■文学――

垣足穂の「ルホスコープ」って何?

 稲垣足穂。

 

きょうぼくは、「稲垣足穂全集」(全13巻、筑摩書房、2001年)の第11巻目、その299ページにある「三島ぼし隕()つ」を読んで、あらためてタルホの慧眼に恐れ入った。

で、ぼくは、ふたたび三島由紀夫の「仮面の告白」を読みなおしたのである。

ぼくが青年になりたてのころ、――いや、ぼくだけではない、そのころはみんな16歳の三島公威(きみたけ)になるのだとおもった。三島公威のことを知らなくても、三島公威のように悩み、そのトンネルのような昏(くら)い誘惑を突き抜けて少年は大人になる。

三島公威は甲種合格しなかった。――いまどきの若者は、甲種合格なんて知らない。ほんとうは、78歳のじぶんも知らないのだ。

それにしても、三島公威はようやっと丙種合格したらしい。

その打ちのめされた現実は、三島には堪えられなかったのである。

昭和33年は、まだまだ戦後の時代であったし、ぼくは北海道のいなかの高校に入り、屯田兵みたいに泥んこの身なりになって、モッコ担ぎの学校建設に精を出した。北海道のいなかの生徒たちは、ゲートルを巻いた屯田兵だった。

そして、おなじ年に札幌に出て、ぼくは札幌南高校にも通学した。北竜高校、沼田高校にも通い、ぼくには日曜日というものがなかった。

その年の11月、皇太子殿下の婚約発表があり、ある晴れた夏の日、テニスをする美しい正田美智子さんの姿をテレビで見た。ぼくはこのシーンをモノクロテレビで見て、なにか明るい日本の未来を感じた。

そしてテレビドラマ「私は貝になりたい」(ラジオ東京テレビ。現TBS)が放送された。

このドラマは、強烈な戦後の混乱のなかで、列強による完膚なきまでに日本人を骨抜きにする裁断を描き、日本人の誇りを奪い取るドラマだった。昭和33年、日本の戦後は、まだ終わっていなかったのだ。

そればかりではない。

日教組に君臨した槙枝元文委員長は、長きにわたって日本の学校教育にGHQの口ぐるまに乗って、日本のしかけたあの戦争は、侵略戦争であったと述べつづけた。のちにマッカーサーが、あれは「日本の自衛戦争であった」と認めたにもかかわらず。

日本人は、いまもって「戦後」ということばを使う。

暗い話だ。

もうはるかむかしに終わってしまったというのに。日本は変わらなくてはならない。

ふだんなら、しょうしょう不都合なことがあっても、日本人は水に流すことができた。そういう潔さがあったのに、その日本人には、依然として水に流せないものがある。それは「戦後」ということばだ。これがある以上、日本の未来に向かうことはできない。

さて、1900年生まれの稲垣足穂は、どういっているか?

ぼくは折りにつけ、「稲垣足穂全集」(全13巻、筑摩書房、2001年)を読んできた。彼の膨大をきわめた文章は、ぼくには、目くるめく書物だった。

稲垣足穂のタルホスコープは、なかなかおもしろい。それに、きわめて明るい話だ。

哲学者も、宇宙科学の専門家も、作家も、音楽家も、タルホの鞄から飛び出した宇宙論は、まるでパンドラの箱のようではないか、とおもったことだろう。タルホの「一千一秒物語」はまさにそうだ。極大と極小を自由に伸び縮みする「のぞきメガネ」のようではないか、とおもえる。

 

「私は貝になりたい」。1958年。

タルホの「一千一秒物語」が金星堂から出版された年、――大正12年1月、――ジョイスの「ユリシーズ」と、ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」が刊行された。この3人は、三角形をなすおなじ基盤に立っていると、数学者(幾何学)の高橋宏輔氏はいっている。

そしてさらに、「三者とも共通し、《一千一秒物語》と《論理哲学論考》は非体系のフラグメント構成という点では同一基盤に立つ」とし、「外見上、まちがった点がないからといって、なにがそれだれけで十分なものか!」(「美しきいとけなき婦人に始まる」)といっている。

