ムステルダムの警 1

 

「かくしてミツバチは蜜をつくるけれど、自らのためではない」という。

とてもメランコリックな記述である。むかしのラテン語のことわざに、こんなのがあった。

「勤勉なる農夫は、みずからその果実を見ることのない木を植える」と。食卓の空間は「五官を楽しませる」ものでなければならないといわれている。17世紀のむかしの本には、五官とは、なによりもまず視覚であると書かれている。

「これ、視覚と書かれているんだが、けっきょくは想像力のことだろうね」とぼくはいった。料理は、うまそうでなければならない、そういうことだろうとぼくはいった。

「お父さんのいうこと、わかるわ」と展子(のぶこ)がいった。

機内は、とても静かだ。

雲海の向こうに黄泉(よみ)の国があって、「星の王子さま」の作者、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリもいったように、これは現世の風景を描きながら、黄泉の国を目指して飛んでいたんだな、きっと。彼の「夜間飛行」を読むと、地上に降りたいという気持ちが消えうせる。このままずーっと飛んでいたくなる。

「見てごらん、あの雲のかたち、人の顔に見えないか? もうこの世にいない、おじさんの顔だったり、ぼくを育ててくれた子守りの女の子の顔だったり、……」

「子守りの女の子の話、ずいぶん聞いたわ。その人、亡くなったの?」

「いや、それはわからない」

「きっと、どこかで生きてるわよ」

「そうだね。そうだと、いいね。……彼女の話、ずいぶん話したっけ?」

「ずいぶんとね」

「ロシア人のお姉ちゃんの顔はわすれてしまったが、彼女の背中、いまもおぼえているよ。温かくてね、そりゃあもう、温かくて、すーっと寝てしまうんだ。背が高くてね、お尻が大きくて、とても白い肌で、ブルネットのヘアをしてて、目は濃いグレーに見える。サハリンで生まれて、北海道に渡ってきたんだよ。そして、ぼくら兄弟3人を育ててくれた」

「お父さんが川に落ちて、溺れそうになったんでしょ? その子守りの子、川に飛び込んでお父さんを助けた。――なんていったかしら? ナターシャ?」

「そう、ナターシャっていうんだ。展子は、いま、いくつになる?」

「25よ」

 

レンブラント「夜警」

 

「そうか、だったら、展子の年だったな、ナターシャがぼくを助けてくれたのは」

「お父さんはいくつ?」

「8つだ。やわらに、飛行機が低空飛行で飛んできて、ビラを撒いたんだ。そいつがひらひら風に飛ばされてね、どんどん流されていくんだ。そいつを拾いにお父さんたちは走ったのさ、馬みたいに。彼女といっしょにな! 《ふるさとは夕虹のさき馬走る》と詠った田中北斗さんの句を想いだすよ」

「お父さんも俳句つくったの?」

「つくった、つくった!」

「お父さん、そろそろ食事よ」と展子がいった。

午餐の時間がきて、1時間という短い飛行だが、食べようとおもった。

前菜はフォアグラ、スープはコンソメ・マルキーズ、アントレは合鴨蒸煮ナント風、ガレット・ポテトなど……。サラダはレタス、果物はチーズと録茶、ワインはボルドー・オリヴィエ。食後酒にはコニャックが出た。和食コースもあったが、展子が選んだものといっしょにした。

腕時計は、成田を飛び立ったままの時間になっていて、午前0時半になっていたが、現地時間の午後5時半に針を合わせた。

フランクフルト空港で乗り換え、そこからアムステルダムまでほんの1時間の飛行。午後9時20分に、アムステルダムのスキポール空港に降りた。

アムステルダムの運河に面したホテルに着くと、展子は、秋の運河の風景を見つめ、

「お父さん、あしたゴッホを先に見るの? それとも、フェルメール?」ときいた。ぼくはフェルメールを先に見たいといった。美術館が違うのだ。

「あしたの天気、わかるかしら?」といいながら、展子は部屋着に着替えた。そして、ホテルの個室のバルコニーの見えるところで椅子に腰かけ、展子は英語で書かれたホテルの案内とアムステルダムの地図を広げた。

