■アメリカ合衆国の近代の曙を生きた詩人。

エドガー・ポーの詩「レンに

Helen,thy beauty is to me……」を読む

  

 エドガー・アラン・ポー(1809―1849年)

 

米ワシントンのポトマック河畔を彩るサクラ並木が殊のほか美しい季節。もう散ってしまったでしょうか。

さいきん、ちょっとエドガー・アラン・ポーの詩を読んでみました。ぼくは若いころ、この詩人から多くのことを学びました。ぼく自身、詩を書いていたからです。

ぼくの書斎には、若いころから読んできた本がいっぱいあります。エドガー・ポーにも若いころというのがありました。エドガー・ポーの若いころというのは、……

借金をかかえ、ヴァージニア大学を辞めざるをえなくなったポーは、1827年3月に家出同然にリッチモンドの実家を出てボストンへと向かいます。ボストンに着いてからはアンリ・ル・ランネという偽名を使い、店員や新聞記者のアルバイトをして生活費を稼ぎだしていたのですが、5月になってエドガー・A・ペリーという偽名を使い、また実年齢18歳を、22歳だと偽って、アメリカ合衆国陸軍に入隊しました。

 

 

57、8歳ごろの筆者(㈱タナック社長のころ)

 

最初の配属先はボストン港内にある砦で、給与は月5ドル。

そのいっぽうで、ポーはボストンでじぶんの詩集を出版するための印刷業者を探し、その7月に第一詩集「タマレーン、その他の詩集」を出版します。しかし「一ボストン人」の名で出版された40ページの詩集は、事実上何の反響もなかったのです。

1827年11月、ポーの連隊はウォールタム号に乗ってサウスカロライナ州のムールリ砦に移動。ポーは大砲の弾を準備する特別技術兵に昇進し、給与も二倍になりました。そして1828年にはヴァージニア州にあるモンロー要塞に移り、ポーは翌年1月、下士官が到達できる最高の階級「特務曹長」に昇進します。

しかしポーは5年ある勤務期間の早期除隊を希望するようになり、指揮官のハワード中尉にじぶんの本名と年齢を明かした上で相談します。

上官はポーに、義父のジョン・アランに連絡を取るよう指示し、ポーはアランに手紙を送ったのですが、この手紙は無視されました。しかし1829年2月28日に義母のフランセスが死が近いことを知り、ポーは電報を受け取ってリッチモンドに戻ったのですが、すでに死去した後でした。

このことがアランの態度を和らげたのか、彼はようやくポーの希望通り除隊した上でウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学することを許可しました。

――ポーの陸軍・士官学校時代は、義母が亡くなったりして、大した活動するわけでもなく、漫然と過ごし、祖父にあたる「ポー将軍」は既に死去しており、ここには祖母にあたるエリザベス・ポー、その娘のマライア・クレム、その子供のヘンリーとヴァージニア、そしてポーの実兄ウィリアムが住んでいましたが、ポーの予想に反し、祖母の年金と叔母のわずかな収入を頼りにひじょうに貧しい、かつかつの生活を送っていました。

ポーはこの家での滞在をあきらめ、ボルティモアに安アパートを探すことに決めます。

そして、ふたたびこの間、ポーは第二詩集の出版を計画していましたが、義父アランに頼んでいた出版費用が送金されず、けっきょく企画倒れに終わりました。

しかしその後、長詩「アル・アーラーフ」が複数の雑誌に掲載されたことから世間の注目をあつめ、12月にボルティモアのハッチ・アンド・ダニング社から「アル・アーラーフ、タマレーン、および小詩集」と題した第二詩集を出版することができました。

1830年7月、ポーは入学試験を経てウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学します。1831年1月にアランへ手紙でその旨を伝えて、意図的な怠業(たいぎょう)を行なって軍法会議にかけられ、放校処分となりました。怠業といっても、ポーはただ詩を書いていただけです。

詩集の出版費用はウェストポイント士官学校の生徒たちのカンパで賄われており、ひとりにつき75セントずつ、合計で170ドルに達していて、すべてをまかなうことができました。彼らはこの詩集を、ポーが以前書いて見せたような上官に対する風刺詩を集めたものと思っていたようです。

