珠の首飾りの少女」から「ャクラをひらく」話まで。

 

Sさん。――5年前の夏、Sさんはコロナ禍を知らずに天に召された。享年66。

 

Sさんはいった。

「明日、岐阜に行ってきます。母親の法事にね。で、24日の午後5時30分、では、レストランの白蘭で待っています」といった。白蘭というのは中国料理店の名前だけれど、名づけ親はSさんだった。Sさんは中国語に詳しい。

「田中さんの奥さまも、お待ちしています」という。

あいにくと、その日は都合が悪く、ふたりとも行けなかった。

そのSさんが岐阜から帰ってきた日、こんどは彼の部屋で、ぼくは梅崎春生の小説「ボロ家の春秋 (講談社文芸文庫)」という作品の話をしたっけ。この本は、筑摩の学術文庫にも収められているとおもう。これは彼の傑作であり、代表作であるボロ家にさまざまな人間たちが住み着き、おもしろい人生模様が展開される。

 

梅崎春生(中央)。

 

「ぼくは、梅崎春生の評論を読んで、イタリア・ルネサンスというものを、少しは知りましたよ。それは、人間復活の時代であったけれど、そこから神を差し引くとよく分かるという説を述べておりましてね」

「ほう、神を差し引くんですかい?」

「そう、神を差し引くんですよ。それが、ルネサンスなんだといっているんです。彼は、そういう説を述べていましたね」

「ものが、ちゃんといえる時代?」

「そうなんですよ。……フィレンツェ政府の行政書記官だったマキャベッリも、そこで、有名な《君主論》を書いていますが、こっちのほうも、ヴェネチアで出版しています」

ダンテの「神曲」は有名だけれど、彼はイタリア語の方言で、これを書いている。

当時、彼はフィレンツェ政府の総理大臣だった。国政に深く関与し、やがてダンテは国を追放され、各地を放浪して歩き、人類の救済の道を示すストーリーを書いた。それが「神曲」である。

これを出版したのは、フィレンツェ国ではなく、言論の自由な国、ヴェネチア共和国だった。

それから、志賀直哉の小説「赤西蠣太(かきた)」の話をしたっけ。

これはおもしろい小説で、志賀直哉らしくない物語で、腹をかかえて笑えるような小説である。

原田甲斐(かい)と伊達兵部(ひょうぶ)が跡目あらそいで騒動を起こしたとき、敵の偵察要員、――つまりスパイとして蠣太を敵の城にしのばせる。

蠣太は、敵の情報を手に入れるが、だれにもあやしまれずに城を抜け出す方法はないものかと考える。そこで、彼はとっておきの秘策がひらめいた。それは、城いちばんの女性(にょしょう)に、恋文を差し出すいうアイデアだった。

これを、どこかに落としておいて、城じゅうの笑われ者になり、いたたまれなくなって、城を抜け出すという寸法だ。

「ほう、そいつはおもしろそうですなあ。……ところが何か、失敗するっていうわけですかね?」と、Sさんは先まわりして尋ねた。

「そうなんですよ。ラブレターを読んだ女は、蠣太のあまりの熱意に感激して、OKを出す。困ったのは蠣太です。……さーて、この物語の顛末は、いったいどういう展開になっているのか、……まあ、そういう物語を書いているんですよ。直哉の文学にはめずらしい作品です。そのほか、《網走まで》という小説もよかったですね。《城の崎にて》という作品もよかった。《小僧の神様》、《清兵衛と瓢箪(ひょうたん)》もいい」

まだまだ思い出ぶかい作品がある。

――そのあたりまで話したところで、1時半を過ぎたので、河岸(かし)を換えた。で、そこでまたおしゃべりし、こんどは女の話をしたっけ。「先日、エレベーターガールの話を聞いたけど、あれは、尻切れトンボになっていましたなあ」というので、そのつづきをおしゃべりした。

 

フェルメール「真珠の首飾りの少女」。

――こちらを振り返った瞬間の、少女の驚きを描いた作品。彼女はなぜ驚いたのだろう? そこに主人がいたからだろう。そうなると、この絵の物語のストーリーは尽きない。映画のようにつぎつぎと、無数の物語が展開される。

 

昭和37年、東京は銀座。――銀座通りに面して大沢商会という会社があった。そのビルは6階建てで、旧式のエレベーターが設備されていて、エレベーターを運転する女性がひとり乗っていた。当時、まだまた旧式のエレベーターが使われていた。

