駐デンマーク大使の高橋展子さんのこと。
高橋展子さん。
先日、デンマークから帰国した友人と会って、大きなガラス製の文鎮をいただいた。おなじ彼がノルウェイへ行ったときも、ノルウェイの国を模して彫られた四角いガラス製の文鎮をいただいている。
デンマークといえば、デンマークのことを「ダンマルク」といい、アンデルセンのことを「アナセン」という。そしてぼくは、いつだったか、デンマーク大使に任ぜられてデンマークへ行った高橋展子(のぶこ)さんのことをちらっとおもい出した。彼女にとって、デンマークはひとつの経験であったと語る彼女の文章が素敵だった。
「どんな経験?」
デンマークでは、自動車の運転免許証は、いちど発行してもらうと、いちども更新する必要はなく、生涯そのまま使えるという話である。免許証に貼られている少年のような初々しい顔をした写真であっても、70歳、80歳になっても、堂々と使えるという話である。にわかには信じられない話である。
それを教えてくれたのは、元デンマーク大使だった高橋展子さんの話だった。
この人は、東京女子大学と、早稲田大学の両方を出られた方で、労働省の婦人少年局長をされ、ILO事務局長補(在ジュネーブ)を歴任されて、1980年から1983年まで、日本初の駐デンマーク大使となられた方だ。
はじめての女性大使誕生である。その後退官されて、評論活動をされていたが、1990年に亡くなられた。1985年に出版された「デンマーク日記」は、すばらしい本だったなとおもう。
その他、「ジュネーブ日記」とか「私の英語修行」という本なども書かれたが、そっちのほうは読んでいない。高橋展子さんの文章にはじめて触れたのは、ぼくがたまたま乞われて婦人雑誌の編集をしていたときだった。ぼくの記事のすぐ前のページに、高橋展子さんの「デンマーク日記」が掲載されていた。そのときに、印刷所のゲラ刷りを見て、感動したのを覚えている。
したがって、ぼくは高橋展子さんにお目にかかったわけではなかった。
ぼくら編集マンは、最後の最後のゲラ刷りまで立ち合う。
文章校正、写真校正、年代校正など、最後の下版(げはん)まで付き合う。それでも疑問が出てきたばあい、辞書はないので、図書館のレファレンスコーナーに電話をしてギリシア語のスペルの確認などもとりつける。これを「出張校正」といっている。出張校正までこぎ着けるとホッとしたものだった。
そのときに読んだ高橋展子さんの「デンマーク日記」は文章がすばらしく、絵や写真もすばらしく、のちに本になったときにその「デンマーク日記」を買い求めた。
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さて先年、たまたま上野の森美術館へ行き、絵を見てからいつもの古書店に入り、偶然、その高橋展子さんの「デンマーク日記―女性大使の覚書」という本を発見した。街中の書店で100円で売られていた。なつかしさのあまり、また買ってしまった。そうだ、この本だったなとおもう。
いままで体験したことのない話が、びっしり書かれている。
だいたい、ふつうの人は、大使になんかならないので、大使になられた彼女の体験を通して、見たことも聴いたこともない儀礼について考えたりする。名刺をどういう内容にするかとか、苦労話がいろいろ書かれていて、おもしろかった。
新任大使の着任後、デンマークの元首への信任状奉呈というのがある。この国の場合、信任状は女王に奉呈し、そのさいの儀式について詳細な手引き書がフランス語で書かれている。しかし、これを読んでいてある疑問にぶちあたる。
日本では「大使および夫人」となっているところが、たんに「大使」と書かれているのだそうだ。
「ああ、やっぱりすすんでいる!」と彼女は思ったそうだ。
大使は夫人を同伴しても、しなくてもいいことになっていて、この場合はだんなさまを同伴しても、しなくてもいいと解釈することができる。
ところが読みすすむと、服装の規定がいろいろと書かれているけれど、これをたんに「正装」と書かれているだけ。
それには、正式な夜会服(ホワイト・タイ)、軍服あるいは自国の正装、手袋、勲章とし、レディは、スーツあるいは長袖のアフタヌーン・ドレス(短いスカートも可)、帽子、手袋、勲章と書かれている。ここに書かれている大使は、第一礼装をいい、レディーは略式なのだ。
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――さて、高橋大使の場合は、女性の大使なのだから、第一礼装で、ローブ・デコルテ、あるいは色留袖にするか迷うところである。
一般にはふつうローブ、またはデコルテと呼ばれているようだけれど、これはローブ・デコルテのことで、婦人用の正装イブニングドレス「robe décolletée」のこと。もともとはフランスの宮廷礼装のひとつで、マリー・アントワネットのように、ネックラインを大きくあけ、首背、胸の部分をあらわにしたドレスのこととされてきた。
彼女は、20年以上も、大使秘書として勤務しているベテランの女性と相談する。さすがのその女性にもわからない。いろいろ当局の関係者にしらべてもらったところ、「レディ」の正装でよいことがわかった。せっかくこの日のためにフンパツして用意した色留袖は、あきらめざるをえなかったわけである。
高橋展子さんは、いよいよ信任状奉呈の日を迎えた。
まさにその朝になって、あることに気づく。
こんどは手袋だ。白キッドの手袋を用意したのはいいけれど、それを手に持っているのか、はめているのか、女王陛下と握手を交わすとき、信任状を差し出すとき、どうなるのだろうと考えた。これも男性の場合とは違うはず。
わからない!
