■20世紀英文学。――

リシーズ」をむ。1

ジェームズ・ジョイス。

 

やっぱり我慢できず、ひさしぶりに「ユリシーズ」を読みはじめました。ところどころ原文も読みはじめました。で、おもいついたことを書きます。

1902年6月16日木曜日午前8時、「ユリシーズ」は幕を開けます。舞台は「マーテロ塔」――ダブリン市の南東約10キロメートル、ダブリン湾に面した入江に建っています。

物語は「1804年6月16日」となっていますから、ちょうど主人公のマリガンが朝目を覚ました日付けの100年前の話からはじまります。

当時の英国首相ウィリアム・ピットは、フランス軍の侵攻に備えるためアイルランドの海岸に円筒形の要塞をいくつか築造します。その要塞築造が英国政府によって決定が下されたのが1804年6月16日。この「マーテロ塔」は、そのひとつ。

マーテロ塔の屋上で、ヒゲを剃っているマリガンとスティーブンが、何やら話し合っているシーンからはじまります。マリガンは朝食の準備のために下へ降りていくところ。スティーブンは屋上にひとり残り、ダブリン湾を見ながら死んだ母のことを思い出します。

臨終の苦痛にゆがんだ母の顔を思い出してスティーブンは恐れますが、食事ができたという階下のマリガンの声に、ふとわれにかえります。ふたりは下で朝食を食べていると、そこへミルク売りの老婆がミルクを届けにやってきます。そばにいたへインズは、アイルランド語を試したくて老婆に話しかけてみますが、通じません。

それから3人は出かけます。

歩きながらマリガンは「ハムレット」について話し出し、「ハムレットの孫がシェイクスピアの祖父であり、彼自身は、おやじの幽霊である」となどといいます。マリガンのいう「彼」は、ハムレットでもあり、スティーブンでもあって、ここで「父」のモチーフが導入されます。そしてへインズは「ハムレット」の神学的解釈として「それは父と子という考え方だ。子は父と一体になろうとするんだ」といいます。

父と子の関係はやがて「ユリシーズ」全編を通じた主題に膨れあがります。

マリガンはスティーブンに向かって

「おい、チンキ(スティーブンのあだ名)、おやじの亡霊! 父を探しまわるヤペテ」

と呼びかけます。

――マリガンは塔の横の岩場で朝はひと泳ぎするのが日課になっています。

スティーブンは水泳が苦手。風呂にも滅多に入らない。むしろ水を憎んでいる様子。

この傾向は、スティーブンが洗礼を拒絶していることを象徴するかのようです。マリガンはスティーブンから塔の鍵を取り上げようとします。スティーブンは彼に鍵を渡しながら、マリガンとの友情も冷めてきたなと感じ、ふたたび塔には戻るまいと決心します。

そしてスティーブンは勤務先の学校へ歩いていく。

さて、原文の冒頭の文章は、

Stately, plump Buck Mulligan came from the stairhead, bearing a bowl of lather on which a mirror and a razor lay crossed. A yellow drssinggown, ungirdled, was sustained gently behind him on the mild morning air.

となっています。

ここを丸谷才一氏の訳文では

「押しだしのいい、ふとっちょのバック・マリガンが、シャボンの泡のはいっている椀を持って、階段のいちばん上から現われた。椀の上には手鏡と剃刀が交叉して置かれ、十字架の形になっていた。紐のほどけた黄色いガウンは、おだやかな朝の風に吹かれてふうわりと、うしろのほうへ持ちあがっていた」

となっています。

丸谷氏の訳文は日本語になっていて、それは見事な文章といえます。現在出ている翻訳文としては最高のできといえるのではないでしょうか。

それでもぼくは、満足しません。

おもしろさが訳出されていないからです。

冒頭の「Stately, plump」というフレーズ。まず、「Stately, 」としてコンマが打たれています。「Stately and plump」と、なぜやらなかったのでしょうか。訳文では「押しだしのいい、ふとっちょの……」と訳されています。「Stately,」は一見して副詞に見えないこともありませんが、紛れもなく形容詞。コンマでふたつの単語を分けているのはなぜでしょうか。訳文は、間違いではないけれど、どこかの優等生が訳した直訳にしか見えないのです。

