■言語哲学者・丸山圭三郎氏を拝みたくなる。――

がいなくなると、ずみたちが踊る」

 丸山圭三郎「ソシュールを読む」(講談社学術文庫、2012年)。

 

ともあれ、この本の存在を知ったのは、もちろん丸山圭三郎さんのお書きになった本を読んだからである。しかしそこに行き着くまでに、ぼくは大きなまわり道をしていた。

その間、2つの海峡をわたり、北海道に帰ったとき、亡き父の墓前で、もっと早く帰れなかったことを詫びた。当時、父は100歳を超えていて、父の死に目に会えなかった。

「ソシュールを読む」という本に出会ったのは、それから数ヶ月たったころだった。

 

――Elle fait la sainte nitouche.(彼女は聖女ぶっている)を日本語でいえば、「彼女は猫をかぶっている」がいちばんぴったりくる。「わたしは猫の手も借りたいほどだ」は、Je suis tellement occupé que je ne sais plus oú donner de la těte.(あまり忙しすぎてどこから手をつけていいかわからない)とつづる。

フランス語のchatは、ふしぎなことに日本語の「しゃがれ声」になり、「鬼」にもなり、「蛇」にもなる。丸山圭三郎さんはそういっている。――(「言葉とは何か」ちくま学芸文庫、2008年)。

ことばって、何だろう? 

 

丸山圭三郎さんは根源的にいって、正解のないこの問いに真正面から取り組んだ人だ。では「意味」ってなんだろう? そういうことをおお真面目に考えた人である。

J'ai un chat dans la gorge.

「(わたしは猫を一匹もっている)声がしゃがれてしまった」

La chat parti, les souris dansent.

「(猫がいなくなると、ねずみたちが踊る)鬼の居ぬ間に洗濯」

Ne réveillez pas le chat qui dort.

「(眠っている猫を起こすな)藪を突いて蛇をだすな」となる。

ぼくは、自分のもっていることばについて、深く考えたことはなかった。せいぜい日本語の活用形に疑問をもって考えたことはあるけれど、こんな切り口で語った本にめぐり会うこともなかったのだが、数年前、丸山圭三郎さんの本に触れて、いまさらながら、驚きをもって読んだ。

だいたいことばって、「物や概念の呼び名である」という認識があって、その程度のことしか耳に入らないし、そうおもってずっと過ごしてきた。

物にはひとつひとつ名前がついている。

――たとえば、ぼくの好きな「馬」。

馬という動物はラテン語でcaballusということは知らなくても、フランス語のcheval、英語のhorse、ドイツ語のPferdと呼ばれているのだから、外国語を知るということは、すでに知っている事物や概念のあたらしい呼び名を学ぶこと、たんに単語を暗記するものとおもい込んでいるのではないだろうか。

たんに、単語を知っているからといって、英語なりフランス語なりを知ることになるのだろうか、といえば、大きな間違いであると、丸山圭三郎さんはいっている。「それは違うぞ!」と。

たとえば、フランス語で「行ってまいります」は、

Le m'en vais et je serai de retour.といい、直訳すると「わたしは出ていって、またもどるだろう」といっている。

「ただいま」は、Maintenant! これを直訳すると「いま!」といっている。

また「いただきます」は、Je vais manger.といい、これを直訳すると「わたしはこれから食べる」といっている。いっている意味を知ると、笑ってしまいそうだ。

 

 

丸山圭三郎「人はなぜ歌うのか」(岩波現代文庫、2014年)。

妻ヨーコは、人前ではけっして歌わない。そのヨーコが、ある日自分が、お昼の仮眠から目覚めたら、キッチンでとうもろこしを茹でながら、ひとり矢代亜紀の歌う「舟歌」を、鼻歌でうたっているじゃないか! 

