シェイクスピアの「Macbeth(マクベス)」の国に若きリーダー現る
今朝、イギリスは晴れているか? 曇っているか?
いまこそ、正統を継ぐ嫡子を得たのだ。
ふたつの国民はこぞって、スナク新首相の舞台を歓迎しよう!
おはようございます。
若い人とおしゃべりするのは、いつもこころ楽しいものです。
この「Macbeth」は、2月はまだ冬だというのに、夏のような魚の焼ける香りの風を受け、「しかし今、黒こそ美女の正統を継ぐ嫡子なのだ」といい張るアフリカ系の天然美女を前にして、Totus mundus facit histrionem,……(この世は万事芝居の舞台)と刻ませた400年まえのシェイクスピア。
イタリア人のアレッサンドロ・ジェレヴィーニ氏の書いた「いつも心にイタリアを」(新潮文庫、平成22年)という本を読むと、はっきりと書かれています。酔っ払い(ウブリアーキ ubriachi)にたいして、イタリアは日本ほど寛容ではないのだと。酔っ払って、世間のウサをはらしたくなることもあるだろうに、イタリアの男たちは、ぐっと我慢しているようです。
それにしても、世間話で盛り上がるバールでのマンマの時間は、澄んだ夏の空のようにからっとしていて、とてもさわやかなのです。
「シェイクスピアの話をしよう」ということで、またまた繰り返し同じ話をしてしまいました。
シェイクスピアが恋したというダーク・レディは、果たしてアフリカ系か、それともインド系かどうかはわかりませんが、そのソネットには、「されど、悲しみにふさわしき喪服の風情を見ては、美女の姿はかくあるべしと、人はみないう」とあります。
今は昔、黒が美しいと考えられていたことはなかった、
よし考えられたとしても 美女の名をいただくことはなかった。
しかし今、黒こそ美女の正統を継ぐ嫡子となり、
美女の血統は 私生児の汚名でけがされている。
(シェイクスピア「ソネット」第127番、野島秀勝訳)
In the old age black was not counted fair,
Or if it were it bore not beauty's name:
But now is black Beauty's successive heir,
And Beauty slander'd with a bastard shame,
それから時代がくだって、ボードレールはこれを受けて、「悪の華」のなかで、女は「あらゆる技巧に力を借りて自然の上に高く屹立すべきだ」とうたいました。
けれど、まさにシェイクスピアのいう化粧の黒い美女こそ、いまでは文句のないin natureの正統なる嫡子なのだというわけです。その地球座で演じられた「マクベス」は、シェイクスピア全作品中、自らのペンで二度も書きなおした傑作中の傑作なのです。
一度目は、たぶん、ご覧になるジェームズ王も、退屈この上ない天覧劇にあくびが出るほどの長い劇だったに違いありません。
それをさとったシェイクスピアは、一年後に、短く短く書きなおしたのです。これ以上、もう削ることができないほどに仕上げた台本は、ぐーんと薄くなりました。
だからシェイクスピアの「マクベス」は、とても短くて傑作なのです。
その仕掛けは、まず劇を「見えるseem」=「見せかけshow」になるシーンをなくし、あるいは「見せかけ」と「真実be」の断絶の果てに、表皮を大きく開いて中を見せるという仕掛けが必要だったのです。
たとえばマクベスのいうセリフ。
「いま、何か聞こえなかったか?」というセリフ。
マクベスはダンカンを殺し、目的を果たしたというのに、すっかりおびえ切って、手もふるえ、ちょっとした物音にもびくびくしています。見えるものではなく、見えないものに立ち向かおうとします。
見えないために、怖かったのです。
シェイクスピア
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さて、話はかわりますが、ある日書棚をながめ、シェイクスピアの福田恒存訳の「マクベス」を探しましたが見つからず、ぼくはひどく落胆しました。それは、必要に迫られて探すので、探し物が見つからないと、どういうわけかぼくはひどく落胆をしてしまいます。
数年前は、若い人とさかんにシェイクスピアの話、――とくに「マクベス」の話をしていました。「マクベス」といっても、彼にはよくわからなかったようですが、さっそく目の前にある文庫本の「マクベス」(新潮文庫、福田恒存訳)を「では、借りていきます」といって彼は持っていったのでした。
それをおもい出しました。
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――というのは、大学の英文科の授業では、この「マクベス」の講義がおこなわれているようですが、たいていはむずかしい韻文の話がテーマになり、シェイクスピアのドラマに書かれている韻文というものは、はたしてどのようなものか、そういう授業がおこなわれているようです。
ほとんどおもしろくない話で、だれも気を入れて聴いたりしません。ぼくもそうでした。なぜなら、シェイクスピアのセリフは、verse(韻文)とprose(散文)で書かれているからです。
「RichardⅡ」のように、すべてのセリフが韻文で書かれているものがあれば、「The Merry Wives of Windsor」のように9割ちかくが散文で書かれているものもあります。
「RichardⅡ」というドラマは、王冠の悲劇をめぐる格調高い歴史ドラマになっていて、いかにも韻文がにつかわしいのですが、いっぽう、「The Merry Wives of Windsor」のようなドラマは、ほとんどシェイクスピアの時代のイングランドを舞台にした喜劇で、こちらは散文のほうがおもしろいわけで、ひと口にシェイクスピアのドラマといっても、いろいろあります。
「Macbeth」は、その9割ちかくが韻文で書かれています。
