■時代のセレンディピティー(serendipity)。――

中耕一氏のうに

 

 リチャード・ドーキンス「ドーキンス自伝Ⅰ好奇心の赴くままに 私が科学者になるまで」(Richard  Dawkins、垂水雄二訳、早川書房、2014年)

 

おはようございます。

先日、友人とのささやかなおしゃべりのなかで、20世紀のほんの些細な歴史としてヒトラーを受胎した1888年の半ば以前のどれかの年――「たまたまくしゃみをしたら、歴史はどうなっていただろうか」という話をしました。

そのように問うリチャード・ドーキンスの自伝「好奇心の赴くままに 私が科学者になるまで」という本はすばらしかったなとおもいます。20世紀のヒトラーの邪悪な狂気が、その遺伝子によって不可避的に人類に定められていたとしたら、……特定の、すごい!、一兆匹の精虫の、まことに幸運な一匹に! 事象のすべてに依拠しているとしかおもえない――と述べています。

大英博物館だって、よく比較されるのはルーブル美術館やサンクト・ペテルブルクのエルミタージュ美術館だが、そもそも一民間人のコレクションをもとに成立したのとはまったく違うのです。

だから、他を圧倒するような広壮華麗なる宮殿にあるのではなく、もとの旧館がモンタギュー・ハウスという、侯爵家の建物であったことがむしろ好ましくおもわれるのです。

夏目漱石が大英博物館をはじめて訪れたのは、1900年11月3日でした。

オルダス・ハクスリーは、いいます。

「おまえよりすぐれた者たちを、そのように排除したことを恥じよ」と書きました。

 

  おまえよりすぐれた者たちを、そのように排除したことを恥じよ

  他の者を外に残して、方舟に乗ったことを!

  みんなにとっていいことだ、ひねくれたホムンクルスよ

  もしおまえが、静かに死んでくれていれば!

  (オルダス・ハクスリー

 

 

  

   オルダス・ハクスリー 1894-1963年

 

さて、すこし脱線しましたが、等号記号の「=」は、専門的には、じつはきわめて複雑な意味を持っているようです。もともと2本のおなじ長さの線を書きあらわし、その記号に「等しい(equal to)」という意味を与えたとされています。

ふつう英語では、two and five make 〔is〕 seven.(2に5を足すと7になる)という場合がありますが、数学者は、two plus five equals to seven.と書きます。

この「=」は、代数学の権威だったレコード(1510-1558年)という数学者によって考えられました。これが、代数だけではなく、あらゆる数学に使われるようになりました。ついでですが、「+」、「-」は、ドイツのウィットマン(1462-1498年)によって提唱され、「×」はイギリスのオートレッド(1574-1660年)、「÷」はスイスのラーン(1622-1676年)によって考案されました。

さて、問題は等号の「=」です。

=の両端にある群と数字は、たがいに等しいというのです。ですから、2+5=7は、必ずしも7にはなりません。6+1でもいいし、13-6でもいい。したがって、2+5=7は、「2+5」と「7」は等しいといっているだけです。この論でいくと、2に5を加えると、答えは7になるというと、厳密にいえば間違いということになりそうです。

「氷が解けたら、何になる?」と小学生にきいたことがあります。すると、

「春になる」という答えが返ってきました。「坊やは、詩人になれるよ!」と、ぼくはいいました。

これは一見して屁理屈のように見えますが、けっして屁理屈なのではなく、厳密にいえば違うということです。

ニュートンの「流率」のほうが、ずっと屁理屈に見えます。ぼくはこの計算式を、自分のアイデンティティに置きなおして考えてみました。

自分を、変えたいとおもったわけです。変えてどうする? というはっきりしたものはなかったのですが、ちょうどそのとき、ある大手家電メーカーから、札幌にショールームを創設したいという話が舞い込みました。広告代理店のプランナーだったぼくは考えました。考えあぐねていたら、ガロアの群論をひょいと思い出しました。

 

 

田中幸光「日本文学を考える」

 

田中幸光「フェルマーの最終定理」

 

