■思い出――

日子に杯!

さいきんの出石尚三さんの文章のなかに、「虹とタートル」と題して「オズの魔法使」の話が出てきます。撮影はすべて終わった。でも、映画会社の重役は、「ノオ」。――出石尚三さんは「ノー」とは書かずに「ノオ」と書きます。

40年まえは、そうは書きませんでした。でも、佐々木茂索みたいな文章で、ちょっとクールで、いいですね。さすがは服飾評論家・作家の出石尚三さんだな! とおもいます。

 

 

亜日子さん。

 

その映画に出てくる「虹の彼方に」は、14歳の少女が歌うには、大人っぽすぎるというのですね。しかしプロデューサーがなんとか重役を説き伏せて、カットしないで済んだという話です。

その話は、1939年に、ボーヴォワールは何をしていたのかというわけで、その「ボーヴォワール戦中日記」という本まで読んだのでしょう。

ここ数日は、春は春でも、サクラの開花日予想の話とはならず、コロナウイルスによる緊急事態宣言は2週間ほどの4都県再延長となりました。

春になったからといって、ぼくは何も変わりませんが、季節を待ち受ける北国の人たちには、まだまだ春は遠く、深い雪の中での小中学校の卒業式の準備光景などを見ると、やはり嬉しい季節の便りというところでしょうか。

北海道の北竜中学校の先生をしておられた、――86歳になられる渡辺晋一先生――から、お便りが届いた日のことを、いまも忘れていません。「貴君の資料に気になることがあって、そのことを文中に捜して数日たち、昨夕ようやく発見。近いうちにまた手紙を書きます」と書かれていました。

というのも、先生あてに昨年、合計でA4判サイズで、800ページの文章を書いておくっています。

先生は、ぼくの送ったページに目次をつくられたそうです。目次を頼りに読んでいただいているようなのです。

日ごろ書いているブログ記事をまとめたものですが、数学の話がはじまったかとおもうと、宇宙物理学の話が書かれていたり、そのつぎには文学や絵の話、書の話、猫がケガをした話などが書かれ、まあ、なんといいましょうか、ブログ記事をただプリントしただけの文章ですから、とりとめもなく書かれています。

プリントしたあとで、自分で読み返すこともなく、製本することもなく、数回にわけて送ってしまったものです。

それから半年たっても、先生はすべてを読み切っていないそうです。

ですから、「やぶれて英雄になる」というタイトルのその文章は、最後の300ページをプリントして製本したものがあるのですが、ぼくはとても気の毒になって、まだ送る勇気がないのです。

先生は先生で、ぼくのために、この半年間にわたり、分厚いお手紙を何通も書いてくださり、絵まで添えて、さいきんの北海道の話や、作文の分野で、文部大臣賞を受賞した生徒につき添って上京し、審査員の童話作家たちと会食をなさった話なども書かれ、先生ご自身の短歌作品を書いてくださったり、こころに残るお話満載のお便りをいただきました。

ぼくは、修学旅行で列車に揺られながら、ひとり風景を見ていたら、先生がやってきて、ぼくの下半身の大事なところをぎゅっと握って、「おい、元気がないぞ!」と、声をかけてくださいました。あんなところを握るなんて、先生らしくないとぼくはおもいましたが、ぼくはじっとしていました。耐えていたわけじゃありません。先生はとても優しく握ったからです。

「いつか、先生のあそこを握ってやるぞ!」と、ぼくはおもいました。

それからぼくは、勇気が湧いてきました。

そのときの話をすると、先生は、

「いいよ、ぼくのを握ってもいいよ。ぼくのは、きみよりも小さいけどね」

といってくださいました。

いっしょに温泉の湯に浸かって、先生の裸を見ました。でも握ることはできませんでした。ぼくは、あのころは、とてもおとなしい生徒でした。そのように自覚しています。ぼくは悪がきどもとも付き合い、学級委員とも付き合い、ぼく自身、3年生になって学級委員になりました。理由は、ただ文字をじょうずに書く生徒だとおもわれていたようです。だからといって、ぼく自身何も変わりませんでした。

渡辺晋一先生といえば、北竜中学校の勤務は、たったの5年間だったそうです。ぼくらはさいわいなことに、まる3年間、先生に教わることができました。国語と書道を教えてくださいました。

その日、

「金山亜日子、知ってるかい?」とぼくに尋ねられました。

「美人の生徒でした?」

「そう、美人の。きみは彼女の似顔絵を描いてたね、こっそり」

「そうでしたか? ぼくは、おぼえていませんが、……」

「きみは、彼女のこと好きなんだっておもったよ。ちがった?」

「そうそう、そういえば、……。いや、そうじゃなく、先生、いまだからいえますが、中学校のグラウンド、おぼえてますよね? ぼくらは野球してたんですよ。野球はどうでもいいけど、久山利之の打ったボールがね、ファールして、大きく右に切れた。切れたのはいいけど、ぼくはファーストをやっていて、ファールしたボールを追いかけたんですよ」

