ならも「wind」――

イングランド風味って何?

 

海外の小説を読むようになって、さいきんぼくは、その翻訳のすばらしさに唸っている。翻訳って何だろう。長田弘氏は、「翻訳とは対話だろう」(「自分の時間へ」講談社、1996年)といっている。

つまり、対話とは、手渡すことばだ。――そういったのも長田弘氏だった。

自分の尊敬する長田弘氏のことばは、じゅうぶんに吟味する必要がありそうだとおもって、いろいろ読んできた。翻訳の基礎は辞典かもしれない。多くの人はそんなふうなことをいっている。

そうおもってぼくは数々の辞典をながめてきた。

たとえば「岩波新英和辞典」(1981年)を手に入れたのは、けっして偶然ではない。

編纂にあたった忍足欣四郎氏という「辞書人(homo lexicographicus)」は、いかにも「青銅の腸を持つ(chalcenterous)」英語学者だったからだ。

「辞書人」などということばは、たいていの辞典には載っていないし、広辞苑にもない。

たしかに、辞典編纂家は、どんなに特殊なことばだろうが、どんなに不愉快きわまりないことばだろうが、つぎつぎ飲み込んで消化しなければならない。ところが、ときとして間違った定義をしているばあいがある。

こんなことをいえば、時代がかった古生物みたいにおもわれるかもしれない。しかし、その間違いをめぐって、過去の辞典を繰ってみると、たとえばアンブローズ・ビアスの有名な「悪魔の辞典」の「引用(quotation)」の項を見てみると、「引用とは、他人のいったことを不正確に繰り返すこと、不正確に繰り返されたことば」と定義している。

ぼくはおもう。

科学用語には、「外挿」と「内挿」という考え方がある。数学や統計学には既知のデータを基にして、未知の数値をわりだす方法として、内挿(インター・ポレーション)と外挿(エクストラ・ポレーション)という2つの方法がある。

内挿は、データ間の未知数をさぐるのに対して、外挿は、データの外側に予想される数値を求める。

たとえば英語で書かれた文章、――それは現代英語でも古文でもかまわない――原則的には内挿に属していると考えるのが一般的だ。ところが、ときどきテキストには書かれていない言外の意味をくみ取らなければ、解釈も翻訳も先にすすめることができないというシーンに直面する。

たとえば、kiss。――この語はだれでも知っているようにおもえるが、「オクスフォード英英辞典」(OED)をひもとくと、kissをめぐる解説記事はなんと10数ページにわたって書かれている。爵位のある男性が、女王陛下の足元に拝跪してキスをするというとき、その作法は、ふつうの辞典を引いただけでは何もわからない。

先日、32歳の独身者とおしゃへりしていたとき、そのキスの話をした。

「船と船が、舳先(へさき)がちょんと触れ合うのも、英語でいうキスなんですよ」

「へぇぇ! それって、キスっていうんですか」

「ビリヤードの球が、ころころっと転がって、球同士が優しくちょんと触れ合うのも、キスなんですよ。球が強ければキスじゃない」

――そういえば、あれは2000年7月5日の、風の強い日だった。

ニューヨーク、ハドソン河沿いのピアに繋留中の日本艦船「かしま」は、そのそばに7万トンの「クイーン・エリザベス2号」が入港し、強い風にあおられて右舷前部を、「かしま」の艦首部分にこすりつけてしまった。

同船から機関長や一等航海士が船長のメッセージをたずさえて「かしま」を訪れた。

すると、練習艦「かしま」の艦長である上田勝恵一等海佐は、こういった。

「幸い、損傷は軽く、別段気にしておりません。エリザベス女王陛下にキスをされて光栄であります」

この話はその日の「タイムズ」紙や「イブニング・スタンダード」紙でも話題になり、日本のネイバル・オフィサー(naval officer)としてのセンスの高さが賞賛されたりした。

