小説 らら

 

裏庭で、いびつになった百日紅(サルスベリ)の木を伐()ってから、ビニールひもで、伐()った小枝をしばっていたら、スマホのコールが鳴った。

だれだろう?

「もしもし、田中さーん、いま、どちらですか?」という。

女性の声だ。いま? マンションの裏庭ですよと、ぼくはいった。

その人は、いつもの水道メーターの検針のおばさんだ。すぐにわかった。

「やー、こんにちは。何かありましたか?」

「裏庭ですかぁ」と、おばさんはいっている。

「はい、裏庭におります」というと、

「そうですかあ……」という。

 

――そうこうしているうちに10階の奥さまが犬を連れて降りてきた。ぼくは、いつもこんな格好をしているわけじゃありませんけれど。

 

「なにか、ご用? ご用なら、そっちに行きますよ」

「はいっ!」といったきり、用向きはいわなかった。

すぐいきます、といって、ぼくは玄関を入ると、おばさんはエレベーターのわきで、しきりに体をくねらせて、

「ああ、ごめんなさいね、わたし、……」

とか何とかいって、声を震わせているじゃないか。

「ああ、いわなくても、わかりますよ! どうぞお入りください」といって、事務所のドアを開錠し、手招きをしておばさんをなかに押し込んだ。

「はーい、どうもすみませんねぇ、お忙しいのに」といって、おばさんは事務所のトイレに駆け込んだ。ああ、間に合ったようだとおもい、ぼくは事務所のドアを閉めると、外に出て、目の前の大きなサクラの木をながめた。

「あッ、いけねぇ! トイレットペーパーを、セットするの、忘れた」

ぼくはトイレットペーパーを一個手にもって、ドアをノックし、少しだけ開け、「奥さーん、トイレットペーパーです。セットするの忘れました」といったら、おばさんは「ご親切に、どうも」といって受け取った。

それから外に出ると、蒼穹(そうきゅう)の空を背景に、サクラみたいな白い雲がいっせいに輝いているのが見えた。その空の下の海はきっと凪いでいるだろうなとおもった。静かな凪ぎの海域は、べつの宇宙かもしれない。

北国の増毛の海は凪いでいるだろうか、なんて考えた。

コバルトブルーのシガレットボートがすいすい増毛の海を走っている光景を想像した。小型の発動機船は桟橋を離れると、広い日本海を突っ走る。――そのとき、ぼくの脳裏に、ある映像が想いうかんだ。

ウエットスーツに身をつつんだ男たちだ。

ひとりはボートのなかで座りこみ、ウエットスーツの胸のファスナーを開いて、たばこを1本取り出し、それに火をつけた。彼は白髪頭の黒く日焼けした精悍(せいかん)な顔つきで、そのとき、彼は大声を張り上げた。

「人が浮いてるぞ! スピード落とせ!」といって、彼は半身で立ち上がろうとした。

「左だ、左だ! 11時の方角だ」

――と、ここまで想いうかんでいた映像が、パチンと途切れた。

それは、いつか、じぶんが書いたことのあるシナリオのワンシーンだった。

「ありがとうございます」といって、後ろでおばさんが腰を折って挨拶している。

「まあ、コーヒーでも。コーヒーより、まずはたばこですよね?」

「ありがとうございます」とおばさんはいった。

彼女は月に一度の割でかならずやってくる。水道検針を素早く終わらせると、彼女はきまって事務所でたばこを吸う。

「今年もサクラ、咲くでしょうか? いま、何か考えてたんですか?」とおばさんはきいた。ぼくは事務所のコーヒーメーカーのスイッチをオンにしてコーヒーをつくった。

「――増毛の海ですよ」

「マシケ? どこかしら?」という。

「ほら、もちろん北海道の、日本海側の増毛ですよ」

「ああわかった、毛が増えるって書くんでしょ?」

「ははははっ、なーるほど。――そこで、殺人事件が起きるんですよ」

「ええっ! 怖い。いつですか?」

「いえいえ、これ、ぼくがむかしつくったドラマの話ですよ」

「田中さんて、そういうお仕事もしてたんですか?」

「いえいえ、趣味ですよ。むかし、橋本忍にあこがれておりましてね、松本清張の《砂の器》とか、見たでしょ、映画なんか」

「わたし、それ見ました、《砂の器》、テレビで」

 

亡くなった京マチ子さん(95歳没)

 

「ぼくは《橋本忍全集》を持っていましてね、彼の脚本作品をぜんぶ読みましたよ。――そんな話より、さっきおもい出したのは、緊急時の女性用の、ほら、立ちしょん用グッズがあるんですよ。見たことありません?」

「あるというのは知っています。でも、どこに売っているのか、わからないわねぇ」

「それがあると、マンションの裏庭の木陰で、男みたいに立ってやれますからいいでしょうねぇ。お尻を出さなくても、やれるかしら」

「たぶん、やれますよ」

「前に向けて?」

「そう、前に向けて。――もともとはオランダ女性が考案したという女性用のトイレサポートとかいうやつですよ。それなんかあると、便利だとおもいませんか?」

「そうね。わたし、おトイレが近いんです。でも、わたしがそんなことしたら、おかしくありませんか?」

「いいじゃありませんか。これからお嫁に行くわけじゃないし、そうでしょ?」

子どもがふたりいるといっていた。

「ははははっ、それはそうね」

「山歩きする女性には、いいかもしれない」

「登山? そうね。いま気づいたわ。みんなどうしてるんでしょうね?」

「女の子たちと縦走登山をしたことがありますよ。南アルプスをね。休憩のとき、ちゃんとやってました。山の上だから風が強くてね、おしっこも飛ばされちゃう!」

ギリシャ人のヘロドトスは書いている。エジプトの女性は立ちしょんをし、男性がしゃがんでしている姿を見て、びっくりしたという記録があるらしい。

日本もむかしはそうだったらしい。

いなか娘を江戸に連れていく最中に「おしっこは立ってせずに、しゃがんでするもんだ!」と教えなければならないほど、女性たちの立ちしょんは、ごく普通のことだったようだ。むかし、母も腰を折って立ってやっていた。

