恋と戦争は、手段を選ばず
こんにちは。
さいきんぼくは、ダイアナ妃のことを想います。
ダイアナ妃は伯爵家に生まれ、上流階級の望み得る最高の学問をした人ですが、大学を出て、はじめて職探しをしますが、保母の口が見つかるとたいへん喜んで仕事をした人です。
たとえば、Let’s take a break.「ちょっと休憩しましよう」とか、Believe in yourself.「自分を信じて」、Do your best.「最善を尽くそう」ということばを美しく話した人です。
上流階級と保母の口というのは、ちょっと結びつきそうにありませんが、それがダイアナ妃のやり方なんでしょう。上流の出であることを鼻にかけない人柄が、イギリス国民に好かれました。
いっぽう、その彼女もイギリス人らしい毅然としたところがあったようです。
さて、ぼくの若いころに学んだことばの勉強は、たとえば、こんなふうにしてやりました。ここにヒラリー・クリントンさんの534ページの分厚い「Living History」(原文、2003年刊)という本がありますが、そこにはたとえば、
一九八五年の九月の半ばごろ、わたしはある人に偶然巡り会った。その日は、秋のアフタヌーン・ティーがおいしく感じられる、とてもあたたかい日だった。わたしのこのストーリーにはどうしても必要な人物、それはクインシー・マコーバーという上院議員の秘書だったマック・ロイという男と巡り会ったのだった。
――という文章が見られます。
すると、ぼくの場合、それを自分の文章に書き直します。
名前も、年号も、秋も、好きな季節に書き直し、アフタフ―ン・ティーというところを、あたたかいコーヒーか何かに書き直してしまう。ボディ・コピーを崩さずに、ヒラリー・クリントン女史の文章に添って、まったく別の自分のストーリーをつくり上げてしまうことでした。
そればかりじゃなく、出てくる文章の気に入った部分を、そっくり自分のストーリーに書き換えてみます。すると、とてもいい英文ができあがりそうな気がしてきます。
そうして書いた文章は、誠に都合よく、すっかり覚えてしまいます。覚えてしまえばこっちのもので、いろいろと中身は変えらるし、バリエーションもいくつかつくることもでき、とても生き生きした英文が自然とできあがります。
全方位独学でおぼえた、ぼく流のやり方です。
むかしぼくは、そうやって人の書いた文章を自分のものにしてきました。
「その道は探すか、つくるかしかない」という、だれかの文章を想い出します。「やり方は、探すか、つくるかしかない」とアレンジすることもできます。
ぼくの学生時代は、そうやって手紙文をたくさん書きました。
そしてまた別のページで、感動した部分があるとしたら、それは使わない手はありません。
ヒラリー・クリントン「Living History」(2003年)。
ヒラリー・クリントン「Living History」(CD版。2014年)。
I wasn’t born a first lady or a senator. I wasn’t born a Democrat. I wasn’t born a lawyer or an advocate for women’s rights and human rights. I wasn’t born a wife or mother. I was born an American in the middle of the twentieth century, a fortunate time and place.
わたしは、ファースト・レディあるいは上院議員として生まれたのでもなければ、民主党議員として生まれたのでもない。わたしは、妻あるいは子どもの母親として生まれたのでもないし、二十世紀半ばの、まことに運のよい平和な時代に、ひとりのアメリカ人として生まれた。
いい文章ですね。まねしたくなります。
彼女の気に入った文章を、どんどん黙ってくすねます。
だれも文句はいいません。それをもし読んだアメリカ人がいたとすれば、びっくりするでしょうね。「すばらしい!」とね。営業に使ってしまっては著作権法に抵触しますが、そうでないかぎり、くすねるにかぎります。
そうして書かれた文章は、すばらしいに決まっています。人が苦労して書かれた文章を、黙ってくすねてくるのですから。
これは、ぼくの若いころからのやり方で、密かな愉しみでした。学校の先生というのは、けっしてそこまでは教えません。先生だってやっていないからでしょう。
そればかりじゃなく、ぼくは、日本の有名な作家たちが書いた感動的な文章をなぞって、日本語というものを勉強し、日本語をたくさんたくさん書きました。そして覚えると、どんどん使ったものです。
「マイフェア・レディ」より。花売り娘のイライザがイギリス英語の発音の矯正にいどむ。
多くは森鴎外、石川啄木、有島武郎、長谷川如是閑、高山樗牛、夏目漱石などの文章を大いにまねたものです。そしてゴッホの手紙の訳文などもまねました。
ぼくの手紙を受け取った人は、もしかしたら感動したかもしれません。いいところは全部くすねてきたものばかりだからです。「……これって、ウソ!」と見ぬいた人が、なかにはいたかもしれません。
そのおかげで自分でも、いい文章が勝手にどんどん書けるようになったか、といえば、いまもって自信がないのです。
ぼくの場合、英語だってそうです。英文には英文独得のものがあり、読めばわかります。
どこに特徴があるのか、それをまねることだとおもったわけです。日本語で英文はけっしてつくれないとおもいました。英語で英文を考える。すると書けそうな気がしてきます。ただし、ぼくの手紙というのは、ふしぎなことに、個人的な話はめったに出てきません。
――この手紙は珍しいほうです。