 

 お酒はぬるめの 燗(かん)がいい

 肴(さかな)はあぶったイカでいい

 女は無口なひとがいい ……と

 

英語だってそうだろう。

ぼくはずっと前、イギリスのトイレの話を書いたっけ。

英語にはpluck a rose(薔薇を摘む)という成句がある。英和辞典には「薔薇を摘む」は、転じて「(女性が)外でのんびり、息抜きをする」と載っているとおもうけれど、英語成句の本来の意味は、「用をたす」という意味。「用を足し」ながら、だれでも息抜きをしているもんだ。

しかし息抜きをすることを意味しているのじゃなくて、用を足すことを意味しているわけだから、結果としては息抜きにもなるわけである。

――pluck a roseは、ほんとうの意味は、息抜きだろうか、それとも用を足すだろうか? とたずねられてもぼくにはわからない。

日本語では古来「ちょっと勘定する、勘定してくる」といって、外で用を足してきたものだ。別に勘定してくるわけじゃない。それと似ていることばである。

彼女たちも、外で薔薇を摘んでくるわけじゃない。

それに日本もイギリスも、用をたす場所は、母屋から離れたガーデンにあったからで、いまでは「薔薇を摘んでくる」などといってトイレにはいかないだろうけれど、ことばにはそれぞれ、つくられた時代がちゃんと反映されていて、そこが無類におもしろいはずなのに、どうして日本の英和辞典は、ちゃんと書かないのだろうとぼくはおもっている。あと一歩の労を惜しんで、大事なことを落とし、つまらない解説をしてしまっている。

シェイクスピアお得意の卑猥語のなかで突出しているのは、なんといっても「薔薇」だろう。「薔薇」が女性性器を指し、薔薇には棘があり、それこそ自然なのだけれど、その隠語の意味あいで読めば、黒い笑いや楽しみの冒瀆はここに歴然としているはず。「薔薇」の花びらが咲いているところには「棘」があり、しかもその棘がツンと立っている表現が見える。

「地獄」とか「薔薇」とか、シェイクスピアの詩句のなかに散りばめられている奇妙な語彙は、そのまま読んでも分かるようにはなっているが、ほんとは違うんだよというか、隠語にもなり得る語彙をわざわざ「むしり取る」ようにして「摘み取り」、pluck upしているのだ。

丸山圭三郎さんの本は、英語ではなくて、どの場合もほとんどフランス語だが、じつにその根源的な問題を、わかりやすく説いていて、80のぼくの脳みそにも、すんなりと入ってくる。じつにふしぎな本だ。

フランス語からきた外来語で、まず絶対にフランス人に通じないものに、シュークリーム(chou à la crème)があるといっている。シュ・ア・ラ・クレームは「クリームの入ったキャベツ状のお菓子」という意味になる。それが原義で、「靴を磨くクリーム」ではけっしてない。

オードブル(horsd'œuvreオル・ドゥーヴル)は、「作品の外、つまり食事のコースには数えられない前菜のこと」。オーデコロン(eau de Cologne オ・ドゥ・コローニュ(コローニュ水))、シャンパン(champagneシャンパーニュ=シャンパーニュ地方産の発泡性ワイン)、ギロチン(guillotineギヨティーヌ=ギヨタン博士という医者が発案した断頭台)、デラックス(de luxeドゥ・リュクス=ぜいたくな)などいろいろある。

ただし、まぎらわしいのは和製フランス語だ。「ヘチマコロン」とか、「プレタメゾン」とかは、笑ってしまうが、日本で生まれた和製フランス語なのだ。

プレタポルテ(prĉt-à-porter)が既成服で、まあ、いつでも着られる状態にあるというわけで、建売住宅のことをプレタメゾンといったりしていた時代があった。おかしいに決まっている。

サンテクジュペリの「星の王子さま(Le Petit Prince)」、これを直訳すると「小さな大公」となる。これじゃおもしろくないだろうと考えて、内藤濯さんは「星の王子さま」と訳された。タイトルにはない「星」をくっつけたのだ。これはすばらしい!

