■戦争。――

者たちの

1962年、ぼくらは東京・銀座の街を自転車に乗ってあちこち乗りまわしていた。いつもの3人があつまると、晴海埠頭まで遊びに出かけた。

暑い夏の日は、涼しい聖路加病院の待合い室にあつまり、女3人と男3人で、こっそりデートを楽しんだ。仲間は、その年に大学に入った男女で、文学部には女子があふれていた。

そのころ、ソニーのトランジスタラジオから流れるニュースは、ベトナム戦争前期の鬱々としたインドシナの田園のトーンばかりだった。北と南に別れて、おなじ民族が殺し合う戦争なんて、どんな理屈をつけても納得がいかなかった。

じぶんにはラジオはなかったが、ヴァイオリンとマンドリンがあった。

銀座1丁目の寮の前の京橋小学校のプールわきの広場で、古賀メロディーを弾いていた。

明治大学マンドリン倶楽部に入部したばかりのころだった。

米海兵隊員に出会ったのは、そのころだった。

早朝の銀座通りに、20人ほどの海兵隊員が歩いていた。トラヤの帽子店の店先で、仲間を待つふうにして、みんなベンチに腰を降ろしていた。じぶんが通りかかると、声がかかった。角帽をかぶっていたので、学生だとわかったらしい。

ひとりが、

「ニホンバシに行きたい」といった。ニホンバシに恋人がいるんだ、といった。

喫茶店で彼女はウエイトレスをしながら、NHKラジオの英語講座に出ているといった。じぶんに声をかけた男が立ち上がると、190センチはあろうかという大男だった。みんなも立ち上がり、ぞろぞろついてきた。――こんな光景は、おかしいに決まっている。

「ベトナム戦争って、何だ?」ときくと、

「兵役義務ってやつだ。2年間はお国のためにはたらく、……」

「除隊はいつ、どこで?」

「除隊式は、本国に帰還してからだ。それまでは元気でいなくちゃ!」

「死んだ人もいるの?」

「いるいる」

「20歳になったばかりのやつが死ぬんだぜ」といっている。

――あのころの東京は、ぼくらにとっても、天国みたいだった。東京オリンピックを控え、街中のビルも、道路も破壊され、何もかも新しくつくり変えられた。

ぼくらは、浮かれたみたいに日々を過ごしていたけれど、戦争のない世界を希望していた。

それからずいぶん時が流れ、米大統領は、トランプ大統領からバイデン大統領へと変わったが、どんな戦争も、冗談みたいにして、ある日、じぶんの世界が一瞬のうちに終わりを告げる日を迎えるのだ。

そして、想い出だけが残される。

1944年11月、ドイツ・ベルギー国境は、霧の立ち込める寒さと、奇妙な最後の戦争神話へと変わる季節を迎えていた。そのころ、アメリカ軍の犠牲者はふくれあがっていた。森のたたずまいを暗示するほの暗い色彩は、彼らの気分をすっかり打ちのめしていた。

殺戮のなかで斃(たお)れた無数の兵士たち。

だれもがまだ生きている自分自身と対峙させて死者をながめていた。きょうもぶじに生きられる保証はない。

だから、ある者は故郷の妻に手紙を書き、はじめて見る国境のふしぎな静かさを書き、そして、アメリカの里を流れる川を想いだし、「自分は元気だ」と書いた。

アーヘンのすぐ南にヒュルトゲンの森がある。

そこはおよそ130平方キロメートルの広さがあり、ドイツとベルギーの国境にまたがっていた。そこは、アーヘン、モンシャウ、デューレンで成る三角形のかたちをした森林地帯をつくっている。ドイツ兵はそのあたりにいる。

