T・S・エリオットの「プレリュード」を読んで。
T・S・エリオット。
1920年代は、アメリカに暗雲が垂れ込めた時代でした。
米大統領選挙で「どの鍋にもニワトリ1羽を、どのガレージにも車2台を!」というスローガンを掲げて圧勝したハーバート・フーヴァーは、1929年3月に行なわれた就任式の大統領就任演説で、
「今日、われわれアメリカ人は、どの国の歴史にも見られなかったほど、貧困に対する最終的勝利日に近づいている……」
と語りました。
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いまさら100年前のニューヨーク・ウォール街の株暴落の話をしてもても仕方ない話かもしれませんが、T・S・エリオットを語るときにはどうしても避けることができないのです。
アメリカ社会が貧困を謳い文句に、政治的メッセージを最初に高くかかげたのはフーヴァー大統領がはじめてでした。それは、ニューヨーク・ウォール街の証券取引所からはじまった株式市場の大暴落でした。
その日は、就任して間もない10月24日の木曜日だったので、「暗黒の木曜日」といわれています。
第1次世界大戦が終わったとき、人びとはヘトヘトになり、経済、産業はいうにおよばず、なかでもフランスのダメージがひどく、戦争賠償金で世の中を建てなおすしか方法がないとして、フランスはドイツに法外な賠償額を押しつけます。国家予算の20年分です。ドイツにとっても、かんたんに支払える額ではなく、10年間、賠償をめぐるむなしい時間を費やします。
そうして、フランスもイギリスも、アメリカの資金を得て、なんとか社会を建てなおそうとしました。この戦争で唯一債権国になったのはアメリカです。そのフーヴァー大統領が、トランプ以上にアメリカ・ファーストを謳い、国内産業にたいして保護政策をとりました。たとえば巨大な「フーヴァー・ダム」建設がそうです。これができたために、電力供給でラスベガスの今日の繁栄があります。そして、輸入品にかける関税をとんでもない高さにまで引き上げました。世にいう「スムート・ホーリー法」です。
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こんな時代に、Т・S・エリオットは詩を書いたのです。
国家とか、人びととか、世界経済とかという概念ではなく、荒廃した世の中で人心もいかに荒廃していくかを語るように、孤独な中年男を詩に描きました。
初期の「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」は、女性に思いを打ち明ける勇気さえない孤独な中年男の優柔不断に託して、宗教という支えを失って根なし草となった近代文化の衰退と苦悩のさまを、自嘲的に、ときに抒情をない混ぜた独得の調子で浮かびあがらせます。
おなじころに出た「前奏曲集」なども、場面の設定が違いますが、ほぼ似たような発想と語り口を用いています。その背後には、先にもいった現代という不毛な時代への強い批判がこめられているのは明らかです。
しかしこれら初期の詩では、もっぱらのちに見られる作品のように、そこから話がまっすぐ信仰による救いの方向に向かうのではなく、むしろ、この不安と枯渇の時代に生きる神経過敏な人間たちの思考や感情の揺れ動きを、皮肉に、しかも細やかに共感をこめて再現することが主眼となっています。
エリオットによれば、「詩の言語そのものを刷新することで、ひとつの時代を開くことに成功したイギリスの詩人は、初期のシェイクスピア、ジョン・ダン、ドライデン、それにワーズワスの4人だけである。最後のワーズワスの改革から1世紀あまりものちに、ふたたび同じような改革が当然行なわれてよかった」と、彼はいっていますが、「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」から「荒地」にいたるエリオットこそ、まさに20世紀という時代に向けて、あらたな英詩のイディオムを開拓した功労者といえるのではないでしょうか。
これは、フランス革命後にあらわれたシャトーブリアンの出現とよく似ています。荒廃した人心を慰めることができるのは、詩や小説のもつ、文学的使命であろうというわけです。
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ところで、エリオットがはじめてラフォルグのことを知ったのは、パリ留学の2年前、つまり1908年といわれています。
エリオットはこのラフォルグの詩に強い影響を受けています。
パウンドの詩の批評を行なって有名になったアーサー・シモンズに「象徴主義の文学運動(The Symbolist Movement in Literature 1899年)」という批評文があり、それにはラフォルグにも触れていて、奇しくもエリオットに大きな影響をおよぼしました。
