子はに似る」。……                             

 

北海道・北竜村の恵岱別川に面した奥地に、むかし泥炭(ピート)の形成層があって、黒土だが、それが燃えるという現象を起こすのを知ったのは、ぼくが小学生のころだった。

「土が燃えるって?」

「そうだ、燃えるんだ。このままじゃ燃えないぞ。レンガみたいに乾かして、ひと冬寝かせて、春になって火をつければ燃えるんだよ」

父はそういった。

恵岱別の本家の裏地からかなり奥まったところは、泥炭でぬかるみのある湿地帯だった。泥炭をピート掘り用のスコップで四角く切り取り、掘った跡地の上に、おもいおもいに放って、ひろげて乾かす。そうやって骨を折るほどの労働に見合う価値なんてありそうもない仕事に、父は、上半身裸になって精をだした。

そのころ北竜村は、木を伐採して、それを燃やして生活していた。木はふんだんにあった。やがて山林の管理組合ができ、営林署が管轄した。ぼくのおじは、営林署の管理人兼きこりをしていた。チェーンソーがあらわれるずっと以前の話だ。

北海道の薪(まき)の時代は長くつづいた。薪よりも火力の強い石炭が運ばれるようになったのは、それからずっとたってからだった。

そのまえは、ほそぼそとピートを燃やして、補助暖房に利用した。農業普及員がやってきてしらべたところ、堆積した塩性湿地帯は、そのはるかむかし、そこが海だったことがわかったのだという。さまざまな植物が泥炭層のゆたかな養分をかたちづくっていたようだ。植物が腐ってじゅうぶんに分解されずに積もったとことが泥炭になった。

「石炭と、どうちがうの?」と、ぼくはきいてみた。普及員は答えた。

「石炭になる最初の段階だ」と説明した。

しかし、それがどういう意味なのか、ぼくにはわからなかった。石炭は、地表すれすれにはできない。地底深く坑道をつくってもぐり込まなければ、石炭層にたどりつけない。

父はピート掘りに明け暮れしていたが、ピートを燃料に活かそうというたしかな志は、たぶんなかったとおもう。そこを水田にするには、泥土を取りのぞき、それに見合う土を持ってこなければならなかった。ところが、塩分の多いピート層がじゃまをして、稲の栽培に適さなかったからだ。はやくピートを取りのぞいて、稲を栽培したかったのだろう。

ぼくは、そういう父の姿を見ていたが、ぼくは、これといって水田耕作にかくべつの興味を持っていたわけではなかった。そのころの平地のほとんどは、水田に姿を変え、湿地帯をのぞいて、ほとんど稲作に利用された。

そのころの父の日記には、稲を植えることよりも、そこにじゃがいもを植えようと考えていたらしい。そこが、じゃがいもに最も適した黒土だったからだろう。男爵いもは土地を選ぶ。どこでもできるわけではない。多くの植物が堆積した泥炭地がいちばん適していると父はいった。

「ここを掘れば、もしかしたら、恐竜の骨が出てくるかもしれんぞ!」と、父はいった。

6600万年まえの白亜紀の恐竜が出てくるって?

いま考えれば、父はふしぎなことをいっていた。

新生代に絶滅したという恐竜は、いま、北海道のこの地に眠っているとでもいうのだろうか。そういうことを考える父は、日記にもちゃんと恐竜の話が書かれている。父の農業日記は、おもしろい。農家のおやじが、日記に恐竜の話をつづるなんて、いかにもバカげている、とはおもうのだが、そういう自分は、社会人になっても、恐竜の本ばかり読んでいるのだ。

――イタリアに「息子は父親に似る(Tale padre, tale figlo)」という諺がある。イタリアの父親は、息子を欲しがる。その理由は、「ぼくの人生を教えられるからさ」というのである。

ぼくの父も、そうおもったかもしれない。ぼくもいろいろなことを父から学んだが、たまにはウソを学んだ。

《四月十五日 晴れ 風勁(つよ)し。星雲の海面を飛ぶ碧(あお)き流れ星見ゆ。》などという古めかしいことばで書かれている。

それもぜんぶ旧漢字だ。

ぼくは父に教えてもらったことは、たいしたものじゃないのだが、いまでもおぼえているのは、「乗除は加減に先立つ」とか、「キロキロとヘクト出かけたメートルがデシに取られてサンチミリミリ」とか、おもしろい暗記ものを教わっている。