これがみごとにあたって、空前のベストセラーになった。そういう例もある。

ちょっと余談だが、そもそも「星の王子さま」は、内藤濯さんが翻訳する予定ではなかった。もともとは岸田國士さんに、ある日、岩波書店から翻訳の依頼が舞い込んだのだが、彼が最も尊敬している内藤先生に翻訳してもらおうと考え、この仕事を先生にゆずったのである。

「せめて先生への恩返しです」といって、弟子である岸田國士さんは深く頭をさげた。内藤濯さんの「星の王子とわたし」(文藝春秋1968年/文春文庫1976年/丸善2006年)、村松定孝氏の「近代作家エピソード辞典」(東京堂出版、平成3年)等に詳しく書かれている。

シャトーブリアンの小説「アタラ」には、こんな文章が出てくる。

《アタラは、山生のオジギ草の茂みの上に横たえられていた。彼女の両脚、頭と肩、そして胸の一部が露わになっていた。髪には萎えたモクレンの花が副えられていた。それは、子供をさずかるようにと、わたしが彼女の寝床に置いた、まさにその花だった。彼女の唇は、二日前の朝に摘んだバラのつぼみのように、萎えてほほえんでいるように見えた。/修道士は、ひと晩じゅう祈りつづけた。わたしは愛するアタラの死の床の枕元に無言で座っていた。/そして間もなく、古い樫の木や海のいにしえの岸に打ち明けるのが好きな、あの大いなる憂いの秘め事を森のなかにまき広めた。》

――と、このように書かれて「アタル」という小説は終わる。

そこに「子供をさずかるようにと、……」という部分の原文は「cellelá méme que j'avais depose sur le lit de la vierge,pour la render fécoonde.」となっていて、直訳すれば、彼女を「豊穣にするために」という意味なのだが、ここでは、彼女に子供がさずかるようにと書かれている。

女性にとってフランス語の「豊穣」とは、すなわち懐妊を意味しているからだ。これなんか、フランス語の奥ゆかしい表現のひとつといえるだろう。

それと、フランス語にはかならずといっていいほど、ゼスチャーがともなう。

雨がぽつりぽつりと降りだしたら、手のひらを上にむけて「おや、雨だ」という。

あるときパリで、フランス人とおしゃべりしていて、彼は手の甲を下にして、「Tiens, il pleut.」といった。ホームスティしていた郵便局長のお宅で、その主人がそういった。

ちょうど、映画「シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg)」がかかっていたころだ。カトリーヌ・ドヌーヴがいちばかん美しいころだったなとおもう。ホームスティのお宅に背の高い中学生の女の子がいて、ぼくはサムライの話をしたっけ。そして、

「サムライ、好き?」

ときくと、彼女はにこっと笑みを浮かべ、

「好き、好き!」といった。

で、「しのぎを削る」という日本語の話をしたんだっけ?

わからないだろうとおもって、地面に棒きれで刀の絵を描き、しのぎの線を描いた。ほら、刀身の断面に、左右出っ張りがあるだろう? それがしのぎの線。ふたりがやりあうと、お互いにしのぎの線が擦られるんだ。

で、「しのぎを削る」という日本語が生まれたという話をしたのだ。

漢字で書けば「鎬」と書く。「しのぎを削る」という語を丸飲みして覚えたからといっても、「しのぎ」って何? ときくと、さっぱり分からないのだ。

丸山圭三郎さんにいわせれば、その程度でことばを覚えたとはいえない、というわけである。

「だったら……」といって、彼女はフランス語で手の話で、大急ぎで何かいっていた。ぼくはもうそのときの話を忘れてしまった。

ああ、ついでにいうと、ぼくはこのときフランス語をしゃべることができたのだった。英語も。

英会話ちとか仏会話とかで習っていたわけじゃない。大学の授業の先生がそもそも英国人、仏国人で、日本語はできなかったから、英語やフランス語で習った。そうすると、1年もたつと、だれだってしゃべるようになる。ゼスチャーたっぷりにね。

――手でおもいだしたが、フランス人に向かって、けっして人さし指で指さしてはならない。失礼と見なされる。これはフランス人にかぎらないだろう。

「自分です」というときのゼスチャーは、鼻を人さし指で示さず、胸の心臓のあたりを親指でさす。軽く手をあててもいい。間違っても親指を立ててElle a celaなんていわないこと。

「彼女にはこれがついてるんでねぇ」という意味になるのだ。

また、小指を立てて、Elle va bien? なんてきかないこと。

「あんたのこれ、元気?」なんていう意味になるから。

さて、肝心の言語学者のソシュールの話を書こうとおもったが、もう紙幅がなくなった。

日本の仏文・言語学哲学をきわめた丸山圭三郎さんは、インドの古代哲学者ナーガールジュナの諸作は、ソシュールのみならず、フロイトの先取りをしている思想だといって、たいへん褒めていた。

