月の酒こそ匂いたつ

 

 女 ねえ、お願いだから、会ってやって下さらない?

 男 あ、ああ、いつかそのうちにな。でも、いまはだめだ。

 女 でもゥ――じゃ、すぐ?

 男 まあ、せいぜい早くな、君がいうんだから。

 女 じゃ、今夜、晩ご飯のときはどう?

 男 だめ、だめ、今夜はだめ。

 女 じゃ、明日のお昼?

 男 明日の昼は外で食べる。ちょっと人と会う約束があるんでね。

 女 じゃ、明日の晩は? でなきゃ火曜日の朝、それともお昼? 晩? それとも水曜日の朝?

   ねえったら、あなた、はっきり時間をいわなきゃだめよ、ね。3日以上はぜったい待てない

   ことよ。

 

これは、最近のテレビドラマのひと駒。――そういってじゅうぶんに通りそうな会話に聞こえてくる。老社長と年若い愛人さんとの話なのかと思われそうな会話である。

ぼくが24歳で結婚したばかりのころ、これに似たセリフを妻としきりにやっていたかも知れない。じぶんには、妻しかいなかったので。

しかし、これはシェイクスピアの「オセロ」の第3幕第3場のもので、「城で部隊長たちと会う」というところを、「ちょっと人と会う約束」に変えた以外は、そのままずばりの訳。違うとおもったら、「オセロ」をのぞいて見てください。

シェイクスピアは、結婚したばかりの、ヴェネチュアの元老院議員の娘デズデモーナと、ムーア人の将軍オセロとの会話を、まるで庶民の会話とちっとも変わらない方法で、いちゃいちゃぶりを描いている。

 

シェイクスピア。

学生時代のころをおもい出す。英文科の学生だったMさんという人のために、ぼくはラブレターの代筆をやったことがある。これは余談だけれど、いまちょっとおもい出したので、書く。

彼はそのころ、ある文章を読んでいた、シェイクスピアの。――英文科なのだから、当然といえば当然である。

「なに読んでいるの?」

「見ないでくださいよ」といって、顔を真っ赤にして彼は本を隠した。

シェイクスピアの本を隠してもしかたがないのに、これはヘンだなとおもい、さらにたずねると、実は、ある女性に手紙を書きたいのでネ、というのである。

「ゆきみつさんに、書いてもらいたいほどだ」というのである。

そのころから、「田中さん」とは呼ばれず、ぼくは「ゆきみつさん」と呼ばれていた。

「それって、ラブレター?」

彼は、顔をさらに真っ赤にして、くしゃくしゃの顔で(彼はそのころから、くしゃくしゃの顔をしていた)。

 

 

 

 

「頼むよ!」という。――そこで、じぶんは引きうけて、いろいろなスタイルのラブレターを書きあげた。もう、これ以上は書けないというところまで、寝ずにがんばって。

シェイクスピアのソネット式の、あられもない文章を書いた。殺し文句は頻繁に、目もうるんできそうなほど香りをつけて。香りはほんものの香りじゃなく、シェイクスピアもやっている、文章のはしばしに、いろいろな香り語をふんだんに塗りつけて。――くわしいことは、もう忘れてしまったが、その代表格はなんといっても薔薇だろう。

後日、にこにこしてMさんがやってきた。

それは、心に秘めておくなんて自分にはとてもできないというふうに。彼は、ひと言、「せいこう!」といって、「デートが決まった!」といった。

どこで? 

上野の動物園にしようかと考えているというのだ。

「動物園だって? 子供じゃあるまいし、……」

そんなところ、ピーンとこないなあ、というと、

「どこがいいとおもう?」とたずねるから、ぼくはいった。

「薔薇園なんか、どうかな。せっかく、薔薇で釣ったようなものだからな」というと、

「それはいいなあ」といって、どこかの薔薇園にいった。深大寺だったかも知れない。それがいまの彼の奥さんである。そのことは、いまもって武士の約束、長いあいだの秘密にしている。

ぼくは、彼のラブレターの代筆で、シェイクスピアの勉強をさせてもらったようなものだ。それがなかったら、ソネットなど、真剣に読む機会もなかったかも知れない。

以来、ぼくは大学では「ソネット」を3年間ぶっつづけで、おなじ授業に出ていた。154編の詩を通じて、そのたびにおもしろさが違って見えるのが不思議だった。結婚が決まっていたぼくは、妻になるはずの、北海道の田舎の女性に、これまたあられもないソネット式のラブレターを書いたりした。結婚が決まったのは、じぶんが子供のころだった。いいなずけ婚である。

