大な闇の

 

 何かの間違いではないか、そう訊ねようとして、

 馬は、馬具につけた鈴をひと振りする。

 He gives his harness bell a shake

 To ask if there is some mistake.

 (ロバート・フロスト「雪の夜、森のそばに足をとめて」より

 

北海道の季節は、蕗(ふき)のとうが大きくなり、つくしも伸びたころのことだ。ぼくは川に流れ着いた大きな流木を拾って、地面を擦りながら土手をひとり歩いていた。太陽は灰色のベールの影に姿を隠している。遠くに見える暑寒別岳の、聖杯をひっくり返したみたいな山影がくっきりと見える。

川原の土手を歩いて帰ってくると、遠くでナターシャが手を振っている。

「ゆき坊、はやく、きて!」

なんだろう?

「はやく、きて!」といっている。ぼくは流木を土手に捨てて走って行った。

「父さんがケガした! これ持っていきなさい」といっている。救急箱だ。遣いの坊やがぴょこんとお辞儀をした。

彼女のあわてぶりはいつものことだ。橋本のおじさんの納屋を修理していて、屋根からすべって落ちたといっている。落ちたところに刃のついたプラウがあって、その上に落ちたといっている。

橋本のおじさんの家にも救急箱ぐらいあるだろうに。

だが、橋本のおじさんはたばこを吸わない。吸わないので、たばこのきざみもない。きざみを傷口に振りかけて止血をする。

だから父は「家に行ってこい!」といったのだろう。この止血方法は陸軍に入隊した父がそのやり方を学んだのだ。

ぼくの馬は、元気だ。厩舎から顔を出している。

ぼくはパドックで大急ぎで馬に鞍をのせ、腹おびをぎゅっと締めて、彼女の両手に片足を乗っけて馬の背にまたがる。

やつは、もう街道に向かって首をまわし、首根っこを地面すれすれに降ろし、手綱をゆるめる仕草をした。ぽんと腹を蹴ると、やつは走った。全長27キロの三谷街道の路面に夕日が落ちて、きらきら光っていた。ぼくは夕日に向かって走った。向かう右手の空に大きな虹がかかっていた。

やおら橋本のおじさんの家に着き、村のみんなが、心配顔でたむろしている庭先に救急箱を持っていった。

父は、プラウの刃先で膝を切っていた。

「病院へ行ったほうがいいぞ」という人の声もしていた。

「なーに、このくらい」といって、父はやせ我慢をいった。見ると、肉がばっさり切られている。関節の上らしい。橋本のおばさんの手で、たばこのきざみで処置され、やがて肩ぐるまをして父は立ち上がった。

「歩けるか?」とだれかがきいた。

父は少し歩いたが、立ち止まった。

「大八車に乗せろ!」とだれかがいった。

「それじゃだめだ。馬車にしろ!」と、もうひとりがいった。タイヤをはいた馬車で、車輪が4つあるでっかい馬車だ。父は「じゃ、乗ろうか!」といって立ち上がり、馬車の後部にうしろ向きに座り、みんなに視線を送りながら足をぶらぶらさせた。

「このほうがラクだ」といっている。

「心配しなくていいからな。あとはまかせろ!」といって、顎ひげを生やした年寄りがいった。彼は棟梁なのだろうか。そして父にさよならをいった。

納屋は、まだまだこれからだ。屋根はトタンでふいて、根太(ねだ)を張っただけで、壁も床もできていない。3日後には当てにしている助っ人らがやってくるといっている。だから心配するな、棟梁はそういっている。

村人たちは、村の建前(たてまえ)にはみんな寄り集まり、みんなで一斉に建てる。知らん顔するやつなんかひとりもいない。西日がきれいな日だった。

父は、それから農作業を休んだ。

稲の温床の後始末を残したまま、仕事を母にゆずり、父は深川の病院へ入院した。子守りのナターシャは、家事をそっちのけにして、幼い弟を背負って、父のめんどうをみた。父が帰ってきたのは一ヵ月ぐらいたってからだった。骨が折れていたらしい。

4月がすぎて5月になり、川の土手の林のなかで、クマゲラの巣を見つけると、父はそこに柵をめぐらし、小さな看板を立てた。ここにクマゲラの巣があって、「子育てをするので注意!」と書いた。

毎年、ブナ林にはクマゲラが巣をつくる。「ロロロロッ」というクマゲラのドラミングの音が聞こえたら、みんな村人たちは、静かにする。

それからぼくは学校で、クマゲラの話を先生から聞いた。圭子先生はクマゲラのことを「かわいい軍人さん」といった。なぜなのか、ぼくは知らなかった。黒衣を着ているからだろうか。

