アナイス・ニンとの共生。

ンリー・ミラーの合。

 

 

ヘンリー・ミラー。

 

つい先日のことである。28歳の読書好きの青年とおしゃべりしていて、ぼくはひさしぶりに、ヘンリー・ミラーの話をした。倉敷の水害のニュースをテレビで見ながら。

Iくんは、いつもそうしているように、メモをとる。

「ヘンリー・ミラーですか」という。

ぼくは、アメリカの作家・詩人たちがヨーロッパへ出かけていって活躍したころ、フランスの女流作家「アナイス・ニンの日記」を書いたニンとともに、共生的な悦びの生を謳歌するヘンリー・ミラーという作家を、フィッジェラルドよりも、ヘミングウェイよりも、フォークナーよりも、だれよりも遅れてきた若い作家だとおもいこんでいた。

その話をした。

考えてみれば、ミラーは1891年の生まれだから、ヘミングウェイは8歳下、フォークナーは6歳下、フィッツジェラルドは7歳下、T・S・エリオットも7歳下ということになる。

「北回帰線」から「南回帰線」にいたるミラーの一連の風変わりな小説を、1930年代の実験的な前衛文学とひとつの系列として考えていた。

 

ヘンリー・ミラー「Tropic of Cancer」.

 

たとえば、デューナ・バーンの「夜の森」、ロレンス・ダレルの「黒い本」といった幻想小説、あるいは詩と散文を交互に用いたW・H・オーデンの「雄弁家たち」などの系列にくみする作家のようにおもっていた。

そこにはちょうど、プラハからパリへやってきた「マルテの手記」の作者リルケもいて、迂闊にも詩と散文をないまぜにした文学が流行したころでもあり、ミラーの長編「北回帰線」を読んで、これは、これまでの小説とまったく違う、おそらく詩に近いものだと考えた。

――後年、専門家諸氏の研究があって、「ユリシーズ」的神話序説というスタイルをとった新奇小説だという説が出てきた。そのとおりであるかどうかは別として、明らかに「詩」と「散文」の接近を試みた「反小説」というレッテルを貼られてしまったわけである。

しかも、処女作「北回帰線」は、アナイス・ニンの序文がついて、パリで出版されるという出来事と重なり、いっそうそんな趣きが出たのだろう。事実、ミラー自身、「《ユリシーズ》、秩序、神話」というエッセーをすでに書いていて、ジョイスの「ユリシーズ」を小説ではなく、叙事詩といっているのと関連して、反小説論ともいえる文章を書いて話題になっていたころである。

T・S・エリオットもまた、これを詩として読んだらしい。

ことわるまでもなく、小説は散文で書くというのが、ペトロニウス以来のヨーロッパの伝統というのがある。19世紀において絶頂に達したかに見えるリアリズム小説だ。

――散文の機能には、日常的な世界を志向する側面ばかりでなく、非日常的な世界を志向するもうひとつの重要な側面があり、後者がもつ、さまざまな可能性を掘り起こし、これを新しく切り開いていくことが、19世紀的なリアリズム小説に対して反旗をひるがえした現代作家たちの実にさまざまで、多彩な試みの根幹をなしていることはいうまでもない。

エリオットは、「小説はフローベルとヘンリー・ジェイムズで終わった」ときっぱり断言している。伝統的・因習的な小説形式への反逆、――詩と散文の接近――を小説の新しい出現であるとして賞賛している。

ここに「北回帰線」の1節を掲げてみる。

 

ぼくは薬包(やくほう)のように世の中からはじき出されてきた。濃霧が沈殿し、大地は凍った脂で汚れている。ぼくは都市が生暖かい肉体から取り出されたばかりの心臓のように鼓動しているのを感じ取ることができる。ホテルの窓は化膿し、燃焼中の化学薬品からのような堪えがたい、つんとする臭気を放っている。セーヌ河をのぞきこむと泥と荒廃とが見える。街頭は溺れ、男も女も窒息死し、橋は家々に蔽われ、家々は愛の屠殺場である。一人の男がアコーディオンを紐で腹に縛りつけ、壁を背にして立っている。彼の両手は手首のところで切断されているが、アコーディオンは彼の義足のあいだで蛇入れの袋のようにのたうちまわっている。宇宙は縮小した。それは、ほんの一ブロックほどの長さとなり、星もなく木もなく川もない。ここに住む人びとは死んだ。彼らは、他の人びとが夢のなかで腰をおろす椅子を作る。街路の真ん中には車輪が一つ。その車輪の甑(こしき)に絞首台を取り付けてある。死者たちが気が狂ったようにその絞首台の上に登ろうとしている。しかし車輪の回転があまりにも速すぎる。