「plump」はマリガンの静的な姿かたちを表現しているのにたいして、「Stately」はマリガンの移りゆく動的な個性を表現していると思われます。

ですから、このふたつの単語を「and」でつなぐわけにはいかなかった、そう考えると、少しはおもしろくなります。

ついでに、「plump」を辞書で引くと、なるほど「肥満した」「丸々と肥った」という意味の形容詞であることが分かります。ならば「fat」とどう違うのか、「fat」こそ「肥満した」なのです。

すると「plump」は、「肉付きのよい」「小太りな」という意味になりそうです。「肉付きのいい」とくれば、だんぜん白鵬みたいな「ふとっちょ」であるはずがありません。

ぼくでは痩せすぎだけれども、痩せていないころのマリア・カラスくらいの肉付きなら、かえって魅力があるかも。ここでマリガンという主人公の姿かたちが、ただ単に「ふとっちょの」であってはならないわけです。

なぜなら、「plump melon」という表現をよく見かけますが、「ふとっちょのメロン」あるいは「肥満したメロン」などとやってしまっては、まるでとんちんかんな訳になってしまいます。この場合は「食べごろの」と訳すべきでしょう。「They are plump but not fat.」という文章さえあります。

ありがたいことにさらに、少し先にすすむと、「He kissed the plump mellow yellow smellow melons of her rump,ふくよかな、黄色く熟したメロンが匂いたつようなお尻にキスをした」と出ています。「plump」と「rump」、「mellow」と「melons」の取り合わせが絶妙です。

モリーのお尻を熟したメロンにたとえているわけですが、単語の音の響きをそろえて、踏韻しているのが分かります。

ことば遊びの天才ジョイスの本領発揮。

この場合も「rump腰部」と訳されているのにはぼくは不満です。どうしても「お尻」か、でなかったら、食べごろを感じさせる「臀(しり)、尻」、「けつ」。そういう単語を使うべきでしょう。「腰部」などという曖昧で、表現力に乏しい単語にしてしまっては、せっかくのジョイス文を台なしにしていると思いますが。

この「smellow匂いたつ」ということばも、英和辞書には載っていない単語で、ジョイスの造語によるものと思われ、そのためにわざわざ用意されているとしか思えません。

なぜジョイスは「smellow匂いたつ」としたのかって?

おそらく「mellow熟した」と対をなす単語にしたかったのでしょう。ジョイスにかかったら、この種の造語はいたるところにあります。専門家の本をいちいち読んでいるわけじゃないので、不確かではありますが。

まあ、……この話をつづければ紙幅がなくなりますが、「ユリシーズ」のおもしろさこそ、文学なのです。知れば知るほど痛快な文学。数学の謎もおもしろいのですが、文学の謎もおもしろいと思っています。

 

くりかえしますが、先の文章のなかにある「ボウルbowl」は、「ヒゲ剃り用のボウルshaving bowl」または、「nickel-shaving bowl」のことだとおもいます。ならば「椀」ではなくて「鋺(わん)」にしたほうがいいでしょうね。

それはささいなことかも知れませんが、この単語は古くて、むかしからある単語で、古英語(Old English)では「bolle」と綴り、「鉢」や「洗い鉢」を指していました。なぜ「白銅貨でできたボウルnickel-shaving bowl」をあげたかといいますと、ニッケルにメッキをした安物のボウル、この「ニッケルnickel」という単語はもともとギリシャ語で、「紅砒(こうひ)ニッケル」のことで、ギリシャ語では別名「悪魔」という意味を持ち、「銅のように似せて実際は銅の成分をまったく含んでいない贋もの」という意味があり、いかにもジョイスが好みそうな単語だからです。

俗に「5セント銅貨」を指し、銅なんかまるで含有していない「ニッケル硬貨」という意味にもなったと辞書には書かれていますが、そんなボウルを手に持って(しずしずと)階段を降りていくというわけです。