田中幸光「対称性の自発的やぶれ」

 

ガロアは大学受験にのぞみ、口答試問で試験官を相手に、こんなことをいっています。

「第4次方程式までは、明らかに解が存在する。しかし、第5次方程式には、解があるものとないものとがある」といったのです。当時フランスでは、――というより世界では、第3次方程式までしか確立されていませんでした。

大学教授の知らない方程式を、ガロアはみずから研究して、すでに知っていました。彼は19歳でした。

とうぜん不合格になり、彼を受け入れてくれる大学はありませんでした。

そして20歳のときに、つまらない決闘で敗れて亡くなります。

彼が亡くなって、彼のノートをひっくり返して見た数学者は驚きます。イコールを使って計算された数式には、群によって導かれると書かれており、それが世界を驚嘆させる「群論」となったわけです。いまではガロアの「群論」は小学生の教科書にも載っています。

要は、等号「=」によって、あらゆるものに変換することができ、群同士はたがいに等しいという新しい数学理論を確立させたわけです。

で、ショールームの話ですが、ぼくはこう考えました。

数式の答えのほうではなく、群のほうに重きをおき、7=2+5としてみました。ショールームは、ハコモノをつくっただけではすみません。そこに多くの客を動員しなければなりません。それには、あたりまえの話ですが多額の宣伝コストがかかります。だからこれを、逆に考えたのです。

多額の予算をつぎ込んで人を呼ぶのではなく、人の多くあつまる場所のど真ん中にショールームを開設する。そうすれば、コストもかからないだけでなく、魅力的なショールームができるだろう、そう考えました。

さて、札幌でいちばん人があつまる場所は、いったいどこだろう?

 

  

  田中幸光 ㈱タナック社長のころ

 

そこは、札幌駅のみどりの窓口のある改札口周辺であることがわかりました。

年間、ここを訪れる乗客はなんと、3000万人もいるのです。北海道の玄関口、ターミナルステーション、そこは札幌の魅力的なロケーションです。

「JR札幌駅のなかに、ショールームをつくるって!」といって、この企画は当初から大いに疑問視されました。けれども、JR北海道との交渉で、駅構内にショールームをつくることに成功しました。

この話と関連して、なんとなくですが、「自分が自分であることのアイデンティティ」というものを切り替えたいとおもっています。かつて、自分は広告会社のプランナーだったこともあって、アイデアの考えを別のものに切り替えたいと思いつづけてきました。

「男子3日会わざれば、刮目(かつもく)して待つべし」という「三国志」のことばをおもい出します。2003年に出た養老猛司さんの「バカの壁」(新潮新書)にも出てきます。男子は3日も会わずにいたら、相手はかなり変わっているので、注意して会いなさいという意味ですが、3日という時間は、人を変えるにじゅうぶんな時間であると2000年もむかしの人は書いているのです。

ところが、「バカの壁」には、人間なんてそう変えられないと書かれています。

そうかもしれません。脳科学者の茂木健一郎さんの本を読むと、人間は変えられるし、変えようじゃないかといっています。

どちらがほんとうなのか、ぼくには分かりませんが、ぼくは自分を変えたいと思っています。自分が自分であることのアイデンティティというものを変えたいと願っています。変えることが目的なのではなくて、べつの目で、自分を見つめ直してみたいとおもうのです。

そういうとき、ぼくは数学を利用します。

もしもガロアの「群論」がなかったら、こういう考えは思い浮かばなかったかも知れません。

先人の発見に負うところ、まことに大きいとおもいます。

――ロシアの女性数学者コワレフスカヤの偏微分方程式では、「単一解」と「一般解」の2つがあるとする「コーシー=コワレフスカヤの定理」というのがあります。これは驚くべき方程式で、ある条件を与えると、先の人生の解が計算できるというものです。これは驚きの方程式ですが、ぼくは一度もこの方程式を利用したことはありません。

