億6500万年間の栄を築いた恐竜の世界 1
 

エドウィン・H・コルバートの「恐竜の発見」(早川書房 2005年)

 


北海道・北竜町のことをおもい出しながら、昨夜、恐竜の本を読んだ。

読んだのは、エドウィン・H・コルバートの「恐竜の発見」(早川書房 2005年)という本である。なんど読んでもおもしろい。数日前から読んでいる。

Edwin H. Colbertは、アメリカ自然史博物館古脊椎動物学部長などを歴任し、恐竜の足跡を追い求めてアメリカ、ヨーロッパ、中東、インド、オーストラリア各地をまわった権威である。

この「恐竜の発見」が書かれたのは、1968年と記されている。

ずいぶん古い本なのだが、読んでみるとおもしろいのである。

巻末に、進化生物学者の長谷川眞理子さんの特別エッセイが載っている。それには「恐竜と科学のロマン」という題がついている。

エドウィン・H・コルバートの本には、「脊椎動物の進化」と題する2冊組の学術本があるが、そっちのほうは読んでいない。――むかし、長谷川眞理子さんが学生のころ、本郷キャンパスに行く地下鉄のなかでこの本を読んでいたら、ひとりの男性が眉間にしわを寄せて、じろじろ彼女を見ていたという。

そのとき、「いやな奴」とおもったという。

あのころ、コルバートの「脊椎動物の進化」なんか読んでいる女学生は、いったいどこのどいつだ! とおもっていたら、「うちの進学生」だったんだね。――そういったのは、岩野泰三さんだったと書かれている。岩野泰三さんは現在、ニホンザルの生態を研究している有名な学者である。

さて、恐竜の本を読みながら、小説の構想をちょっと考えた。そのうちに眠くなって寝た。

生物の命名の体系としてひろく受け入れられているものに、スウェーデンの植物学者カール・フォン・リンネが考案した分類法というがある。彼の「植物の種」という本に由来して、その後、古生物学の分類法が確立された。

リンネは、自然界を階層的に分類した頂上近くに「界」を置き、そこからの階層ピラミッドがより具体的なタイプへとひろがっていくのが特徴で、その界の下に、門、綱、目(もく)、科、属、種とつらなっていく。――われわれ人間は、生物というエンパイア(帝国)の真核生物のドメイン(領域)の、動物界の脊索動物門の、脊椎動物亜門の、四肢上綱の、哺乳綱の、真獣亜綱の、霊長類の、真猿亜目の、狭鼻下目の、ヒト上科の、ヒト科の、ヒト属(ホモ)の、ヒト(サピエンス)という種に分類されている。

初期のヒト科のヒト属が誕生したのは、新生代の鮮新世と呼ばれる時代で、いまから900万年前(これには異説がある)である。

恐竜が出現したのは、中生代の三畳紀で、いまから2億5000万年前。恐竜がつぎつぎにあらわれ、1億6000万年ものあいだ、地球上をわがもの顔でのし歩いていたのは白亜紀で、恐竜が絶滅したのは白亜紀の末期、いまから6000万年前といわれている。

ところが、180年前、ふたたびこの世に恐竜たちが甦えった。

つぎつぎに発見された化石から骨格が組み立てられ、科学者によって筋肉がつけられ、内臓が組み込まれて生き返ったのである。何を食べていたのか、どうやって子供を育てていたのか、どのような生活をしていたのか、謎にみちた恐竜探検物語がはじまった。

ヒトが誕生するはるかむかしに、大いなる恐竜時代を迎えていたわけである。

恐竜とヒトが出会わなかったのは、果たして幸運なことだったのか、そうでないのかは分からない。ヒトは、たった900万年むかしに、地球上に誕生したことになっている。

恐竜は、古生物学の代表的な動物である。古生物学という学問が生まれるまえは、恐竜とはいわずに、「爬虫類」の一種と呼ばれていた。

この学問はたったの180年の歴史しかない。当時の恐竜は、爬虫類の骨格に、トカゲの化け物のような顔を乗せたものと思われていた。

現代の恐竜にかんする最高権威は、イギリスの科学者デビッド・ランバートという人である。1993年にイギリスで出版された「ビジュアル・ディクショナリー・恐竜」(全10巻)は、恐竜にかんする集大成といっていいシリーズ本である。

一般にイメージされる恐竜像は、現生の爬虫類のうち、もっとも巨大で、頭がわるく、のろまなものの代表で、「先史タイプ」と呼ばれるものだっただろう。たしかにあるものは巨大なクジラのようにからだが長くて、重い。

けれども、ニワトリより小さな恐竜もいて、ダチョウより機敏で、ウマのように速く走る恐竜もいた。2足歩行や4足歩行をしたり、カギ爪、ひづめ、牙をもっていたり、歯がなかったりといろいろである。あるものはクチバシをもっていた。

