■ある青年に送る手紙。――

Oh Marieマリー

ひとみ閉じて……1

 

 

エマニュエル・スウェーデンボルグの「煙突掃除の少年(The Chimney Sweeper)」という詩を読んでいましたら、こんなのがありました。

 

   When my mother died I was very young,
   And my father sold me while yet my tongue,
   Could scarcely cry weep weep weep weep,
   So your chimneys I sweep and in soot I sleep.

 

   母さんが死んだとき、ぼくはうんと小さかった、

   父さんがぼくを売り飛ばしたころ、舌がまだまわらず、

   煤払(すすはら)い、煤払い、煤払いと叫ぶのがやっとだった、

   それで煙突掃除をして、煤(すす)まみれで眠るんだ。

 

この詩を読んだとき、その子が幼くて「スィープ(払う)」となかなか発音できなくて、だから「weep weep weep weep」と涙を流すということばになってしまったという、おそるべき煤払いの過酷な労働を覗き見る思いで、ぼくはショックを受けました。

その子はまるで、啜り泣いているように、イメージされたからです。詩人はそれを狙ったのでしょうか、すばらしい感動的な詩に思われました。

 シェイクスピアもいいけれど、ミルトンも、コールリッジも、アレキサンダー・ポープも、イェーツもいい。詩の魅力にいちどでも取り憑かれたことのある人なら、もう跳ね除けることができなくなるでしょうね。

 ぼくは社会人になってからも英文学に魅せられたまま、ずっと時間をつくって好きな本を読みます。世界にはすばらしい作品があり、このたびはアイルランド出身の詩人シェイマス・ヒーニーの詩に魅せられつづけています。

 ことばはルネサンス。

 ことばはひかります。

 ぼくの、この療養生活をした1年間は、ある転機をもたらしました。そういうことって、ありますよね。ガンで早晩死んでいくのか、と思いますと、「weep weep weep weep」の1行がぐんぐん胸に迫ってきます。そして、中学3年生のときにつくったぼくの詩も、迫ってきます。


 今日もまた 静寂な夜めぐり来て

 床に一日(ひとひ)の

 疲れ擲(なげう)つ。
 

 病む耕馬を

 曳きつつ通る堤防の

 川瀬は白し 蛙鳴きてをり。
 

 しんしんと音なしに降る雪の夜を

 耕馬もさびしく

 帰り来たれり。
 

という15歳のときにつくった3つの詩が、ぐんぐんと迫ってきます。

まだ世間を知らない中学生でした。ぼくはいまでもかんたんに15歳になります。……と思っているだけかもしれない。
 

 しあわせは たまごの形していると、

 それをそっと握ってみる。
 

 またきてね 女の声だけぬれている。

 銀座の夜のさざなみ溶けて。
 

 赤肉のまぐろの頬の甘さより

 それをほうばる赤きくちびる。
 

 こんな夜 たいへんだねとねぎらうと、

 大失敗して……と女は泣いた、惜しげなく。
 

 きょうは勇気をくれてうれしいわ、

 女の声にこそ 慰撫される夜。
 

 星空を奏でるように過ぎてゆく

 振り返って聴くあのビートルズ。
 

 「田中さーん」人の呼ぶ声こだまして

 銀座のビルの 夏の青柳(あおやぎ)。
 

これは、10年ほどまえにつくったものですが、まだまだ中学3年生のころにつくった詩に迫れない のです。あのころは、なんでも生きがよかった。怖さがなかった。雪原の向こうから太陽がのぼったら、もう自分の季節になった。

世の中をまだ知らないころの詩ですが、ぼくの原点となる北海道・北竜町にいて見つけたひとつの感性の発露なんでしょうか、あのころは夢中で啄木の本を読んでいたなあと、茫洋とした風景になってしまいましたが思い出します。
 

 言葉は戦う。

 大きく育つと いくさに出かけ

 たいがいは 敗れて死ぬ。


 子宮=wombは ふくれて

 言葉がそだつ。

 巨大なハンマーで打ちのめされるために。
 

 言葉は交尾する。

 遺伝子を子孫に残すために そして

 欲望の夜をこがして。
 

 イメージは それでも強い。

 野に咲く 岩の下で

 いじめられつづけても。
 

 それは 海? クマゲラか?

 見えるか! いや 木霊のように

 聴こえるだけなのだ 暗い帷(とばり)のなかで。
 

 まだ幼かったころ

 彼女に育てられる。

 蝶の 羽音のしじまで。
 

 身構える いくつもの舌をもって

 生きぬくために 今夜の晩餐に

 招待した人の隣りで。
 

 夜は けわしい夜となり

 「むかしは おれも若かった」と語る。

 語る言葉が 年老いて。
 

 知るのではない。ただ 感じるのだと。

 その訪れを 音節の海のなかで

 おぼれそうになりながら。
 

 何百万語と武装しても

 きみのたったひと言に 打ちのめされる。

 傷ついて血を流しながら。
 

 ぼくのタレントは 母の乳房で育った。

 激しく戦うために。そして生きぬくために。

 夜々の手ぬかりを忘れて。
 

 ああ 言葉は戦う。

 死んだ言葉が 亡霊となり

 キャサリン・アーンショウの訪れが 窓辺をたたく。
 

 ぼくに取り憑いた言葉は

 ぼくの運命を決めるだろう。

 「入れて お願いだから部屋に入れて……」と亡霊がささやいて。
 

 夜の青さは 戦えとささやく。

 みきを護るために 戦えと。

 きみのやさしさを もう一度見たいから。
 

 ぼくの小説のなかに、こんな詩を入れています。――でも、ぼくは啄木以外にも、ある日偶然のきっかけから学校の図書室で、名前の知らない詩人の詩にめぐり会いました。

 

 てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を越えて行った。

 

という、たった1行の詩です。ぼくはそこで、むずかしい漢字「韃靼」ということばを知りました。どういう意味かもあとで知りました。えらくむずかしそうな漢字だなと思いました。

むずかしそうな漢字をはじめて見て、強烈な印象を持つことがしばしばあるものですが、振り返ってみても、それはどこに出ていた漢字なのかなんて、いちいち覚えちゃいないと思います。

が、ぼくの場合は読めない悔しさから、強烈な印象をもって思い出されるということが、しばしばあります。

この詩を書いた安西冬衛という詩人を好きになりました。

その詩が、中学生のぼくを強く惹きつけました。

1匹の蝶が、海峡を越えて飛んでいく姿を想像しました。なんていう力強い詩なのだろうと思いました。

遊牧の民であるタタール人の勇壮な夢。

ぼくには、見たこともない地の果てのホライゾン。そのまた果てにある海、はるか未知なる大陸を目指す蝶。タタール人の心は、地球の中心たる遥か果てを目指そうとしたのでしょうか。なんていう民族なのだろうと思いました

韃靼海峡というのは、いまの間宮海峡のことでしょう。

人には夢があるように、民族にも夢というものがある、そういうふうに感じたものです。