「お父さん、何か食べたい?」と、展子はきいた。

「お父さんはいいよ。I'm eating like a bird」といった。

ぼくは、いまでも小鳥の餌みたいに小食なのだといった。ふふふっと彼女は笑っている。その夜、ぼくらは風呂に入ると、おなじ5階の部屋でおとなしく眠った。長旅だったが、格別疲れたとはおもえない。

翌朝、ルームサービスで朝食を摂ると、展子は念入りにお化粧して、茶系のスラックスに濃い褐色のカシミヤのハーフコート姿に変身した。外は寒そうだ。黄色いショールを羽織ってオレンジのオランダ色にした。オランダの国旗は、赤白青なのに、オランダのメインカラーといえば「オレンジ色」だ。

「展子はなぜか、わかる?」ときいてみた。

知らないという。

だったら教えようとぼくはいった。――オランダのオレンジ色の起源は、建国の父「オラニエ公ヴィレム」の名前にあるんだといった。オラニエ(Oranje)を英語でいうとオレンジ色(Orange)になる。オランダ人の発音は、「オランイェ」というらしいよ、といった。

それから運河に沿った道を歩き、タクシーをつかまえて、クルマの車窓からアムステルダムの大きな中央駅を見たとき、なぜか、既視感があると展子はいった。

「そりゃあそうさ。東京駅の原型なんだから」とぼくはいった。

そして、美術館の前で降りた。オランダの街って、流しのタクシーはほとんど見つからない。だからちょっと苦労した。

むかしの18世紀のアムステルダムのことを想いだした。パン職人が70人ほどいたとき、画家は300人もいたらしい。その話はすでに書いた。なぜオランダには画家がたくさんいたのか? 商売になるからだろう。

パリの画家たちが画商を通じて絵を売る200年もまえに、オランダにはすでに画商がいたのだ。

農具のある風景が、絵になるということを発見したのもオランダの画家たちだったし、イギリスに真似て、水彩絵の具を開発したのもオランダ人だった。

だから、ボヘミアンやオランダの人びとには、だれでも買える小さな絵が好まれたらしい。描けば売れた時代があったようだ。みんな小さな絵だ。

「やっぱり降ってきたわね」と展子がいった。

それと同時に、ぼくはオランダの空を見上げた。

オランダの風景画は、その7割は空が占める。彼らは巨大な空を描く。150号以上の巨大な絵にも、空が大きく描かれている。

国立博物館は、階段をのぼった先の突き当りの壁に、巨大な絵が1枚かかっている。それがレンブラントの「夜警」だ。堂々たる絵に見える。

オランダはこの「夜警」に自分たちの矜持をかけている。

「その意味、わかる?」ときいてみた。

「わからないわ、お父さん、教えて」と展子はいった。

その証拠に現在までの350年間、ただのいちども国外に持ち出されたことがない。原題は「The Nightwach」となっている。だから「夜警」にしたのだろう。

「これ、実はへんなんだ! レンブラントの絵は、もともと昼間を描いた絵なんだよ。経年劣化で夜みたいに周囲が暗くなった。それでだれかが《夜警》というタイトルにしたっていうわけ」

