サクラを見て、プッチーノをみながら…

 

「コーヒー飲むかい?」とMさんにいった。

「ああ、熱くて濃いやつを飲みたいな。……カプッチーノって、そういうコーヒーだよね」という。

イタリアのカプッチーノは、もともとの起源は、カプチン修道会士のつくったコーヒーのことをいう。それと、カプチン修道会士の着る修道服の色に似ているせいもあるのだろう。これはデミタスカップに砂糖を先に入れておき、コーヒーを静かにそそぎ、堅めのクリームをたっぷりと浮かべて、シナモンの棒でかきまぜながら飲むのがコツだ。この「かきまぜながら」というところがミソ。

――好みによって、レモンやオレンジの皮をおろしたものを加えることもあるが、自分が行ったことのあるフィレンツェでは、それにアルコールを入れる。朝のコーヒーには決まってアルコールを入れる。

朝、サラリーマンたちがバールに集まり、どろっとしたカプッチーノを飲んで、何も食べずに出勤する。……イタリア語では「カプッチーノ(cappuccino)」と発音する。

 

ロッキーの背中

 

 

ぼくは、その「見かけ」ということに着目した。――そのように見える、ということ。

だいたい詩人は、たとえ真実がどうであろうと、「愛しい女が誓うなら、ウソと知りつつも信じよう」「――それゆえ、ぼくとあの女はウソをつき合い、ベッドでは、不実であってもウソで互いに慰め合う」(138番)と歌っている。

ここではウソのlieと、寝るのlieを引っ掛けている。

エリザベス朝の人びとは、同性愛の欲望が存在することを認めていた。じっさい、ある意味で異性愛よりも同性愛のほうが正当化しやすかったという説がある。ある禁則をまもれば、男が男を愛することはざらにあったらしい。事実、「女性の顔と女性のやさしい心を支配する男にして女――」というのは、ほかならぬサウサンプトン伯、その人を指すらしい。

そういう意味では、「《見た目》依存の時代」という本は、とても刺激的な本だ。メトロセクシャルの話だけでなく、われわれの世代にも通じるレトロセクシャルの話もなかなかの説得力があっておもしろかった。かつ、化粧をすれば、個性が隠れるという説は、シェイクスピアもいっているとおりだとおもった。

「ロッキーは、めろめろになった女性、いますか?」と尋ねると、

「ああ、ひとりいるね」といった。

「むかしの女でしょう? ぼくはもう、聞いているかもしれない。バールのおばさんじゃないですよね?」

「イタリアのバールのおばさんも、ひとりいたっけ」

「ぼくは、知りませんけど」

このイタリア語の発音が、なかなかむずかしい。バール(Bar)のおばんたちが、いつも愛想よく、おしゃべりしながら自分好みのカプッチーノをつくってくれる。それに好みのピッザ2切れほど皿にのせてくれる。

野菜がたっぷり入ったピッザの味は忘れがたい。ピッザの本場は、ミラノだ。ミラノ風のピッザというのがある。食材よりも問題はむしろ焼き方である。ミラノのピッザを売る店には、石でできた大きな釜がある。この釜は、店独特の代々受け継がれた技術でつくられているため、めったにお目にかかれない。

どうしたら、こんなにうまいピッザができるのだろうと思う。おしっこが終わって、椅子に腰掛けると、Mさんはいった。

「何やってたの?」

「地面を引っ掻いてたよ、ほら、おかげで真っ黒になっちまったよ、軍手が」

「指先にアナがあいてるよ。この軍手、もう捨てたら? ……雑草かい? 好きだなあ、……」と彼はいう。

「おれは、好きだよ」

「それで何か考えましたか?」

「考えたよ。すっばらしいやつをね。……」

「その話を聞きたいもんだ。……どうか、手短に!」

「なんだい、その手短にっていうのは?」

「こうさんの話は、いつも長いからな、おれの持ち時間は40分、はははっ。……。これはうまいな。……これくらい濃いとコーヒーはうまいなあ。カプッチーノを飲んでる気分だ」という。