「あそこ、グラウンドのそばは、藪(やぶ)だよ、たしか」と先生はいいます。

「そうそう、藪なんですよ。チモシー草なんかがいっぱい生えていて、ボールを見失ったら最後、もう見つからないんですよ。だから、先生、ぼくは追いかけたんですよ。追いかけたところに、人がしゃがんでたんですよ」

「しゃがんでた? だれが?」

「それが、彼女、金山日出子さんだったわけです」

「しゃがんで何してたの?」

「先生、女の子がしゃがむっていえば、おしっこに決まってますよ」

「彼女、どうしたの? まさか、お尻出して?」

「当然、出してたんですよ」

「きみは、見たの?」

「見ました、一瞬。……ボールは、そのそばに転がってました。ぼくは彼女の顔を見なかった。恥ずかしかったからですよ」

「向こうのほうが恥ずかしいだろう?」

「いや、こっちのほうが恥ずかしかったですよ。野球をしていて、ちらちら白くて丸いお尻をおもい出しちゃって、ぼく、野球どころでなくなったんですよ。この話は、だれにもいわなかったですよ。58年ぶりに、いま、先生にだけいいます」

「そりゃあ、どうも……。だけど、亜日子、そんなところで何してたんだろう?」

「ですから、おしっこを……」

「いや、そうじゃなくてさ、……」

「ああ、きっとぼくらの野球を見てたんでしょう。というより、久山利之を見てたんでしょうね。彼、女性にはモテたとおもいますよ。まじめな男だし。彼のこと、何か情報ありませんか?」

「情報? ないね。住所が不明でね、クラス会の案内も出せなかったらしいよ。あいつは、めんどう見のいいやつだったなあ。野球部創設の運動家だったな」

「――去年夏、金山亜日子さんとことばを交しました。おそらく、はじめてじゃないでしょうか。そうしたら、田中さんは、お父さんに似てきたっていわれました」

「彼女と話したことないの? ふしぎだなあ。さっきのお尻のことで?」

「もちろんそうですよ。あっちも、そうおもってるとおもいますよ。ふたりが廊下ですれ違うなんていうとき、ドキドキしましたから。向こうも、そうでしょうね。ぼくは、自然に彼女のこと、好きになりましたが、告白したことはありません。高校生のときも、彼女はいっしょでした。そのころは、向こうはもう忘れてしまっていたかもしれませんけど、……。こっちは忘れない。いや、彼女もけっして忘れていないでしょう。もしかしたら、ぼくを恨んだかもしれません。彼女のほうから、何かいうことは皆無でしたから。――先生、先日、彼女からきたお便りを読んで、むかしの彼女を想いだして、絵を描きました。こんど、夏になったら彼女に手紙を書きます。絵をプリントしてそれも送りますよ。――北海道の大地に大きくかかる夏の虹をおもい出します」とぼくはいいました。

そして、

「もしも彼女と、何かことばを交わしていたら、ぼくは彼女を、自分のものにしたかもしれません。結婚を申し込んだかもしれません。当時、女の子のお尻を見るなんて、どっちも恥ずかしいし、見たら見たで、夢のなかでうなされちゃう。これって、先生、幸運なんでしょうか?」

「きみも、すごいね。……だけど、幸運かもしれないよ。大学では雄弁部て鍛えたきみのことだからね、想像できるなあ」と先生はいった。

「ぼくは、北海道の虹を想いだします。……グラウンドから眺める風景には虹がかかっていました」

虹の下には平野があります。

平野とともに、ぼくは亜日子さんのたたずむ風景をずっと想像してきました。これまで、数枚の彼女の絵を描いてきましたが、人にこの話をしたことはありません。しょうじきいって、オーブリー・ビアズリーのエロティックなペン画を想像して描いたぼくの亜日子像は、これが最後になるでしょう。

出石尚三氏の2017年3月23日付けの文章「Windsor-Heritage for Gentleman着こなしの知恵と源流、ウィンザー公へのオマージュ」は、すてきですね。

「虹を見ると、心が輝きますよね。虹は、「レインボー」。「雨の弓」という意味なんだそうです。フランス語で、「アルカンシェル」。これは、「空の輪」。どちらにしても、夢のある表現ですよね」と書かれています。そこには亜日子さんの姿がありました。

同郷の詩人、田中北斗氏の句を想いだします。

「ふるさとは夕虹のさき馬走る」