銀座の高級料亭「万安楼」は、黒塀にかこまれていて、ある人に誘われて、若いころ一度だけ入ったことがある。入るやいなや、ひとりの外国人が店の女性に、

「water closet?」といっている。WCのことだ。和服を着た店の女の子はきょとんとしていた。

ぼくは「トイレは、どこですか?」ときいてあげた。

「こちらです」といって彼女が招じ入れたのは、植木鉢で隠された、敷石に水を打ったような場所で、床のコーナーに灯りが置いてあって、床がきらきら光っていた。

左側が殿方用、右側が婦人用。婦人用のブースは見えなかったが、その手前に、大きな竹を割ったしょうべん器がふたつ並んでいるのが見えた。和服を着た女性にはとても便利な用便器に見えた。うしろ向きになって用を足す。

そんな話をしていると、たちまち時間がすーっと消えていく。――この世はこの世。「この世界の片隅に」というマンガがあった。

そのころ、芦田伸介、森繁久彌、三木のり平、みんなつぎつぎにあの世に旅立った。それもずいぶんむかしの話だ。ぼくには出会ったこともない人たちだが、サクラの季節になると、すーっと映像みたいに想いだすのだ。

「おもいを遂げるって、いろいろあるけれど、いま心中なんか、しませんよね?」

「心中ですか。そうね、いま、聞きませんね」

「むかしは、江戸時代は、心中がはやった時期がありましたね。……《曽根崎心中》っていう舞台劇もある」

「男女がともに世を儚(はかな)むなんていう気持ち、いまあります? いっしょに死のうなんて、ありませんよね?」

「そうね」 

「自殺はけっこう多い。1年間に3万人? 10年間で30万人になる。いま日本は平和だけど、戦争なみに死者が多いね。でも、心中するケースなんてないでしょうね。そうでなくて、孤独死の実態は悲惨だね。孤独死は自殺者のなかにも入らない。しかたなく死んでいく。神も仏もない世界だ」

「田中さん、そんなこと考えてらっしゃるんですか?」

「いや、このあいだね、久世光彦の《薔薇に溺れて》っていう本を読んでて、そうおもったのさ」

――ところで、「心中」にあたることばが、外国語にはないらしい。自殺はあります。だが心中という意味のことばがないのだ。せいぜい、ふたり一緒に自殺するという意味で、double suicideといわれたりする。

これじゃあ、交通事故で2人いっしょに亡くなっても、それとおなじってわけ? そうおもってしまう。

「三国志」で名高い「桃園のちぎり」。――劉備・関羽・張飛の3人がいう。

「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん」という、あれだ。

生まれは違うが、死ぬときはいっしょだ! という、あれか? ――だが、彼らはみんなばらばらに死んだ。

「人も死ぬけど、ことばも死にます」というと、

「え? ことばも死ぬんですか?」ときく。

「ええ、死にますよ」とぼくはいった。それをひっくるめて「死語」という。

たとえば小島政次郎は、明治27年の生まれ。生粋の江戸っ子だった。

明治26年に千葉県から21戸の家族が船に乗って北海道にわたり、現在の北竜町をつくったが、彼はそのころに生まれている。「薔薇に溺れて」の84ページに、小島政次郎の話が出てくる。「目に一丁字(いっていじ)もない」とか、「兄貴の身状(しんじょう)をどうこうする」とか、「……それが大専(だいせん)なのだ」とか。

それを読んだ久世光彦も、わからなかったといっている。ぼくにもわからない。

「おときは、十八だと言っていた。色は浅黒い、キリリとした身慎莫(みじんまく)の、無駄のちっともない体付をしていた」の「身慎莫(みじんまく)」って何だ! しらべてみると、「身じたく」みたいなものだとわかる。

それにおもしろいのは「無駄のちっともない体付」っていう文章だ。そんな話をするものだから、おばさんはあきれたみたいな顔をして、

「コーヒー、もう一杯いただいてもいいかしら?」という。コーヒーができあがるまで、おばさんはもう1本のたばこに火をつける。

その指が可愛らしいこと。

「宿り木()って、わかります?」と、ぼくはきいた。

「宿り木? ですか」

「見たこと、ありません?」

この先を少し行ったところの、広い果樹園に立っている大きな木に、それがあった。直径40センチはあるだろうか。ぼんぼりのような姿をしていて、緑色をしている。英語ではparasiteとかmistletoeとかいう。

「欧米では、宿り木の下では、男の子が女の子にキスをしてもいいらしいですよ」といった。女の子は、男の子からのキスを拒否しないそうですよと。

「キスを求められたら、どうします?」ってきいたら、おばさんは、

「わたし! だんな以外に、キスしたことなんかないわねぇ」といった。

「だったら、これから宿り木の下に、行ってみましょうか?」とじょうだんをいったら、おばさんは、18の生娘みたいにもじもじして、

「これ、飲み終わってからでも、いいですか?」といったのだ。