ッホの 1

 

おれはバスに乗っていた。

札幌から長距離バスに乗って空知平野を北上し、滝川につくと別のバスに乗り換えた。最初に乗りこんだときは帰省客で満員に近かったけれど、雨竜の市街にくると、乗客のほとんどは降りてしまった。あらたに乗りこんでくる客もいなかった。

おれは後方の2人席に座っていた。おれの隣りの窓ぎわの席に、若い女性が座っていた。彼女は、日よけ用の白っぽい帽子をかぶり、明るい浅黄の綿のブラウスを着ていた。スラックスは白っぽかった。

おれは、白い半袖のスポーツシャツの上にブルーのブルゾンを着ていたけれど、そのときは脱いでいた。スニーカーがすこし汚れていた。

バスのなかには、運転手と3人しかいなくなった。

おれの隣りにいる女性は、地図を引っ張り出して見ていた。

北海道の知床のあたりを見ていた。

バスはこの先、終点・石狩沼田までいく。

 

ひまわりの里。北海道・北竜町

 

彼女はどこで降りるのだろう。おれはもちろんしらなかった。

客席にふたりしかいないうえに、ふたり仲良くならんだままでいることに、妙な気持ちがした。おれが席を替わってもよかったけれど、彼女に余計な気をまわされたくなかったので、じっと相席のままで過ごしていた。

雨竜を過ぎてからしばらくして、おれはいたたまれなくなって、口を開いた。

「すこし暑くありません?」

「ええ、すこし暑いですわね……」といって、彼女は顔をあげておれのほうをはじめて見た。チャーミングな目をしていた。「ローマの休日」に出てくるオードリー・ヘップバーンのような愛嬌のある、くりっとした目をしていた。年令は22、3歳といったところだろうか。

おれは35歳くらいのときだった。そのとき、埼玉の越谷に住んでいた。ユキ子とふたりの子どもたちは、ひと足先にいなかにきていた。

「窓、開けましょうか?」と、おれはいった。

「はい、開けましょうか」と、彼女はいった。

彼女は開けようとしたけれど、窓がきつくて、なかなか開けられなかった。おれが立ちあがって窓を開けた。爽やかにいなかの空気が入ってきた。

田園のミドリが太陽にあおられて海原のように波を打って見えた。ところどころ雲の影が落ちていた。

シートに座ると、「どちらまでいかれるんですか?」と、おれはきいた。

「ええ、終点までです。いったことはないんですけれど、……」と、彼女はいった。

「すぐですよ。すぐです。じきにつきます。ぼくは、そのまえに降ります」

「こちらの方ですか?」

「いえ、……《ぼくは、この国にきた友だちです》。Friends to this ground」

彼女は目をぱっちり開けて、ちょっと奇妙な顔をしてこっちを見た。おれの発音がよくなかったかもしれない。

「わかった! わかりました。それって、ホレーシオのセリフじゃありません?」彼女の目が輝いて見えた。彼女は、小鼻のあたりに汗をかいていた。

「わかりました? ぼくはFriendsなんです。でもふしぎですねぇ。ひとりしかあらわれないのに複数形になってる。ぼくも複数形です」

「大学の先生ですか?」

「いいえ、ちがいます。ちがいますよ、もちろん《ぼくは、この国にきた友だちです》。――やわらの先の《ゴッホの丘》というところまでいきます」といった。

「《ゴッホの丘》? ですか。画家のゴッホなんですか? 北海道の地名にもそんなのがあったんですか? しゃれた名前ですね。そこへいってみたくなります。何かあるんですか?」

「もちろん、ひまわりですよ」

「ひまわり!」

「ひまわり畑があるんですよ。きれいですよ。白樺があって、森があって、……むろんシェイクスピアも知らない物語もたくさんあります。1564年生まれの1616年没なので、覚えやすいように「ヒトゴロシの芝居をイロイロ書いた」というゴロ合わせがよく知られております。しかも、シェイクスピアが亡くなったのは1616年4月23日で、埋葬はその2日後に執り行なわれました。誕生日も同じ4月23日で、近年はこの日をシェイクスピアズ・デーとなっていて、いろいろなイベントが行なわれています」