ある日、ナターシャに

「かわいい軍人さーん」といったら、しかられた。

「子供のくせに、……。お兄ちゃんはなまいきよ!」といい、「わたしは軍人さんが嫌いよ」という。彼女はサハリンからやってきた。軍人には、いいおもいをさせてもらえなかったようだ。だから、戦争の話も、軍人の話も、男たちの話も、ナターシャは嫌っている。

彼女は、そういうふるさとを捨ててきたのだ。

北海道もじきに夏になり、野原や農道には花がいっぱい咲いた。

ぼくはナターシャの機嫌をとるつもりで、花を一輪とってきて、彼女のブルネットのヘアに差してみた。

「お姉ちゃんに似合うよ」といったら、

「ほんと? きれい?」ときいた。

花をいっぱいとってきて、お姉ちゃんのヘアに結んでみた。喋々がやってきた。

「こうすれば、蝶がとまってくれるかな?」といった。

「じゃあ、そうして」というので、ぼくはいい気になって花をいっぱいくっつけた。くっつけすぎたくらいだ。

「豊年だね」とぼくはいった。豊年のほんとうの意味も知らないくせに、大人ぶっていってみた。

「そうね、豊年だわね」とナターシャがいった。

ぼくは世界のことは何も知らなかったが、それでも北海道はひろいんだ! とおもっていた。あちこちに、こんなに花が咲いてくれるんだから。

「そうよね。……」と彼女はいった。

「お姉ちゃんは、きれいだ」とぼくはいった。

「ほんと?」と彼女はいった。「ここにもう少しいたいわ」といい、お姉ちゃんは、原っぱに寝ころんだ。せっかく差した花が数本ころげ落ちた。その日の夕焼けが、とびっきりきれいだった。遠くで草を食()んでいた馬が、首をこっちに向けた。ぼくは片手を高くあげて、口笛を吹いた。

やつは、走ってきた。

ぼくが目を覚ましたとき、巨大な恐竜みたいな尻があった。

ナターシャがそこにいた。エプロンの下から伸びた脚が、ぼくのすぐ目の前にあった。彼女のふくらはぎに小さな痣(あざ)がある。よーく見ると「!」みたいに見える。ふざけた形をしている。こいつは何だ?

洗濯物を干す物干し柱に寄りかかって、ぼくはうたた寝をしていた。

ニワトリがあちこちで何かいっている。洗面器のなかのしぼりたての濡れた衣服に上に、やつらは飛び乗った。

「あっちへ行きなさい!」といって、彼女はニワトリたちを追い払った。そして濡れた衣服を手で払ったとき、しずくがぼくの顔にかかった。ナターシャの、黒い靴下留めがぶら下がっている。

夏の陽だまりは、パドックをうろうろする動物たちを楽しませる。

めんどりが、両脚で地面を引っ掻かいている。引っ掻いた地面に、くちばしを突っ込み、何かを引っ張り出した。細長い、ヒモみたいなみみずが出てきた。

ナターシャは、物干し場をあとにして、めんどりたちの横を通り、納屋のなかに入っていった。

しばらくして、「ゆき坊、どこにいるの?」と彼女は叫んだ。

ぼくは、薄暗い厩舎のなかで、馬の世話をしていた。彼女は、またぼくを呼んでいる。

「ゆき坊、どこにいるの?」

「ぼくなら、ここにいるよ!」

ナターシャが納屋から出てきて、前掛けのポケットから、お金を取り出した。

「これ、鍛冶屋のおじさんに支払ってきて」といった。馬の爪を切ってくれた、お礼の代金だった。

ぼくは厩舎の耳門(くぐり)を出て、かんぬきを外した。馬は、その気になって、もう外に出ようとした。厩舎の入口にある踏み台に足をかけ、背伸びをして、馬に鞍(くら)をつけた。

それから、あぶみの高さを調節し、馬の腹帯をぎゅっと締めた。そのとき、馬は大きなおならをし、糞を落とした。

「じっとしてろよ!」

ぼくは、あぶみに片足を乗せると、身を勢いよく持ち上げた。

馬の背にまたがると、手綱(たづな)を引き、馬の腹をぽんと蹴った。馬は静かに歩きはじめ、厩舎のひさしから出た。

ナターシャは、いった。

「おじさんに、よろしくいうのよ」

「わかった」

馬は、ごく自然に街道のほうに歩いていった。そのとき、後ろのほうで、ドボンという大きな音が聞こえた。

「たすけて! ……」というナターシャの声が聞こえた。が、どこにもナターシャの姿がない。馬をUターンさせて、パドックのほうに向きを変えると、川のほうから、人の手が見えた。ナターシャが川に落ちたらしい。パドックの外れに、小さな川が流れている。ナターシャは、そこでいつも洗濯をする。