この本は、日本では岩野泡鳴の訳で「表象派の文学運動」(1913年)と題されて出ており、偶然ですが、小林秀雄や河上徹太郎らにも強い影響と衝撃を与えたといわれています。
エリオットは、のちにアメリカ人でラフォルグ研究をきわめたただひとりの人間は、この自分ではないかとさえいっています。
そのラフォルグからエリオットは、何を学んだのでしょう。
ひと言でいえば、緩急自在な自由詩の呼吸だったという人がいます。
ちょうどそのころ、フランスではモダニズム文学の理念と技法への関心が、ようやく高まってきたころです。エリオットはこれとはまったく別の、自分なりのルートでフランスの象徴派、ことにラフォルグの養分を吸い取っていったわけです。まるで吸取り紙みたいに、ぐんぐん吸い取っていきました。
むずかしい話はともかくとして、初期のエリオットの実験的な詩をここでお目にかけるのが、もっともふさわしいと思われるので、そのエリオットの初期の詩の数行を、実際にここで読んでみたいと思います。
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ここで取りあげるのは、先にもご紹介した「前奏曲集(The Preludes)」(1917年)です。「Preludes」という題名は、もちろん音楽からの借りものです。たとえばバッハやショパンのプレリュード。――前奏曲という名のとおり、フーガや舞踊組曲その他、もっと大きな曲の導入部の役割を果たすものです。なかには、導入部ではなく、それ自体りっぱに独立したものもたくさんあります。
エリオットが音楽から借用したのは、ちょうどパリにいたとき、ワーグナーの演奏に、たいへん大きなショックを受けたボードレール以下、フランスの詩人たちが、音楽のもつ驚異的な表現力を強く意識していたころです。
なんとかして詩という芸術形式、――ことばという手段で音楽の効果に迫る方法はないものだろうか、さらには、それを追い抜こうというはげしい闘志を燃やしていたことと関連します。
ポール・ヴァレリーの有名なことば、「象徴主義」と名づけられ詩の中身は、ごく簡単に要約しますと、それは、いくつもの詩人グループがたがいに敵対していながらも、そこには共通に抱いていたものがあり、それを、「音楽から自分たちの富を取り戻そう」という意図に大きくふくらんでいったという背景がありました。
それはどういうことかといいますと、もちろん、詩で音楽に迫るといっても、それにはさまざまなレベルや側面があります。先に見た暗示的、間接的表現がその根底にあるのは明らかでしょう。
音楽はことばと違って、まっすぐにものをいいません。すべて音声とリズムの暗示によって、間接的に伝えます。
そのために、和音のような語の意味の重層性、音楽のようなライトモチーフの展開、ことばの音やリズムで直接音楽的な効果をあげようという狙いは、もともと詩作的なプロセスと似ているわけですから、エリオットは、さっそく実験的に詩を書きました。
それが、ここでご紹介する「前奏曲(プレリュード)」という詩です。
この「前奏曲集」は、読んでいただければお分かりように、ディキンソンらとくらべるとずっとモダーンで、ずっと俗っぽく、奏でられる音楽的趣向は、バイロイト音楽祭やワーグナーの音楽とは似ても似つかぬほど、俗っぽくできあがっています。ショパンの調べというよりも、もっともっと俗っぽく、場末に酒場の安ピアノを思わせます。
Ⅰ
冬の日暮れが腰をすえる、
路地うらのステーキの匂いとともに。
六時です。
煙たい日々の燃えのこり。
それから吹き降りのにわか雨に、
煤(すす)まみれの枯れ葉のくずや、
空き地からきた新聞紙が
しつこく足にまといつく。
雨脚(あまあし)がこわれたブラインドや
煙突の先に叩きつけ、
街の角では馬車馬がただ一頭、
湯気(ゆげ)を吐き吐き足踏みをする。
それから街灯に灯(ひ)が入る。
Ⅰ
The winter evening settles down
With smell of steaks in passageways.
Six o’clock.
The burnt-out ends of smoky days.
And now a gusty shower wraps
The grimy scraps
Of withered leaves about your feet
And newspapers from vacant lost;
The showers beat
On broken blinds and chimney-pots,
And at the corner of the street
A lonely cab-horse steams and stamps.
And then the lighting of the lamps.