「カプッチーノを出す店は、ここらにはないよな」というと、

「あるわけないでしょ。……そうなのかい。なに、……カプチン? カプチン修道会士だって? 聞いたことないな。その僧侶たちのつくったコーヒーのことなのかい?」

「そうだよ。だーれも知らないけど、ぼくはイタリアへ行って覚えたよ」

「イタリアのどこへ行ったの?」

「3回とも、ローマじゃなく、フィレンツェだったよ。……フィレンツェの行政書記官だった男を調べるためにね。ははははっ、これには思い出があってね、……そこで偶然だけど、ダ・ヴィンチの物語を知った。アルノ川の水路を引っ張ってきて、フィレンツェに運河を建設しようという国の一大事業構想というのをじっさいに見てきましたよ。16世紀の話ですよ。ダ・ヴィンチの《モナリザ》の背景に描かれているアルノ川のことですよ」

Mさんは、黙って聞いていたが、

「こうさん、話題を変えません? そういう専門的な話は、どうもおれには関心がなくてね。せいぜい《モナリザ》ぐらいしか分からない。……それとも、さっきのコーヒーの話なんか、どう?」ときいてきた。

「コーヒーか。……われわれがコーヒーっていうとき、じつはオランダ語でいっているんだな。これ、知ってました?」

「英語じゃないのかい?」

「これはオランダ語。……だから、つづりはkoffieとつづる。英語ではcoffeeと書くけれどね。原料はアカネ科のコーヒーノキの果実の種を炒()って、それを粉にして飲む。これは、宗教と関係の深い飲み物なんですよ」

「宗教だって? キリスト教かい?」

「ブー、回教ですよ。……戒律のきびしいイスラム教徒たちは酒を禁じられていた。お坊さんは酒を飲めない。そこで酒にかわる飲み物としてコーヒーが飲まれるようになったっていうわけさ。ヨーロッパに伝えたのはヴェネチアの商人たちです。ヴェネチアンコーヒーというのがある。そいつは甘ったるいコーヒーで、カプッチーノとはぜんぜん種類が違う」

「日本へ伝わったのは?」

「17世紀。……オランダ商人の手によって伝えられた。ビールもおなじころオランダ商人によって日本に持ち込まれた。そのころはコーヒーとはいわず、カフェと呼ばれた。これを翻訳して珈琲という当て字で訳された。ついでだけど、「可喜」とか、「可否」とか訳されたこともあるんですよ」

「へえ、そうかい。可喜なんて、いい訳だね。飲んで喜ぶというのはいいよね。……それで?」

「有名なのは、神戸の放香堂。――これは明治11年ごろにできた日本ではじめてコーヒー館だった」

「ははははっ、よく覚えているもんだね。あきれるくらいだ」という。

「あきれてください。……こういう話には、事欠きません」

「だからこんさんはモテるわけですよ。なんにも知らない女学生には、モテモテだったでしょう?」という。

「カフェということばがはじめて出てくる文献は、宇田川榕庵という人の書いたオランダ辞典、《蘭和対訳字書》に載っている。カフェというのは、本来はフランス語です。ふるくは、キャフェと発音されたようです」

「ほう、ついでにきくけど、東京にはいつごろできたの?」

「新橋の洗愁亭という店がはじめてじゃないかな。神戸に遅れてできた。神戸はたしか明治11年だから、まだあとだろうね、……《可否茶館》というのもできた。日本橋だったかな? そうそう日本橋だった。夏目漱石が《三四郎》を書いていたころ、ここへ出かけている。永井荷風も出かけている。芸者といっしょにコーヒーを飲んでいる。荷風はアメリカ、フランスに住んでいたから、ヨーロッパのコーヒーにはうるさかった」

「ああ、それはこうさんから聞いたことあるなあ、……」という。自分もしゃべった記憶がある。カフェのほうは、フランス語で、フランスへはエチオピアのコーヒーが伝わったので「café」と書く。いまでもそうだ。明治44年に洋画家の松山省三が京橋の日吉町に開いた「カフェ・プランタン」という店は、本場パリの「プランタン」にちなんで名づけられた店で、本場パリの「プランタン」同様、ここにも洋装した女給をおいて、洋酒もコーヒーも飲ませた。だんだんダンスと卑猥なサービスが売りの店になっていった。