この日、文字通りの「kiss」を受けたのだ。

また、たとえば、小説ではないけれど、エイドリアン・ルームという人の編纂した「Dictionary of Britain, An A-Z of the British Way of Ligh」というペーパーバックのシリーズ辞典を読むと、イギリスのことならなんでも書いてあるような、いわば百科事典で、じつにおもしろいのだ。

イタリア語も同様だ。

先日、イタリア人に、マルイ一階のカウンター店でピッザをオーダーし、それをふたりで食べようといったら、彼女は身をすくめて、「気持ちわるい」といった。

「イタリア人は、シェアしないわ」といった。いってみれば、ラーメンをふたりでシェアして食べるようなものだという。

むかし読んだウォルター・スコットの小説「アイヴァンホー」(菊池武一訳、岩波文庫、昭和50年、上下2巻)を、いまときどき読んでいる。物語のおもしろさを読む、というよりも、その時代のイギリスを知りたくて読んでいるといったほうがいいかもしれない。

このころは、英語の辞典もなかった。

この本は冒頭からして、いろいろ教わるところが多い。

――たとえば、

「豚、スワインじゃ、あほう。そんなことどんなあほうでも知っとるわい」

「そのスワイン()は立派なサクソン語じゃ。したが、その牝豚が皮をむかれ、はらわたをぬかれ、四つ裂きにされ、踵(かかと)をしばってつるされ、まるで謀反人みたいな目にあわされたときは、お前さま、それをなんといいなさる?」

「ポーク、だあね」

「……で、そのポークというのは立派なノルマン・フランス語のようでござんすね。このけだもの、生きてサクソン人の奴隷の世話になっているばあいは、サクソンの名前でとおりまする、それがお城の広間に召しだされ、お偉いみなさまのごちそうのお仲間になるだんになると、それ、ノルマン人になってポークという名前になりまする」

――まあ、このような文章が、あちこちにちりばめられている。

中世英語は大学に入らないとたぶん教わらない。シェイクスピアの作品を読まされるときは、必然的に中世英語に触れる。しかたなく触れていくにつれて、中世英語を知るだけでなく、英語の本来の意味がわかってくる。

ところで、日本では彼らの国のことを「イギリス」といっているけれど、この「イギリス」ということばは、イングランド、あるいはイングリッシュから来ていて、本来はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドが集まったUnited Kingdom of England, Scotland, Wales, Northern Irelandのことなのだから、イングランド以外をふくめていう場合、「イングリッシュ」とはいえない。それで彼らは、「ブリテン」ということばを使っている。

イングリッシュとブリティッシュは、微妙に違う。

たとえば、航空会社はEnglish Airwaysではなく、British Airways、鉄道はBritish Railways、陸軍はBritish Army、海軍はBritish Navyといっていて、イングリッシュは使わない。

しかし英語の、Queen`s Englishはイギリス英語という意味だけれど、彼らは、おもしろいことに「English English」といっている。イギリスの歴代のQueenには、満足に英語が話せる人はほとんどいなくて、いずれもドイツ系の人だったため、イギリス人はQueen`s Englishということばに、あまり誇りを感じていないらしい。むしろ、イギリス本土を意味するEnglish Englishということばを使いたがる傾向にある。

「グレート・ブリテン」が彼らの国の正式名称になったのは、しらべてみると1707年である。そしてアイルランドが併合した1801年にまた国名が変わり、アイルランドが独立した1921年に、The United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandとなった。現在、われわれが「イギリス」と呼んでいる国の正式な名前である。

五輪に出るとき、イギリスは「U」の順で登場するときと、「B」で登場するときがあった。英語は、ヨーロッパのことばのなかで、いちばん難しい。ぼくはそうおもっている。

イギリス人はフランス語を話していたという記事を以前書いた。そのため、英語をいくら勉強しても、よく分からないということがある得る。

イギリスは、1066年にノルマン人によって征服され、以来300年間にわたって英語が追放されたという屈辱的な歴史を持っているからである。

同時に、北ヨーロッパにいたゲルマン民族が大移動し、いたるところに広がっていった。バルト海周辺にいたヴェンダル人はスペインに行き、さらにアフリカまで行った。アルプスを越えた人びとは北イタリアに行った。9世紀ごろからはじまったバイキングが船でヨーロッパ各地に移動し、ゲルマン民族の大移動と歩調を合わせるかたちで、イギリス本土にも押し寄せてきた。