ご覧になればお分かりのように、おおむね弱強4歩格になっています。それもひじょうに軽快なリズム感をともなっています。この弱強4歩格がつづくなかで、とつぜん短い「Six o’clock」という行が挿入されます。これは弱強2歩格で、しかも冒頭の弱拍が欠けている格好です。6行目の「The grimy scraps」と9行目の「The showers beat」もそうで、こっちは完全な弱強2歩格です。
そのようなものを途中途中で挟みこんだりしています。
ですから、これには軽快なリズム感があり、自由詩と呼ぶにふさわしい詩になっています。さらに、作者は安手のにぎやかな音楽のリズムを意識して、詩のなかで同音や類似の音をさかんに鳴り響かせています。このあたりは、音楽にうるさかったジェームズ・ジョイスと似ていますね。
そのあたりをもういちど見直してみましょう。
1行目。――冬の夕暮れが「腰をすえる」。
霧や夕闇などがいちめんに「帳(とばり)を垂れる」ことを、「settle down」といいますが、ここではディキンソンの詩のところでいいましたように擬人的に、その場にどっかと腰を落ちつけてという意味です。
よそから引っ越してきて、新しい街に腰を落ちつけたりする。そんなふうに、まだ昼と夜のあいだでためらっているような、曖昧な「たそがれ」どきが過ぎて、「evening」がしっかり腰を据えるというわけですね。
ところで、この「evening」という語は、辞典によれば、正確には「日没から就寝時まで」とありますから、まあ、冬の6時なので、ようやく夜の世界に移ろうとするころと解釈することができます。
「With smell of steaks in passageways路地から路地へ、ステーキの匂いがぷんとただよって」は、都会のうらぶれた裏町を指すのでしょう。そういう下町の風物として、家々からただよってくる夕餉の匂いというのは、いまでは月並みと思えるほど、なつかしくて親しいイメージとなっています。
匂いが外に漏れやすいマサチューセッツ州ケンブリッジの、ごみごみした都会のなかにひしめくアパートメントの一角。そう思えばいいかも知れません。
この詩の草稿は、彼がハーバード大学にいたころに書かれていますから、おそらくエリオットは、そのような都会の暮らしを念頭において書かれたものと想像されます。
もとより、こうした都会の裏町美学の発見者は、なんといってもボードレールでしたから、ボードレールとは違った、わびしい光景をうたう語り手の口調にも、ひと味違った陽気さを添えているようです。
「settles」のあとを受けて、2行目で「smell」、「steaks」、「-ways」とうたい、たてつづけに「s」音の頭韻や、母音押韻がリズムを浮き立たせています。
日本語に置き換えたとき、どうしても湿っぽさが出てしまいますが、原文にはほとんど、そのような感傷的なところはありません。語り手はともすれば感傷的になりやすい性質の持ち主なのか、だからこそ、むりに平気を装って、皮肉なポーズをとっているようにも見受けられます。この語りの口調こそエリオットの巧いところです。
「The burnt-out ends of smoky days煙たい日々が燃えつきた、その残りかす」。これはたばこのイメージで、「burnt-out燃えつきた」、「smoky煙を出す、くすぶる」、そして「ends残りくず」、つまり、たばこの「butts吸いがら」を意味します。
この「butts吸いがら」も「days日々」も複数形なので、1日だけのことではなく、過ぎていく毎日々々が、たばこにたとえられていることになります。――今日に限ったことじゃない、いつだってそうだった、というわけです。
すすけた霧にくすぶるように鬱陶しい昼間――なんの喜びも充実感もない昼間が終わると、燃え殻のような夜がやってくる。日暮れとはいっても、むかしの詩のように爽やかな、星のまたたく美しい夕刻なんかじゃない。ぶすぶすと燻るたばこのような、いがらっぽい1日が過ぎていき、そのまま燃え尽きて、薄汚れた吸いがらがぽんと捨てられるという、そういう日々の生活感覚は、エリオット以前にはなかったものです。
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これは詩人のすごいところです。――そういう意味では、ぼくには「時代の前奏曲」というふうにも見えます。いかがでしょうか?
先にもいいましたように、大恐慌のあとにやってきた世の中は、狂ったように見えます。
成功を手に入れた人も、つかの間の夢にさらわれ、気がつけば路上の人となる。
そういう社会を見ているはずのエリオットですが、そんな時代に、このような詩を書いているのです。