1階で、エレベーターを待っていると、上からエレベーターの箱が降りてくる。最初は彼女の足元が見え、スカートが見え、胸が見え、顔が見えるという具合だ。とくに胸のあたりが格好よかった。自分の視線と、エレベーターガールの視線がぴたりと合ってしまったのだ。

1階に降りると、彼女が格子状のドアを開け、客が出ていく。

そして、自分が乗り込む。すると、

「ちょっと、失礼ね、じろじろ見ないでください!」といわれてしまった。エレベーターは動かない。

自分は、真っ赤になりながら、静かにいった。

「6階まで、よろしくお願いします」といった。

上に着くまで、彼女の顔は、ぷーんと膨れていた。

ぼくは学生服を着ていた。用が終わって、ふたたびエレベーターに乗り込むと、ぼくはいった。

「これ、ピカデリー劇場の映画のチケットなんですが、ごらんになりますか?」

そういって、2枚のチケットを差し出した。

「えっ? これ、ロードショーじゃないの? わたしに、いただけるの?」といって、とつぜん笑みを浮かべた。

ぷーんと膨れていた彼女の顔が、別人のように輝いた。

笑えばきれいな人だった。彼女はたぶん25、6歳ぐらいで、ぼくは当時、まだ19歳だった。

「いま、シャーリー・マックレーンの《女王蜂》がロードショー公開されています」

「あなた、朝日新聞?」

「ええ、朝日新聞です。ピカデリー劇場は、朝日新聞東京本社ビルのなかにある映画館です」

「それは知ってるわ。……へえ! いいわね、ぜひ! ぜひ! 観てみたいわ。――なんですこれ、成人映画なの?」と、彼女はきいた。

「え? そうなんですか? 成人映画って、なんですか?」

「あなた、成人映画ね見たことないの?」

「ありません」

「そう。じゃ、こんど一緒に見ましょう?」といって、ふたりは顔をつき合わしてチケットをながめた。

「だって、券に、ほら、18歳未満はご遠慮くださいって、書いてあるじゃない」

「なら、ぼくはだいじょうぶです。19歳ですから。……学生証もあるので、……」といった。

「ねえねえ、学生証? あなたの学生証、見せて」といった。

ぼくはポケットから、学生証を取り出して彼女に見せた。明治大学文学部文学科、「学籍番号37カ007」と書かれた顔写真入りの身分証を見せた。

「文学部! ふーん、大学生なんだ。……じゃ、ぜひいっしょに観ない?」と彼女はいった。

映画の内容は忘れた。

アダルト系の映画ではあったが、ちっとも成人映画という感じはしなかった。パリの街娼婦を描いたものだった。パリが舞台ということで、観てみたいと思っていた映画だった。ところが、話すことばは英語だった。いっしょに観に行った映画館で、自分はプレゼントに当選した。

彼女と喫茶店に入ってプレゼントの包みのなかを開けたら、なんと、謝国権の「性生活の知恵」という本が出てきた。

彼女は「それ、見せて!」といった。

ぱらぱらっとページを見ただけで、男女の交わりの体位などが書かれている。いいかげんたってから、彼女はいった。

「あなた、キスしたこと、ある?」ときいた。

「ありませんけど、……」というと、

「まだ、ないの? ふーん。……」といった。

それから彼女はぼくを日比谷公園に誘った。公園の茂みのなかでキスをしていたら、頭が真っ白になった。

「……そういうことですか」と、Sさんは唸った。

「それからどうしました?」ときく。

ある写真家の暗箱のなかをのぞきこんだとき、ぼくはびっくりした。写る被写体がかすかな希望のように見えた。――針でつついたみたいな、それは小さなアナだった。

人の希望なんて、えてしてこういうものだろうと思った。

針のアナにもおよばない、それは小さなアナだ。小さな光だ。暗箱、――この、カメラ・オブスクラで、ひとつ思い出す。

オランダのフェルメールという画家である。

彼はオランダのデルフトの画家で、近代科学の発祥の地である。自分は、この幾何学性と静寂な絵に惹かれる。「デルフトの風景」、「ミルクをつぐ女」、「真珠の目方を測る女」など、どの絵をみても、小さな点で描かれた表現が秀逸なのだ。そればかりでなく、フェルメールは、絵画に科学を持ち込んだ最初の画家ではなかったかと思える。

17世紀のニュートンが「光学」という本を出して、光にかんする物理学を集大成したことでも明らかなとおり、光というものを科学的に探求することは、この時代の科学の大きな使命のひとつだった。