つまり、何事も固定して考えると危険だ、ということのようです。

青年は柔軟な考え方をしますが、年寄りは、世の中の変化に臆病です。変えたがらないのです。このネット社会がそうです。

Web2・0時代になって、インターネットではオープン・カレッジが開かれ、居ながらにしてハーバード大学の学位を取得することができるようになりました。世界中の大学図書館にアクセスし、さまざまな論文を閲覧することができ、学位がなくても、高度な学問を手に入れる道が開かれています。

無料で情報を得られるプラットホームもでき、オープンソース時代を迎えました。インタラクティブ(双方向の)な情報交換もでき、情報の発信もでき、博士号を持たない田中耕一さんのように、目覚しい発見をしている科学者もいます。

 

 

「ニュートリノ物理学とわたし」梶田隆章さん。

 

 

数学者、東北大学副学長の小谷元子さん。

田中耕一さんは、いつも使っているアセトンの代わりにグリセリンを金属超微粉末と混ぜてしまい、その間違いに気づきながらも、もったいないとおもって捨てずに使ったことから、たんぱく質のイオン化に、世界ではじめて成功しました。田中さんは博士号を持ってはいなかったのですが、ノーベル賞に輝きました。

博士号を持たないノーベル賞受賞者の第1号になりました。

 

ペニシリンを発見したA・フレミングの場合は、まさにそうだったといえます。

これは、青カビの一種ペニシリウム・ノタツムの胞子が、たまたまフタをしていなかったシャーレに落ちたことによる偶然の結果だったといわれています。カビが生えたシャーレは使い物にならなくなりましたが、このカビが生えているまわりには、細菌が繁殖していないことを知ったフレミングは、それを見逃さなかったのです。

のちに、このカビがつくる物質、――抗生物質――が、数え切れないほどの人命を救うことになりました。これを「ペニシリン効果」といっています。

ぼくの母も、38歳のときに、結核性肋膜炎にかかり、長いあいだ病臥の人でしたが、ペニシリンを打って元気になりました。

肺炎菌、淋菌(りんきん)など、多くの細菌にはすぐれた効果があることがわかりました。フレミングは、アインシュタインがE=mc²を発見した1905年に亡くなっています。これについては、多くの人が書かれていますが、A・サトクリッフの「エピソードの科学史3――生物・医学編」にはたいへん詳しく述べられています。

 

あるいは、種痘法を確立したエドワード・ジェンナーにいたっては、イギリスの乳搾りのいなかの娘さんに教えられて、免疫効果を発見しています。このようにいってしまえば、ただの偶然のように見えます。しかし、それは違うとおもいます。

偶然を積み重ねて大きな発見をすることができたのは、毎日、こつこつと実験を積み重ねてきたから、いつもと違う現象が起きたとき、それを見過ごすことなく、「あ! これは何だ?」と、ピンとくるものを感じることができたのでしょう。――これはまさに、セレンディピティーであり、フランスの化学者・細菌学者のL・パスツールによる有名なことばにも通じます。

「観察の領域において、偶然は構えのあるこころにしか恵まれない」ということばです。構えのあるこころ、――the prepared mindこそがセレンディピティーのひらめきをもたらすといえそうです。ぼくはそういう科学者にインスパイアされたかのように夢中になります。

さいきん若い人とおしゃべりすることがありまして、ぼくは科学者ではありませんが、いろいろなことを話題にします。ルソーの「社会契約説」や、マルサスの「人口論」、アインシュタインの「一般性相対論」、ノーム・チョムスキーのいう、自然界には「物質――生命――心――言語」という階層性があるという話、人間の種の固有な生物学的な能力のあることに触れたりして、最後には朝永振一郎のいう「ナッセント・ステーツ(nascent state)」の話をしたりします。

朝永振一郎という科学者のことばのなかに、ふたたび繰り返しますが、「――本を読むのもいいが、なるべく原論文を読みなさい。そこにはナッセント・ステーツの理論がある」というのをおもい出します。

ぼくは自分のビジネスのなかで、よく考えてみれば、いつもナッセント・ステーツ(nascent state)というものを考えてきたようです。これは「発生期の状態」という意味なのですが、アインシュタインは、どのようにしてE=mc²という方程式にたどり着いたのか、それを知ること、――つまりナッセント・ステーツを知ることが大事なのではないでしょうか。