ポーの第三詩集「ポー詩集」は「アル・アーラーフ」や「タマレーン」を再録していたほか、「ヘレンに」など「海の中の都市」「イスラフェル」の新詩を含んでいましたが、あまり好評は得られませんでした。

なかでも優れている「ヘレンに」という詩をじっさいに声を出して読んでみると、とてもいい詩であることがわかります。英詩を読むときは、ヘタでも、じっさいに声を出して読んでください。そうすると、詩行の意味がよくわかってきます。

ある日、ポーの本をそっちのけにして、先日、むかし読んだ本をひっぱり出してきて、床についてから寝ながら読みはじめました。松本道弘氏の「交渉力の英語」(講談社現代新書、1988年)という本でした。

おもしろそうなところには、付箋がいっぱい貼られています。ということは、じぶんが読んだことがあるという証です。

しかし、ほとんど忘れていました。この本にはprincipleという語がけっこう出てきました。これは白洲次郎のことばでもあります。

それはともかく、ぼくはむかしから学校英語というものに、どうもなじめませんでしたが、こういう本にはおもしろい英語の謎がいろいろ解かれていて、半分くらいまで一気に再読してしまいました。

――It's a matter of principle.ここだけは妥協に応ずるわけにはいきません! という気持ちが強くはたらきます。

学問というのは、そういうprincipleを身につけるところ、というわけですね。

英詩はぼくなら、このように教えたいとおもって、娘が高校生のころ、娘のために英語についての記事を書いたことがあります。むかし書いた原稿を引っ張りだしてきて、いまながめているところです。――それには、エドガーアラン・ポー詩を例に出して、こんなことが書かれていました。

ここで取りあげる「ヘレンに(To Helen)」という詩は、まぎれもない彼の若いころの傑作で、アラン・ポーの代表的な詩です。

 

 ヘレン、あなたの美しさは、

 いにしえのニケーアの舟に生き写しだ。

 かぐわしい海を渡って、ゆるゆると、

 やつれ果て、旅に疲れたさまよい人を

 故郷の岸辺に連れ戻した、あの舟に。

 Helen, thy beauty is to me

 Like those Nicean barks of yore,

 That gently, o’er a perfumed sea,

 The weary, way-worn wanderer bore

 To his own native shore.

 

この詩には、もうすでに使われなくなった古語がたくさん出てきます。

18世紀から19世紀のはじめにかけて、詩は、詩句のリズムを整えるだけでなく、このようにして優雅な古語や詩語をふんだんに用いることが、詩である徴(しるし)みたいに思われていた時代があったようです。これは、散文とは違った詩の特長だと考えられていたようです。

彼らの多くは、イギリスの詩を模倣することからはじまったといわれています。ちょっとめんどうな話をしますが、1行目の「thyあなた」は、yourとは違って、単数の相手にだけ用いる古い語です。

ここは意識的にそうしているとおもわれます。詳しくはのちに触れます。シェイクスピアの時代から単数の「thy」をよく用いられています。これは所有格で、主格は「thouあなたは」(youにあたる)で、目的語は「theeあなたを(あなたに)」(youにあたる)です。

2行目の「ニケーア」については、ちょっとむずかしいのでのちに触れるとして、「those」は「ほらあの、例の。みんなが知っている……」という意味。「barks」はboatsやshipsのこと。「of yoreいにしえの」もいまでは「むかしの……、of old」という意味の古い詩語ですね。

――さて、ここで英語の勉強をしようというつもりはありません。

原詩を読んでみましょうという意味で、触れないわけにはいかなくなったのです。

1831年の「Poems」に発表され、ポーの少年時代の友人の母親で、彼をいつくしんでくれた女性Mrs.Jane Stith Stanard (1824年歿)をうたったものといわれています。

ですから、ポーが14~15歳ごろの作といわれています。

いずれにしても、永遠の理想美をたたえた作品になっています。

3行目の「That」はもちろん「barks舟」にかかる関係代名詞で、ここでは主格になっています。「o’er」の「……を横切って」は、前置詞overの省略したかたちです。「over」は2音節ですが、「o’er」と置くことで1音節にしています。