小説「海は見ていた」にくわしく書いた。

愛がなくても結婚はできるのだなあと、単純におもっていた。

親が決めた相手、――やがて時が流れ、そのころは、おなじ家に3人の適齢期を迎えている娘たちがいたので、

「おれは、その家から嫁さんをもらうのだ」というのは分かっていても、妻にだれを選ぶかは、もっと先でもいいとおもっていた。

で、大学3年生のころ、もう決めろと親にいわれて決めたのがその妻だった。

ぼくはここでも、薔薇の香りをふんだんに散りばめた文章を書いたことを覚えている。彼女の感想はいちども聞いていないが、あれは薔薇がものをいったのだとおもっている。

で、ぼくはシェイクスピアの香りのある文章が、たいそう好きだ。これはたぶんおもい出と重なって、よく見えるからだろう。

――「ロミオとジュリエット」ではないけれど、恋人、あるいは夫婦、どんなに愛し合っていても、別れなければならないことがあるっていうことを身をもって思い知らされた。この年齢で思い知らされるのは、まことにつらいが、2007年、ぼくは草加で、ヨーコという人とめぐり合い、再婚した。

「あなたは、小説の書ける人よ!」と彼女にいわれ、とたんに愛が芽生えた。

「わたしは、ふつうのサラリーマンと結婚したとはおもっていませんから。――ぜひ作家になってください。応援します」といわれると、「この人を妻にしたい」とおもいはじめた。

こういう妻がそばにいると、きっと書けるだろうと真剣に考えたのだ。ヨーコは、そういって、じぶんを慰めたかったのかも知れない。

庶民の願いも、「恋」となると、いろいろ手を焼く、やっかいな手続きというものが要る。シェイクスピアは、こうした庶民の身すぎ世すぎを、心にくいほどに観察し、それをありのままに描いている。30歳くらいの若さで、それを見ぬく才覚は、まことに動物的な才覚といえる。動物的な嗅覚で嗅ぎ分けたとしかおもえない。

近ごろは、

「あなたは、女の気持ちはぜんぜん分からないのよね」とヨーコにいわれつづけている。じぶんには、シェイクスピアのような嗅覚があるとはおもえない。

しかし、――この嗅覚器官というやつは、人間のあらゆる器官のなかで最も進化した器官であり、香りの研究で知られている熊井明子氏の香りの本によれば、大ブリテン島への香りの使者は、ローマ帝国の覇者だったことが書かれている。果樹、花、ハーブ、スパイスなどなど、イギリスの香り史の第一ページは、こうしてはじまっている。シェイクスピアの時代、エリザベス朝の時代は、もっとも香りが発達を見せた時代だった。

彼女の調査によれば、シェイクスピアの作品には200回以上も薔薇が登場しているそうだ。

熊井女史は、シェイクスピア研究家でもある。シェイクスピアの香りに詳しい彼女の本を読んで、ぼくは、ラブレターに薔薇を使ったのは、ごくごく自然だったとおもった。しかし、なぜシェイクスピアは薔薇を使ったのだろうか?

その研究によれば、薔薇はキリスト教では聖母マリアを象徴し、宗教絵画ではトゲが描かれていなくて、悪臭を心地よいものに変えるものだから、という。

「トゲのない薔薇」、そんなものがあるのかとおもったら、The rose without pricklesという薔薇が実際にあるらしい。「世界の芳香花百科全書」にちゃんと出ているそうだ。

エリザベス女王に寵愛されたサー・ウォルター・ローリーはダマスク・ローズとオリス・ルートでつくったポプリや、その薔薇の香りで、部屋じゅうを満たしていたとか。おそらく女王にも献上したことだろう。

忘れてならないのは、エリザベス女王が芳香をこの上なく愛していたということである。彼女自身、「処女王」の名のほかに、「トゲのない薔薇」とも呼ばれていた。トゲのない薔薇があるなんてぼくは知らなかった。