すでにできあがっているものを、読者に理解しやすいように説明されている教科書からは、いくら読んでも、ここでいうナッセント・ステーツはわかりません。

彼がどういうときに、どのようにして発見にたどり着いたかを知ること、それが大事なことのようです。

業績の結果だけでなく、発見への冒険といえばいいでしょうか、そのプロセスにこそ、人をわくわくさせる興味があるからです。2014年度のノーベル物理学賞を受賞された3人の日本人科学者は、みんなこのナッセント・ステーツをもっています。

2014年12月11日にノーベル物理学賞を受賞する赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんの3人が、日本時間の8日夕方、滞在先のスウェーデンで市民向けの講演を行ない、研究へのおもいなどを語っているシーンをおもい出します。

スウェーデンのストックホルム市内の大学で開かれた講演は、「ノーベルレクチャー」とも呼ばれ、その年の受賞者が、受賞対象になった研究の意義や、取り組みへのおもいなどを、一般の人に向けて話す恒例の催しです。

この映像を見て、ぼくは、3人の多年の研究の苦労におもいを馳せました。

うち天野さんは、研究をはじめた原点を振り返り、「青色LEDを実現できたら、テレビのモニターがうんと小さくなり、世界を変えることができるだろうと思っていました。そのときは、このテーマの研究が、こんなに難しいとは気づいていませんでした」と語ったのが、とても印象的です。

その苦労のなかには、おもわぬ出来事があったことを話しました。

青色LEDに不可欠なきれいな結晶をつくるのに、たまたま古い装置の温度がじゅうぶんに上がらなかったことで成功したことを明かしたのです。

「できあがったサンプルを取り出してみると、完全に平らで完全に透明だったので、材料のガスを流し忘れて、何もできていないのかと、錯覚しました。しかし、顕微鏡で見ると、結晶の特徴が見えたので、これはきれいな結晶ができたと確信しました」と、当時の予想しない驚きと、その心境を語っています。

科学のすばらしさ、研究へのひたむきな情熱、それはどこからくるのだろうとおもいます。研究には、ときとして偶然な幸運に恵まれるということがあるようです。

ひらめきによる発見は、心理学では「ビギナーズ・ラック(beginners luck)」というようです。初心者が幸運に恵まれるという意味ですが、初心者が経験者にまさるわけですから、これは実力というより、運に支配されているということなのでしょうか。

科学者に訪れる発見のなかで、このようなことがしばしば起こるようです。科学では、これをセレンディピティー(serendipity)ともいわれています。まぐれあたりのように、ある日、偉大な発見をするというとき、このことばで表現されます。

ケガの功名に近いのでしょうか。しかし、科学者のセレンディピティー(serendipity)とは、そんな甘いものじゃないことがわかります。

 

――さて、この手紙は少し長くなってしまいましたこと、お許しください。

朝、窓を開けると、それは驚きの瞬間です。ルーシー・リーもいうように、まったく新しい一日のはじまりです。

ウクライナのロシアの惨劇は、目を覆うばかりです。戦いは3年目に突入しました。ウクライナの市民を拷問し、女性をレイプし、後ろ手に縛って銃殺した遺体を路上に放置されたままになっていたとか。

2024年のいま、さらなる悲劇の時代に突入したというわけです。

漫然と日々を過ごしてきた過去の時間がもったいなくおもえてきます。何を発見するのも、何を考えるのも、何かを書くにも、とうぜんのように年をとり過ぎましたけれども、人さまの発見に、自分のことのようにわくわくする喜びを覚えます。

きのうは風が強く吹いて、ところにより突風が吹き、街のマンションのペンキ塗装現場で脚立が倒れて人がケガをしたという出来事を友人の口から聴きました。2階通路から白いペンキ缶がころがったといいます。

まことにもって、繁閑よろしきを得ない文面となりました。それではここらで擱筆したいとおもいます。お読みいただき、ありがとうございます。