さらに、この階段というやつは、意味深長な単語で、文章のはしばしまで目配りして読めば、「階段」は「祭壇の階段」であり、「ボウル」はミサに用いる葡萄酒入りの「聖餐杯」ということになりそうです。ですから「小鉢」くらいのボウルが相当するわけです。しかも、陶器でできた小鉢ではなく、ニッケルである必要があります。

ジョイスはここでミサのもじりをやっているのかも知れません。たぶんそうだろうとおもいます。もし、ミサのもじりをやっているとすれば、なおさら「Stately, plump」であることに納得できるかとおもいます。

「Stately」は威厳に満ちた、ゆったりとした歩き方を表現しているからで、そのすぐ先に出てくる手鏡と剃刀が交差して置かれ、「十字架の形」になっているというフレーズが、ぐーんと生きてきますね。ぼくがもの足りないとおもうのは、そんなところです。

以上のことは、日本語訳では、ほとんど感じられないのと、そんなことは脚注にもしるされていません。訳文を見ても、そのフシすら触れられていないのです。ジョイスが文章の達人であることはよく知られているとおりですが、自然主義文学やロマン主義文学とは無縁の世界で、彼は、ひとり文体(レトリック)に心血を注いだ知的冒険者であったとおもいます。

「ユリシーズのおもしろさ」という点で話をすれば、なかなか尽きません。

ぼくは柄にもなく、さっき雨のなかやってきた40代とおぼしきお姉さんに「ユリシーズ」の話をしてしまいました。彼女はコーヒーを飲みながら、「アイルランドの作家が好き」といったからです。ぼくの友人が、70になろうというのに、アイルランドの大学に留学したのです。その話をしました。彼は高校の歴史の先生をしていましたが、念願のアイルランド留学を果たしました。

「アイルランドの作家、いろいろいますねぇ。……ノーベル文学賞に輝いた作家が4人もいる」

ジョナサン・スウィフト、エドナ・オブライエン、ジェイムズ・ジョイス、ロード・ダンセイニ、ウィリアム・バトラー・イェイツ、ジョージ・バーナード・ショー、サミュエル・ベケット、オスカー・ワイルドなど。

「そのうち、だれが好きですか?」ときかれたので、ぼくはジェイムズ・ジョイスが好きです、と答えました。

学齢期に達したころのジョイスの、貧しい体験は、「ユリシーズ」のなかには随所に生かされています。彼は経済的欠乏から、図書館利用に大きくかたむき、当時、民族主義運動やアイルランド文芸復興運動の気運がちょうど盛り上がりつつあったころで、ジョイスはそれらには見向きもせず、ひとりイプセンへの傾倒を強めていきます。

そして1900年、イギリスの著名な雑誌「フォートナイトリー・レヴュー」に彼のイプセン論が掲載され、イプセン本人から感謝の言葉が寄せられるなど、周囲の人びとを驚かせました。

30歳のときに、市民大学公開講座でウイリアム・ブレイクとダニェル・ディフォーについての講演を行ないました。その年は、「ハムレット」についての講演も。……31歳のときにレヴォルテッラ高校、――のちのトリエステ大学にポストを得、午前はそこで教え、午後は個人教授、夜は執筆という日々を過ごしています。

「若き芸術家の肖像」が出版されたのはその翌年です。

同年、「ダブリン市民」も出版されました。

そのときは、「ユリシーズ」は第3挿話のなかばごろあたりまで書いていたらしいのですが、ちょうどこのとき、一家はチューリッヒに移住します。イェーツやパウンドの尽力もあって、イギリス王室文学基金より75ポンドが支給されたからです。

で、35歳のときにダブリンで復活祭武装蜂起が起き、友人のひとりが銃殺され、大きなショックを受けます。

ふたたびパウンドの力を得て、イギリス王室助成金100ポンドが支給されるとともに、アメリカのヒューブシュ社から「ダブリン市民」と「若き芸術家の肖像」が上梓されました。これでジョイスはひと息つくことができたのです。

