はじめてった日

 

むかし、北海道のいなかで暮らしていたとき、ぼくは子守りの女の子によく叱られ、お尻をたたかれていた。小学校にあがったばかりのころ、彼女は18歳くらいだった。弟のめんどうをみていて、彼女はぼくにまで手がまわらなかったのだ。

母は病気で寝たきりで、彼女は母の世話もしなければならない。家族全員の食事の世話も、洗濯も。

「あなたはお兄ちゃんなんだから、ひとりでできるでしょ!」といわれ、彼女はちっともぼくにかまってくれない。ぼくは帽子かなにかを探していた。

「いいから、はやく食べなさい!」

「学校におくれる!」 といってぼくは泣きべそをかいていた。

 

 「席につきなさい」と「愛」はいう。「そしてわが糧(かて)を味わいなさい」と。

 だからわたしは座って食べた。

 “You must sit down”, say Love, “and taste my meat”

 So I did sit and eat.

 (ジョン・ハーバート「愛(Love)」より)

 

ほんとうに学校に遅れそうになり、わーわーいっていたら、父がもどってきて、「ついてこい!」といった。

「そこに帽子があるじゃないか」と父がいった。

そして厩(うまや)にいき、父は馬に鞍をつけてぼくを乗せた。つかまっているんだぞ! と父はいった。ぼくは父の腰に腕をまわしてしがみついた。

「これ、持っていきなさい」と彼女がいって、ぼくに何か手渡そうとした。真っ赤なハンカチだった。こんなもの……といって、ぼくはぽいっと捨てた。彼女は「いい加減にしなさい!」といって睨みつけた。ハンカチをぼくのお尻のポケットにねじこみ、ぼくの尻を強くたたいた。彼女の尻たたきは、いまにはじまったわけじゃない。

「いくぞ!」と父がいうと、馬はトロット(速歩)で駆けだした。

街道まであっという間につき、朝日のぎらつく砂利道の街道を一目散に駆けた。神社の境内のそばで、仲間たちを追い越し、出勤していく校長先生も追い越し、やわらの街角で左折すると、あっという間に小学校の校門に入り、砂利を敷き詰めた正面玄関の車寄せで止まった。

なんという速さだ、とおもった。

 

田中幸光、高校生のころ

 

 何かの間違いではないか、そう訊ねようとして、

 馬は、馬具につけた鈴をひと振りする。

 He gives his harness bell a shake

 To ask if there is some mistake.

 (ロバート・フロスト「雪の夜、森のそばに足をとめて」より

 

 ぼくは満足だ、自分の行動と思考の上で起きたあらゆる出来事を

 ひとつひとつ、その原点にまでたどっていくだけで。

 I am content to follow to its source.

 Every event in action or in thought,

 (W・B・イェーツ「自分と魂の対話」より

 

少年の空威張りは、いつも肩すかしにあったが、このときばかりは、馬のはたらきに目を見張った。街道筋までついてきたボルゾイ犬は、ぼくが帰るまでおとなしく校庭にいたらしい。唯一ぼくをなぐさめてくれるのは、やつだけだった。

それからぼくは、馬の世話をし、馬を自由に連れ出すことをゆるされた。

子守りの彼女とは折り合いがつかないまま、ぼくは小学校を卒業した。そして中学生になって、彼女は8年間の労働から解放され、ぼくのそばから消えていった。

いつも尻たたきされた彼女のことを、ぼくは大きくなっても、ときどき想いだす。

 

 そばにいてほしい、わたしが消えようとするとき、

 この世の苦闘の終わりをわたしに告げるため。

 Be nesr me when I fade sway,

 To point the term of human strife,

 (アルフレッド・テニソン「イン・メモリアム」より)

 

「お尻ぺんぺん」とか「お尻たたき」、「スパッキング」は、体罰と躾けのあらわれなのだろうけれど、そのころは、愛ある鞭なんて、ぼくはちっとも考えなかった。

じぶんにとって、憎しみに満ちたものだった。ぼくはえらい勘違いをしていたのかもしれない。彼女の尻を、ぼくは一度もたたいたことはなかったが、一度ぐらいは、たたいて、しっぺ返しをしてみたかった。

季節はちょうどいまごろだった。

蕗(ふき)のとうは大きくなり、つくしも伸びたころ、ぼくは川に流れ着いた大きな流木を拾って、地面を擦りながら歩いていた。川原の土手を歩いて帰ってくると、ナターシャが手を振っている。

「はやく、きて!」

なんだろう?