高橋宏輔氏の三角形に関する論考は、目がさめるほど刺激的だ。

いまさらいうまでもないことだが、三角はギリシア文字のΔ(デルタ)だが、これはVにも通じる象徴となることから、丸いはずのお月さまが、お化けみたいな三角形になるというお話は、数学的にいって、じつに正しい。

あるいは、もっと違った話をすれば、列車の走る経過時間、列車運行を示す図表、――つまり列車ダイヤグラムを指示しているその図こそ、時間の長さという空間なのだ。それは線として示されるので、ミンコフスキーは「世界線」と命名した。

ひとりの男が近づいてきて、彼はささやいた。

「三角形の各内角、α、β、γの総和は180度より小さい」といって、大ユークリッド氏の説をひっくり返したのである。

彼は、仮想幾何学なるコンセプトを創造し、そしていった。

「力が距離に依存するのですよ。距離が力を生むのですよ」

そういったのは、ニコライ・イワノヴィッチ・ロバチェフスキーだった。

以来、180度に満たない三角形を「ロバチェフスキー幾何学」といった。

そのことを想い出したタルホは、ついに地球の先端まできてしまったなとおもう。

それがもしも菫(すみれ)色に見えたなら、欲の浄化さえ感じるとタルホはいった。タルホの少年愛の話である。少年愛は、数式のようにあくまでも憧憬や追憶であって、けっして征服や支配ではない。

タルホの描く少年は、香水をつけている。若くしてピストル自殺してしまうようにして死ぬ、ひとりの少年が描かれている。

 

         

              ケンブリッジ帽。                       学生帽。

 

だからといって、彼は少年とは手もにぎらない。

合唱団で歌う少年は、菫色のリボンをつけ、真っ白いケンブリッジ帽を被っていて、見えないピンク色の紗幕で仕切られた別世界に住む少年なのだ、とおもう。タルホは、少年愛のはかなさを自覚し、現実にはけっして結実しない《愛》を感じつつ、77年の生涯を生きつづけた。タルホにとって菫色は禁じ手の色なのだ。

――とくれば、三島由紀夫の「仮面の告白」は、すなわちタルホの告白とならないだろうか? 

ぼくはそう思ってみた。思うだけなら、赦されるだろうと。

米フーバー大統領は誤解されている。ここにきて、ようやっと「誤解された大統領」という本が出たくらいである。それとおなじくらい誤解されているのが三島由紀夫である。

このたび、チャールズ・カラン・タンシルの「裏口からの参戦(Back Door to War)」(上下2巻、渡辺惣樹訳、草思社、2018年)という本を読んで、ルーズベルト大統領の正体を知った。

「ほれ、いわんこっちゃない!」

 

あれから70年たって、米国家機密文書がつぎつきに公開され、ルーズベルト大統領が、日本が先に戦争をしかけてくる日を待っていたことがわかった。米外交の軌跡を詳細に検証し、戦勝国史観へのアンチテーゼとしてこのたび公開された真実は、おどろきものである。この本には副題として「ルーズベルト外交の正体 1933-1941」とうたわれている。

本の中身はそれなのだ。

そして、さらに誤解されているのが稲垣足穂だ、とおもう。

 

ぼくは稲垣足穂をたんなる作家だとはおもっていない。ある人はいう。稲垣足穂を特異な存在にしているのは、そのヴァリアント(異文)にある、と。じぶんもそうおもう。

1923年(大正12年)、「一千一秒物語」を刊行した年、新聞社主催の女学生対象の「代表的モダンボーイ5名」のひとりに選抜されている。

そしてこの年、関東大震災の恐怖と混乱のさなか、9月1日の夜から、「朝鮮人が放火した」、「井戸に毒を投げ込んだ」といったデマがとびかい、都内の警察署が「朝鮮人来襲」にたいする警戒をよびかけたりして、都市部は未曽有の混乱をきたした。そういう時代を生き抜いた野性的な男として、ぼくはいまも、稲垣足穂のことをおもっている。