「ユリシーズ」は、39歳になって「リトル・レビュー」にやっと掲載されますが、その編集者が猥褻文書出版により有罪の判決を受け、掲載号は没収されました。

ところがヘミングウェイがよく世話になったというパリの「シェイクスピア書店」と出版契約を結び、翌年やっと出版されましたが、ふしぎなことに、じっさいに出版されたのはエゴイスト社でした。そのあたりはよく分かりません。

つづいてフランス版も出て、そして、あの「フィネガンス・ウェイク」の草稿に着手します。1923年、41歳のときです。

音楽の才はむしろ母親から受け継いだもののようです。

ジョイスは最年少の6歳で、イエズス会の名門校クロンゴーズ・ウッド・カレッジに入学したそうですから、学校ではコーラスなどもやっていたのかもしれません。

その後、父親の放恣な生活がたたって、一家は急速に没落します。父親はコークの資産と収税吏としてのじゅうぶんな年収があったのですが、収税組織の改革によって失職してからは、ジョイスは、学業を中断せざるを得なくなります。父親はわずかの年金を受給しながら職を転々と変え、一家は郊外のラスガーからダブリン市内に移り住み……。――まあ、この話をすれば、かぎりなく脱線しそうなので、この先は別稿にゆずります。

アイルランドにキリスト教が入ってきたのは、イギリスよりも200年も前のことだったといわれています。そのために後年、イギリス人プロテスタントがアイルランドにやってくると、容易に馴染んだものとおもわれます。

アイルランドのアングロ・アイリッシュの基盤ができると、コーク湾に面した港街は、洗練されたクィーンズ・イングリッシュを話すようになり、ダブリンでは、たちまち英語文学が確立されていきます。

イギリスのアイルランドの植民地化にたいする憤懣は、独得の文学的風土をつくっていったのだとおもいます。アイルランドに攻め入ったクロムウェルを目の仇にし、彼を呪い、イギリスそのものを嫌悪しました。嫌悪しながら、イギリスに乗り込み、イギリスの政治や習慣を笑いものにし、イギリスにたいする痛烈な諷刺小説を書いたスウィフトを皮きりに、18世紀のダブリンでは、アングロ・アイリッシュのなかでもアイルランド人以上に「アイリッシュ」な人間がどんどん増えていきます。

「アイリッシュ」という言葉そのものが、イギリス側から見た蔑称となり、「アイリッシュ・ブル(Irish bull=とんちんかんな誤謬)」といわれて、揶揄(やゆ)されたりしました。ここでちょっとブルの実例をあげますと、――たとえば、

 

ちょっとお姉さん、お姉さん! あの人見て。

あなたとよく似てるわ。どちらかというと、あの人がお姉さんに似てるわね。

こういうおかしな矛盾表現は、アイルランド的だといわれます)。

 

本大学の伝統は、今に聞こえるバット国民党党首の描いた政策理念を根づかせることである。本大学は、来たる0000年9月1日より開校となる。(1日として伝統がないにもかかわらず、伝統なる理念だけが先走ってでき上がっているという話です)。

 

文芸としてつづられる文章は、吟味して読めば、こんなにおもしろいのか、とおもうことがいっぱいあります。――たとえば、もともとジョイスの書いた「ユリシーズ」には、ストーリーなんていうものはなくて、主人公のたった一日の出来事、その日思ったり感じたりしたこと、想像したこと、回想・空想したことを綿々とつづっただけの、しかし長大で、辞典的な魅力たっぷりの異様な小説です。ジョイスのたくらみの多くは、文章そのものの中にあるといっていいでしょう。

日本語として一貫して読める文章になっていれば事足れりといかないのが、ジョイスの文章です。ですから、ジョイスのおもしろさは、文章のなかに深く埋まっている、そう考えて間違いないでしょう。

では、その文章とは、――。

 

Beer, beef, business, bibles, bulldogs, battleships, buggery and

bishops.Whether on the scaffold high. Beer, beef, trample the bibles. When for Irelandear. Trample the trampellers. Thunderation!  Keep the durned millingtary step. We fall. Bishops boosebox. Halt! Heave to. Rugger. Scrum in. No touch kicking. Wow, my tootsies!  You hurt?