「はやく、きて!」といっている。ぼくは流木を道に捨てて走って行った。

「父さんがケガした! これ持っていきなさい」といっている。救急箱だ。遣いの坊やがぴょこんとお辞儀をした。

彼女のあわてぶりはいつものことだ。橋本のおじさんの納屋を修理していて、屋根からすべって落ちたといっている。落ちたところにプラウがあって、その上に落ちたといっている。

橋本のおじさんの家にも救急箱ぐらいあるだろうに。

だが、橋本のおじさんはたばこを吸わない。吸わないので、たばこのきざみもない。きざみを傷口に振りかけて止血をする。

だから父は「家に行ってこい」といったのだろう。

ぼくの馬は、元気だ。厩舎から顔を出している。

ぼくはパドックで大急ぎで馬に鞍をのせ、腹おびをぎゅっと締めて、彼女の両手に片足を乗っけて馬の背にまたがる。やつは、もう街道に向かって首をまわし、首根っこを地面すれすれに降ろし、手綱(たづな)をゆるめる仕草をした。ぽんと腹を蹴ると、やつは走った。

三谷街道はもう夕日が落ちて、きらきらしていた。ぼくは夕日に向かって走った。やおら橋本のおじさんの家に着き、村のみんなが、心配顔でたむろしている庭先に救急箱を持っていった。

父は、プラウの刃先で膝を切っていた。

「病院へ行ったほうがいいぞ」という人の声もしていた。

「なーに、このくらい」といって、父はやせ我慢をいった。見ると、肉がばっさり切られている。関節の上らしい。橋本のおばさんの手で、たばこのきざみで処置され、やがて肩ぐるまをして父は立ち上がった。

「歩けるか?」とだれかがきいた。

父は少し歩いたが、立ち止まった。

「大八車に乗せろ!」とだれかがいった。

「それじゃだめだ。馬車にしろ!」と、もうひとりがいった。タイヤをはいた馬車で、車輪が4つもあるでっかい馬車だ。父は「じゃ、乗ろうか!」といって立ち上がり、馬車のいちばんうしろにうしろ向きに座り、みんなに視線を送りながら足をぶらぶらさせた。

「このほうがラクだ」といっている。

「心配しなくていいからな。あとはまかせろ!」といって、顎ひげを生やした年寄りがいった。彼は棟梁なのだろうか。そして父にさよならをいった。

納屋は、まだまだこれからだ。

屋根はトタンでふいて、根太(ねだ)を張っただけだ。壁も床もできていない。3日後には当てにした助っ人がやってくるという。だから心配するな、棟梁はそういっている。村人たちは、村の建前(たてまえ)にはみんな寄り集まり、みんなで建てる。知らん顔するやつなんかひとりもいない。西日がきれいな日だった。

父は、それから農作業を休んだ。

稲の温床の後始末を残したまま、仕事を母にゆずり、父は深川の病院へ入院した。ナターシャは、家事をそっちのけにして、幼い弟を背負って、父のめんどうをみた。父が帰ってきたのは一ヵ月ぐらいたってからだった。骨にひびが入っていたらしい。

4月がすぎて5月になり、川の土手の林のなかで、クマゲラの巣を見つけると、父はそこに柵をめぐらし、小さな看板を立てた。ここにクマゲラの巣があって、「子育てをするので注意!」と書いた。

毎年、ブナの林にはクマゲラが巣をつくる。ロロロロッというクマゲラのドラミングの音が聞こえたら、みんな村人たちは、静かにする。

それからぼくは学校で、クマゲラの生育の話を先生から聞いた。先生はクマゲラのことを「かわいい軍人さん」といった。なぜなのか、ぼくは知らなかった。黒衣を着ているからだろうか。

ある日、ナターシャに

「かわいい軍人さーん」と呼んだら、しかられた。

「子供のくせに、……。お兄ちゃんはなまいきよ!」といい、「わたしは軍人さんが嫌いよ」という。彼女はサハリンからやってきた。軍人には、いいおもいをさせてもらえなかったようだ。だから、戦争の話も、軍人の話も、ナターシャは嫌っている。彼女は、そういうふるさとを捨ててきたのだ。

北海道もじきに夏になり、野原や農道には花がいっぱい咲いた。ぼくはナターシャの機嫌をとるつもりで、花を一輪とってきて、彼女のブルネットのヘアに差してみた。

「お姉ちゃんに似合うよ」といったら、

「ほんと? きれい?」ときいた。

花をいっぱいとってきて、お姉ちゃんのヘアに結んでみた。喋々がやってきた。

「こうすれば、蝶がとまってくれるかな?」といった。

「じゃあ、そうして」というので、ぼくはいい気になって花をいっぱいくっつけた。くっつけすぎたくらいだ。

「豊年だね」とぼくはいった。豊年のほんとうの意味も知らないくせに、大人ぶっていってみた。

「そうね、豊年だわね」とナターシャがいった。ぼくは世界のことは知らなかったが、それでも北海道はひろいぞ! とおもっていた。あちこちに、こんなに花が咲いてくれるんだから。