それと同時に、この時代の芸術は、その光を、どう表現するかを追求することに取り組んだ。

その第一人者はなんといってもフェルメールだったといえるだろう。

彼は暗箱という装置をこしらえて、光がどのように目に写るかを研究した。これは外側の箱のひとつの面の真ん中にあける小さなアナから入ってくる光が、内側の箱の面に外の世界の像をむすぶ装置である。カメラの原理である。

フェルメールの絵の人物は、よくいわれるとおり、まるで写真のように、手前にいる人物が、後ろにいる人物よりきょくたんに大きく描かれている。

たんなる遠近法というよりも、被写体のまえの風景が、後ろの風景よりもきわだって大きなパースペクティブを持つことを発見したからだろうと思われる。これはひとつの発見である。

それを絵画に持ち込んだ最初の画家だった。この装置は、彼にはなくてはならないものになった。

物理学の光にかんする本を読むと、かならずフェルメールの話が載っている。彼は画家ではあったけれど、ある意味では近代科学の発見者のひとりだったといえるかもしれない。しかし、フェルメールの生涯は謎につつまれ、ほとんど知られていない。

彼の遺言執行人は、奇妙なことに、顕微鏡を発明して微生物をはじめて観察したことで知られるアントン・ファン・レーウェンフックという人だった。これも光学とは無縁ではない。フェルメールの周囲には、こうしたオランダの科学者がごろごろいた。

オランダといえば、エラスムスと、スピノザという思想家がいた。ホイジンガーを入れてもいいだろう。近代思想家の第一人者は、なんといってもエラスムスだろう。

そういう人がいただけでも、オランダという国の、いかに自由闊達なものの考え方を標榜する時代をつくってきたかがわかる。彼らはいくどとなく挫折を繰り返した。挫折を知らない者は、針のアナのような希望にさえ目もくれないだろう。人生というのはこういうものだと悟ったかのようなあきらめは、人びとを堕落させるだけだろう。

ボードレールはそういうことをいった詩人であるけれど、あまりものいわぬオランダ人は違った。

それは、人間の浅ましい傲慢であると。――自分もそうおもう。

オランダという、国力のなかった小さな国が、苦難に耐えにたえて、とうとう自分たちで発見した科学の大いなる開拓者であったといえるかもしれない。この苦悩。――苦悩こそ人を大きくさせ、国を大きくさせる。

「悩力」ということばがひらめいた。こんなことばはない。

自分は、どういうわけか、世情というのをあまり信用しない。とおりいっぺんの世情ほど人を迷わせるものはないと思っている。死を急ぐ人間こそ、さっさとあきらめたがる。彼らには、不幸に立ち向かうアゲインストの風がないのだと思ってしまう。挫折し、暗礁に乗り上げ、また挫折をする。それでも精一杯に生きようとする。それが人間だろうとおもう。

志賀直哉の小説「城の崎にて」を思い出す。

串を刺された大きなねずみが、川で溺れそうになりながら、岸壁を這い上がろうともがく。水から顔を出してはのぼる。落ちては這い上がる。その姿を主人公はみつめる。そういう小説だった。

ねずみでも、最後まであきらめず、生きようともがく。――パスカルの「レ・パンセ」には、人間は動物のようにもがき苦しみながら死ぬだろう、とのべる章句がある。

大いに苦悩し、挫折し、苦しむことは幸いである。

「悩力」は、あらゆる科学をひらく。芸術もまたそうだった。

あきらめる人びとは幸いである。そういった人がいる。

イエスはいう。

「あきらめる者は幸いである。おまえに天国の鍵を与えよう。これによって、おまえが地上でつなぐものは天国でもつながれ、おまえが地上で解くものは天国でも解かれるのだ」(「マタイ伝第16章」)といっている。

だが、どうだろう。――そういう人もいるけれど、人間にかぎって、過去営々と築いてきた万古不変のいとなみは、最後には理不尽にも、もがき苦しみながら潰える。――「悩力」ということばをつくってみたけれど、この「悩力」は、どうも人間には必要なもののような気がする。これは、動物にもあるのだろうか? 