麦酒(ビール)、牛肉(ビーフ)、仕事(ビジネス)、聖書(バイブル)、ブルドック、戦艦(バトルシップ)、鶏姦(バガリー)、それに僧正(ビショップ)。高い断頭台の上でも。麦酒牛肉(ビーフビール)は聖典(バイブルズ)を踏みにじる。愛するアイルランドを思うなら。自由を奪うものトランペラーを踏みにじれ、こん畜生(サンダーレーション)! 粉ひき歩調(ミリングタリー)で歩くんだ。おれたちは倒れそうだ。レモン葡萄酒の酒場(ビショップス・ブースボックス。止まれ! 停止。ラクビーだ。スクラムを組め。ノー・タッチからのキックだぞ。うわっ、おれの足が! 怪我か?

ジョイス「ユリシーズ」、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2003年版)。

 

ジョイスのおもしろさは、こういった文章にこそ秘められているとおもっています。「秘められている」といいましたが、まさに「秘められている」であり、ご覧いただく文章(原文)を見れば、翻訳ではちょっと――いや、ほとんど分からない(感じられない)ものが、ほの見えてくるではないかとおもわれます。出し惜しみしないで、ちゃんと書いてよ! といいたくなります。

懇切丁寧にも、あるいは親切にも、前後の文章のなかに隠れたキーワードをちゃんと忍び込ませています。この訳文は旧版の丸谷才一氏。

同氏は丁寧にもルビをつけて、踏韻も含め、ゴロ合わせや、駄洒落が分かるように訳出しています。冒頭の「Beer」から「bishop」まで「b」ではじまる8つの単語。これは、この前のページに書かれている「British Beatitudes!(イギリス人の福音だ!)」を受けたかたちで綴られた文章です。

さて、「Beatitudes(福音)」とは、もちろん英国キリスト教の「8つの教え」を意味し、イエス・キリストが山上の垂訓(the Sermon on the Mount)のなかで説いた8つの幸福を指します。

そこでは「幸いなるかな心の貧しき者(Blessed are the poor in spirit,)」にはじまり、「Blessed are」ということばが9回繰り返されます。しかし実質的には8回で、俗に「8つの教え」といわれるものです(新約聖書「マタイによる福音書」5:3-12)。British Beatitudesは、16世紀に、エリザベス1世の父、ヘンリー8世の離婚問題に端を発して、イギリスではローマ・カトリック教会から独立して英国国教会が成立します。

これをアイルランド人は目の仇にしているのです。歴史を勝手に変えやがった! というのです。

それを揶揄したかたちで「マタイによる福音書」の「Blessed are」の代わりに、「b」ではじまるイギリスを象徴することば、イギリスと関係の深いことばをわざわざ引っ張り出してきたものとおもわれます。

したがって、ここでも福音書にちなんで単語が8つ綴られているわけです。

1行目に出てくる「buggery(男色=鶏姦(けいかん))」は、イギリスの学校といえば、ほとんどが全寮制で、寮のなかで共同生活を強いられるわけで、ですからむかしからホモ・セクシュアルが多かったのです。それをいっているのだとおもいます。ここではそれを揶揄しているわけです。

「bulldog(ブルドック)」は、しらべてみると、イギリス原産の犬であり、辞典にはオクスフォード、ケンブリッジ両大学の学生監補佐を意味するとあり、「bishop(ローマ・カトリックでは司教、または僧正)」は、一般的には「僧正」と訳されますが、そもそもは英国国教会の「主教」を意味する語でもあったのです。

「Whether on the scaffold high.」「When for Irelandear」「We fall」は、愛国的な「God save Ireland(神のもとにあるアイルランド)」という歌の歌詞のなかから取られたことばで、別名「神よアイルランドを守り給え」と訳され、1926年まで兵士の歌でしたが、公式の国歌になるまで、アイルランドの非公式の国歌とされてきました。なかなか愉快な歌です。

