映画「タクシードライバー」  

 

ューヨークを描いた家たち

 きのう、ある友人から電話をもらった。ニューヨークから帰ってきたという。

「レストラン21(トゥエンティーワン)に行ったの?」ときくと、

「21Club(トゥエンティーワン・クラブ)のことでしょう? そこで、ランチを食べてきましたよ」といっていた。

「ヘミングウェイの写真、あったかい?」ときくと、

「ありませんでしたよ」という。

「よく見てなかったんじゃないの? まあ、21Clubの話、くわしく聞きたいね」というと、「来週、銀座で会いましょう」ということになった。

 ニューヨークのいえば、ポール・オースターについて何か書きたくなった。

 ポール・オースター(Paul Auster 1947~)は、ニューヨークの街をさかんに描いている。特にブルックリンのあたりを舞台にした小説がある。彼の作品が日本で比較的読まれている理由は、オースターの表現がアメリカの雰囲気を感じさせ、扱われている土地が日本人になじみの多い場所が多いからだろう、という人もいる。

しかも、彼の文章は、過去に遡るようにニューヨークを描くことが多く、あのシャーウッド・アンダーソンのように現在時制では描かず、ひと味違った描き方をする作家である。

 ぼくが彼に注目したのは1980年代以降のことだ。

 彼の作家としての地位をゆるぎないものにしたのは、なんといっても「シティ・オブ・グラス(City of Glass,1985年)」、「幽霊たち(Ghosts,1986年)」、「鍵のかかった部屋(The Locked Room,1986年)」の3作ではなかっただろうか。いずれもニューヨークを舞台にして描かれている。

 この3作に共通しているのは、ニューヨークに住む孤独な人物が登場し、ふとしたことから、都市空間の迷宮に入り込むというような描き方をしていることだろう。まるで迷子になったかのように、人間の存在感の揺れる物語なのだ。たとえば、……。

 

 ニューヨークは果てしない空間、出口のない迷路だった。どんなに遠くまで歩こうが、またどんなによく隣人や街路を知るようになろうと、彼はいつも自分が迷子になった気持ちがした。街のなかだけではない。自分自身のなかでも。散歩をするたびに、彼は自分を置き去りにしているように感じた。

「シティ・オブ・グラス」より

 

 そんなふうに語っている。

 1962年、ぼくが北海道のいなかから出てきて、銀座の街に住むようになって、世の中を見渡したとき、まさにそんなふうな気持ちがしたのをおぼえている。当時の日本は東京オリンピックをひかえ、銀座通りの石畳が掘り返され、都電がなくなり、地下鉄工事がはじまって、銀座の通りはいたるところに鉄板が敷きつめられ、その上を歩かされた。

 自分という一個の存在が、とても小さな存在であることをおもい知らされた。オースターという作家は、都市を描きながら、ニューヨークは、アメリカのどんな都市とも違う視点で描写している。たとえば、トルーマン・カポーティの「クリスマスの思い出(A Christmas Memory,1956年)」や「ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany's,1958年)」とはちがう描き方をしている。

 ヘミングウェイの「日はまた昇る」は、人によれば、観光案内のような描き方をしているという人がいるけれど、オースターのばあいも、シティとしてのニューヨークの都市空間機能、――交通アクセスや、観光名所などがいろいろと登場し、旅行者がながめるような視点で、驚きをもってニューヨークの街が描かれている。

「きみは想像する。このおなじ玉石の上を最初のオランダ人入植者たちは木の靴で歩いた。そしてさらに時を遡れば、だれもいない小路をすすみアルゴンクイン族の勇士たちが獲物を追いつめていったのだ」と書いたのは、ジェイ・マキナニーである。

 ソール・べロウもまたニューヨークを描いた。

 彼の傑作「この日をつかめ(Seize the Day, 1956年)」は、アップダウンのブロードウェイ沿いにあるホテルの窓辺から眺めるニューヨークが描かれている。ニューヨークは、人種や階級の雑多な人びとが住んでいる街で、ほとんど一様に成功した老人がまことに多い。

そういう人たちがホテルに住んで暮らしているのだ。

ブロードウェイに出ると、じつに雑多な人びとが歩いている。

 

 ブロードウェイはまだ明るい昼下がりであった。排気ガスの立ち込めた空気は鉛のような陽光の輻()の下でほとんど動きがなく、おがくずの足跡が肉屋や果物屋の玄関先に残っていた。そして大きな、大きな群衆。あらゆる人種と階級の尽き果てることのない数百万の人びとの流れが吐き出され、ひしめき合っている。あらゆる年齢、あらゆる能力、あらゆる人間の秘密の持ち主たち。

「この日をつかめ」より

 さっき電話をかけてきた友人は、まだ50代で、日本橋の証券マンである。

大学がぼくとおなじで、学部はちがうが、先輩、後輩の間柄だ。彼は若いころヘミングウェイの「日はまた昇る」と読んだらしいが、格別の感想は聴いていない。というより、彼は文学とは無縁の生き方をしている。

 ニューヨークを舞台にした映画「タクシードライバー」がいいといってくれたのは彼だった。主演はロバート・デ・ニーロ。第29回カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞を受賞した。

 

「そのタバコが燃え尽きたら、あんたの時間はおしまいよ。(When that cigarette burns out, your time up.)」

(アメリカ映画「タクシー・ドライバー」より)

 