ほかにおもい出すのは、「ふんぎりをつける」の「ふんぎり」ということば。父はこれを、「糞を切る」ことだと教えた。これはいまでも正解なのだが、肛門をキュッと締めて、糞を切って落とすことだと父はいった。それが糞切りだと。ぼくはそれを信じた。

ところが、あるご婦人がだれかに、「なかなかふんぎりがつかなくて、……」と、しゃべっているのを聞いて、おかしかった。そして「きもったま」は、「きんたま」のことだと父はいった。そういわれてみれば、そんなふうにもおもえるが、《きもったま母さん》というのは、おかしいんじゃないか?

それでもぼくは、父の教えを信じた。

それから、父が、村のだれかにヴァイオリンで「嫁は夜ひらく」という曲を弾いて聴かせているとき、「嫁は夜ひらく」って、ちょっと変な題だなとおもっていた。これは父の勘違いで、ほんとうは「夢は夜ひらく」という曲であることがわかり、父に訂正することはなかったが、ひとりくすくす笑っていた。

父だって間違えることがあるんだ!

ぼくは、なぜか嬉しいような気持ちになった。

小学唱歌に「ふるさと」という曲がある。歌詞は《うさぎおいしかの山,小ぶなつりしかの川、……》という文句になっているとおもうが、父は、うさぎは「美味しい」という意味だといった。人間というのはいちど頭にインプットされると、ずっと残る。罪つくりな話である。「赤トンボ」だってそうだ。三木露風の歌詞《夕やけ小やけの赤トンボ、おわれて見たのはいつの日か。》の「おわれて」は「追っかけられて」とおぼえた。

まあ、書きはじめるときりがない。ぼくはすっかり父にインスパイアされて、ことばを覚えた。

これ以外に、父から何かつよい影響を受けたという記憶は特別ないのだけれど、父がむかしから書いていた日記は、ちゃんと受け継いで、それだけは実行している。そして、いまこうして父の話を書いているのである。

ピート掘りで泥んこになって、父といっしょに仕事をしたときの記憶が、いま、ありありとおもい出される。

 

時まさに

春 世界は泥んこ

かぐわしく、小さな

びっこの風船売りが

 

遠く かすかに 笛を吹く

in Just-

Spring  when the world is mud-

Luscious the little

Lame balloonman

 

Whistles  far  and wee

 

20年ほどまえ、北海道と縁が深い黒田清隆の直径子孫で、黒田清孝さんという年配の人と、都内で会食をしたことがある。当時、その方は某大手新聞社の顧問をなさっておられた。スーツの襟に北海道のバッチをつけていた。

「さっきの話ですが、関西では、デシに追われてサンチミリミリ……といっていますね。北海道のほうは、くわしくありませんが、その話、はじめて聴きますね。田中さんは何年生まれですか?」とたずねられた。ぼくのいう「デシに取られてサンチミリミリ」は聴き間違いではない。それだけはいろいろなシーンでおしゃべりしていたからだ。

さて、北海道でのピート掘りの泥んこ仕事でおもい出されるのは、カミングスという詩人の「時まさに(in Just)」という詩である。

「世界は泥んこ」といっている。――この詩はちょっと読むと、途中でハイフン(-)で切られている。「andそして」で尻切れトンボになっている。語と語のあいだが不自然に大きくあいている。

この詩は、耳で聴いて鑑賞するようにはできていない。視覚効果をよく利かせているからだ。

もとより「Just-Spring」などということばはない。彼がつくったものだろう。文頭にいきなり小文字の語が書かれている。そこは、「いまこそまさに」という強調文になっていて、そのあとに「春」とつづく。このいい方がひじょうにおもしろいとおもった。いままさに、ピート掘りの真っ最中。そんな光景が75歳のじぶんのこころを、いまさらながら熱くするのである。この「いままさに」。