この歌は1867年12月7日にティモシー・ダニエル・サリヴァンによって書かれました。彼はマンチェスターの殉教者の裁判中のエンドマンド・コントンの演説に触発されてこの詩を書いたとされています。

「Whether on the scaffold high.」は、おなじフレーズが第8話にも出てきており、丸谷氏は、そこでは「たとえ断頭台にのぼろうとも絶対に」と訳されています。

そっちのほうはピーンときます。

ところが、「粉ひき歩調で歩くんだ」とは、何を意味しているのでしょうか。

「millingtary」とは、「粉ひきとか、(金属の縁にぎざぎざを)刻みつける」ことを意味する「milling」と、「軍隊」を意味する「millitary」を引っ掛けている造語です。軍隊調に、ざっくざっくと歩調をくんだ歩き方という意味になりそうです。ですから訳文の「粉ひき歩調」だけでは通じません。――「粉ひき歩調」といってピーンとくるとおもいますか?

人間が臼で挽く粉ではなく、牛を歩かせて、一定の歩調でおなじところをぐるぐる廻っているようすのほうを連想するでしょう。そのニュアンスが出せれば、翻訳はグラン・クリュの一級品。

「レモン葡萄酒の酒場」というのも、ちょっと変ですね。

葡萄酒にレモンまたはオレンジとシュガーを加えたドリンクこそ「bishop」と呼ばれるものですが、これは、しかしさっきの「British Beatitudes」にはつながらないので、ここでは文字どおり「主教」と解釈するとピーンときます。

大事なのは、8つの教えにならって、8つの「楯突く」意味の訳語を見つけ出さなくちゃならない、というわけです。

ジョイスのたくらみは、そこにあるとおもうので。「boosebox」の「boose」は「酒」を意味する「booze」からつくられた造語のようです。

19世紀後半のビクトリア朝時代には、英国国教会のなかの一派に「高教会派(high Church)」と称するものがあったようです。この一派は、酒類販売免許法の修正――より厳しい法的措置に抗議した事件――を受けたことばと解するならば、「この大酒呑みの野郎ども!」というような感じの「大酒呑み」という意味になるでしょうか。

当時ロンドンでは酒を売る、売らないの悶着が横行し、その扱い業者へのライセンス認定がますます厳しくなった背景を揶揄してのフレーズ、とおもうと、とっても愉快な文章です。

「‐box」とあるのは、セラーのような店の酒棚には置かないで、鍵のかかるボックスに入れて商いをしていた名残りかも知れません。それを「b」にこだわるジョイスは「boosebox」といっているのですから、ひじょうにおもしろい表現です。訳文ではどうもわかりません。

ここでは出てこないけれども、第15話では、「buybull」という見なれないことばが登場します。ははーん、とおもうでしょう。丸谷氏訳では「牛買い」と訳されています。これはもちろん「British Beatitudes」の意味をこめてつくられた造語としか読みようがありません。

――「ユリシーズ」っておもしろそうだけど、むずかしそうね。彼女はそういいました。

――でも、ぼくには魅力的です。ラフカディオ・ハーンのふるさとでもあります。

パトリック・ラフカディオ・ハーン(1850-1904年)は、2歳から13歳まで、人生で最も重要で多感な時期を、彼はアイルランドで過ごし、日本人小泉八雲として54年の生涯を終えました。心地よくて、気味が悪いような、ちょっと小悪魔的な作風。

その彼は、日本をとても愛しました。ハーンには日本は、ふるさとのように見えたにちがいないのです。――先年、松江に行き、小泉八雲記念館を見てきました。

「――あら、わたしは出雲大社に行ったのよ、去年! こんど、小泉八雲のお話聞きたいわ」

「では、こんどは、小泉八雲の話をしますね、きっとです!」

そういって、彼女と別れました。一度、絵のモデルさんになってもらった人です。