ズおばさんの房(おっぱい) 改定

大森のカズおばさんの家を出たのは、ほとんど数日前のことのようにおもえる。ぼくは京浜東北線の電車に乗って、大森駅から有楽町駅までやってくるあいだ、つり革にぶらさがって本を読もうとおもっていた。

さっき、大森駅にやってくる途中で、古書店で手に入れた本だった。吉田洋一の「零の発見」という岩波新書である。20円で手に入れた。ちょっと色褪せて、ふるぼけた本だったが、「零」という数字に興味をもった。

秋の夜はとっぷりと暮れ、車内の、わきにいるサラリーマンたちはみんな疲れた顔をして突っ立ったまま、2、3人肩を触れあって目をつぶっていた。車窓を流れる風景は、闇のスクリーンとなって、そんな彼らを大写しに写していた。

カズおばさんは、来週、入院するらしい。

乳房にがんができているという。

「おばさんのおっぱい、きれいなのよ」といっていた。おばさんはまだ40代。

「自慢のおっぱいなのに、いやだわあ」といっている。メスを入れて、がん巣を取りだすんだろう、とぼくはおもっていた。

「見たい? ……見せてあげる」といって、カズおばさんは乳房を見せた。絵画のように美しい自慢の乳房だった。

「でも、おばさんたちには、子ができなかったのよ。おっぱいを飲んでくれる子がいないのよ。幸ちゃん、わかるでしょ?」といった。

「幸ちゃんも、やがてわかるわよ」とおばさんはいった。

おじさんは、1階の店で仕事をしている。小さな小間物屋を営んでいる。

小学6年生の男の子は、ひとりっ子で、遠戚の子を養子にしたばかりだ。その子は、長野県塩尻市からやってきた。

ぼくは、カズおばさんに頼まれて、その子の家庭教師をしていた。家庭教師にはいくぶん慣れていた。北海道では高校生のころ、頼まれてやわらの店の男の子を教えていた。彼も小学6年生だった。

ぼくは成人したばかりで、東京の暮らしにも慣れていなかった。ぼくはそのころ、東銀座の昭和通りをすぎたあたりの寮に住んでいた。みんな学生ばかりだ。北海道からは、自分ともうひとり、網走からやってきた肌の白い男がいて、仲よくなった。やがて東京オリンピックが開かれるというので、銀座通りの石畳は掘り返えされ、都電もなくなり、あちこちで破壊と建設ラッシュがつづいていた。

カズおばさんは、別れるとき、

「岳夫ちゃんのこと、よろしくね」といった。

「おばちゃんはこれから入院するけれど、岳夫にはちゃんと勉強してほしいから」といった。そして、映画のチケットを2枚受け取った。フランス映画の「軽蔑」というロードショーのチケットだった。

「幸ちゃん、映画好きでしょ? おばちゃんたち、もう見られなくなったから」といっていた。

「幸ちゃん、好きな子できた? この映画に誘いなさい」とつけ足した。

「ぼくには、まだいません、……」

「ふーん、そうなの。……大学には女の子もいるでしょう? たくさんいるでしょう、そりゃあ文学部だもの」

おばちゃんは、さびしそうだった。

カズおばさんは映画が好きで、よく夫婦で見ていた。

ある日、カズおばさんのいっていたことを、想い出した。

「幸ちゃん、女の子はぜひつくるのよ! わかった?」

「はい、わかりました」

「おばちゃんがいいたかったのは、できれば、愛人のことよ。それもいないなんて、それでこれからの人生の勝負にならないわよ!」

「えッ」

「やがて、あなたにもわかるわ」といった。

おじさんは、無口な人で、「いらっしゃい」しかいわない。店の番台みたいな机の前にすわって、「いらっしゃい」といいながら、吸い飲みの水をときどき口をつけて飲んでいる。急須型をしたガラス製のアルミの蓋がついているやつだった。

カズおばさんは、おじさんのどこに惚れたのだろうとおもった。

カズおばさんのことは悲しいけれど、ぼくは我慢をして電車のガラス面に写るじぶんの顔をじーっと見つめながら、北海道の母に手紙を書こうとおもった。母の妹は、乳がんで入院することになったと。

そしてぼくは、本を読みはじめた。「零は数である」という話が書かれている。奥付を見ると、その数ページまえに、しおりのように、折りたたんだ1枚の便箋が挟まっていた。鉛筆書きで、小さな文字で書かれていた。

便箋の裏に、北海道の住所が書かれている。その住所は、書き間違えたのか、所番地が書き直されている。ふつう、自分の住所を書き間違えることはないだろう。きっと、その人が引っ越す場所は、はじめてのこととおもわれる。

名前は折原恵子と書かれていた。文面を読む。

 

