うかしましたか?」

「戦争を棄する、ですか?」

 

きのうはちょっと曇り空で、肌寒い日だった。

だが、とても静かな日で、時間が音もなく流れていた。

タクシーがマンションの前に停まったきり、なかなか動こうとしなかった。ダイヤモンド・タクシーだ。

「どうかしましたか?」と、余計なことだが、きいてみた。

「日本は、戦争を放棄するって書いてあるそうですよ。それで戦争がなくなりますか?」

ぼくはびっくりした。

「お客さん、部屋からだれか連れてくるようですよ、待っているところです。ありがとう」といって、あいさつしている。

赤いハンチングをかぶり、白いYシャツにネクタイを締め、腕には金属のアームサスペンダーなんかしている。ちょっと粋な感じのドライバーだ。男は、50歳ぐらいに見える。

「だんな、日本国憲法ってご存知ですか、おもしろいですな。ここで、タバコ吸っていいですか?」と彼はたずねる。

時間待ちは、それにかぎる。

「いいとも!」 

パーゴラのあるベンチの前に、大きな灰皿スタンドが置いてある。

ドライバーがぬーっと立ち現れた。でっかい! 190センチはあろうかという大男だ。

それに、脚がじゃまになるくらい長い。

じゃまになりますか? とはきかなかったが、振り返ると、おばあさんが娘さんといっしょにやってきた。

「じゃ」といって、ぼくは彼と別れた。これから図書館に行き、本10冊を返却して、また10冊借りてくるつもりだ。ついでに、日本国憲法に関する本を借りてこよう。

立花隆(1940-2021年、80歳没)

 

ジェームズ1世の欽定訳聖書を「King James Bible」というのだが、聖書の物語は、善、悪、奇跡、裏切り、殺人、売春、誕生、結婚、儀式など、この世で起きるさまざまな物語が出てくる。数あるタナック(伝道書)の成立をめぐって、7つの大罪を決めたのはいつだったのか、トロント公会議であったか、それをしらべたかったのである。

これらは物語である。――かつてリンカーンは、「聖書は神が人間に与えられた最善の贈り物です。……それがなかったら、わたしたちは善悪の識別ができないでしょう」といっている。神の国アメリカの精神が、いまも息づいているらしい。

立花隆氏の「脳を鍛える」(新潮文庫)という本を少し読む。

これは東大講義をまとめたものである。彼はさいきん亡くなった。

かなり専門的な本である。全国の国立大学の入試問題は、19世紀以前の学問から問題がつくられているという話が書かれている。なぜなら、高校の教科書には20世紀の量子物理学もアインシュタインの物理学も出てこない。高校生にはあまりにむずかしいからだという。

しかし、大学に入って、いままでいちどもお目にかかったことのない学問を教わることになるのだ。数学の「数論」は教わっても、「調和解析」はたぶん教わらないだろう。「数論」と「調和解析」がDNAでつながっている話など、大学院の数学でしかやらないだろう。

しかし、20世紀の科学は、真剣に受け継がれなければならないと彼はいっている。

大学といえば、日本の大学では軍事は教えない。

GHQ以来、軍事を教えてはならないといった縛りが、いまだに利いているわけである。世界の国々で、自国の防衛について教えないのは、おそらく日本だけだろう。

政治、経済、軍事の3つで世界は動いているというのに、戦後、民主教育云々といわれながら、国を守る方法を教えてこなかった。

憲法には、防衛するために戦うことを抜きにしている。一方的に「戦争を放棄する」とかいって、おかしな国である。他国が攻めてきたら、どうするつもりだ? ときいてみたくなる。

2010年9月7日午前、尖閣諸島付近で操業中だった中国漁船と、これを違法操業として取り締まりを実施した日本の海上保安庁とのあいだで事件が発生した。これを「尖閣漁船事件」、または「中国漁船衝突事件」とも呼ばれている。

海上保安庁はこれを拿捕したが、菅直人首相は、今後の日中関係を考慮したとして、中国人船長を処分保留で釈放するととつぜん発表した。本決定を、仙谷由人内閣官房長官は容認し、25日未明、中国側が用意したチャーター機で、中国人船長は石垣空港から中国へと送還されたのである。

その後のアメリカの反応に、日本側はピリピリした。

このように、日本が戦おうとしない場合、日米安保を取り交わしているアメリカといえども、これに助太刀(すけだち)しないというのだ。日米安保の中身が現実のものとなった。そんなこと、あたりまえじゃないか! といいたくなる。