ヘンリー・ミラー「北回帰線」、幾野宏訳

 

夢とも幻想ともつかない混沌とした奇怪な情景が、語り手の脳裏に浮かぶままに勝手に増殖するかのように、現実のパリの風景や人間の姿が描かれている。いっぽう、後に書かれた「南回帰線」では、それが少し散文調に変化する。

 

わたしは月面の上空に宙ぶらりんになって横たわっている。世界は子宮に似た恍惚(こうこつ)状態に陥っている。内面の自我と外面の自我とは、うまく平衡を保っている。おまえはずいぶん多くのことを約束してくれたので、たとえ永久にここから出られなくても、わたしはいっこうにかまわない。わたしがセックスの黒い子宮のなかで眠りに落ちてから、ちょうど二万五九六〇年たったようだ。どうやら、わたしは三六五年だけ寝過ごしてしまったらしい。しかしとにかく、わたしはいま望みどおりの家に住み、最高のものに取りかこまれ、うしろにあるものも前にあるものも結構なものばかりだ。おまえはヴィーナスを装ってやってくるが、しかしおまえのリリスはいくつかあるが、この場合は中世伝説の大魔女かだ。わたしにはちゃんとわかっているんだよ。わたしの生活全体が、いまは均衡を保っている。この贅沢を、一日だけ楽しむとしよう。明日になれば、わたしは天秤(てんびん)を傾けるだろう。明日になれば、この均衡は終わりを告げるだろう。たとえふたたびそれを見出すことがあるとしても、そのときそれは血のなかであって星のなかではないのは、嬉しいことだ。わたしはこれまであまりにも長いあいだ日陰で暮らしてきたので、ほとんどどんなことでも約束してもらいたいくらいなのだ。わたしは光と純潔が欲しい――そして臓腑(はらわた)のなかに太陽の火を。天上に三角座を完成させることができるように、いつまでもこの惑星を離れて宇宙の空間を飛びまわっていなくてもすむように、裏切られ、減滅してみたい。

ヘンリー・ミラー「南回帰線」、幾野宏訳

 

「南回帰線」の生みの親は、ニューヨークのダンスホールで出会った踊り子ジューンであり、ミラーは作品のなかでジューンを「バビロニアの淫婦」と呼び、その最終章は圧巻である。

いっぽう、「北回帰線」の生みの親は、たぶんアナイス・ニンだっただろう。ニンとの蛇のような共生(compassion)は、「生命の嘘」と表現される危険な結合だったとおもわれる。「パッション」を「共するcom‐」という運命的な結合を予感させるものである。

「運命の女」ジューンの物語は、太平洋を渡ってパリへやってくる、愛の生血を吸う切実なパッション「生命の嘘」となる。

自由に生きるために身につけたジューンの反現実的な生命への飢渇と、生命を維持させつづける戦術が必要だった。いつわりの演技――変幻自在に変わる姿態のなかに沈めたジューンの必死な身振りを描いて巧みである。

ジューンの現実を、アナイス・ニンはその「日記」に綿々と書いていて、「ジューンは〔存在そのもの〕だ。そういう彼女をなにものも抑えることはできない。あの女はこの世界に解き放たれたわたしたちの幻想。ほかの人びとが夢のなかでしかやれないことを、あの女は現実におこなっているのだ」と書いている。

この嘘が、孤独な自分が存在することへの激しい飢餓を強いるものであってみれば、精緻に嘘を創造すればするほど、人は孤独になる。ニンも「日記」に記している。「嘘が孤独を創造する」のだと。

ニンの「日記」には、こう書かれている。――

 