「プランタンて、どういう意味?」

「意味はただの《春》という意味しかない。フランス語では」

「ああ、洋画家だから、本場のパリをじっさいに見てきて、それで営業したわけだね? これは受けると思った。――ということは、キャバレーのはじまり?」

「そういうこと。……」

「キャバレーというのは戦後にできたのかい?」

「キャバレーというのもフランス語です。吹き抜けの大ホールにステージを設けて、踊り子たちに踊らせる。わきにはホステスがつき、ダンスの相手もしてくれて、あわよくば1夜を共にすることもできる。戦後の風俗は野火のように日本全国にたちまち広がった。やがて、ナイトクラブと呼ばれる店ができた。……だんだんエスカレートして、ミュージックホールにもなり、ショーをやるようになり、俗に《まな板ショー》という、本番まがいのストリップショーまでやるようになり、当局の取締まりがきびしくなって、ご覧のように、いまではぜんぜん姿を消した。赤坂のラテンクォーターがあるうちは、よかった。品があって、踊り子たちは全員金髪女性で、脚も長く、数寄屋橋の日劇や、浅草の国際劇場に飽き足らない連中は、みんな、夜の赤坂に繰り出したもんですよ」

「こうさんは、そういうところへも行ってたのかい?」

「行きましたよ。おれも若いころがあったもんでね」

「ちょっと想像がつかないね。……失礼だけど、キャバレーにいそいそと出かけて行くこうさんは想像できないなあ、ははははっ」という。

コーヒーの話のはずが、彼と話していると、だんだん話が落ちてくる。

こんどはSさんがやってきた。彼の話を聞いて、なるほどそうだなと思った。

彼も自分とおなじ《木星人》のプラスである。昭和25年3月11日の生まれである。

彼が、好意を持っている女性とふたりきりでお別れ会をやったときの話を聞いた。警備の仕事に携わっていた女性が、ある日退職することになり、会社ではお別れ会もしてくれないというので、Sさんは可哀想に思って、彼女を誘って越谷の居酒屋で飲み会をやったのだそうだ。――いい女だなあと思ったそうだ。

彼女の年齢は34、5歳で、まだ独身という。

Sさんは58歳。ちょっと年齢が離れすぎているように思う。

彼女と飲んでいて、彼女が以前勤務していたメンテナンス会社の上司から電話があり、「もどってこい」といわれたのだそうだ。彼女は、警備の仕事に就いてまだ3ヶ月。この仕事は自分に合っているとは思えないが、生活のために勤務をつづけていたらしい。日ごろ、それとなく目をつけていた彼女が、とつぜん会社を辞めるといいだした。Sさんは理由をきかずに、いったそうだ。

「じゃ、お別れ会をしなくちゃね、……」というと、

「あら、わたしのためにやってくれるの?」といって、嬉しそうににこっと笑ったそうだ。

「そう思ってね。……自分の勤務が終わってからだけど、どう? 夜になるけど」ときいた。彼女はしばらく考えていた。

「今生(こんじょう)の別れだ、おれと1杯、つきあってくれ!」と、耳元でささやいたのだそうだ。すると、

「――いいわ、参加させていただきます」

Sさんも、いうときにはいうもんだなと思った。

「おれ、ひとりだけど、それでもいいかい?」

「いいわ。嬉しいわ」

そういって、彼女はSさんの申し出を受け入れたのだそうだ。そして当日、土砂降りの雨になりSさんは越谷のバス停の前で彼女を待った。

「まいったな。……こんなに雨が降っちゃ、来ないかもしれないな」と思ったそうだ。約束の時間が10分過ぎた。傘を差してたばこを吹かして待っていたら、彼女がやってきた。

「お待たせして、すみません」といって、小走りに走ってくる。Sさんは思ったそうだ。おれのためにこの女は小走りに雨のなか、駆けて来る。こういう風景は、もう30年見ていない。それからSさんは、前もって入る店を確認していた大衆的な居酒屋に連れていった。

「ここでいいかな、……」といった。

「かまいません」と女はいい、ぬれた傘をたたんでから額の水滴を撫でた。奥まった座敷に靴を脱いであがった。客はそれほど入っていなかった。外は土砂降りの雨。

かえってこういう日のほうが、よかったかも知れないと彼は思いはじめた。外はきゅうに暗くなり、ざーざー音を立てて雨が降りつづいている。店内がなにやら湿っぽい。おしぼりで顔を拭くと、丸薬みたいな洟(はな)がころりとついてきた。彼女はそれを見て、

