■エミリー・ディキンソンの詩。――

沈みゆく陽を通りぎた♪ 1

 

さて、エミリー・ディキンソンは、讃美歌の歌詞で、だれにも馴染みぶかいバラッドの韻律を、ごく自然に取り入れたわけです。もちろんメロディーのほうもさかんに借用しています。

――ディキンソンのこの詩、「わたしが《死》のために立ち止まれなかったので」は、その代表的な普通律で書かれたものです。

ちょっと見方を変えると、その素朴な物語性や、不気味な雰囲気、ショッキングな展開といった点でいえば、まあ、讃美歌よりもずっとバラッドに近い感じです。これが旧訳では、「馬車」と題された問題の詩なのです。

 

  わたしが「死」のために立ち止まれなかったので――

  「死」が親切にも、わたしのために止まってくれた――

  馬車にはわたしたち二人きり――

  そして「永遠の命」だけ。

  Because I could not stop for Death――

  He kindly stopped for me――

  The Carriage held but just Ourselves――

  And Immortality.

 

第2行末尾の「for meわたしのために」と第4行末尾の「Immortality永遠の命」は、強勢のある最後のme と‐tyの母音は似た音ですが、このふたつは長音と短音の違いがあって、そっくり同じではありません。

いっぽう、第1行と第3行の末尾はまったく音が揃っていません。

音は揃っていないけれど、この詩はいちおう、各連の偶数行どうしが押韻する形になっています。厳密にいえば、「me」と「‐ty」は脚韻としては不完全です。これを不完全韻というわけですが、察するところディキンソンは、正しい脚韻を踏むために不本意な表現をすることを嫌っていたらしく、こうした不完全な押韻だけれど、それを別のことばに置き換えたり、修正したりしていません。

これが、のちの編者たちを大いに悩ませた部分です。

さて、「わたしが《死》のために立ち止まることができなかったので、《死》が親切にも、わたしのために止まってくれた」。――これはちょっと具体的なシーンをなかなか想像しにくい表現ですね。

とりあえず、第3行に「Carriage自家用馬車」が出てきますので、馬車でやってきた「死」が、わざわざ立ち寄って馬車を止め、「わたし」を乗せてくれたことが分かります。だとすると、「わたしが《死》のために立ち止まれなかった」というのも、本来ならば「わたし」のほうから自分の馬車を止めて、丁重に「死」を迎え入れるべきだったのに、という意味に受け取れそうです。

――とはいえ、「stop for me」が「わたしを乗せるために止まる」を意味するのに対して、「stop for Death」のほうは、つぎの連の内容からも明らかなように、むしろ、「死のために(ふだんの)活動を止める」という意味に解することができるでしょう。

つまり、同じ「stop for」という表現でも、意味がすこし「ずれ」ています。

この「ずれ」を利用して、ささやかな洒落を試みているようです。彼女の詩の味わいがこんなところにもあったわけです。

かんたんにいえば、「わたし」は、日々の生活に忙しく、生きることばかりに気を取られていて、自分のほうから立ち止まって落ちついて「死」を迎え入れる心の準備をしてこなかった。――だから、「死」のほうが親切にも、りっぱな馬車で「わたし」を迎えにきてくれた、となりそうです。

ディキンソンの詩のむずかしいところは、ここでも触れているように「死」の捉え方です。ここであるはっきりした考えが表明されています。

われわれは「死」が不意に訪れるまで、ただ受身の姿勢のまま、おびえながら待っていればいいというわけじゃない。「死」はむしろ、こちらがしっかりと心構えをととのえて、出迎えるべきなのだといっているようにも読めるのです。「わたし」は残念ながら、それができなかった、というわけですね。

――これは特に「わたし」だけに限らず、たいていの人はそうならざるを得ない、という意味なのでしょう。

そこで「死」のほうからわざわざ誘いにきてくれたのだと。しかも「kindly親切にも」というのがおもしろいですね。――死のイメージはふつう、暗くて冷たくて、不吉で恐ろしいものですが、ここではレディを午後のドライブに誘うような、上品な紳士の振る舞いを語っています。