あなたのこれからの幸せを祈って、お別れの手紙を書きます。わたしのこと、追跡しないでね。いい思い出になりましたから。ほんの数年の交際でしたが、わたしにとって、――(「無念」ということばを消して、)――残念な結果になりましたが、これは、こころからあなたを尊敬しているわたしの真実の気持ちから出た決断なので、どうか、御許しください。わたしは、間もなく滝川に引っ越します。二年八か月の下北沢の暮らしは、つらいことばかりで、いい事は何もありませんでした。唯一、あなたと出会えて、わたしは嬉しく思いました。でも、○○でした。ありがとうございました。

昭和36年9月21日

                                         恵子

 

「○○」という字が読めない。

その本のページの前後の字面の上に、鉛筆で「⁇」というマークがところどころに書かれている。きっと彼女が書いたものだろうとぼくはおもった。

最初のページにもそのマークがついている。

そして、ぱらぱらっとページを繰ると、真ん中あたりのページの余白に、「政男さんにきく」と書かれている。そして、数ページあとに、上の余白に、「1、冬の軽井沢の情景、2、キスのこと」と書かれている。

女の人は、文章を読んでいて、こんなことを書くのか、とおもった。

いつのことかはわからない。政男さんと軽井沢に出かけ、スキーでもして楽しんだのだろうか? そして「政男さんにきく」とは、たぶん、彼は数学者か、大学の教師か、それともどこかのエンジニアか、「零の発見」という本には、恵子さんの思い出がぎっしりつまっているようだった。

この本は処分され、いま、ぼくの手の中にある。

間もなく有楽町に着いて、ぼくはお汁粉屋の店に入り、カズおばさんからいただいたチケットをながめた。女の子かあ、……。ぼくの周囲には女の子はたしかにいる。いくらでもいる。

寮のまかないおばさんの子供は、5人もいて、よく寮にやってくる。長女は、ぼくとおなじ年で、大学に通っている。ぼくは彼女とはつきあったことはないけれど、彼女にはまだボーイフレンドはいないようだった。

ぼくは彼女を誘ってみた。いろいろおしゃべりしてから、

「《軽蔑》っていう映画なんだ」というと、彼女は変な顔をした。

「見たくない?」

「気がすすまないわ」といった。

「男と女の話らしいよ」というと、「映画って、みんな男と女の話よね」といわれた。で、よせばいいのに、大学で、英文科の女の子、ぼくに「長距離ランナーの孤独」という本をすすめてくれた彼女に声をかけた。彼女は原書で読んだといっていた。

「見たい! 見たい!」と、彼女は大声でいった。隣りの席にいた女の子たちが寄ってきた。

「これ、フランス映画よね? わたしも見たいわ」といった。

「ぼくも見たいよ」というと、ふたりの女の子はぼくの顔を見て、ひとりは、

「あなた、わたしたちの、どっちと行きたいとおもう?」ときいてきた。

ぼくはどっちも好きだった。さあ、どうしよう。

「きょう、コーヒーおごってくれた人と行きたいな」というと、ふたりとも手をあげた。

「じゃ、3人で行こうか。日比谷映画だ。有楽町で逢いましょう」といった。

「じゃ、わたしたちチケット、いただけるの?」

「いいとも! ぼくはアルバイトしてるから」

ある日曜日、3人で映画を見た。

そして、ぼくは書きかけの小説「宛先のない手紙」をふたりに見せた。それはごく短い作品だった。

中身の展開は、さっき話した手紙からヒントを得て書いた物語で、ぼくは北海道の恵子さん宛てに手紙を書くという筋書きにして書いた。

ほんとうは会ったこともない女性で、年齢もわからなかったが、ふたりで北海道の旭岳にのぼり、天候がくずれて気温が下がり、死ぬおもいをした話を描いた。抱き合って震えていたとき、助けてくれた男がいた。

「彼女とは、何もなかったっていうの?」と、ひとりはきいた。

「何も、……抱き合って震えていただけ」

「――この女性だけど、ひょっとして、わたしのこと書いていない?」とひとりはきいた。図星だったけれど、彼女の名前がおなじ恵子さんだったので、そうなってしまったようだった。

それからぼくは、恵子さんとつきあうようになった。

彼女は英文科で、ぼくより勉強はできたが、ぼくの相手ではなかった。ぼくのことなんか、踏み台にすることしか考えない女に見えた。

大学を出ると、ふたりの女たちとも別れた。それから数年後、恵子さんから手紙が送られてきた。「有楽町で逢いたい」と書かれていた。恵子さんに、ぼくは長い返事を書いたが、完成しないうちに、ぼくは北海道の女性と結婚した。そして、おもった。

「愛人かあ……」ぼくにはわからなかった。

愛人? ――もしかして、おばさんがだれかの愛人? とおもった。そういうことか! おばさんは乳がんになっても、もしかしたら、幸せだったかもしれない。

おばさんは、ぼくらが結婚してすぐに亡くなった。43歳だった。