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とはいっても、シェイクスピアの原稿はいっさい残っていません。
残ってはいませんが、シェイクスピアの時代に出版されたという古版本というのがあり、シェイクスピアが亡くなって7年後に出たというシェイクスピアの戯曲全集、――その「第1・2つ折り本」に36編のドラマが収録されています。
それが元となっているわけですが、これは全紙を2つ折りにした大型本で、これとは別に、中型の4つ折り本というのがその後出まわり、その他、36編中18編が単行本というかたちで出版されたりしました。
しかし「マクベス」には、単行本はありません。
おそらく、シェイクスピアの劇団が所有する上演台本か、あるいはその写しが元となって印刷されたものだろうといわれています。
写本というのは、人の手を介しておこなわれるため、ときには写し間違いがないともかぎりません。その専門的な話は、20世紀になって研究がすすみ、「マクベス」のページを担当した植字工がふたりいて、それぞれのページを担当したため、ふたりの植字癖についての専門的な研究分析がおこなわれるなどした詳細な論文があるようですが、だいたいは、最初の2つ折り本を定本として出版されているようです。
しかし、近年の研究では、たとえば、第3幕第4場のバンクォーが亡霊になってあらわれる宴会の席のシーンのセリフは、内容、強弱リズムとも、他との釣り合いが乱れている会話で成り立ち、緊張感を欠いたセリフまわしになっています。
これは従来から、なにかの間違いなのでは? といわれている個所です。
シェイクスピアなら、恐らく、こんなセリフは書かなかっただろうというわけです。
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そういう問題がありながら、「マクベス」は、一貫して緊張感の連続で成り立ち、ピーンと糸を張ったような、恐怖に震えるマクベスの姿が描かれています。
――ぼくは過日、シェイクスピア劇を演じる現役の役者の講義を聞き、そこはどうもおかしいと気づきました。訳文は、それぞれ違っていますが、ほんとうは、もっと違った別のセリフがあったのではないか、とおもわれたのです。
バンクォー将軍にまつわる伝説は、通称「ホリンシェッドの年代記」に書かれていることで、これをグウィン博士という人が寸劇の材料にもちいたのはとうぜんかもしれません。
ちゃんとした年代記は、「イングランド、スコットランドおよびアイルランド年代記」というもので、ホリンシェッドは、その編纂者のひとりだったわけです。
このグウィン博士のドラマには、マクベスは描かれず、才走った知力をもつバンクォー将軍だけを描き、ジェームズ1世の天覧・歓迎のドラマにしたというわけです。
それはともかく、4つのドラマを上演しようとして、ジェームズ1世に披露するのですが、3つ目のドラマを見て、新王はあくびをし、もう飽き飽きした、というありさまで、第4作目は上演されなかったわけです。
シェイクスピアは、よくオクスフォードに滞在することがありました。
そこは田舎のストラットフォードに向かう途中の街なので、なおかつ、その街の居酒屋の女将とただならぬ関係にあったという話も伝わっていて、その街によく滞在していたらしいのです。
新王の天覧劇がひらかれた日、シェイクスピアがもしもそこにいたとするなら、この劇を見たかもしれません。王があくびをするほど退屈なドラマを見て、「マクベス」を書こうとおもったかもしれません。
そして、あくびの出ないドラマを書きたいと願ったことでしょう。そうしてできあがったのが、最初の「マクベス」でした。いま、最初の「マクベス」はどういうものだったか、それはわかりませんが、現在読むことのできる「マクベス」より、長かったのはたしかです。
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シェイクスピアのverseの主体は、blank verse(無韻詩)です。
脚韻がなくて、iambic pentameter(弱強5歩格)で、それがblank verseなのですが、英語のverseには強音と弱音があって、一定のリズムで成り立っています。
たとえば、マクベス夫人の無韻詩のおしゃべりがつづき、マクベスがそれに応じるとき、長いセリフの最後には、脚韻のあるセリフがつづくというわけです。これを聞く英国民の耳には、長い無駄口とはおもわれず、マクベスの本領を発揮する口上に聴こえるのです。
日本語では、そうはいきませんが、これに近い翻訳をしているのが、大場建治氏の「マクベス」(研究社、シェイクスピア選集、2005年)です。すばらしい訳です。
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ともあれ、さっきのオクスフォードの居酒屋の女将、――彼女とのあいだに生まれたというシェイクスピアの「隠し子」、――ウィリアム・ダヴェナントという男が、のちに舞台俳優となって頭角あらわし、桂冠詩人となって、チャールズ1世からサーの称号をいただいています。
その男が、あろうことか、シェイクスピアの芝居を書き直しているのです。「マクベス」も、魔女たちの歌と踊りのスペクタクル劇にしているのです。
これはもう、シェイクスピアのドラマではありません。
というより、18世紀のシェイクスピア劇は、なにしろ3流の芝居といわれて、悲劇が喜劇に書き直されたりして、ほんもののシェイクスピア劇が上演されることはなかったのです。ようやっと、19世紀の末ごろになって、現在のシェイクスピア劇が演じられるようになったわけです。
それをおもうと、21世紀は、シェイクスピアの時代から遠く離れた感がありますが、シェイクスピアの実像は杳としてわからないものの、37作、また39作のシェイクスピアの芝居を見てみたいという人が多くなったことは喜ばしいかぎりです。