ふしぎなことに、だれにもわからないのだ。
「ああ、もうやめた!」
けっきょく、和服、アフタヌーンに相当する訪問着に切り替えたのだそうだ。
やがて、宮廷さしまわしの馬車に乗って宮殿に向かう。宮殿では閲兵することになり、こういうときは、和服は不便だと気づいたそうだ。
そして、女性のイギリス大使と会い、その話を切り出す。すると、イギリス大使は、こういわれた。
「わたしもローブ・デコルテを着て行くべきだと思いまして、問い合わせたところ、アフタヌーンだといわれました。これは、へんですよね?」と彼女はいったそうだ。こんなに女性大使がたくさん来ている国で、しかも女王の国で、「おかしいですね」と。
彼女は、プロトコールに文句をいった。――と彼女は書いている。その結果は書かれていないけれど、ある日、女王陛下からの招待状がとどき、それには、「大使およびその配偶者」と書かれている。「夫人」とは書かれていなかったのが、嬉しくなった。儀典長を通じて文句をいったことで、マニュアルがちょっと変わったのかもしれない、と考えたそうだ。
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それには、「服装は、ホワイト・タイ、軍服、ナショナル・コスチューム」と書かれていて、彼女が着て行った和服でいいというわけ。男性大使は金モールをつけたりしてきらびやかになり、女性大使も大使夫人も、ともに長い裳裾をひるがえしての晩餐会だったそうだ。
経験は、何事も勉強になる。ぼくはこんなことを覚えようとは思っていないが、こういう儀礼の話には、無頓着ではいられない。
三島由紀夫の「豊穣の海」にも間違いがあり、あとで彼自身が直したそうだが、それは、大正時代の華族の儀礼にかんする箇所だった。こういうことは庶民にはわからないけれど、興味深い。大使の「Ambassdressアンバサドレス」という使い方の苦悩もいろいろと書かれているが、これはまた、別の機会にでも。……
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デンマーク駐在大使になられた高橋展子さんの本を読んでいると、いろいろ教えられる。彼女はデンマーク駐在大使として、デンマーク語と英語でいろいろ対応している。この国では、アンデルセンとはいわなくて、アナセンAndersenというのだそうだ。
デンマーク語ではnのあとでは「d」は読まないそうだ。Aのあと、oのあと、eのあと、rのあとでも「d」は読まれないそうだ。しかし、最初の「d」は読む。ダンマルクDanmark=デンマークなど。
さて、その高橋展子さんのハウスキーパーたちが、デンマークで運転免許の更新をした。そのとき、3人が3人とも、ばらばらに有効期限が書かれていたという。みんなで免許証をのぞき込み、どうしてそうなったのか、ふしぎに思ったそうだ。ひとりは1900年代、ひとりは2015年、ひとりは2018年と書かれていて、人によって有効期限がまちまちなのである。どうしてなのだろう?
「あ、わかった!」
とだれかが叫ぶ。3人とも満70歳の誕生日まで有効ということが分かったという。デンマークでは、途中で更新なんかしないで、いきなり満70歳の誕生日まですべて有効にしてしまうのだそうだ。こういう国はすごいなと思ってしまう。
何しろ、女王陛下も、国賓を出迎えるために、電車に乗って駅まで行く。外務大臣は、自転車に乗って通勤。
運転免許だって、70歳まで自由に乗れると思っても、それは身体的にどこも悪くならないで健康でいられればの話である。そういう暗黙の了解事項がついている。18歳で運転免許を取得すると、満70歳まで更新がない。なんと52年間も有効というわけである。
目が悪ければ、クルマには乗れない。それは自己責任ということになる。しかしふしぎだ。
何が?