何? ナーガールジュナ(龍樹)だって? ナーガールジュナなら、おれも知ってるぞ! という男がいたっけ。――もしも機会があったら、ナーガールジュナの「中観」を読むことをおすすめしたい。

ぼくには、丸山圭三郎さんの説はよくわからなかったが、意識の深層における言葉の働きをヴァーティカルな視点から捉えていたのは、なんと、2000年前の「中論」にさかのぼるといわれては、じっとしてはいられない。

そういうわけで、ナーガールジュナを読んだというわけだった。ところが、それを前後して、ぼくはしばしば梅原猛氏の本を読んでいたら、ナーガールジュナは大ウソつきだ、と書かれていた。

仏教思想史のなかで地獄の思想についてまとめた梅原猛氏は、その道の専門家である。

昭和42年、ぼくが大学を出た年に同氏の「地獄の思想」(岩波新書)という本が世に出た。そして、ぼくは昭和48年に、「保元元年の生と死」という論文を雑誌に発表した。

慈円の「愚管抄」に描かれている内乱に巻きこまれて亡くなった人びとの往生問題を取り上げた。

ある日とつぜん、のぞんでもいない自分の死をもたらされ、人は亡くなっても、彼らは成仏できない。それは自然の死ではないからで、まことに不自然の死だからであると書いた。

「《保元元年の生と死》? ですか。小説みたいですね」といわれた。

「まさに、これ小説なんですよ。保元の乱ですよ。――歴史をひとつの物語として見る。

そうすると歴史が見えてくる。

ぼくはこれを《ヒストリア》って呼んでいます。《ヒストリー》の親戚みたいなことばですが、いちど演じられた物語、――まあ、ぼくにとって歴史とは、つまり、いちど演じられた物語なんですよ」といった。

わが国の自然観が大きく変わっていった転換期の話である。

これまでの死は、文学でいえば「源氏物語的自然観」だったのにたいして、とつぜんの死は、「平家物語的自然観」へと変わっていったことを裏付けている。そういうものへと変わらざるを得なくなったわけである。

人は、日ごろから死への準備をしていないと、とつぜんあの世にいっても、成仏できないと考えた。戦(いくさ)に関係ない人びとが、乱に巻き込まれてとつぜんの死を遂げる。保元の乱の民衆が恐れたのは、そのことだった。

あの世への旅立ちの準備をしていない町人や婦人、子供たちは、死んでも救われないと考えた。そこには、自然な死ではなく、不自然な死を遂げるという不名誉な世界があった。人びとはそれに気づいたのである。

鎌倉新仏教の興りは、そもそもそうであってはならない、子供たちへも、死の準備を与えようとした興りだった。そうした内乱に材を得て、お経の読めない人びとに地獄絵などを見せて、正しい仏教信仰へと導いていった。仏教を信仰すれば、あの世で救われることを教えた。

――もちろん近代言語学の父といえば、フェルディナン・ド・ソシュールである。

そのことばは、それからだって読むのは遅くはないだろう。

残された手稿と「一般言語学講義」聴講生のノートから三度の講義内容を復元し、ことばを手がかりに文化や社会の幻想性を解明・告発した論文がやっとまとまり、2012年に、講談社学術文庫の一冊としてよみがえった。それを読んで、じぶんなりに感動した。――翻訳という文化の神髄は、これかもしれないと考えた。

人の思想と方法を精緻に読み解く。――20世紀の諸科学、とりわけ構造主義やポスト構造主義に多大な影響を与えた思想の射程と今日的な可能性が、あざやかに甦る感動があった。

ヴァーティカル(垂直)な視点から捉えた、2000年前にさかのぼる、インドの大乗仏教学者・ナーガールジュナ(龍樹)の「中論」にもとづく般若空観を宣揚している本なのである。まだ暑い晩夏のひととき、こんな本を読んで、脳みその皺を伸ばしてはいかがでしょうか。

ナーガールジュナも、むかし、ひょぅとすると、東海林太郎さんみたいに直立不動の姿勢で歌っていたのだろうかとおもったり?