ですから詩のなかで音節の数を節約したいとき、つまり1音節ですませたいときに使われます。同様に、ときどきの詩趣に応じて「over」が「o’er」になったり、あるいは「taken」が「ta’ en」になったりするわけです。これは韻を踏ませるために行なわれたものです。

4行目の「weary」は「疲れた」ですが、これは「way-worn」として、「way」と「worn」をくっつけた「旅に疲れた」という意味の合成語です。いわば「w‐w」は「w and w」というhendiadys and=二詞一意という合成語になりますから、「旅」でもなければ「疲れた」でもありません。「旅に疲れた」というひとつの熟語になってしまうわけです。「旅に疲れた」という意味の熟語は日本語にはないので、困ってしまいます。

「あなた(ヘレン)の美しさ」は、舟のようだ、まるで疲れきったさまよい人を故郷の海辺まで静かに運んでいった、あのいにしえのニケーアの舟のようだというのです。ある女性の美しさを別の何か、――ここで詩人は、それをむかしの舟にたとえているわけですが、それだけで終わらず、この舟の説明だけが長々3行もつづけられます。

ここでは「Like……のよう」を仲介していますが、長い3行を引っ張っているので、ぼくは「生き写し」と訳してみました。「……のよう」では弱すぎるのではないでしょうか。しかもここでは、直喩=比喩であることを明言している直喩になっているからです。

すると、この詩をもういちどざーっと読み返してみると、ふしぎにおもわれます。「あなたの美しさは、ニケーアの舟のようだ」といっていることです。「あなたは、舟みたいにきれいだね」といわれて、世の女性たちは喜ぶでしょうか。こんな褒め方をされると、ヘタをすれば怒り出す人がいるかも知れません。

「舟とは、何よ!」というわけで。……「きれいな舟のように」ではないのです。「舟のようにきれいだ」といっているのです。

第1の連句でおもしろいのは、まさにこの〔ずれ〕です。

舟が旅に疲れたさまよい人を、故郷の岸に連れ帰ったというのは、思い遣りと親切心のあらわれと見ることもできるでしょう。舟にとって岸=港は、憩う場所であり、眠りを約束する「しとね」ですから、ちょっと深読みすると、夜の「褥」は「閨房」となります。

この「ヘレン」は、「舟」という名の、じつはだれでも訪れたくなる「港」のような存在なのではなくて、「港」そのものだった。――とすると、「ヘレンの美」は、待ち焦がれていた「舟」であり、「舟」が持っているもうひとつの「美」であり、「美・美=B・B」の第1連として眺められそうですが、いかがでしょうか。

「ヘレン」は、はつらつとした女性というよりも、「海」がそうであるように、「母」でもあった。フランス語のラ・メール、――「海のmer(メール)」は「母のmére(メール)」にも通じます。あるときは男を迎える女のように。あるときは夫を迎える妻のように。あるときは息子を迎える母のようにと。

日本語の漢字、「海」のなかにもちゃんと「母」という字が描かれています。その「母」は、――むしろ、母親ならではの、愛情こまやかな感情を「ゆるやかに」描いている、とも解釈できます。

しかも、「あなたの美」が主題になっているにもかかわらず、ここでは外形なんかよりも、振る舞いや人柄にかかわるイメージを持ち出していることです。舟の比喩(ひゆ)は、「ヘレン」の外観よりも、人物の与える印象全体を伝える形になっているようです。「あなたの美」が「舟のようだ」というのですから、きっと美しい帆船(はんせん)なのかも知れません。

その舟は、海の上を走る乗り物です。そしてじつは「舟」も「海」も女性名詞です。

英語の普通名詞の女性名詞は、ぜんぶで7つあります。知っていますか? 