といっても、「死」のドライブというのは、もちろん霊柩車のことですから、まっすぐに墓場に向かいます。

この世での最後の旅。――馬車には馭車の「死」と「わたし」の2人きり。これもデートを思わせますね。「held」は、「(乗り物や建物、容器などの)収容した、入れた」という意味で、「but」は「only」の意です。

ところがこのデートにもう1人、ふしぎな同乗者がいるのです。「Immortality永遠の命」です。この「人物」については、これっきりで、以降なんの説明もありません。

でも、意味するところは、はっきりしています。肉体は墓場で朽ち果ててしまいますが、魂は「immortal不滅」です。だから「死」に導かれた墓地への旅に、そっと「永遠の命」が付き添っているというわけでしょう。

この連はここまで一貫して、例のありふれた単音節語ばかりです。この最終行まできてはじめてラテン語に由来する長々しくていかめしい「Immortality」という語がどっかと、ほぼ1行全体を占める形で鎮座しています。

そして第2連。

 

  馬車はゆっくり駆けていった――彼は急ぐことを知らなかったし、

  わたしはわたしで、彼の丁重さに応えるため、

  自分の勤めも、また余暇も

  捨ててしまっていた――

  We solely drove――He knew no haste

  And I had put away

  My labor and my leisure Too,

  For His Civility――

 

「We solely droveわたしたちはゆっくりと馬車を進めていた」。

このあとの3行半は、なぜ「わたしたち」――「死」と「わたし」の2人が、そんなにのんびりとしていたのか、その説明に当てられています。

まず、「死」のほうは、そもそも「knew no haste急ぐということを知らなかった」といういい方は、たとえば「knew no fear恐れを知らない」などというのと同じです。つまり、急いだり恐れたりしたことがいちどもなく、そうしたことにはまったく頓着しない、無縁だというわけですね。

それでは、「死」が慌てたり急いだりしないのは、どうしてなのでしょうか?

いうまでもなく、「死」はこれと目をつけた相手を取り逃がすことがけっしてないからです。

遅かれ早かれ、相手はかならず「死」の手に落ちるからです。無理をする必要が少しもないというわけです。また、だからこそ、「死」がこれほどおおようで慇懃な態度でいられるわけですね。

それではなぜ「わたし」が急がないかといえば、「わたし」はもうこの世の用事をきれいさっぱりと片づけてしまって、「死」という紳士に身を任せきっているからです。

「put away」は「(自分から)捨てる、止める、絶つ」という意味。

「My labor and my leisureわたしの労働とわたしの余暇」は、どちらも「I」の音ではじまる2つの語を組み合わせて、「彼の丁重さ、礼儀正しさを得るために、わたしは自分の労働と余暇を捨ててしまっていた」ということになります。

この連でも脚韻は、「away」の末尾と「Civility」の末尾の不完全な組み合わせです。

で、第3連。

 

  馬車は、子どもたちが休み時間に

  競技の場で――争っている学校を通り過ぎ――

  じっと見つめる穀物畑を通り過ぎ――

  沈みゆく太陽を通り過ぎた――

  We passed the School, where Children strove

  At Recess ――in the Ring――

  We passed the Fields of Gazing Grain――

  We passed the Setting Sun――

 

馬車はゆっくりと村から外の畑へ、墓場に向かう道をたどっていきます。

まず学校を通り過ぎました。

学校は昼休みでしょうか。子どもたちが元気に何かの試合かゲーム遊びをしています。

「recess」は一般的に「休み時間」という意味ですが、アメリカでは学校の「遊び時間」を指す場合があるのだそうです。

さて、1行目の「strove」は、「strive争う、競う、闘う」の過去分詞形ですが、ここではちょっと、ちぐはぐな感じがしませんか? 