「まだ、ついています」といった。片方の鼻の穴から黒い丸薬がぶら下がっていたらしい。「とってあげます」といって、彼女はSさんの丸薬をタオルで拭き取った。

「鼻のなかが乾いててね。……雨が降ったんで、出てきたらしい。……まずいところを見られちまったな、ははははっ」

そういって、ふたりはやおら落ち着くと、何か注文した。彼女はまだ食事まえだというので、「もっと、腹の足しになるもの、どう?」ときいた。

「わたしはけっこうです。Sさんが食べれば?」

「自分は、酒のみだから、何も食べないよ」

客がふたり座敷にあがってきた。広いカウンターには2人の客がいたが、傘がないといって困った顔をしている。店内はまだがら空きだ。視線をもどすと、彼女はもじもじしている。

「ちょっとお手洗いへ」といって彼女は立ち上がった。白いスラックスがからだのラインを際立たせている。しかし、じきに戻ってきた。トイレにしては早すぎると思った。

「トイレ、だれか入ってたの?」ときいた。

「いいえ」といっただけで、何も話さない。――ああ、鏡を見るために行ったのか、と思った。Sさんの丸薬状の洟を見て、思わず彼女は鏡で自分の顔を確認してきたのだろう。雨の中走ったので、ヘアの乱れが気になっていたのかも知れない。

「いったい、どうして辞めることになったんだい?」ときいた。

「いえ、これには事情がありまして、……会社の人には、ちょっといえない事情がありましていいませんでした。辞表には、一身上の都合によりって書いたわ」という。

「ほう。理由はきかれなかったかい?」

「きかれました。でも、いえませんでした」

「ほう。それは何かなあ、……いいたくなかったら、いわなくてもいいけどさ、……」

彼女は、ビールを飲み、枝豆を食べているうちに、おもむろにしゃべりはじめた。

「お別れ会をしてくださるSさんだけにいいます。……元の上司から、電話がありまして、……」という。

「元の上司? ほう」

「以前、わたしは、春日部のメンテナンス会社に勤務していました」

「ほう。……その会社をどうして辞めたの?」

「……あまりきかないで。……いろいろありまして。……」といっている。

「ほう。そうなのかい。そりゃあ人間だもの、いろいろあって、いいんじゃないですか? それで、上司から電話があって、もどってこいといわれたんだね?」

「そうです。……」

ははーん、その上司が3ヶ月もほったらかしにして、今ごろ「もどってこい」という電話をかけてきたというわけか。こりゃあ、やぶへびだったかな? Sさんはそう思ったそうだ。――彼女は中年になろうとしているが、そんなふうには見えない。なかなか愛嬌のある、可愛い女なんですよ、と自分に漏らした。

「ひと目見て、影のある女には見えなかったけど、いかにも男好きのする顔立ちでね、ぽちゃっとしていて、なんていうか、酒を飲むときはそばにいて、酌でもして欲しい感じの女なんですよ、分かるでしょ?」といっていた。

彼は、いちど彼女と飲んでみたいと思っていたそうだ。この機を逃がしたら永遠にチャンスがなくなる。そう思って誘ったのだそうだ。そのときの殺し文句は、藤沢周平の小説に出てくることばそのままだったという。

「今生の別れだ、おれと1杯、つきあってくれ!」

これを彼女にいったのだそうだ。まるで小説のなかに出てくるセリフだ。事実そうなのだから、Sさんもスミにおけない。それはいいのだが、時間がたつにしたがって、彼女の酒もまわってきた。ほんのりと赤い顔をし、口もなめらかになり、おしゃべりになってきた。