日本という国は、相手国が法に背いても、処分保留で釈放する国なのだ。だが、中国が攻めてこないのは、日本にはアメリカがついているからである。

そこにMさんがあらわれ、ヒマそうだったのでコーヒーを振る舞った。

すると、テレビのクイズ番組で、「三行半(みくだりはん)」の話を演()っていたという。

「こんなの、だれでも知ってる問題だよ」と、彼はいっている。だが、ぼくは相槌を打たなかった。

「田中さん、知りません?」ときく。

テレビでは、その答えとして「夫が妻に離縁を申し付けること」といっていたらしい。ぼくの考えは、そうではなかった。

その逆もあるということ。

「――その逆?」

「そう、その逆です」

江戸時代、長男をのぞく武士の次男、3男は、武家に婿入りしなくてはならない。

婿入りした先で、この三行半を突きつけられるのは、多くは妻のほうからだった。夫を迎える妻のほうが、家では権力者なのだ。しかし江戸期の女たちは、儒学倫理でがんじがらめになっていたので、始末にこまる。

はっきりいって、江戸時代は男たちの時代である。

――徳川幕府は、政治の根本理念を儒教においたことで、きびしい身分制、階級制の社会だったからだ。なかでも男女の性差別は、ことのほかきびしいものだった。

先年、いつだったか、曲亭馬琴の話を書いたときに書いたけれど、

「女は夫を君主と思うべし」とか、「ひとたび嫁しては、その家を去らないのが女の道」とされ、およそ女子の自我とか自立心など、骨抜きにするような教育がおこなわれた。

武家社会も、百姓の世界も、女たちには身動きできない儒教倫理でがんじがらめに縛られていたのである。江戸期の女たちが、王朝時代のように絢爛たる女性文化を持たなかったというのは、どうも、そういう理由によるものではないか。

藤沢周平の小説に、そういう武家の話がよく出てくる。

「おまえは、なぜ、妻を叱らないのか」と男がいうと、

「おれは、婿入りの身だからな。……」といって、肩を落とすのである。

じぶんは、ヨーコの家に婿入りしたような気分だというと、Mさんは、ははははっと笑ってから、「おれもおんなじさ! おれんちも、まだ江戸なんだよ。ヘタすりゃ、三行半をくらいそうだよ」そういって、夕刊をぽんと置いて、Mさんは早々に帰っていった。

小池真理子さんの小説を広げたら、一枚の広告記事が出てきた。小池真理子さんの「望みは何と訊かれたら」というタイトルの小説の広告が入っていた。

「あの時代の空気をまとって、今も私は生きている」というリード・コピーがあった。「あの時代……」というのは、1972年の浅間山荘事件のあった年で、武装闘争に明け暮れた年を指しているらしい。これはもうかなり古い話だが、じぶんはそのとき30歳で、会社の会議室のテレビ中継に釘づけになっていた。

過激派が群馬県の山中にアジトをかまえているという情報を得た群馬県警は、その2月16日から19日の朝にかけて指名手配中だった森恒夫と永田洋子ら8人を逮捕した。

警官隊はさらに、長野県軽井沢で5人の不審な男を発見。

彼らは河合楽器の軽井沢保養所である「浅間山荘」に逃げ込み、管理人の妻を人質にとって立てこもった。

クレーン車から繰り出される鉄の玉で山荘を破壊し、そこに警官隊が突入して、人質を救出し、10日ぶりに犯人5人を逮捕した。そのとき、警官2名が拳銃に撃たれて死亡している。

この模様は、テレビ各局の生中継で全国に流され、NHKは、ほかの番組を中止して一日じゅう報道していた。警察が使用したガス弾は1000発、ピストル発射15発、放水は100トンにのぼり、犯人から押収した武器は、猟銃4丁、ライフル銃1丁、ピストル1丁だったという。

彼らは連合赤軍を名乗っていた。

1971~72年にかけて、一連の連合赤軍事件で、殺人や死体遺棄罪などに問われ、1993年に死刑が確定した元連合赤軍幹部の永田洋子死刑囚が、東京拘置所で死亡したことが報じられた。死因は多臓器不全とみられた。

さて現在、科学がすすんだといわれる21世紀にあって、依然として13世紀の考えに縛られている人たちがいる。

聖書を通して世界を見る。

お経を通して世界を見る。

われわれの目が聖書にそそがれているとき、こころを動かされる聖書の金言が、何を意味するのか、現在という時代相において、みつめなおす必要がありそうだという話をよく聞く。

