?」というと、

「田中さんはそうおもいますか?」といった。

いつだったか、その「はじまる」話を、ぼくはタケさんからうかがったような気がする。

「――はじまるっていえば、イギリスのある宣言をおもいだしますよ」と彼はそのときいった。「ほら、メイク・イット・ハプン(RBS would “Make It Happen”)――ロイヤルバンク・オブ・スコットランドの宣言ですよ」と彼はいった。聴いたことがある、とぼくはおもった。

「ニューズウィーク」誌だったか、新聞だったか、もう忘れてしまったが、彼の顔を見ていると、とうじの英銀ロイヤルバンク・オブ・スコットランドのボスの顔写真をおもい出した。で、タケさんとつきあううちに、だんだんと金融の世界を知るようになった。

金融の世界に疎いぼくは、2004年に英銀ロイヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)が立てたスローガン、「RBSは事を起こす(RBS would “Make It Happen”)」の宣言に端を発し、それが機縁となって、だれも予想しなかった破綻への悲劇的な物語がはじまったことをおもい出したのである。

その出来事は、日本でもくわしく報じられた。「タケさんは、銀行では、マネジメント業務をやってたんですよね?」

「そうですよ。日本経済が世界を牽引していたころのことですがね。おまえさんのチームは、マネー・メイキング・マシンだなんていわれましてね。ははははっ、……でも、RBSの破綻は、世界に大きな影響をあたえましたな」という。

2007年、巨大な銀行が、いともやすやすと破綻の道を転がりはじめたというのだ。――タケさんのすすめで、ようやっと翻訳本で出た「世界最大の銀行を破綻させた男たち」(イアイン・マーチン、冨川海訳、WAVE出版、2015年)という本を読んでみた。その悲劇的な破綻劇の一部始終が、あからさまに描かれている。

わが国の長銀や北海道拓殖銀行の破綻とはくらべようもないほど、銀行のなかでは巨人と呼ばれる大銀行――スコットランドでは押しも押されぬ281年もつづいた名門の中央銀行――いまでは英銀だが、2007年から2008年にかけて、目もくらむような経営破綻への道をひた走りに突き進んだという話である。

その中心にいたのがフレッド・グッドウィンという男だった。

英国金融ビッグバン後の金融再編のなかで一気に台頭し、世界最大の銀行となったロイヤルバンク・オブ・スコットランド。悪夢のように破綻したこの大事件の物語は、その経営トップにいたフレッド・グッドウィンを主軸に、英連邦から分離独立していこうという、その機運の高まるスコットランドの歴史的な背景とともに語られるこのノンフィクションは、まるでスリラー小説を読まされているかのような、緩急息もつけないほどおもしろかった。

「事実は小説よりも奇なり」だ。

そのロイヤルバンク・オブ・スコットランドを世界最大の銀行に押し上げた功労者は、なんといってもフレッド・グッドウィンという男だった。イアイン・マーチンの書いた本も、その男を主人公に描いている。

大銀行は、しばしば最低自己資本比率以上の資本を積み増しすることをしぶった。

彼らは必要最小限の保持のみに止めるよう株主の圧力にさらされていたからである。彼らは、可能なかぎりの利益の保持を求めていた。それを彼らは「効率的な資本」と呼び、そういう政策を採用していた。

バーゼル規制では、銀行の資本はそのリスク水準にしたがって5つのカテゴリーに区分されており、銀行は全体で約8パーセントの自己資本を保持しなければならないとされている。

1987年のロンドン、ニューヨーク、香港をはじめとする、いたるところで起こった株価の急落は、人びとを否が応でも喚起させた。

もしも銀行がローン、債権、証券、株、デリバティブなどからなる巨大なポートフォリオを保持しているのであれば、それをもれなく管理する必要がある。とくにトレーディングでは、監視や警告を発するため、複雑なリスク管理システムが進行している。