船を女性名詞にした理由は諸説ありますが、船は頻繁にペンキを塗り替えるので、そのようすを化粧に例えたり、お祝い時の満船飾(まんせんしょく)を女性のドレスアップに見立てたのが始まりといわれています。

ここに描かれた女性は、倦()み疲れたさまよい人をあたたかく包みこみ、優しくいたわり慰めてくれるような、美しさの持ち主だというのでしょうか。

2行目の「いにしえのニケーアの舟のようLike those Nicean barks of yore」をゆっくりと音読すると、たとえば古代地中海を舟が静かにすべっていくように、いかにものびやかな調べになっています。

この1行のなかには、8つの音節があります。

すべてが長母音か、それとも二重母音に支えられています。例外は「of」だけです。「of」以外はどれも母音が長くつづく音節ばかりなので、似たような感じに聞こえます。――この「聞こえる」というのがポイントでしょうね。

「疲れ切ったweary」と「旅にやつれたway-worn」という、ほぼおなじ意味の語がごていねいにも重ねられています。これを二重母音といいますが、これは「旅の疲れ」を強調する役割を果たしています。

それだけでなく、語句の音声の面でもおなじように重複による強調が行なわれているわけです。Weary, way-worn wandererとなるわけです。W-w-w-w がそうです。〔w〕が4つも出てきます。

そして、たたみかけるような〔w〕の重複は、つよく聞き手を惹きつける語句の意味を強調しています。〔w〕が行の頭に出てくれば、それを「頭韻」と呼び、たいていは各語の初頭の音を揃えます。

ポーは、これをかなり徹底的に、そして意識的に、くどいほどやっています。これはもうヨーロッパでは使いふるされたやり方ですが、アメリカでは、新奇なほどモダーンにひびいたことだろうとおもいます。

シェイクスピアなみの古語連句を突き破って見せたのがポーでした。ただし彼はシェイクスピアを念頭にはおかず、先達のホイットマンやボードレールを念頭においたと思われます。ある意味が特定の意味を暗示させるという「音声象徴性」がはやった時代がありました。

ホイットマンも、ディキンソンもやっています。

いまでいえば、たとえば「ドナルド・ダック」「ミッキー・マウス」「ピーター・パン」、これは、「D・D」「M・M」「P・P」という母音の音声象徴性をうまく利用したものですが、それですね。「コカ・コーラ」もそうかも知れません。

こうすることで、人の記憶に入りやすいからです。吟じやすくておぼえやすい。それを、ポーは狙ったのだとおもいます。

くりかえしますが、彼女の美しさはそのむかし、疲れた旅人を故郷へ連れ帰った舟のようだといいます。放浪に疲れた旅人、つらい人生の旅に倦()み疲れた精神の彼方へのノスタルジア、安らぎに満ちた魂の故郷へのあこがれの声。――いろいろに解釈できるでしょう。

読書人の楽しみは、そこは自由勝手に、「思いつくまま解釈していいのだよ」といっているようです。その理由を述べます。

ふつう、旅人が帰っていくところが、ニケーアの舟が葡萄酒色に染まった海を行き来するような、神話と伝説の世界――古代の光と美の格調にあふれた理想郷として捉えることもできるでしょうが、これは、ギリシア神話に登場するニケーアという女神を連想するからです。

そこで、さっきの「ニケーア」について述べます。

ニケーアは、むかし小アジアの北西部にあった古代の王国ビチュニアの古い都。「ニカイア」ともいわれるそうです。

神話では戦いの女神として描かれていますが、おそらくはそうではなくて、地名のほうでしょう。

ぼくが考えるには、しかもじっさいに存在した「ニケーア」ではなくて、おなじ名のどこか架空の国。それを作者は臆面もなく「ほら、あの、よくご存じの、……those」と書いているのですから、あなたのニケーアは、どこ? ときいているみたいな詩句に聞こえますね。

旅人を救う舟のイメージ、――それは、読者の想像にゆだねようとしているかのように見えるのです。戦いの女神が憩う故郷と解釈しても、どうもしっくりしません。

そこは、あのポーのやることですから、にくたらしいほど、うまくできあがっていると思うわけです。

英詩は、1行を〔ダダン、ダダン、ダダン、ダダン〕というように、リズム感をもってひびくように読まれます。これを日本語におきかえると、〔タタタタタ/タタタタタタタ/タタタタタ〕というふうに、5・7・5という語数で読まれるけれど、これとは違い、「弱強4歩格」といわれ、じつは「弱強」の最小単位でリズミカルに吟じられるように書かれています。

さて、じっさいに声を出して読んでみましょう。

【参考文献】この文章を書くにあたって、特に川本皓嗣氏の本やその他多くの本を参照させていただきました。