「ゆき坊、たすけて……立てない」

彼女は川に落ちたとき、足首を捻挫して身動きできなくなっていた。あの、口やかましいナターシャが、驚いてぼくにしがみついてきた。着ていた衣服がずぶぬれになり、スカートがからだに吸いついていた。小学生だったぼくは、21歳のお姉さんを持ち上げ、川の淵(ふち)に渡した6尺板の上に乗せた。

「痛い、ああ痛い。足が痛いわ……」とって、彼女はかがんだ。

足の小指の先から血が出ている。ぼくは、大急ぎで父の使っていたたばこ盆を持ってきて、ナターシャの足に、刻みたばこをぱらぱらっと振りかけ、包帯でぐるぐる巻きに巻いて、手当てをした。

「――ゆき坊は、じょうずだね」といって、褒めてくれた。ナターシャに褒められたのは、はじめてだった。

ナターシャはそこで、恐竜みたいな巨大なお尻を突き出して、とれたての野菜を洗うのだ。

鍛冶屋でのことだ。そのときに外した蹄鉄(ていてつ)が、ふいごの火に焼かれ、真っ赤になって、大きな金床(かなどこ)の上で、思いっきり叩かれるのだ。ぼくは、夏が終わらないうちに、乗馬がじょうずになりたいとおもった。

――ぼくは夢を見ていたらしい。ずいぶんむかしの話だ。ぼくはときどき彼女の夢を見る。たいていは彼女に竹ぼうきで叩かれているような夢だった。こんなに強烈な夢は見たことがない。

ロシア人の彼女は、色が白く、背は父よりも大きかった。彼女はサハリンからの引揚者だ。

父が彼女を雇ったのは、もうずいぶんむかしのことだ。ぼくが小学校にあがるころだった。母が病気でベッドに臥せっていたので、家のいっさいの切り盛りはナターシャがやっていた。そのころの北海道は、いまよりも、ずっと大きかった。

父がふざけて動物たちのために、大きなパドックをつくった。ニワトリは3000羽ぐらいいたろうか。山羊も、豚も飼っていた。隠れていて姿を見せないネズミたちもたくさんいた。

彼らの遊び場は外玄関からつづく大きな広場だ。おとなしい大型犬が一頭いた。馬でどこかに出かけるとき、やつはついてきた。サハリン生まれのボルゾイ犬だ。

サハリンからの引揚者は大勢いた。100万人もの引揚者が北海道に上陸し、いなかのあちこちの村に散った。ぼくの村にもやってきた。引揚者の連れ合いの多くはロシア人だった。

ナターシャもそのひとりで、母は日本人、父はロシア人だった。

ロシア人はニシンの行商をして、村のあちこちを歩きまわっていた。大量に水揚げされたニシンは、獲れすぎて田んぼの肥料にもなった。

ナターシャはどういうはずみか、父に雇われ、わが家に住みついた。彼女がわが家を去ったのは、ぼくが中学2年生の冬だった。それ以来、ぼくは彼女と会うことはなかった。

母がペニシリンを打って、元気を取り戻したからだった。

ナターシャとは風呂にもいっしょに入っていた。電気がなかったので、ほの暗いホヤつきランプの灯りの下で、からだを洗った。彼女はぼくの背中を洗ってくれた。そのときのぼくの記憶は、まるで湯気でかすんでいる。ナターシャのからだを見ているはずなのに、なんのイメージも湧いてこない。ぼくはまだ子供だったからだろう。

ぼくは彼女とよくケンカをした。

「ゆき坊は、おにいちゃんなんだから、ひとりでできるでしょ!」と、いつもナターシャはいっていた。弟たちのめんどうで、ぼくにかまっているゆとりがなかったのだろう。いつも「おにいちゃんなんだから……」といっていた。

で、ぼくは癪(しゃく)にさわって、庭の木の上にのぼり、爆弾を落とした。それを見つけた彼女は、えらいけんまくで怒り、竹ぼうきで、爆弾を落としたばかりのぼくのお尻を突いたのだ。

「ゆき坊! これは何ですか? 降りてらっしゃい!」

ぼくはまだ終わっていなかったけれど ナターシャの鳶色(とびいろ)のヘアをながめてからいった。

「カケスだって、空の上から糞をするじゃないの」

「あれは、鳥じゃありませんか。ゆき坊は鳥ですか?」

ぼくはいわなかったけれど 鳥になりたかったのだ。

そして、木の枝を伝って、飛び移ろうとしたとき、ぼくはすべって落下した。そして一目散に逃げた。それでも彼女は竹ぼうきを振り上げて追いかけてきた。爆弾事件は、それから何回か起きた。そのたびに彼女は追いかけてきた。爆弾じゃなくて、おしっこを飛ばせばよかったかもしれないと、あとでおもった。

そのときの記憶は、巨大な闇のアナの中に吸い込まれていき、その後50年間、いちども想い出すことがなかった。