「ヒトゴロシですか」

「そう、ヒトゴロシです。たしかにハムレットもロミオも、マクベスも、オセローも、リア王、ブルータスも、みんな人を殺します」

「なーるほど」

「ひまわりを見るために、札幌からこられたんですか?」

「バスに乗ったのは札幌からですが、埼玉の越谷からきました」

「越谷! 偶然です。わたしも越谷に住んでいます」

「ほう、越谷のどこですか?」

「駅のちかくです。アパートですけれど。……」

 彼女はハンカチで顔を拭いた。それからハンカチで顔を煽った。暑そうだった。

「お生まれはどちらなんですか?」と、おれはきいた。

「京都の嵯峨野(さがの)です」

「それじゃ、京都弁でお話ししてみてください」

「いいえ、そこは生まれただけですから。いま川崎のほうに実家があります」

「ぼくは、北海道のやわらというところで生まれたんです。戦時中の生まれですけどね」

「ご実家が、こちらに?」

「いえ、もうとっくのむかしに親たちは札幌に移り住みました。やわらには、妻の実家があります。ぼくの先祖の墓もあります」

「お墓参りに?」

「先祖さまにはご無沙汰で、お墓参りもご無沙汰で、……」

「うかがっていいですか?  先生でいらっしゃるんですか?」

「いいえ、さっきもいいましたが、《ぼくは、この国にきた友だちです》。はははっ」

「おもしろい!」といって、彼女は笑った。

しゃれのめして気取ってみても鼻白むだけだろう。

彼女は、学生かもしれない。英文科の学生かもしれないと、おれは思った。

「専攻は何を? ……」

「英文学です。でもシェイクスピアはやってません。すこし購読するだけです」

「アメリカ文学ですか?」

「ええ、アメリカ文学です。エミリー・ディキンソンをちょっと」

「ああ、あれはいいですよね。すこししか読んでませんけれど」

「何がいいですか?」

「顔がいい」と、おれはいった。

「顔?」

「ええ、顔です。エミリー・ディキンソンの顔です。彼女の写真を見たことがあるでしょう? 17歳ごろの肖像写真。でも、あれは彼女の唯一の写真、かなり修正されているようですが、……」

「そうなんですか」

「それに、写真では目が7度ほど斜視になっているらしいんだけれど、一般にしられている肖像画では修正されていますね。1847年ごろ、Mount Holyoke Seminary、いまのカレッジで撮られた写真ということになっているらしいんです。エミリー・ディキンソンにはその写真しかありませんね」

「斜視。――ああそうだったんですか。それで詩がよくわかります。『馬車The Chariot』なんか素晴らしい詩だと思います。わかったような気持ちになります」

「その肖像画、ぼくは好きですね。ほんとうは斜視だったという彼女の写真の目を見てみたいとは思うけれどね。……」

バスは大きく曲がった道をのぼり、平坦な丘に出ると、なだらかな勾配の下り坂の道を走った。

そこかしこに夏の太陽があった。窓から入ってくる風は涼しくなかった。ときどき熱風になった。白いスラックスの膝のうえにおいた彼女の手に、白いハンカチが握られている。それをときどき手で煽っていた。

風が彼女の髪を帽子の下でなびかせているのが見えた。窓側にいる彼女の横顔が日にあたって、白い顔がすこし赤くなっていた。

「こんな風景だったのかなあ。彼女が見ていた風景。ニュー・イングランドのいなかをいちども出なかったエミリーだったといわれているけれど、ふしぎと、彼女の詩には海が描かれていますね。それは、見たこともない海なんですね」