なぜなら直訳すれば、

「学校で子どもたちが争っていた」

では、何のことかさっぱり分かりません。なんだか喧嘩でもしているみたいです。そして、これにつづく「in the Ring」は、たいへん厄介です。

「輪のなかで」とはいったい何でしょうか? ここは何となく「in a Ring」とすると、「輪になって」となり、子どもたちの姿が見えてきます。それが「a」ではなく、なぜ「the」になっているのでしょうか?

定冠詞つきの「in the Ring」と書くと、ふつうサーカスのように、「演技を見せる円形の空間」のなかで何かやっている情景を想像したりします。

またはボクシングやレスリングの枠はもともとは動く人垣だったので、現在、四角い形に変わっても競い合う場を「Ring」と呼んでいます。日本語でも「リング」といっていますね。

もともとゲームというのは、フィールドfieldでおこなわれていました。

フィールドのことを英語では「競技場」という意味と、「畑」という意味を持っています。

ですから、はじめは、フレームや枠などはなくて、畑や海岸べりの砂場あたりで、みんな手をつないで輪になってやっていたのでしょう。せいぜい動く人垣だったわけです。

相手が逃げまわっても輪ごと動くので、完全にギブアップするまで戦っていたのかもしれません。「in the Ring」とおきますと、また別の意味にもなります。

選挙や政治などの「競争の場」に打って出る、闘いの「土俵」に上がるという意味にもなりそうです。

ですから「in the Ring」という成句はここでは言葉足らずの意味をちゃんと補足しているように思われるのです。

つまり、子どもたちは「競技の場に上がって争っていた」、つまり何かの競技をしていたということになりそうです。――ことによると、遊び時間らしいので、実際にボクシングかレスリングをしていたのかも知れません。しかし、けっして喧嘩ではないでしょう。

いい換えると、「in the Ring」という補足があるからこそ、「strove争っていた」の意味がはっきりするわけです。

これを仮に「on the Ring」とすれば、彼らは「舞台に立って」というような具体的なイメージを与えますが、「競技」という肝心のイメージから離れてしまいます。これではあまりに説明的すぎるでしょう。

ディキンソンは使い古された「in the Ring」という成句を、見事なまでに、型破りな表現でまとめてみたかったわけです。じつに巧妙にイメージを重ねたやり方ですね。ディキンソンのむずかしさは、こうしたところにあるようです。

1840年から50年の10年間に、マサチューセッツ西部を席巻した信仰復興のただ中に、エミリーは詩人という天職を見出したのです。彼女の詩の多くが、日常の小さな出来事の反映であったり、社会の大きい事件であったりして、その大半は、南北戦争中につくられました。

南北戦争が、詩に緊張した感じを与えていると考える人もいます。

エミリーは、一時的にではありますが、自分の詩を出版しようと考えたことがあり、文学批評家であるトーマス・ウェントワース・ヒギンソン(Thomas Wentworth Higginson)にアドバイスを求めたりしました。

ヒギンソンはただちに彼女の詩人としての才能を認めましたが、彼がエミリーの詩を、当時人気のあったロマン主義的なスタイルに倣い、より華麗な文体に「改善」しようとすると、エミリーはすぐに出版計画への興味を失ったと伝えられています。

この一事を見ても、エミリーはじぶんの詩にどんな期待を込め書いていたかが分かります。エミリーの詩は、「華麗な文体」とは遥か無縁の詩文であることがお分かりいただけるでしょう。

 

【追記】エミリー・ディキンソンの翻訳は、多くは川本皓嗣氏関連の本を参考にさせていただきました。川本皓嗣氏の著書には「アメリカの詩を読む」岩波書店・セミナーブックス版、1998年。「俳諧の詩学」岩波書店 2019年などがあります。訳書には、「アメリカ名詩選」亀井俊介共編訳 岩波文庫 1993年。テリー・イーグルトン「詩をどう読むか」岩波書店、2011年。ロバート・フロスト「対訳 フロスト詩集 アメリカ詩人選4」編訳 岩波文庫、2018年などを参照させていただきました。