いまでも、文法と発音を少し習えば、「古代英語は、わかりやすい」というドイツ人がけっこういるらしい(中里哲彦「英語の質問箱」)。なかでもノルマンディーと呼ばれる民族が、イギリス本土をひっくり返した。

ノルマンディーというのは民族の名前だけれど、訳して「北の人」という意味。バイキングが住み着いたノルマンディー地方は、フランスのなかでも最もローマ的な文化が発達したところで、フランス的な地域になっていった。

征服王「ノルマンディー公」といえば、ウイリアムのことなのだけれど、彼は私生児だった。ウイリアムの父はロベルトだが、彼は正嫡をもうけないまま亡くなった。側室でもなく、どこのだれが産んだか分からないウイリアムが跡目を継いだとき、彼は6歳だった。20歳のときにフランス王の力を借りて反抗する部下の貴族たちを処刑し、みずから実力でノルマンディー侯爵の座を確保した。彼はそういう男だったのである。

この彼が1066年にイギリスを征服した。

この男は、戦争が大好きで、とんでもない男だった。1066年の秋、ウイリアムの軍はブリテン島南部のドーバー海峡に面したサセックスに上陸。イギリス土着の貴族たちはウイリアムと戦いつづけたけれど、ついに、ロンドン塔を陥落させ、ウエストミンスター寺院で勝利の戴冠式をあげた。イングランドを完全に平定したのはそれから5年後の1071年だった。

そして、イングランドの公文書、裁判所など、公式な言語にはすべてフランス語が使われるようになったのである。

たとえば、鹿などの野生動物の肉はvenison(ヴェンサン)といい、野生の鹿についてはdeer(ディア)という。また、牛肉はbeef(ビーフ)で、生きている牛はox(オックス)、羊の肉はmutton(マトン)で、飼っている羊はsheep(シープ)、豚肉はpork(ポーク)で、飼っている豚はswine(スワイン)あるいはpig(ビッグ)というように、おなじ動物でも食卓にのほった場合と、生きている場合でフランス語の単語が違っている。

食卓についてのことばば、上層階級の使う純粋なフランス語が残り、農民が使う英語は生きている動物の名前がそのまま残った。現在でもそうだけれど、イギリスでは「swineあるいはpigを食べる」などとはけっしていわない。「porkを食べる」という。これもフランス語である。

古代英語のwind(ヴィント 風)は、もともとゲルマン語で、中世英語ではwind(ウィンド 風)と発音するようになった。屁も、wind(ウィンド)である。あれは一種の風なのだ。

このシラブルはųӗ-(ウィー)という風が音を出してヒューヒューうなる音から生まれた。そこからųӗ-(ウィー)は「吹く」となったものである。風はヒューヒュー「吹く者」という意味になった。古代英語ではhwiða windes(フィーザ・ヴィンデス 風の息)などといわれ、hwinan(フィーナン 吹く)という動詞形が生まれていった。名詞形はhwiða(フィーザ そよ風)。

こういう状況は、専門家のあいだでも、ほかの国ではほとんど見られないといわれている。おなじゲルマン語から出ているドイツ語にも英語のような違いがなく、肉ということばの前に動物の名前を置くだけでいい。たとえば、牛はOche(オックス)、牛肉はChsenfleisch(オクセンフツライシュ)というように。

英語に直訳するとxen-flesh(オクセン-フレッシュ)になるけれど、なんとも生々しい感じがして、イギリス人たちはけっして使わない。フランス語ではそういうことはない。イギリス人ならではの二重言語を経験した英語のほうに特殊性があるといえるかもしれない。当時はフランス語であっても、イギリス人が使いこなしていくうちに、それらが英語になったことばが山ほどある。

――このつづきは、また……