「わたしもふしぎに思います。いちども見たことがない海が、素晴らしいんです。彼女の詩は外界から遮断されたものなのかしら」

「閉じ込められたような世界をそのまま生きたのだと思います。というより、ピューリタンの厳格な垣根があったから、むしろそれに反撥したというのか、……」

「彼女の詩には、不完全韻とか視覚韻とかいう、韻律にしばられない自由奔放なところがありますね? それもひとつの反撥なのかしら。それが、彼女独得のフレーズになっているのではないでしょうか」

「ほう、そうですか。彼女、ホイットマンとならぶ近代詩の先駆者といわれてるんでしょ?」

「そうですね」

「けれど、ぼくは思うけれど、彼女はおそらく人の作品なんか熱心に読んでいなかったんじゃないでしょうか。たとえば、メイドが知りつくしているような部屋のすみずみにまで目をむけて、ごく些細なものを引っ張り出してきて詩にしている。そこが大詩人へのリベンジだった」

「そうかもしれませんね。彼女の海はきっと、そんな部屋から生まれたんだと思います。海のmer(メール)と、母の mére(メール)が通じ合うみたいに」

「なるほど、……」

おれは、日本語としての漢字表現のなかにも、それはある、と思っていた。漢字の「海」がそうだ。海のなかにも「母」という字がある。

バスは快適に走っていた。

「あの、……ティッシュ・ペーパー持ってませんか?」と、おれはきいた。おれはさっきから我慢をしていた。

困ったことに、トイレに行きたくなった。

「はい! 持ってます」といって、ショルダーバッグから使っていないティッシュペーパーを取り出した。

「すいませんね。ちょっとトイレしたくなった」と、おれはいった。ビニール袋に入ったティッシュの取りだし口を開けて、バスのまえの道を見た。平坦な水田が左右にひろがっている。稲の葉が風に揺れている。農道とあぜ道が見えたが、人はだれも歩いていなかった。

「わたしも、……」と、彼女はいった。

「お名前、うかがってもいいですか? わたしは大滝諒子といいます」

「ぼくは、田原金一郎といいます。もうじき、ぼくは降ります。ティッシュいただきます。ありがとう」

バスは橋を渡るところだった。

ぎらぎらした砂ホコリをあげる乾いたでこぼこ道が行く手にあった。対向車線を走るトラックがバスとぎりぎりのところですれ違って走っていった。

「わたしも降ります」と、諒子はいった。

おれも顔の汗を拭いていた。やわらの市街に入って、舗装された道を走った。バスは信号機の手前で赤になって止まった。農協の売店が見える交差点のわきで、おまわりが立っていた。バス停のところで日傘をさした女性が待っているのが見えた。

「ここじゃなくて、この次のバス停です。次が《ゴッホの丘》です。そこでぼくは降ります」

「わたしも、《ゴッホの丘》で降ります」と、諒子はいった。

「ああ、我慢できそうにない。早くいってほしいな。……」

「だいじょうぶですか?」

「我慢できない。お腹が痛くなってきた。でももうすぐ、……。たぶん、だいじょうぶでしょう」おれは、立ちあがっていた。

信号が変わってバスは動き、交差点を渡ってすぐに止まった。女の人と子どもがひとり乗りこんだ。

「もうじきです、次ですから」

「だいじょうぶですか?」

「たぶん、……」

「お客さん、降りますか?」と、運転手はきいた。

「いえ、降りません。いってください」

バスが動きだしてから、子どもが運転席のちかくの席にやってきて、いちばんまえの席に腰かけ、おれの顔を見た。手に花火の入った袋を持っていた。

「お母さん、こっちのほうが見えるよ」といった。

母親は、「そう?」といって、子どもの隣りの席に移動した。おれは支柱につかまって、立っていた。おれの後ろで諒子も立っていた。バスは神社のまえを通り、郵便局をすぎて小学校のグラウンドを通りすぎていった。

ゆるやかにカーブした道をのぼっていくと、視界がひろがった。

松林のあいだから丘のうえにあるひまわり畑が見えてきた。丘のうえに、だれかが黄色い絵の具を塗りこんだような感じに見えてきた。あまりにもまぶしい原色にちかい鮮明な色だった。太陽とたわむれる黄色いじゅうたんが、夏の空をますます青く紺青(こんじょう)の天蓋に演出していた。ひまわり畑が太陽の寝床のように燃えていた。