トゲのない薔薇は、象徴的な意味だとおもわれるが、本草学者(ハーバリスト)ジョン・ジェラードという人の「本草書または植物の歴史(The Herball or Generall Historie of Plantes, 1597)」には、たいへんくわしく書かれているそうだ。

ただし、この本には、ハーナクル・トゥリーの実から鳥が孵化するなどという伝説を事実として書いていたりして誤りがあり、出版早々から批判が多かったらしいのだが、同時代の本草書のなかでは最も充実したものだったので、出版社は、1633年にアポセカリー(薬剤師・薬種商)の肩書のトマス・ジョンソンによる改訂増補版を出し、これが現在まで復刻されつづけているというのである。

このジェラードの本職はじつは外科医で、Barber‐Surgeons Company(理容師・外科医組合)の会長をつとめていたらしい。

つまり理容師であって、外科医でもあることを許された時代だったわけで、別の資料では、理容師は歯科医もかね、歯の治療もやり、ときに外科医の分野である瀉血――高血圧症、脳溢血などの治療のために、静脈から血液を流し出す治療、――などもしばしばおこなっていたらしい。

                        ♪

薔薇の話が脱線してしまったが、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」では、つぎのようなセリフが見られる。

 

 どんなにすぐれたものでも使い方を間違えれば、

 本質にそむいて悪弊をもたらす。

 薬効が毒性にかわるのも使い方次第、

 毒性も作用次第で尊いものとなる。

 (第2幕第3場 熊井明子訳

 

ロミオとジュリエットの悲恋も、ふたつの心の舵取りを誤った結果と考えられて、おもしろい。人間の内にひそむ対立するふたつの心、――理性でコントロールする品位ある心と、本能のなすがままに動く野蛮な心を、薬にも毒にもなるハーブやプラントにたとえているのだ。

セリフのなかの「薬効(virtue)」という語の使い方がおもしろい。――ふつう、この語は「美徳」と訳されているからだ。

ジェラードの本のなかでは、ハーブが何に効くかを述べる項目のタイトルが「The Virtues」なのだと教えられた。

「薬効には美徳」、「毒性には悪徳」の意味を重ねていて、「薬効が毒性に変わるのも使い方次第」というセリフを書いたのではないかとおもわれる。またそのように熊井女史は訳されている。とてもいい訳である。

シェイクスピアは、おそらくこうした本草学の目覚しい進歩を背景に、観客をおおいに楽しませたのではないかとおもう。

ぼくには、このようなシェイクスピアの文章が、まるで、葡萄の房がつぶれて、美酒をしたたらせるように匂いたつ香りを感じさせる。

神は「配偶者がいなくて、通りをひとり歩く者は幸いである。/しかし、人がひとりでいるのは良くない。私は彼のために、ふさわしい助け手を作ろう」といわれたと別の本には書かれている(パット・ロジャーズ編「図説イギリス文学史(The Oxford Illustrated History of English Literature)」1990 監修・訳 桜庭信之他)。

自分もかつてはひとりだったが、まるで誰かが連れ添っていてくださるようにおもえ、寂しい気持ちはほとんどなかった。ふしぎだ。この香りの文学をもっともっと楽しみたいとおもって。――さいきん、雨のなか、カッパを羽織ってスケッチに出かけている。いい絵は描けない。

絵を描きながら、おばちゃんたちから、スマートフォンのメールの打ち方を教わったりしている。

先日、間違って相手に打った人とは、おもわず5年ぶりの会話がはずみ、パトリシア・コーンウェルの「死因」という小説の話がお互いにはずんで意気投合し、その小説を翻訳した相原真理子さんがとつぜん亡くなって、がっかりしているという話になった。

「わたしたち、こうなったら会うべきよね? そうでしょ?」といってきた。

「は?」

「田中さん、しばらくでした。お元気そうね」

「ほんと、しばらくですね。いま、メールの打ち方、ならっているところ。ごめんね」

「ははははっ……では、近いうちに、有楽町で会いませんか? ぜひ有楽町で、わたし、パトリシア・コーンウェルの本なら全部持ってます。読みたい本、ありますか?」といってきた。「翻訳家の相原真理子さんが訳された本、全部読みたいな」と打ってみた。

「彼女の文章、いいでしょ? わたしも注目してたのよ。わたしも、彼女とおなじ大学、慶応の英文科を出ています」

「じゃ、会いましょう」ということになったというわけ。