なぜなら、最初からテキストがあってそれをくすねて書くクセがついていましたから、ぼくの個人的なストーリーがまったくないという奇妙な長い文章ができあがるわけです。
まるで、書店で売っている本かなにかのような文章です。
ときには、論文みたいな文章、あるいは小説みたいな文章ができあがるわけです。さらには、好きな詩文みたいな文章なんかです。ほんとうはぼくは小説を書きたかったからでしょう。
理由は、それです。
それじゃまずいとおもい、たまにですが、数行だけ個人的な文章を挿入するという奇妙な手紙ができあがるわけです。
♪
考えてみますと、ことばというのは、子々孫々にわたってくすねてきたものばかりです。黙ってこっそりくすねてきたわけです。
日本は多くは中国からことばをくすねました。くすね方によっては詩人にも作家にもなります。
つまりそういうことです。で、漢和辞典からくすね、英語辞典からもくすね、いろいろな本からぼくはくすねました。くすねたらおぼえ、そして使ってみたくなり、おもいっきり飽きれるくらい使いました。
年はとっても、もう遅いという感じは、ぼくにはありません。これからイタリア語を勉強したいなんておもう仲間は、ぼくのまわりにはひとりもいません。それでもいいとおもいます。
だって、ぼくはもともと独学者で、全方位独学者なのですから……。
「遅くとも、しないよりまし(Better later than never.)」ということばがあります。勉強は年令でやるものじゃないとおもっています。むかし、イタリアのフィレンツェの行政書記官だったマキャベッリが「君主論」という本を書きました。そのなかの一節、「恋と戦争は、手段を選ばず(All is fair in love.)」ということばが書かれています。そのとおり、なりふりかまわず突進してしまうのは、たぶん母の血統です。
ヒラリー・クリントンさんは、ご自分の文章を全ページ朗読なさっています。その朗読がとても美しいのです。ぼくの英語の勉強はそんなふうにしてやりました。大学時代にお世話になったベンジャミン・F・シスク教授のおかげです。先生は日本語を話せませんでしたから、すべて英語で講義をなさいました。
映画「マイフェア・レディ」では、「スペインの雨」がよく出てきます。
「The rain in Spain stays mainly in the plain」(スペインの雨は主に平野に降る)と歌うように話すわけですが、クイーンズ・イングリッシュで(エイ)と発音する二重母音が5つ含まれていて、コックニーでは[æɪ]または[aɪ](アイ)と発音してしまうため、イライザはなかなか発音することができずにいました。しかしついに、イライザがじょうずに習得することに成功するという話です。
これとおなじことを、ぼくらはケンブリッジ出のシスク教授から教えられました。
今朝は、ほんとうは、マーガレット・サッチャー氏の話を書きたかったのですが、「文章」の話になってしまいました。
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ヒラリー・クリントン「State of Terror(ステイト・オブ・テラー)」Kindle版、2022年。
ヒラリー・クリントン女史には、最近出版された彼女初の小説があります。その名も「State of Terror(ステイト・オブ・テラー)」と名付けられた小説。筆者もまだ読んではいません。驚きの一冊です。
ヒラリー・クリントン氏が書いた小説というキャッチフレーズは強烈だ。それだけで注目を集めるでしょう。
ヒラリー・クリントン氏の小説の主人公もなんと、女性の米政府の国務長官という設定。
彼女は世界連続テロの意図を探るうちに、その背後にさらに巨大な恐怖が迫っていることに気づきます。背景にはアメリカのイラン核合意離脱とアフガン撤退ですが、実在のヒラリー・クリントン氏は、かねてより、核拡散のリスクを高めてしまうことをずっと指摘していました。
撤退後の空白帯――ぜひ、読んでみたいと思います。
クリントン女史は「Living History」を書かれた実力があり、問題のヒラリー・クリントン氏の「リビング・ヒストリー」には何が書いてあるだろうかと思います。1998年1月26日、ナショナル・パブリック・ラジオとPBSテレビのインタビューを受け、アル・ゴア副大統領とヒラリー氏の前で、クリントン大統領は、キャスターの、
「大統領、ルウィンスキーさんとの性交渉はありましたか?」という質問に答え、
「性交渉はありません」と断言しています。
これは真っ赤なウソでした。
のちにウソがバレて、大統領の弾劾裁判となります。米大統領として弾劾裁判を受けるのはクリントンでふたり目です。
そして、ヒラリー氏には「国民は、ここのところずっとひとつのことを疑問に思っています。クリントン夫人。それはあなたのご主人とモニカ・ルウィンスキーさんは実のところ、いったいどういう関係だったのか、という疑問です。ご主人はあなたにその関係について詳しく話しましたか?」と訊(たず)ねます。
「ええ、ふたりでずいぶんいろいろ話しました」と答え、目下FBI捜査官ケネス・スターと大統領との戦争という表現を使って、いろいろ取り沙汰され、報道されている内容を確かめます。
「あなたは親しい友人に、こうおっしゃったそうですね。これは最後の大戦だと」放送終了後、局から出てくると、テレビ・インタビューで質問した相手に電話をします。
「あなたの智恵のことばが、聞こえたような気がしたの」とヒラリー氏がいいます。
「で、聞こえたのは、どの驚くべきことばかね?」
「くそったれ! って(Screw`em !)」
これがいえるヒラリー女史だから、小説も書けるのですね。夫のビルを守るために、そういったのです。このシーンを乗り越えることのできたヒラリー・クリントン氏なら、小説執筆だって厭(いと)わないに違いありません。