でなければ、21世紀の聖書学は、不毛だろう。

キリスト教を異端としたイタリア・ルネサンス時代、人間はふたたび復活した。神についてではなく、人間について深く考えようという時代の幕が切って下ろされたのである。ダンテの「地獄編」、――そこに登場するベアトリーチェは、神や女神ではなく、現実の美しい人間として描かれているではないか、とおもえる。

ダンテはフィレンツェの、今風のことばでいえば内閣総理大臣であったこともあって、彼は国の行く末をみつめていた。放浪の旅をして書かれた「神曲」は、だれにも読まれない傑作なのである。

若いころ、ぼくはあるデパートの本屋で、「ダンテの《神曲》、ありますか?」とたずねた。すると、若い女性はいった。

「レコードは、あちらです」と。

イタリア・ルネサンスとは、花田清輝のことばでいえば、「神を差し引いた人間の時代だった」という。イタリア・ルネサンスとは、塩野七生さんのことばでいえば、「見たい、知りたい、分かりたい」がその時代だといっている。

ダ・ヴィンチや、ミケランジェロもまた、人間を描いたのである。

 

 自分は、画家になりたい。

 自分は、彫刻家になりたい。

 自分は、医者になりたい。

 

――じぶんの生涯の仕事を、じぶんで選べる時代を迎えたのである。

それが、ルネサンスだった。神の教えに縛られない、これは、偉大な時代の転換といえないだろうか。多くの文芸・美術が生み出され、人間讃歌の時代を迎えたわけである。

「三国志」に登場する曹操(そうそう)は、人の運というものを最大限に利用した武将である。ここで、曹操の生き方の魅力について、少々述べてみたい。

これは「三国志」に登場する英雄の曹操の話だ。――すなわち、魏()の武帝があらわしたという「魏武帝註孫子」という本がある。これは俗に「孫子の兵法」といわれ、いまもビジネスマンの必携の書になっているらしい。

大正時代に日本の大谷探検隊が敦煌(とんこう)付近で発見した西晋時代の「孫子兵法」でも知られている。

「女が結納をかわして、進物の箱を開けると、おかしなことに中味がない。だまされたのである。男が犠牲の羊を斬()りさいても、おかしなことに血が出ない。知らない間に凶事に取り囲まれたのである」と書かれている。

運を味方にしなければ、こういう凶事に、あっという間に巻き込まれるという話が書かれている。

曹操という人は、なかなかの学者であり、ただ強いだけの武将ではなかった。

ぼくは、いつのころからか、この武将の戦い方が気に入り、「孫子の兵法」を読んできた。曹操がいなかったら、「孫子の兵法」は世に残らなかったかもしれない。

読んではきたが、実行は間違っていたらしく、ぼくには失敗が多すぎる。この本が書かれたのは、もう2000年も前の話である。

この本の存在は、日本では、上杉謙信によって知られるようになったといわれている。兵法は、武将だけが知るものではなく、末端の兵士にいたるまで、知らなくてはならないとされた。上杉謙信は、曹操のやり方を真似たために、多くの戦役(せんえき)に勝利した。

たとえば、総大将の命令にそむくことも教えている。

川や沼地は、死地(しち)といわれ、そういうところで戦ってはならないという教えがある。部下は、総大将の命令にそむき、死地での戦いを避けたことで、勝利にむすびついたというじっさいの話が出てくる。

川や沼地のそばは、古代中国では、子孫が繁栄するりっぱな家はできないとされている。そういうところで、戦ってはならないというのだ。生きること、すなわち戦うことなのだ。わが国でも、川や沼地で戦われた前例がひとつもない。生きにくい場所とされている。

ぼくは風水や方位の知識はほとんどないが、多くの戦役を見て、教えられることが多い。菅谷敦子さんのアドバイスには、感謝している。

彼女は人の幸せを真剣に後押しする、すばらしい人であるようだ。それは信仰の力なのだろうかとおもう。なかなかできることではない。寒くなったので、暖かい毛布を引っ張り出し、それを引っ掛けて昼寝をした。寝心地はよかった。ぐっすり15分ほど眠れた。

 

「これは、お客さん用の毛布よ! ……お父さんのバカ!」

ぼくは妻に叱られた。

20分間、身を横たえて腹式呼吸をすると、免疫力がアップするとヨーコがいうので、きのうも実行した。