パスカルの「レ・パンセ」に描かれているとおり、明日には死ぬということも分からず、余興にふけっている人間の浅ましさをおもう。自分の青春時代は、まさに放蕩ざんまいだったなあとおもう。

精一杯の努力をせずに、みずから放擲しているからだとおもう。

さて、絵の会場を出たとき、なぜか自分は、気分がさわやかになっていた。オランダのフェルメールのことを思い出したからだろうか? 「悩力」という語は、奇しくも「妬力」と同列におくことのできる、同じ質量のような気がする。「妬力」はまた別物で、これについては別稿にゆずる。

「――ところで、話は変わりますが、交通事故に遭って、瀕死の重傷を負った患者が病院に運ばれ、医師が処置をしている最中に、男性のあれが勃起してくるという話、聞いたことありません? ……あれは、どういうもんですかね? 何か、性的なことと関係があるんでしょうか」と、Sさんはいった。

これは、むかしからいわれている話である。

いわれてみれば、いつだったか、女医の話で聞いたことがある。

若い男性の場合、死にぎわに勃起をするという話である。――医師は、その症状がはじまったら、男性のいのちがあまりないと判断するらしい。反射的に勃起するというので、これを医学の専門用語では「反射勃起」といっているらしい。

「反射勃起?」

「ただ、反射的に立ってくるだけで、快感なんてないでしょうけど」

「そうですか」そこで、ぼくは思い出した。

アメリカの作家ジョン・アーヴィングに「ガープの世界」という小説がある。そういう場面がくわしく描かれていた。

――ある飛行士が事故に遭って、救急病院に搬送されるが、いよいよ断末魔の死にぎわになって、手術台の上で彼は激しく勃起する。それを見た医師である女は、男の上にまたがり、大急ぎで性交するという話である。

そして彼女は妊娠し、生まれてきたのがガープという男である。

彼がたどった世にもめずらしい、暴力と死に満ちた世界をコミカルに描いた小説だった。その巧みなストーリーテリングに圧倒された思い出がある。作家アーヴィング自身の自伝的な小説だったように思う。

これは小説だが、男性は死ぬとき、子孫を残そうとして本能的に勃起をするという臨床学的にしっかりした学説があると、女医からは聞いていた。

これはほんとうなのだろうと思う。

事故の例をのぞけば、加齢とともに、だれでも男性の機能は少しずつ衰えてくる。若くて30代ごろから発症する例が見られるという。

男性機能を失った者でなければ、この悩みは分からないだろう。

一般には、この症状をED(erectile dysfunction)といい、勃起不全をいう。これは性交時にじゅうぶんな勃起が得られないか、あるいは維持できない状態をいい、従来のインポテンツ(性的不能)に代わる医学用語として使われているようだ。いまでは、インポテンツとはいわない。

そのときのドクターの助言は、すばらしかったなとおもう。視覚、触覚から入ってきたさまざまな情報は、脳下垂体に伝わり、下半身の男性機能をつかさどる神経系に指令が出されるが、自分の場合は、第10胸椎にがんを発症していたため、手術で大事なそれらの神経が切断されていたため、それがまったく伝わらず、同時に、快感神経も切られているため、どのように愛撫されても、一向に快感が得られなかった。

ところが、ドクターはいった。

神経は切断されても、神経叢(しんけいそう)は自分の力でつながろうとして自力で伸びてくるというのだ。事実、時間がたって、自分の神経は、見事につながった。

「いつごろ?」

「うーん。――あれは、1月16日に手術をして、その年の9月の、20日か、21日だった。

北海道の季節はさわやかな秋で、札幌の芸術の森公園の静かな駐車場でだった」

「駐車場で、何があったんですか? 女の子と抱き合っていたなんていわないでくださいよ」とSさんはいった。

「図星ですよ、……彼女とキスをしていたら、彼女のスカートを持ち上げましたよ」といった。

「ほんとですか!」

この話を裏返しにすれば、仏教でいう修行にも通じるなとおもった。

僧侶の食べる食事は、精進料理といって、もともとはたいへんな粗食である。粗食は粗食でも、五穀米のように、意味のある粗食を食べる。彼らのからだは引き締まり、ヨーガを行なって煩悩を追い出し、TM瞑想を行なって、体じゅうの全細胞を活性化させ、7つのチャクラを同時にぱっと開かせる。そして、無我の境地に身をおく。――この状態に達したものは、細胞にとって、最高にいい状態といわれる。いってみれば、細胞の喜びの状態だからである。

「――ということは、田中さんにとって、つまり、究極的には瞑想がカギなんですか?」

「そうだと思いますよ。むかし、このマンションの105号室を書斎に使っていたとき、毎朝、瞑想をやっていました。10分~15分という、短い時間でしたけど。……結跏趺坐(けっかふざ)という独特の脚の組み方をしてやると、背筋がぴーんと伸びて、尾てい骨のチャクラが、じーんと開きます」といった。

「なんですか、そのチャクラっていうのは?」

そこで、ヨーガの基本であるチャクラの話をしたっけ。

Sさんは興味がないようだった。Sさんは、眠そうな顔になった。彼は仏教にも興味がない。そもそも彼は宗教にまったく興味がないようだった。