いっぽう監査法人もより機能しやすくし、銀行は会計監査を受ける。

2005年からは、銀行家と規制当局にとってのバーゼル規制のように、英国の会計士は2005年から国際会計基準(IFRS)のバージョンを支持している。日本もこの規制を受けて、国際会計基準(IFRS)に標準を合わせるようになった。

ごくさいきんの論調では、英銀ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド・グループ(RBS)のロス・マキューアン最高経営責任者(CEO)は、投資銀行のリストラが「かなり進展している」とのべ、国際業務を縮小するいっぽう、英国と西欧の顧客に重点を置く再編を継続するプロセスのなかで、4年以内に黒字転換を実現する見通しをようやく示した。

2007年から2008年の危機の最中、英国において救済を必要とした金融機関はロイヤル・バンク・オブ・スコットランドだけでなく、HBOS、ノーザン・ロック、ブラッドフォード・アンド・ビングレーなど、多くの金融機関が困難に状態に陥っていた。ほとんどは救済されたり、売却されたり、国有化されなかった金融機関でさえ、金融システムの維持のために政府の特別支援に依存した。

しかし、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドは特別だった。

この足かけ3世紀もの長きにわたって、営々と築いてきた小さな銀行が金融界の怪物となり、その約2兆ポンドにおよぶバランスシートは同行を世界最大の金融機関に成長させた。

その破綻の規模は、想像を超える莫大なものだった。

政府は452億ポンドの資本注入をし、さらにその崩壊を避けるために何10億ポンドもの信用を供与した。

ある専門家は、資本主義そのものへの信頼が揺らぐとまでいった。特定銀行のバブルがはじけたとき、約2兆ポンドのバランスシートを抱えるまで大きく膨らんでいた。金融ビッグバンとともに急激に台頭したロイヤル・バンク・オブ・スコットランドだったが、自分の銀行のビッグバンとともに株価は急落し、破綻してしまったのである。

しかし、倒産はさせられない。破綻の規模も大きいが、銀行も「大きすぎてつぶせない(too big to fail)」のである。影響があまりにも大きかったからだ。

ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドの社長であったフレッド・グッドウィンは、無能ではなかったが、いまでは英国の金融危機の引き金を引いた愚かなバンカーの代表者になった。

――日本では、金融機関のトップは「頭取」であるが、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドの傘下に保険事業なども抱えており、メガバンクの持ち株会社は、社長のような役まわりをするのである。

その事業拡大をはかろうとして、M&Aにより実現した事業を抱え、ナットウエストの買収事業や、没落の直接的なきっかけとなったABNアムロの買収というM&Aであった。それにくわえて、ガバナンスの失敗があげられており、それらが複雑に絡んでの破綻であったとされている。

「The Royal Bank of Scotland」――直訳すれば正式名称は「スコットランド王立銀行」となるだろうが、日本の出先機関では「ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド」といっている。

同行を去ったフレッド・グッドウィンは、社長であったとき、旧来の「給与」のイメージとはかけ離れた巨額にのぼる「報酬」を得ており、いままた受け取る年金も莫大で、現在エジンバラでふたりの息子と暮らすその暮らしぶりは、質素とは無縁のものといわれている。

「住む世界がちがうのですなあ、われわれとは」と、タケさんはいった。

つい先日、高橋琢磨氏の「戦略の経営学――日本を取り巻く環境変化への解」(ダイヤモンド社、2012年)という本を読み、漠然とした喫緊の感想を抱いた。

「英国は金融立国だ」とよくいわれている。

デリバティブのような商品にたいしても英国の監督当局はきわめて寛容で、それらのマーケットが急成長したことが深く関係していると専門家はいうけれど、シティ・オブ・ロンドンは、もとよりロンドン証券取引所やイングランド銀行、ロイズ本社などが置かれ、19世紀から現在までつづく主要な金融センターである。

ニューヨークのウォール街とともに世界経済を先導しており、ほかに、世界でも有数の商業の中心地としてビジネス上の重要な会合の開催地としても機能している。