彼らはじっさい、哺乳類とおなじくらい多様性のあるグループをつくり、哺乳類よりもはるかに繁栄して、約1億6500万年間も生きつづけたのである。

人間は、まだたったの900万年しか生きていない。

人間が、この恐竜と最初に出会ったのは、1787年のことだった。

ニュージャージー州グロスター郡の山中で、大腿骨(サイ・ボーン)が発見されている。巨大な骨だ。この発見は、フィラデルフィアのアメリカ哲学会に提出された。

しかし、いったい何の骨なのか、見当もつかなかった。

あいにく、この発見は公表されなかったので、化石標本はその後行方不明となった。おそらく、カモのようなくちばしを持った恐竜の骨だったろうと考える根拠が、その論文に残されているだけである。発見した場所が、これまでにさまざまなハドロサウルス類の骨が出たニュージャージー州沿岸の平野部であり、白亜紀後期の堆積物のなかだった。

古生物学の恐竜研究がはじまったのは、このときからである。

――恐竜の話など、興味のない人にはまったくどうでもいい話かもしれない。

人類よりも、ずっと長く、1億6500万年間も地球上に繁栄したという歴史的事実は動かしがたく、ひじょうに驚くべきことだ。

彼らはわれわれに、きっと何かを語っているに違いない。

これから余生を送ろうというわれわれに、果たしてどういうものを伝えようとしているのか、たいへん興味ぶかい。

知られるように、古生物学を専攻する学者の多くは、もともとは地質学者だった。地球の古い地質を研究する科学者たちだ。

どういうわけか、地質研究とあいまって、恐竜の発見・研究をおこなうようになった。ロンドンでは炭鉱の坑内の発掘作業中に化石化された恐竜の骨が発見されたり、山中の地層の割れ目から恐竜の化石が発見されたりしている。

モンタナ州ビリングスというところで、ヘル・クリーク層の露頭部があり、おびただしい恐竜の骨が採集されている。白亜紀後期の層準を示すところである。

また、コネチカット渓谷の赤色砂岩中にも骨が発見され、これが三畳紀の恐竜のアンキサウルスの骨と鑑定された。発見されたときは、その化石の重大性は認められなくても、現在では恐竜発見の最初のものと目される化石群のなかへ記録されるようになっている。

化石の記録で示される歴史の中期、――すなわち中生代は、3つに区分されている。古いほうから三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の3つである。河川、湖沼、海岸に蓄積した恐竜の化石が埋められた堆積物は、現在では、砂岩、頁岩(けつがん)、石灰岩などの岩石となって残っている。恐竜の化石の骨は、これらの三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の岩から発見された。

この当時、世界のほかの場所で発見はされたものの、記録されなかったために、後世には知るよしもない恐竜の骨もたくさんあったに違いない。

しかし、恐竜の最初の発見と記載ということになると、イギリス人、――とくにウィリアム・バックランド司祭とギデオン・マンテル博士があげられよう。聖職者でオクスフォード大学教授のバックランドと、イングランド南部の開業医マンテルのふたりは、恐竜について最初の発見と記載を成し遂げた人たちである。ふたりは、もともと科学の新分野における先駆者だった。

ふたりは、科学がまだ形式的なものにすぎなかった時代に生きた。先駆者であったために、すべてが未知だった。すべて未知ではあったけれど、はかりしれない広がりをもつ過去の世界を、現代人に開いて見せてくれた。

その後、この分野はかぞえきれないほどの科学者の興味を惹き、全世界の数100万の人びとの好奇心を呼び起こした。

ウィリアム・バックランドは、聖職者であり、地質学者であり、宗教家と科学者というふたつの職業をかねていて、その興味の対象はめざましいほど多岐にわたっている。このような兼業者は、19世紀では格別めずらしくない。床屋と外科医をかねているようなものである。腕を折ったり、瀉血(しゃけつ)をするために訪れるところは、むかしは床屋だった。

床屋が外科医を兼業していた。

その意味で、床屋のサインポールは、白、赤、青の帯となっている。

白は包帯、赤は動脈、青は静脈をあらわす。もともとは外科医の看板だった。それがやがて、世界中の床屋さんの店先で見られるサインポールとなった。

ウィリアム・バックランドは、まだ幼い年齢で、オクスフォード大学専門部に入学し、文学士の学位を取る。化学、鉱物学、とくにイギリスの先史地質を研究し、とりわけ海に囲まれた島の堆積岩の発達と順序、これらの岩に含まれる化石の研究に没頭する。29歳で、オクスフォード大学の鉱物学教授になる。やがて彼は大英博物館の評議員に任命され、イギリス地質学会の会長になった。

ウィリアム・バックランドのすばらしい経歴を、ただ読むだけでは、彼がどんな人物だったのかよく分からない。さぞかし堂々として押し出しがよく、かっぷくもよくて、上品で正直そうな人柄、身分にふさわしい振る舞いをする紳士であったと想像されるに違いない。

ところが、彼はそういう平凡な人物ではなかった。

バックランドは、亡くなるまで司祭であったが、とても愛嬌のある、いっぷう変わった人物のひとりだった。

バックランドの伝記を読むと、みずから並外れたことをやってのけようと志し、司祭は、どこへ行こうと、行くさきざきで奇妙な出来事が起こっている。その話をすると、紙幅が足りなくなる。