運転免許証には52年前の写真が貼ってあったら、おかしいのではないか、と思う。この国では、運転免許証を身分証明書がわりに使わないそうだ。
最長52年間も有効なのだから、もうおじいさんになっても、少年のころに撮ったハンサムでスリムな写真のある免許証が、いつまでも通用するというのも、へんな話である。禿げ頭の肥満した老人に変身しても、一向にいいわけである。
交通事故を起こしたとき、どうするのだろう?
ロシアではぜったいダメ!
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高橋展子さんはデンマークに発つまえ、英文の名刺をつくるとき、えらくもめたそうだ。もめたというと語弊があるかも知れないけれど、高橋展子さんは初の女性大使ということもあって、通常はアンバサダーでいいのだけれど、女性の場合はアンバサドレスではないか、と考えたそうだ。
英語の辞典を引くと、アンバサドレスは「大使夫人」と出ている。大使夫人ではなく、彼女ご自身が大使なのだから、Ambassadressではおかしいと思われる。また外国の辞典によれば、「①女性大使、②大使夫人」と書かれている。ならばいいかも知れないと思いなおしてみるものの、どうもしっくりこない。
フランス語ではどうかしら? と思ってしらべてみた。Ambassadriceは、「大使夫人」としか書かれていない。
「それは古い辞典だからですよ、ちゃんと、①大使夫人、②夫人大使とかかれていますよ」とスタッフがいう。
――あら、順序が英語とは逆なのね。
「逆でも、ともかく、夫人大使です」と彼女はいった。大使はやおら思い出す。
女性大使でも、「アンバサダーといわれていたのを思い出したわ」という。日本なら、男でも女でも「議長」ですむところを、chairmanではmanがついて男になるので、女性の議長にはchairwomanとしようとか、マダム・チェアマンでよいとか、大騒ぎになる。けっきょくchairpersonに落ち着いたそうだ。
そういえば、ヨーロッパ語には、椅子やテーブルにまで男性名詞、女性名詞とはっきり区別している。それがまた、国によって分け方が反対になることがあって、覚えるのがたいへん。けっきょくすったもんだの挙句、Ambassador of Japanで名刺をつくることにした。けっきょくこれでよかったわけである。
ときには、「マダム・アンバサダー」と呼ばれることもあったそうだ。これは、ミスター・アンバサダーにちゃんと対応する呼称である。デンマークでは、アンバサドーというそうだ。
コペンハーゲンで開かれたあるレセプションでのこと。ここには女王陛下や大統領、首相といった錚々たる人たちがつどう。
男性は爵位をいただいてロードとか、サーとか呼ばれるが、夫人はとうぜんレディと呼ばれていいはず。ところが、バロン(男爵)夫人は、バロネスと呼ばれ、カウント(侯爵)夫人はカウンテスと呼ばれ、バロネス(女男爵)の連れ合いはバロンとはならないそうだ。
女性の男爵というのも、ちょっとおかしいようにも思える。
それはいいのだけれど、アンバサダーの夫人はアンバサドレスだけれども、女性大使の連れ合いは間違ってもアンバサダーとは呼ばれない。
「アメリカの大統領の夫人は、ファーストレディですね。女性大統領が出たら、その夫はどうなるのかしら?」とだれかが尋ねた。日本語でも、令夫人にあたる男性用の呼称はない。アメリカにもないので、もしもヒラリー・クリントンが大統領になったとしたら、だんなの呼称を大急ぎでつくったかも知れない。
キングの配偶者はクイーンで、彼女は陛下になるが、クイーンの配偶者はキングでもマジェスティでもない。イギリスのフィリップ殿下は、デンマークでもヘンリック殿下で、なんの問題もない。
日本の外務省編集のプロトコールによれば、既婚夫人の社交用の名刺は、
「佐藤 次郎
妻 」
と書くのが正式で、正しい書き方だそうだ。つまり、夫人は名前を書かないことになっている。
ところで、語源辞典によれば、「王様」を意味するKingは、血族をあらわすキンkin-から派生している。育ちのよい人間からの連想で、本来は「親切」を意味していたそうだ。カインドKindと語源はおなじ。その中心にあるのは、血縁というわけ。
「そういえば、ナポレオンは皇帝にはなれたけれど、フランク族のキングにはなれませんでしたね?」
「――そういうこと? なるほどね」
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高橋展子さんは、1990年に亡くなられたが、彼女の書かれた「デンマーク日記」(東京書籍、1985年)を再読し、たいへん教えられた。彼女の著作には「私の英語修行」(潮出版、1980年)や「ジュネーブ日記」(日本労働協会、1979年)などがある。83年に退官されると、評論活動をなさっておられた。