凪いだ海のを見て。

 

熱海の海の朝日。

 

3月1日より、妻と関西方面に旅をしてきた。大阪に用事があったので、それを機に妻をともなって2泊3日の新幹線の旅をたのしんできた。

大阪へは商用で出かけたので、「お父さん、そのまえに、浜松で下車して、例のところでお祈りをしてからにしたいわ」というので、予定を変更した。「例のところ」というのは、浜松市の市役所のちかくにある元城町東照宮のことである。

東照宮は、15世紀ごろに築城された引間城跡の一角に建立されている。史料によれば、引間城は1570年(元亀元年)に徳川家康が入城すると、範囲を西に大きく拡大して浜松城となったところだが、旧引間城部分は、江戸時代には「古城」と表記され、米蔵として利用されたらしいというのである。

東照宮といえば、日光の東照宮がもっとも有名だが、ここにも東照宮がある。

そこは、宮司もいなくて、だれもいないのだが、ここに詣でた人物は歴史に名を残す錚々たる人びとで、豊臣秀吉、徳川家康など、ここから出世した人物がまことに多いのである。

江戸幕府をひらいた徳川家康は、29歳から45歳になるまでの17年間を、この浜松で過ごしている。浜松・浜名湖は、トヨタ、ホンダ、スズキ、ヤマハ、カワイなど、多くの起業家を出世させた地である。「出世の街 浜松」という呼び名がある。

じぶんはそういうことに関心はほとんどなかったのだが、妻がしきりにいうので、妻の顔を立てて浜松で一泊することにした。東照宮の向かいにはホテル・コンコルド浜松がにょきっと屹立(きつりつ)していて、都合よく予約をすることができた。

ホテルで旅装を解いてほっとひと息入れたのは、午後4時になろうとしていた。18階のホテルの窓辺から眺める風景に、浜松城がくっきりと西日があたって光って見えた。

 

東照宮にて。

境内を少しあるくと、松林がある。樹齢はどのくらいだろう。

落ち葉の下からアリが数匹這い出していた。――そのイメージはなかなか消えなかった。夕食のために1階に降りて、妻と向き合ってコーヒーを飲んでいたとき、そのアリのことを想いだした。

アリは、滑空するという話をどこかで読んだことがある。

「お父さん、ウソでしょ?」と妻がいう。

「アリが空を飛ぶなんていうそんな話、聴いたこともない」という。じぶんだって、一度も聴いたことがない。小さなアリが空を飛ぶ? 敵におそわれたとき、身を守るためにみずから落下するという話だった。

 

田中幸光。

 

木の上で生活するアリがいるのだ。

木から落ちても、すぐもどれるよう、高い滑空能力を身につけているという話なのだ。もう10数年もまえの英科学雑誌「ネイチャー」に、たしか載っていた。多くは地面ではなく、木の幹に着地し、10分以内に、もとの枝にもどってくるという記事だった。そんなふしぎな生物のことを想うと、

「きのう届いた手紙も、ふしぎだ。北海道の遠いいなかの中学生、――いや、いまは町の議員さんをしているらしい男から、とつぜん届いた手紙のことだけど、60年もむかしの話が、いまもつながってるんだよ。おどろいたよ! 母がつくったおやつが美味しかったとか書いてあってさ」と、ひとり言のようにじぶんはいった。

「なんですか? 60年って?」

「60年まえの友だちから送ってきた手紙のことだよ。ヨーコにはいわなかったけど、北竜町のサイトを見ていて発見したんだよ」

「なにを発見したの?」

「北竜町の三谷が、合併して大きくなったらしいよ。その会長さんからの便りがさ」

彼から送られてきた手紙によれば、三谷街道は全長26キロにおよび、増毛町の境界線までひろがったという話だ。

こっちは、ただただ想像するだけだが。

2年前に見た恵岱別、竜西の白い街道が、まわりがミドリなので、くねくねした道だけが白く見えたっていうわけ。

手紙には、北竜町文学振興会の要請で書いた、じぶんの原稿の一部がコピーされて同封されていた。それは「人はだれでも、子供時代は幸せであった」というタイトルの原稿で、最初の1ページのみだった。

「いつ本ができるの?」と、ヨーコがきく。いま、校正中だと書かれている。

それから翌日、ぼくらは大阪市役所ちかくのビジネス街に出かけた。

用事がすむと、こんどは熱海に向かった。熱海の海の見えるホテルに到着。MOA美術館に行くためだった。その日も天気がよくて、暑いくらいだった。MOA美術館はヨーコのお気に入りの美術館である。絵を見てから美術館で食事をし、のんびり過ごした。庭園をあるくと、さんさんと太陽の光が降りそそぎ、そこはもう夏だった。

あまりにのんびりしたので、ヨーコはいった。

「お父さん、絵の俊青会展のことだけどね、しめきり日、だいじょうぶなの?」と。

「4枚描くよ。2枚だけ申請していたけど、高橋俊景先生に2枚追加をたのまれてね」

「追加のほうのタイトルは?」

「あとで考えるさ」

定年後、18年勤務し、それも辞めたばかりだから、なんだか変な毎日だ。これからは勤務のことを考えなくてもいいのだ。嬉しいような、嬉しくないような気分である。

「MOA美術館、なにか参考になったの?」

「うーん、……」

「なに?」

「あんまり、参考にはならないな。おれの描く絵は、水彩のカット絵みたいなものだからね」

「そうね」

ふたたび新幹線に乗って東京駅に着くと、やれやれという気分だったが、ヨーコはとつぜん、認知症予防の講演会の話をした。

来週、大手町で朝田隆先生の講演があるという話だった。

「お父さんも行くのよ」という。

こんどは、認知症か、とおもった。

ヨーコは、ぼくの物忘れが気になるそうだ。

「きのうの夕食、なに食べたの?」と、とつぜんきかれても。これも認知症なのか、とおもってしまう。