「ふーん」

「けっこう絵のタイトルっていいかげんなんだ」

「《夜警》はレンブラントが火縄銃組合から依頼を受けて描いた絵だ。注目してほしいのは、宗教っぽくないってこと」

「それはそうね」

「もともとレンブラントが人間を描いただけの絵だからね。聖書や神話に関係なく描いた絵なんだ。これを集団肖像画っていってる」

「集団肖像画? それにしても、ますます《夜警》にふさわしい絵に見えてきたわ」

《夜警》という意味は、たんに夜の歩哨というような意味だろう。歩哨は動哨もし、立哨もする。だから絵に描かれたふたりは歩いている。

この絵のふたりの人物は、もともとはもっと右側にいた。カンヴァスの左はしを切ったので、歩きはじめたというより、歩いているところとなってしまった。

「なぜ、切ったの?」

「額が狭かったという話が伝わっているけど、お父さんにはわからない」

「お父さん、摸写したくなりません?」と展子がいった。

「したいね」とぼくはいった。

「美術館で摸写するっていうけど、していいのかしら?」

「いいんだよ。ただし、日本ではご法度。けっして許可されない。ヨーロッパもアメリカも、好きに摸写させてくれる、よほどのことがないかぎりね」とぼくはいった。

「ふーん。後ろの人、置き物みたいに、さっきから立っている人、もしかしてここの夜警かしら?」ときいた。

「まさか!」

振り返ると、背の高い、いかめしい顔をした髭づらの男がスーツの前ボタンを締めずに、じーっと前方の「夜警」を睨みつけている。そういう男が、5、6人いて、「夜警」を夜警しているみたいに見えた。

それからフェルメールの絵を見た。

彼の「牛乳をそそぐ女」だ。

17世紀ごろの農婦が腕まくりをして、ミルクを土鍋にそそいでいる。

じつにリアルに描かれている。よーく見ると、絵具のヒビ割れが見えるが、その細密技術は、レンブラントを超えるだろう。

見るからにいなかくさい野暮ったい衣裳だが、その肉感の描き方は、人びとをうっとりさせる。名画を鑑賞する時間はたっぷりあるが、ひじょうに緊張する時間帯で、2時間もそこに突っ立っていると、くたくたになる。あとの絵を見だすと、もう2時間はいることになる。

「展子、お父さんは疲れた」とぼくはいった。

「わたしもよ、……」といって、「どこかで休憩する?」ときいた。

「あとは、あすにしようよ」というと、

「そうね。あすにしましょうか」と彼女はいった。

ホテルにもどって入浴し、きょうの出来事を手帳に書いていると、ベランダの窓ガラスにコツンと何かが当たる大きな音が聞こえた。ベランダの戸を開けてみると、床に小鳥がばたばたしながらうずくまっている。手のひらに載るほどの可愛い鳥だ。頭が黒くて、からだがグレー。こんな鳥は、ぼくは見たことがない。ぼくはつかまえて、部屋に入れた。

「展子、つかまえたよ!」

「お父さん、どうしたの? 可愛いわね」

「キジの仲間かな、……」

「どうするの? 小鳥なんて持って帰れないわ」

「ホテルの人に、どうしたらいいか、きいてみよう」

ぼくは部屋着を脱いで、真っ赤なハーフパンツに履き替え、セーターを羽織ってエレベーターで1階に降りた。そしてフロントで小鳥の話をし、「この鳥は、ぼくらの部屋に舞い降りたんだ」といった。可哀そうだから、手当してフリーにして欲しいといった。

すると、わきにいたコンシェルズとおぼしき背の高い髭を生やした男性がやってきて、「おう、おめでとう! Fazant、コウライキジだ!」といった。

英語ではKoliquijiというらしい。

そういえば、むかし北海道の庭先で、ニワトリの餌を求めておこぼれを食べにくる野鳥のことを想いだした。むろんカケスとは違う。やっぱりコウライキジだった。まだやつは子どもだ。

やがて、きれいな色の羽をもつようになる。「雉の眸のかうかうとして売られけり」という加藤楸邨の句がある。

そして一息入れるために、ふたり分の温かいコーヒーをオーダーすると、ぼくは部屋にもどった。展子はベッドにいて、上を向いて目をつぶっていた。

「お父さん、今夜、わたし食べ過ぎ。リバースしたい気分なの。でもできそうにないわ」といって、ベッドで寝返りをうってこっちを見た。その目は、母親に似てきたとぼくはおもった。展子はiPhoneで何か聴いている。

「何、聴いてるんだい?」

「え? わたし、展子はこればっかりよ。さっきからずっとヘビーローテーションしてるの。ビートルズナンバー。お父さん、何が好き?」

「ビートルズ? ビートルズの何?」

「イマジン、展子はこれが好き。――お父さん、さっきの小鳥、どうだったの?」ときいた。「ぼくたちの上には ただ空があるだけ。さあ想像してごらん」とぼくはいった。展子は、はははっと笑った。そして展子は起き上がった。

 

 Imagine there's no Heaven

 It's easy if you try

 No Hell below us

 Above us only sky

 Imagine all the people

 Living for today……

 想像してごらん 天国なんてないんだと

 ほら、簡単でしょう?