「そうよね。……」と彼女はいった。

「お姉ちゃんは、きれいだ」とぼくはいった。

「ほんと?」と彼女はいった。「ここにもう少しいたいわ」といい、お姉ちゃんは、原っぱに寝ころんだ。せっかく差した花が数本落ちた。夕焼けがきれいだった。遠くにいる馬が、首をこっちに向けた。

ぼくが目を覚ましたとき、巨大な尻があった。

ナターシャがそこにいた。エプロンの下から伸びた脚が、ぼくのすぐ目の前にあった。彼女のふくらはぎに小さな痣がある。よーく見ると「!」みたいに見える。ふざけた形をしている。こいつは何だ?

洗濯物を干す物干し柱に寄りかかって、ぼくはうたた寝をしていたのだ。

ニワトリがあちこちで何かいっている。洗面器のなかのしぼりたての濡れた衣服に上に、やつらは飛び乗った。

「あっちへ行きなさい!」といって、彼女はニワトリたちを追い払った。そして濡れた衣服を手で払ったとき、しずくがぼくの顔にかかった。

ナターシャの、黒い靴下留めがぶら下がっている。夏の陽だまりは、パドックをうろうろする動物たちを楽しませる。めんどりが、両脚で地面を引っ掻かいている。引っ掻いた地面に、くちばしを突っ込み、何かを引っ張り出した。細長い、ヒモみたいなみみずが出てきた。

ナターシャは、物干し場をあとにして、めんどりたちの横を通り、納屋のなかに入っていった。

しばらくして、「ゆき坊、どこにいるの?」と彼女は叫んだ。

ぼくは、薄暗い厩舎のなかで、馬の世話をしていた。彼女は、またぼくを呼んでいる。

「ゆき坊、どこにいるの?」

「ぼくなら、ここにいるよ!」

ナターシャが納屋から出てきて、前掛けのポケットから、お金を取り出した。

「これ、鍛冶屋のおじさんに支払ってきて」といった。馬の爪を切ってくれた、お礼の代金だった。

ぼくは厩舎の耳門(くぐり)を出て、かんぬきを外した。馬は、その気になって、もう外に出ようとした。厩舎の入口にある踏み台に足をかけ、背伸びをして、馬に鞍(くら)をつけた。それから、あぶみの高さを調節し、馬の腹帯をぎゅっと締めた。

そのとき、馬は大きなおならをし、糞を落とした。

「じっとしてろよ!」

ぼくは、あぶみに片足を乗せると、身を勢いよく持ち上げた。馬の背にまたがると、手綱(たづな)を引き、馬の腹をぽんと蹴った。馬は静かに歩きはじめ、厩舎のひさしから出た。

ナターシャは、いった。

「おじさんに、よろしくいうのよ」

「わかった」

馬は、ごく自然に街道のほうに歩いていった。そのとき、後ろのほうで、ドボンという大きな音が聞こえた。

「たすけて! ……」というナターシャの声が聞こえた。が、どこにもナターシャの姿がない。馬をUターンさせて、パドックのほうに向きを変えると、川のほうから、人の手が見えた。

ナターシャが川に落ちたらしい。パドックの外れに、小さな川が流れている。ナターシャは、そこでいつも洗濯をする。

「ゆき坊、たすけて……立てない」

彼女は川に落ちたとき、足首を捻挫して身動きできなくなっていた。あの、口やかましいナターシャが、驚いてぼくにしがみついてきた。着ていた衣服がずぶぬれになり、スカートがからだに吸いついていた。

小学生だったぼくは、21歳のお姉さんを持ち上げ、川のふちに渡した6尺板の上に乗せた。

「痛い、ああ痛い。足が痛いわ……」とって、彼女はかがんだ。

足の小指の先から血が出ている。ぼくは、大急ぎで父の使っていたたばこ盆を持ってきて、ナターシャの足に、刻みたばこをぱらぱらっと振りかけ、包帯でぐるぐる巻きに巻いて、手当てをした。

「――ゆき坊は、じょうずだね」といって、褒めてくれた。ナターシャに褒められたのは、はじめてだった。

「ふるさとは夕虹の先馬走る」と詠ったのは田中北斗さんだった。そのころの北海道のいなかの農場は、物語でいっぱいだった。