「Sさんは、どうして結婚しないんですか?」ときいてきた。

「自分かい? そういう人に出会わなかったからですよ。ところが、……」

「ところが、何? ……」

「数ヶ月前、自分はすばらしい女性に会いましてね、彼女にするなら、この人だ! って思いましたね」

「へええ、だれなんですか?」

「きみだよ! 分かる? だからね。自分はね、今生の別れといったのさ。……今生のお別れに、自分と1杯つきあってくれ!」

「あのとき、しびれました。……びっくりしちゃいました。だって、男性に耳元であんなふうにささやかれたこと、ありませんから」

「それで、ついてきた?」

「はい。……それに、わたしはSさんて、どういう人なのかしらって思いました。そういうこともあって、いっしょにお酒でも飲みたくなりました」という。

「じゃ、……はっきりいうけど、その上司? その上司のもとに、行くわけだね? もう決心したんだね?」

「はい。……ごめんなさい」

彼女は、申し訳なさそうにしてビールをついだそうだ。それから無言で時間をやり過ごし、またビールを頼み、彼女の酌でビールを飲んで、やおら2時間が過ぎた。ビール瓶が6本、空になった。

「もう1本!」と声を張り上げたら、

「わたしはもういいわ」と彼女はいった。

「今生の別れだ、きみ、飲め!」

「わかりました。酔っても知りませんから、……」

「いいから、飲め! 酔っ払ったら、送っていくよ。最後の最後だ。自分とつきあえ!」

Sさんは、妬けをおこしたように飲んだ。たちまち1本飲んでしまった。

「いいから、飲め! きみが幸せになるんだったら、自分は何もいわない。……いいかい。幸せになれよ! たのむから、幸せに、……」そういって、Sさんは泣き出したそうだ。涙が止まらなかったそうだ。彼女はおしぼりを寄越して、涙を拭きなさいといったのだそうだ。

「日本酒をくれ! ……」

「もう帰りましょう? ……」

「帰ってどうする? きみは、上司のところへ行くのかい?」

「……Sさん、Sさん。……ビール8本も飲んで、……」

「8本だって。まだ8本じゃないか。日本酒はまだか!」

「キャンセルしました。Sさん、人が見てますよ」

「今晩、自分とつきあえ!」

「いいわよ。どこまでもつきあってあげます。だから、……Sさん、もうよしましょう」

「いいから、自分とつきあえ! 頼むから、……」といって、彼はテーブルに顔をつけて泣いたそうだ。鼻水が出て、それを彼女が拭いて、……「ちきしょうめ! 雨なんか降りやがって!」

この話のだいたいのところは、彼から聞いている。

「あの日が、雨なんか降らず、天気にめぐまれていたら、もうちょっと違った展開になっていたかも知れない」という。

「あれは、雨ですよ」と彼はいう。

「いや、そうじゃないでしょう。Sさんが飲みすぎたからでしょう。たぶん、そうですよ」というと、

「そうかな。……自分は飲まずにはおられなかった」

「直子さんが、洗面所に立ったとき、彼女にはその気がなかったとは思えない。もっと優しく、女性に声をかけてやれば、よかったんじゃありませんか? もっと優しく」

「うーん、……こうさんがそういうなら、当たってるかも、ははははっ」といってSさんは笑った。

自分はその女性には会ったことはないが、話を聞いてみると、なかなかいい女のようだ。店を出たときは、雨は小降りになっていた。彼女とは越谷駅のなかで別れた。握手をして、ふたたび彼女にいったそうだ。

「その上司と、幸せになれ! いいか、わかったか?」

「はい」と彼女は答えたそうだ。彼女の名前は、川口直子というのだそうだ。

木星人は、だいたい恋をするのが苦手だ。たまに恋をすると、結末はこういうふうになる。こうなると、恋なんてするものか! と男は思ってしまう。

「知っていますか? 有島武郎の小説《朱を奪ふもの》。……そこに出てくるセリフです。《鞦韆(ブランコ)は漕ぐもの、恋は奪ふもの》というセリフ――」

「聞いたこと、あるなあ、……」という。

恋は奪うものだというのである。Sさんは生まれてはじめて、本気で直子さんのことを思ったそうだ。その日の期待感とときめき。――そして、いいようもない嫉妬で、やり場のない寂しさを噛みしめたそうだ。雨にぬれた直子さんの顔が、いまでも思い出すそうだ。この想像するパワーは、取り逃がした大魚を思う気持ちと似て、どうしようもないものだと漏らした。……ああ、もう嫌だと思っても、あのときの直子さんのことを思い出すといっていた。――まるで、雨に祟られたような夜。《死して雨に降られたる者は、幸いなり》ということばがフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」のなかに出てくる。

AD