ろいろなものが娠する。

あれから23年たって、㈱タナック時代のことをほんの少し考えた。虎ノ門の文部省のはす向かいに100坪のオフィスをかまえた。思い出すたいていのシーンは、いつもモノクロ映像のようにおもえてくる。

「2年たったら、また会おう」

「2年たったらね。そうしましょう」と美佐子はいった。

札幌駅で、列車がプラットフォームを離れてしまうまで、美佐子は手を振っていただろう。ぼくはそうして札幌を離れた。近くを走るクルマの尾灯が赤く見え、雪道を照らしていた。

 

――と、ここまで書いてヨーコが口をはさんだ。

「こんどは、だれのこと書いてるの?」

「だれでもない」

「お父さんの頭のなかに、いったい何人の女の人がいるのかしら?」という。

「いるいる、何人もいる。ヨーコも、そのひとりだったんだからな」というと、

「あら、そうなの? だったら嬉しい」とかいっている。

 

       

 

 

「お父さん、いつ描いたの、この絵?」とヨーコはいっている。

「いまだよ。いま。たったいま」

「描くのが、速いのね。顔がぼけている! ――ふーん、何読んでるの今?」といって、ヨーコはパソコンのデスクの上にある一冊の本を手に取った。ハヤカワミステリの「冬の灯台が語るとき」という本だ。

「《冬の灯台が語るとき》って、なんだか読んでみたくなるわね。灯台の話じゃなさそうね、そうでしょ? 恋愛? それとも事件? どんな事件?」とかいっている。

スウェーデンのエーランド島に移住して、双子の灯台を望む「ウナギ岬」の屋敷に住みはじめたヨアキムとその妻、そしてふたりの子ども。しかし間もなく、一家に不幸が訪れる。「スウェーデン推理作家アカデミー賞」の最優秀長篇賞、「英国推理作家協会賞インターナショナル・ダガー賞」、「ガラスの鍵賞」の3冠に輝く傑作ミステリー。

「そうなの。そうよね! 何も起きなければ小説にならないわよね? そうでしょ?」

もう一冊は赤い表紙の「解錠師」という本だ。ヨーコはそれを見て、こういった。

「――マンションの一階のだんなさんも、《解錠師》よね。いつも部屋にいるようだけど、あの人、いつ仕事しているのかしら? 目を合わせるとニヤッとしてるのよ。あまり話さない人よね」

「奥さん、さいきん見た?」ときくと、

「そういえばそうね。見ないわね、……。仕事してるのかしら?」という。

「だんなは夜、仕事してるんじゃないの?」

「《開錠師》だから? まさか。子どもも見ないわよ、奥さんと別れたのかしら? 人の家(うち)のことだけど、ちょっとミステリーよね」とかいって、スイカを持ってきた。

「開錠師」には、8歳のときに言葉を失った主人公が登場する。マイクには才能があった。絵を描くことと、どんな錠も開けることができる才能だ。やがて高校生になったマイクは、ひょんなことからプロの金庫破りの弟子になり、芸術的な腕前をもつ解錠師となる。……

「ヨーコは、どっちを読みたい?」

「わたしは《灯台》のほうが好き。開錠師の世界には興味はないわ」といっている。

 

 

ハヤカワミステリ2冊、「冬の灯台が語るとき」と「開錠師」。

 

恋をして、その彼女への恋慕の気持ちをつづったのが「戀日記」なのだ。なんとも早熟な、とおもうかもしれない。

しかし、16歳で詩を書きはじめたアルチュール・ランボーのことをおもえば、手放しで驚くこともないだろう。5歳で詩を書きはじめたエミリー・ブロンテもいるじゃないか! とおもってしまう。

彼女たち、――シャーロットと、エミリーと、アンの3人で書いた――詩集「ゴンダル物語」はすごいとおもう。

18歳で小説を書きはじめ、文豪になって完成させたというショーロホフの「静かなるドン」もある。さいきんでは、15歳の1997年生まれの米高校生ジャック・アンドレイカくんが、すい臓がんを初期段階で発見する検査法を開発したのも驚きのニュースだった。

それはそれとして、いっぽう「戀文」のほうは、清子にあてて書かれた手紙だ。たしかにいまの16歳よりは大人びて見える。語彙の豊富なことにも驚かされる。

文芸評論家・斎藤美奈子氏。

 

恋愛とは――。

 

れんあい【恋愛】、特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来ることなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。

「新明解国語辞典」第4版.。第4版がだんぜんおもしろい。

 

それが「新明解国語辞典」の第5版では、男女の「合体論」が修正され、男女の「一体感」と書かれている。

「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、できるなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと」としている。