秋はいよいよ深まり、いま、森の周囲を流れるルーア川は、いちばん美しい季節だ。

「――ちょっといいかな」と軍曹がいった。

軍曹は妻に手紙を書いていたが、ある文字のつづりを確かめたかったらしい。

「水疱ってさ、blisterだっけ? Preventionだっけ? 人にうつす水疱だよ」

「軍曹は大学出でしたね。自分は、いなかのハイスクール出なんで、医学なんて知りませんけど、……。アレックスに、きいてみましょうか?」

「あいつはよしてくれ! あいつに水疱をうつされたんだ。ほら」といって、首根っこを見せた。ライン川の赤茶けた砂地みたいなボツボツができている。

「これは、水疱瘡(みずぼうそう)じゃありませんか? 軍曹。熱はありませんか?」

「熱があると、どうなんだ?」

「軍曹、人が悪いですよ。熱があれば死ぬっていうと、熱はないというんでしょ?」

「まあ、その熱はないけど、情熱はあるよ」といって笑っている。

「もしかして、大事なところに発疹はありませんか?」

「発疹だって? ……そういえば、あそこは少し痒(かゆ)いな」

「かいちゃダメですよ」

「さっきからかいてるよ!」

「ダメですよ、かいちゃ!」

「坊や、おどかしっこ、なしだぜ」

「軍医に診せましょうよ。軍曹! ……」

「大きな声、出すな! ドイツ軍に聞こえる! もしかしたら、ベルギーの女にうつされたかな?」といっている。

「いつですか?」

「いつ? ……一週間まえかな」といっている。

草原のなかを歩いていると、森のなかできらっと光るものが見えた。伏せろ! といって軍曹は怒鳴った。

近くにいた10人ほどが臥()せった。

そして、つぎつぎと匍匐姿勢をとった。

軍曹は、ヒュルトゲンの森の戦いで、大勢を犠牲にしたのは失敗だったといった。あのミッションはだれもが失敗だったとおもっているようだった。あの森の向こう側に行きたければ、森を大きく迂回することだ。そしていま、迂回作戦を実行している。

アメリカ第一軍はライン川を目指して、夜と昼の侵攻を急いでいた。

アメリカ軍はドイツ国境の守備を越えて、ライン川を渡ろうとしていた。しかし、ライン川へのルートはルーアン川に阻まれていた。

「日が暮れるぞ。きょうはここまでだろう」と、軍曹はいった。

「ここでの野営は、楽しいぞ!」といった。何が楽しいのか、わからない。

さっきの光は何だったのだろうとおもう。

夕日が、何か反射する物に当たったのだろうか。いまは頭上で爆発する砲弾の影すらない。夕日を見て、軍曹はいった。

「おれは、夕日がきらいなんだ!」

「どうしてです? 軍曹」

「朝日が好きだからだよ、昇る太陽がさ」

「自分もそうであります。でも、ときどき夕日を見て、妻と出会ったときのことを想いだします」と通信兵はいった。

「お母ちゃんは元気か?」

「はい、オクラホマの農場で山羊たちと暮らしております。観測員のエドワードとも同郷で、やつは、このまえ死にましたけど、……」

「どこで?」

「ヒュルトゲンの森の戦いで。白リン弾の直撃を受けましてね。自分の目の前で焼け死にました。まだ22歳でした」

軍曹は何もいわなくなった。

そのときだった。――その白リン弾がびゅんびゅん飛んできて、軍曹の肩を命中し、からだじゅうに火の粉を浴びたみたいになり、彼は白煙のなかで腕をのばし、泣きながら「殺し合いは、やめてくれ!」と叫んで、火だるまになったまま、通信兵に抱きついてきた。どうしようもなかった。

ヒュルトゲンの森で、第4歩兵師団は、ノルマンディー上陸以来、二度目の壊滅状態に陥った。死んだのはその日だけでも90人にのぼった。

軍曹は、死にぎわに、

「手紙は、出さないでくれ!」といった。日が完全に落ちるまでに軍曹は死んだ。

22歳の通信兵は、のちにオクラホマの農場に帰還するまえ、軍曹のふるさとであるジョージアのいなかに立ち寄った。

映画「Gone With the Wind(風と共に去りぬ)」に出てくる夕日は、悲しい色に見えた。ヒュルトゲンの森林のなかをいっしょに匍匐(ほふく)した多くの仲間たちは、その土くれとなった。

22歳の通信兵は、いま95歳になり、泣きながら死んでいった人たちのことをおもった。今朝、目を覚ますと、窓辺の蜘蛛の巣が、雨に濡れて光っていた。あの夕日のときに見た光、あれは、白リン弾の銃身の反射光だったかもしれないと、彼はおもった。