「もうすぐです。あれをのぼりきったところです」と、おれはいった。

バスはゆるやかにのぼっていった。スピードを制限しているのは、おそらく時間合わせなのだろう。おれは停車ボタンを押した。やがてゆっくりスピードを落とし、《ゴッホの丘》で停車した。

バス停の反対側に《ゴッホの丘》と彫られた大きな木の看板が立っていた。

おれが降りるまえに、子どもが降り、その母親が降りた。バス停のところから左手の小道をいくと、墓地がある。親子はお墓参りにきたらしかった。

「こっちです」といって、諒子を呼んだ。

「すてきだわね」といって、彼女は帽子を取った。

髪が風にゆれた。

おれはひまわり畑のまんなかの道を大急ぎで歩いて畑のなかに入っていった。諒子が後ろからついてきた。ショルダーバッグを降ろし、大急ぎでズボンを下げて用を足した。

そこは立ちあがると見晴らしのいい小高い丘だった。

こんなところで用を足すなんて、思ってもみない幸運が転がりこんだみたいに気持ちのいいものだった。

風が吹いて、ひばりが飛んで、何もかもが新鮮で、ひまわりや草の匂いでいっぱいだった。しゃがんでいると、ひまわりの茎に毛虫が一ぴき這っているのが見えた。ゴミみたいな黒い生きものたちもいっぱいいた。茎にも葉っぱにもいた。ここにも小さな虫たちの世界があった。

用を足して立ちあがって諒子のいるほうを見た。彼女の姿は見えなかった。やがて、ひまわりの波間で泳いでいるような感じで立ちあがり、こっちをながめた。まどろむような夏のミドリがずっとかなたまでつづいていた。

丘の下のほうで、麦わら帽子をかぶって鎌を持った農夫がひとり歩いているのが見えた。街道には車一台も通っていなかった。平野のずっとむこうに、山の尾根がかすんで見えた。その山裾の川の縁のあたりまで農場がひろがっていた。やわらの市街が右手に見えた。

森や松林に見え隠れして、北海道特有のトタン葺きの色とりどりの三角屋根が見えた。

「だいじょうぶでしたか?」と、諒子はこっちにむかって歩きながらきいた。

「ええ、あなたは?」

「わたしは我慢できましたから」といって、くくくっと笑った。

「ここが、《ゴッホの丘》なんですね。きてよかったわ。こんなにたくさんひまわりがあって、……」

「素晴らしいよね」

「でも、ゴッホのひまわりよりきれいだわ」

「ああ、そうだね」

「このひまわりって、もっと大きくなるのかしら」

「まだまだ大きくなりますよ。ここはむかしから畑でした。ソラマメやインゲンマメ、小豆なんかの畑だったと思います。あの建物がぼくの通った高校の校舎だったんです。いまはもう学校じゃなくなったけれどね」

「そういえば、学校みたいな建物ですね」諒子は手をかざしてながめていた。

「いまは、何になっているんですか?」

「さあ、ぼくはしりません」

「これ、飲みます?」といって、諒子はミネラルウォーターの壜をバッグから取り出した。

「あなたは飲まないの?」

「飲みます。よかったら田原さんから先に飲んでください」

「いいんですか? いただきます」

おれは壜を口につけて、乾いていた喉にたっぷりと流しこんだ。

それから諒子が飲んだ。そして、おれはたばこを吸った。

ニコンF2フォトミックをバッグのなかから取り出して、ファインダーをのぞいてみた。レンズを絞っても露出計の針が明るすぎて振りきれていた。グレーのフィルターをかけた。

「撮っていいですか? 帽子を取ってみてください。顔が影になりますから」

諒子の顔をのぞきながらおれがいった。

諒子は「ええ」とだけいった。