わたしがジューンを愛するのは、彼女が果敢になろうとしているもの、彼女の無情、残酷、冷酷、エゴイズム、誇り、破壊性のゆえだ。わたしはジューンへの同感で息もつまりそう。彼女は極限にまで拡充したひとつの個性だ。わたしは彼女にあるあの勇気を崇める。喜んでその犠牲になってもいい。ジューンはわたしを讃美者たちのひとりに加えて、わたしの屈辱を誇りにして吹聴するだろう。彼女はわたしのすべて、わたしが与えるすべてを加えたジューンになるだろう。わたしはこうして拡大した女、世の女たちよりも大きな女を愛する。

 

これは「同感」=「共感」のあらわれであり、「おれは鍵がほしい、あの嘘を解く鍵がほしい」と、ジューンの迷宮の扉をひらこうと憔悴(しょうすい)するミラーに、やがてニンは、この一語の自明の語源的意味を語るのである。

「あなたの情熱には、同感がないわ。人間を解く鍵は、この同感しかないのよ」といい、さらに「情熱と暴力で人間が開けられたためしなんかないわ」というのだ。

ミラーは、小説のなかで、ジューンを現実的な「女陰(コン)」への「情熱(パッション)」でしかないといっている。彼女の迷宮を解く鍵があるとすれば、それは絶倫しかないだろう。残念なことに、絶倫一茎の鍵では、もとより《女》の迷宮を解くことはできない。心を悩ますとすれば、嘘自体ではなく、「どうして嘘が必要なのかということ。その背景にどんな恐れが潜んでいるのかってことなのよ」。アナイス・ニンは、「人間を解く鍵は、同感しかないのよ!」といい、ミラーに向けて鋭く切り込む。

そこでミラーは書く。

「彼女は事実の偉大なコレクターだ。それでときどきあの女には、ことの本質がつかめないのだ」と。そしてニンは書く。そのフレーズだけを写せば、このようになっている。

「あなたの美しさがわたしを溺れさせてしまったの、……。

ジューンはわたしに危険を与えてくれた。

あなたを愛すれば、おなじ幻想を、おなじ狂気をわかち合える。

ヘンリー、作家ミラーのことはわたしに世界を与えてくれた。ジューンはわたしに狂気を与えてくれた」と。

ジューンの「狂気」の麻酔的呪縛がニンに「近親相姦の家」と、《女》の内面の迷宮を旅する「内部都市」を書かせることになる。

――ここで、とつぜん倉敷から電話が入る。麻季子さんからだ。海抜1メートルの倉敷の街が、クルマが出られないほど水びたしになったという電話だった。みんな元気だから、安心してくださいといっている。

「田中さんも?」

「こっちも、元気にしているからね、また倉敷にいくから」といい、そこで電話を切った。ぼくは彼女から電話がきたことを嬉しくおもった。そばで聞いていたIくんも、「よかったですね」といった。そして話をつづけた。

――いいかえれば、このふたりのナルシス的合体の姿は、「南回帰線」の読解を難解なものにしているかもしれない。「内部都市」に登場する女サビナ(Sabina)のあとを追っていくと、この女の与えたものが、「鬼火」のように欲望のおもむくままに明滅する姿に投影されていると、専門家らはいう。

女サビナ(Sabina)は、語源的にいって、歴史上もっとも強大な男性原理による征服、厳酷な父性的法支配の世界を確立したローマによって略奪され、彼らの生殖・再生のために陵辱された古代サビニの《女》という意味を持つ。ニンが焦れたジューンは、「火の女」だったらしく、そのために、ナルシス=ニンが溺れたのは水のなかではない。地獄の火のような火炎のなかでだったと書かれている。

ここにニンの《女》の「地獄の一季節」がはじまる。生命への激しい飢渇にさいなまれながら、ついに「何を生き通してみたい」のか、じぶんでも分からないところへ、期せずして迷宮の女ジューンが吐露した悲しみと不安が忍び寄るのである。

ここでジューンと呼ばれているのは、――もちろん、かつてニューヨークのあやしげなキャバレーの踊り子だったジューン――のことであり、ミラーとの生活のなかに引っ張り込んできたジーン・クロンスキーと名乗るランボーを気取る狂気と頽廃の女とともに、作品のなかでは、「アナテイジア」という名で登場する。