 地面の下に地獄なんてないし

 ぼくたちの上には ただ空があるだけ

 さあ想像してごらん みんなが

 ただ今を生きているって……

 

ぼくは展子からイヤホーンを取り上げて、「イマジン」を聴いた。

「――どう?」

ぼくは、ビートルズナンバーの「ノルウェイの森」を想いだした。もともとは「この鳥は飛び立ってしまった」というタイトルだったからだ。

「そうなの? 展子、知らなかったわ。《この鳥は飛び立ってしまった》! いいわね」といった。

オランダにきて、コウライキジを抱くとはおもってもいなかった。そして想いだした。コンシェルジュのいった「おめでとう」っていう言葉だ。意味はわからない。わからないが、何かめでたいことなのだろうとおもい、にやにやしていた。

やがてノックの音が聞こえ、ワゴンを押してコーヒーが運ばれてきた。水も運ばれてきた。

「お父さん、ちょうど飲みたかっわ」と展子がいった。運河の街アムステルダムは、どこも雀色に染まって、木の葉が散っている。外は雨が降りつづいている。

「かいつぶりっていう鳥、展子、知ってる? 漢字で鳰と書く。ホテルにもどるとき、運河にぷかぷか浮かんでたやつさ」

「かいつぶり? 鳥?」

「そう。古くは《にお》ともいう。ほら、村上春樹の小説にも《かいつぶり》があっただろう」

「それ、知らない。ほんと! それってオランダと関係があるの?」

「ないよ。ないけど、お父さんは想いだすんだ」

「カルガモなら知ってます、可愛いいわ」と展子はいった。

展子はコーヒーカップを持ち上げたとき、展子の小指の爪が、剥がれているのが見えた。

「剥がれてる!」というと、

「うわー、ほんと! ストーンがない! うわー、自爪だけになっちゃった。どうしよう?」といっている。展子にとって、コーヒーを飲むどころでなくなったみたいだ。

「お父さん、いつから気づいてたの?」

「いまだよ、たったいま!」

「さっき、小鳥騒動があったときは?」

「そんなの、ムリだよ、見ていなし、……」

「そうよね」

展子は顔をしかめ、ぼくのほうを意地悪そうに見つめた。ムリ、ムリとこころのなかでぼくはいった。女の子の爪は、いちばんおしゃれをするところ。手入れをする時間が楽しいらしい。きょうはなんと、その1本のお気に入りの爪のデザインが負傷し、展子にとって、取り返しのつかない結末になったらしい。絵画芸術どころでないみたいな騒ぎだ。

「展子、あした店でやってもらったら?」といって、ぼくはコーヒーを飲みながら手帳と向き合った。

展子の悲しむ顔を見ていたら、展子の母親のことを想いだした。亡くなってもう4年半になる。まだ若く、44歳だった。それ以来、ぼくは展子の喜ぶことに付き合ってきた。

オランダは、展子ははじめてだったが、ニューヨークにも連れて行った。ニューヨークでは、日本画家の先生の個展を見せるために。

もっと若い展子は、子どものように喜んだ。

彼女は、外語大でオランダ語を学んでいるのに、オランダには一度も行ったことがないという。だったら、連れて行こうということになった。けれども、彼女のオランダ語は、一度も使うチャンスがなかった。展子の父親は早くに離婚して、もう会うこともなくなった。

「だったら、ぼくが展子のお父さんになってもいいよ」といったのがはじまりだった。