 こんなセリフがあった。この映画には、元海兵隊員で、不眠症のタクシー・ドライバーが登場する。大都会ニューヨークへの嫌悪と絶望を抱いている男である。街の恐怖と退廃を、鮮烈に描いた映画だった。1976年の問題作。

少女の娼婦が、ドライバーに身を売るシーンのセリフである。身を売るとはいっても、スカートを開いて、あそこをちょっとばかし見せるだけである。

その持ち時間は、たばこ1本が燃え尽きるまでというわけ。

「When that cigarette burns out, your time up.」

 むかし、1960年代のころは、東京にも、この種の安手の娼婦がいた。あのころは、マッチ棒1本が燃え尽きるまでだった。ほんの瞬間である。

風が吹いて消えても、運の悪いことに、それでおしまい。

 先輩と新宿界隈を歩いていて街角で声がかかり、女と出会ったことがある。行った先は、夜の同伴喫茶の店だったようにおもう。いちど女と、そういう店に入ったことがある。そのときの店内は、真っ暗だった。

 値段は、いくらだったのだろう。もう覚えていない。学生のポケットマネーで買える程度だったからタカが知れている。いまのお金で5000円ぐらいではなかっただろうか。女の下腹部は、期待したほどよく見えなかった。マッチの火は、薄ぼんやりしたものだった。見えないから、バカな男は燃えるのだ。

 映画のなかでは、ドライバーは異常なほど正義感を燃やし、少女をなんとか矯正(きょうせい)させようとする。そして、アメリカン・ヒーローとしての結末をもたらす。少女役になった女優は、マスコミでも取り上げられ、話題になった女優で、ジュディ・フォスターだった。ドライバー役に扮したロバート・デ・ニーロの表情が好きだった。

 ――ニューヨークという街は、富を求めて欲望をぎらつかせ、その気運にうまく乗ることのできた人間だけが、天井知らずの富と権力を手にすることができる。――スティーブン・クレインの描く「街の女マギー(Maggie: A Girl of the Syreets, 1895年)」という小説、あれはすごかったなとおもう。

 この小説は、娼婦を描いたことから、不道徳であると非難された。しかしこの物語は、結婚外で性的な関係をもった女性が破滅していく姿を描き、衝撃をあたえた。ぎゃくにドライサーが描くキャリーという女性は、男を食い物にしてのしあがっていくしたたかな女性として描かれた。ドライサーの「シスター・キャリー」という小説は、処女作ながら、現代アメリカ人女性の真の姿を描くことに成功した。

 1925年に発表された彼の代表作「アメリカの悲劇」は、貧しい青年が出世のために恋人を殺害し、死刑になるまでを描いたもので、この作品は、アメリカ自然主義文学の最高傑作とされている。

 ぼくは、1900年から1930年までのアメリカの自然主義文学は、この2作で代表されるとおもっている。で、最後にひとこと。――クレインはそういう現実を直視した作家であるとともに、彼は詩人でもあったのだが、彼の詩についてはもう紙幅がなくなったので、いつか書いてみたいとおもう。

 スティーブン・クレインの見た街、ニューヨーク。

 スティーブン・クレイン(Stephen Crane, 1871-1900年)という作家は、そういうニューヨークを描いた。彼は米ニュージャーシー州に生まれ、大学時代から「ニューヨーク・トリビューン」紙の通信員として働きながら、ニューヨークのスラム街を取材し、最下層の人びとの悲惨な暮らしを目のあたりにし、そのときの体験を通して、「街の女マギー(Maggie: A Girl of the Syreets, 1895年)」という小説を書いたのである。この小説は、娼婦を描いたことから、不道徳であると非難された。しかしこの物語は、結婚外で性的な関係をもった女性が破滅していく姿を描いた。

 このころのニューヨークは、スラム街を形成することになったダウンタウンに多くの移民たちが流入し、人間も、本能や環境に支配される動物であり、弱肉強食、適者生存という自然がもつ法則が、人間社会にも強く働いていることを実感させる時代だった。そんななかで、娼婦マギーは煩悶し、苦しみと悲しみの果てに自分の命を絶つ。

 スティーブン・クレインといえば、アメリカの自然主義文学の先駆をなした作家といわれている。ヘンリー・ジェームズや、ジョセフ・コンラッドなどの同時代の作家から高い評価を受け、フォークナー、ヘミングウェイなど、のちの作家たちにも影響を与えた。ニューヨークって、そういう街なのか? とおもう人も多いだろう。かつてはそうだったようだ。

 黒ずんだ背の高い工場に街路が閉じ込められて、たまに酒場から漏れてくる光が街路を照らす。酒場からは、特有の匂いとともに、ヴァイオリンがやたらとかき鳴らす音が聞こえ、敷いた板をぱたぱた踏み鳴らす足音が聞こえ、大通りの向こうに見える煌々とかがやくモダンな照明は、けっしてたどり着けない星にも見えるのである。

 この小説を読むと、都会の群集ひしめく歩道や、ブロードウェイ、商店の緑色のショーウインドーを通して、街ゆく人びとの姿を映し出し、ぼくは日本のどこにもないアナザー・カントリーの、大急ぎで成長する街のようすを想像してしまう。そういう街で、ウォルト・ホイットマンが生まれ、ハーマン・メルヴェルが生まれ、ヘンリー・ジェームズが生まれ、ドス・パソスが生まれ、スコット・フィッツジェラルドが生まれた。

 まさしく「グレート・ニューヨーク」と呼ぶにふさわしい街である。