ミラーの詩的散文は、現代的で、その乱暴なほど先鋭な方法で、意識的に捉えられたシュールリアリズム的要素を、アメリカ的な土着のなかに力づよく噴出させているように見える。

流動するミラーの詩的散文の魅力は、それを入れる器がないような、沸騰する生命力そのものの生命世界として、混沌状態のままに描かれていく。コンテクストの好きも嫌いもなく、強力な押し出しの強さでねじ伏せるように創造されていく。このような頭脳は、ぼくはかつて見たことがなかった。

「北回帰線」は、パリを舞台にした、一見してとらえどころのない、無定形な感じを与える作品だが、――というよりも、ミラーの作品は、もともと捉えどころのないのがミラーのやり方で、――ミラーの体験の流れに身をまかせて、まったく自由に、なんのメモも覚え書きもなく、気ままに書かれたような文章である。

ところが、じつはちゃんと創作ノートをとって臨んでいるのだ。

北フランスのピカルディ地方を汽車で通りかかったとき、ひとつの歌が油然とよみがえる。「ピカルディの薔薇」がそうである。この歌のタイトルが、かつてミラーが物狂おしく書いたジューン物語(サガ)のノート第1章の名になって用意された。

「でも、ピカルディでは枯れない薔薇がひとつある。わたしの心に咲くひとつの薔薇が!」というのが、それである。

そして、1934年、「北回帰線(Tropic of Cancer)」がパリで出版される。

表紙には巨大な「蟹(キャンサーCancer)」が描かれて、ひとりの裸女をハサミでくわえ、いまにも貪り食おうとしているところを大きく描かれて……。その意味では自伝的な体裁をとってはいるけれど、単なる外面的な事実の記録とはいえないだろう。

ミラーという作家は、ほとんど自己の経験を未整理のまま、まるで前後の脈絡もなく、雑然区々と提示しているように見える。

しかし、ミラーはそうした執筆作業のなかで、複雑きわまる自己を発見し、別の自己に生まれ変わろうとするかのように、「黒い薔薇」のイメージで捉えられた「運命の女」ともいうべき女との愛の生活を描く。ニンの「日記」は、それを証明する資料となった。

こうした自己再生は、新しい自己の存在へと突きすすむ、「卵巣」のような姿で「卵巣」のような機能を持つ、都市そのものの迷宮世界を暗示させてくれる。

「南回帰線(Tropic of Capricorn)」の舞台はニューヨークである。

都市の異様な活気や荒廃ぶりを、圧倒的なボリュームの幻想的なイメージを駆使して捉えており、その描写は「北回帰線」の、パリが舞台となった描写よりも、いちだんと生彩を放っていることは確かである。――アナイス・ニンは「北回帰線」の持っている、豊麗な詩的散文の魅力に惹かれて、「序文」執筆を買って出た。ジョージ・オーウェルの賛辞も大きな励みになった。このコンテクストは、ミラー独自のものである。

「南回帰線」が書かれたのは1938年。「セクサス」が書かれたのは40年。「ネクサス」が書かれたのは52年。それからジューンとの「危険な関係」の歴史、ミラーの「わが災いの物語(ヒストリー)」を含む「薔薇色の十字架」1600ページにおよぶ3部作が完成したのは59年。ミラーが68歳のときだった。ジューンと別れて25年がたっていた。

「ネクサス」の続編はミラー88歳の死によって、ついに書かれなかった。

おそらく、ジューンに憑かれたミラーの人生は「薔薇色の十字架」であっただろう。彼女への情熱の人生は、受難(Passion)の人生そのものであったろう。ミラーにとっては、血も吹きだす薔薇色の聖痕の「現在」であったかもしれない。

ミラーの作品を読んでいて、ミラーの物語の時間――過去と現在がつねにどうしようもなく互いに侵入し合うという、ともに錯綜する迷宮の構造を持っているのはそのためなのだろう。「南回帰線」ではジューンを「マーラ(mara)」と名づけられて登場している。これはユダヤ語で「苦しみ」という意味を持ち、また、サンスクリット語では「悪」を意味している。ポーランド語では「死」を意味するという(「ネクサス」第9章)。アーリア言語はどこかでつながっている。ミラーを読み解くキーワードは、たくさんありすぎる。