「まれにかなえられて歓喜したりする状態」と書かれている。

ふーん、恋は実らぬものとおもっていたが、たまに実ることも「恋」というのか、とおもった。

内田百閒は恋を実らせたのだ。

ヨーコはさっきから、ダイニングテーブルの上で、条幅紙に毛筆を走らせている。

さっきヨーコは何かいっていた。だれかが亡くなったとかいっていた。

「だれが亡くなったって?」ときく。

「お父さん、いまごろなんですか? 聞いていなかったの? 男優の古谷一行さんが亡くなったのよ」という。

古谷一行さんだって! ほんとかよ! という気分で新聞を広げた。78歳だったと書かれている。

「人は死ぬねぇ。やたらと死ぬ」

「お父さん、そんなこと、いわないで。――隣りのHさん、妊娠したそうよ」という。

「いつ生まれるの?」

「いつ? いつかしら?」とヨーコはいっている。

「妊娠小説」。――斎藤美奈子さんのこの本はおもしろい。

毒舌とはちがったおもしろさがある。「妊娠小説」は小説ではない。

森鴎外の「舞姫」、島崎藤村の「新生」をそれぞれ妊娠文学の父、母とするところからはじまる彼女の文芸評論の論述は、めっぽうおもしろい。

1950年代の「太陽の季節」とか、「美徳のよろめき」とか、1980年代のW村上による「風の歌を聴け」と「テニスボーイの憂鬱」の比較とか、妊娠小説の生物学的な分類からしてきわだった冴えを見せる。

「21世紀文学の創造() 男女という制度」(岩波書店、2001年)もよかった。

「お父さん、包丁研いで、まだぁ……」といっている。

「研ぐまえに、わるいけど、お買い物してきて」とヨーコがいう。今朝から頼まれていた買い物だ。――そういえば、砥石は日本にしかないなとおもう。

刃物で知られるドイツにも、ヨーロッパにも砥石というものはない。包丁が切れなくなったらヤスリで研ぐ。

日本の刃物がすぐれているのは研ぎ師がちゃんといて、専門に研いだ時代があった。荒砥、中砥、仕上げ砥と3種類あって、最高の砥石は1本50万円もする。それに、ヨーロッパの庖丁は両刃で、日本の庖丁は片刃と決まっている。研ぐのは片方だけ。むこうの素材は1種類だが、日本の庖丁は硬軟2種類の素材をくっつけている。

だから、庖丁も使えば使うほど研がれるので、刃の長さがだんだん短くなる。

料亭の板前さんが使う庖丁の刃渡りは、短くなるだけでなく、いつも切れ味は最高なのだ。

大工さんだっておなじだ。のこぎりの手入れをしている時間のほうが、仕事をしている時間より手間をかける。

そんなことを考えながらベランダの外を見ると、焼けつくような太陽が照りつけている。きょう、世界のどこかの国で、気温52℃を観測したというニュースがあった。21世紀の「太陽の季節」だ、とおもえる。

さっきの斎藤美奈子さんではないけれど、英語で妊娠というのは、空っぽが満たされることをいうらしい。

満たされるのは子宮wombで、そこに何かが宿ると、それは妊娠conceptionの姿となる。もともとはラテン語で、男は、Stick(棒)を用いて空っぽの器官に種を注入する。こういうところから、妊娠という単語には「con-(共に)」がくっついている。セックスはひとりではできないからだ。

Contentsはもともとは「満たす」という動詞形だった。

本の中身を満たすもの、という意味で、「目次」にもなった。Contentsのcon-はcomとおなじで、「共に、……ある、する」という意味である。「共に満たす」という意味から、conception(妊娠)という語ができた。妊娠は、男女「共に」あってはじめて可能なのだとおもえる。中世英語はconcepciounで、もともとはフランス語だった。

近代語になってコンセプションは、われわれがコンセプトというとき、「構想」、「創案」、「概念」というふうに意味が拡張していったが、意味の基本は妊娠である。生まれる前の状態をいう。

「(読者が)子宮みたいに、空っぽの何かを満たしたいと期待すれば、うぬぼれガスで腹が膨れあがった作家の想像力が、屁をペン先から出すようにして綴られた産物のように見えて、じつは恐ろしく冗漫な自然誌(ナチュラル・ヒストリー)なのだ」ということばを残した辞典編纂者のサミュエル・ジョンソンをおもい出す。

ちょっと例が卑猥だけれど、――「空っぽ」の部分は今のことばでいえば「子宮」となっていて、もともと古英語では子宮は「空っぽ」という意味であった。東洋のわれわれには、馴染みのないことばではあるけれど、おもしろい。

小説家は、この「コンセプション」を「子宮」ではなくて、「頭」のなかで、想像力だけでつくるのである。――「いわれなくても分かるわ」といわれそうだけれど。

きのうも、きょうも、残暑見舞いを書いた。画用紙でできた特製のはがきで、ほんとうは絵でも描いて出そうと考えたのだけれど、気分がかわり、太字の黒のボールペンで文面だけ、さーっと書いて投函した。

おなじハヤカワ・ミステリに「殺す手紙」というのがあった。

フランスのミステリー作家のポール・アルテだ。ポール・アルテは多作で、いろいろ書いている。

1988年に「赤い霧 Le brouillard rouge」を発表し、フランス冒険小説大賞を受賞している。彼は若手の作家だと考えていたが、もう66歳になった。

ぼくは彼の若い顔しか知らない。

手紙といえば内田百閒を想いだす。

百閒を有名にしたのは数々の随筆と日記文である。随筆もけっこう書いていて、そしてもちろん日記も書いていて、彼の身辺のことをいろいろと知ることができる。百閒の小説にも実名が出てくる。それでぼくは、百閒の文章をとおして漱石のことを知るようになった。

内田百閒の「戀文・戀日記」が出たのはいつのことだったろうか? 

百閒が東京帝国大学在学中の23歳のとき、堀野清子と結婚する。

清子は岡山時代の親友の妹で、百閒が16歳のとき、まだ12歳だった清子に口づけをした。ませていたのだ。