フィンランドの作家――

人の差点」を読む。

 

トンミ・キンヌネン。

 

渡辺晋一先生、お元気ですか。

元旦には、年も押し迫った29日に投函したぼくのエッセイ集が、年賀状といっしょにとどいたそうですね。そんなに早くとどくとはおもいませんでした。

ちょっとごぶさたをしております。2017年になって、米トランプ大統領の就任式を迎え、メディアは連日わいわいやっております。日本からは幾人かが招待されて、晴れの就任式に行くそうです。

で、きょうは別の話をしてみたいとおもいます。

今年になって、世の中が変わったみたいに騒々しくなりました。政治的な話はさて措くとして、やっぱりぼくは、読書のなかで見つけたとっておきの話を語らずにはおられません。

先日は北海道の話をしました。そうです、123年まえの話です。123年まえ、「北竜」という名の村ができました。正確にいいますと「やわら」という村です。もともとは千葉県印旛郡の「埜原村(やはらむら)」からやってきた人びとですから、北海道の「やわら」は、彼らの第2のふるさとということになります。

 

「四人の交差点」(トンミ・キンヌネン、古市

真由美訳、新潮クレストブックス、2016年)

 

そのころはまだ独立した村にもなっていませんでした。新十津川村の分村として呱々(ここ)の産声をあげたにすぎません。

去年の8月、58年ぶりに、ぼくは北竜中学校同期会に出席し、先生にお目にかかりました。そこに集まった36人の同期生は、みんな驚いたとおもいます。だって、先生がきてくださったのですから。

まあ、お堅い話はよして、ここにフィンランドの作家が書いた小説、――100年の時間と、その一族の語られることのなかった秘密や、その家を描いた――「四人の交差点」(トンミ・キンヌネン、古市真由美訳、新潮クレストブックス、2016年)という小説があります。

作者はトンミ・キンヌネン、44歳。――聴いたこと、ありませんでしょ? ぼくもはじめて知る作家です。なかなかいい顔つきをしています。

経歴。――1973年、フィンランド北東部クーサモに生まれ、トゥルク大学を卒業後、教師として10代の若者に国語(これはフィンランド語です)と文学を教えるいっぽう、舞台の脚本も手がけているのだそうです。

デビュー作「四人の交差点」は、ベストセラーランキングで13週連続第1位となり、「ヌオリ・アレクシス賞」や、「キートス・キルヤスタ賞」など多数の賞を受賞し、すでに16か国で翻訳出版され、舞台化もされているそうです。2016年には、2作目の長篇「Lopotti」という小説を発表するなど、教師のかたわら、作家活動も本格的にやっているそうです。彼は家族とともに、現在トゥルクという都市に住んでいます。

まあ、祖母、母、娘、そして父の3代にわたる家族の物語なのです。

カナダの作家、アリス・マンローの得意とするような家族の物語とおもって、ぼくはきびきびした彼の文章の運びに惚れて手に取り、さっそく読んでみました。すると、アリス・マンローとはぜんぜんちがった物語になっているのですね。彼女は先年、ノーベル文学賞を受賞なさいました。

100年という膨大な時間の起伏に耐え、だれにも語られることのなかった世界があらわれ、だれにも読まれることなく燃やされた手紙の話や、だれにも聞かれなかった叫びが、あちこちにあらわれるのです。フィンランドという北国の、辺境の村で、人知れず耐えてきた人びとや家族の叫び声が、いま聴こえてくるという物語なのです。

家族は、どんな家族にもあてはまる主人公の資格というものがあるのですが、この物語には、そういう主人公に何ひとつ語られる資格というものがなく、主人公としての貫通行動の担い手になりきれない、切ない物語があることを語っています。

これは、これまでの小説の常識にはなかった発想で、そのおもいは、そこに住む家にこもっていて、家をめぐる過去への旅の話として読めるような小説です。

「あたしちふたりとも、ここにいまょう」

こことは、彼らの「家」のことです。

助産婦として強く生きた祖母、写真技師だった奔放な母、孤独なおもいでモノづくりに励み、若くして死んだ父。そういうばらばらな物語ですが、最後には4人そろって彼らの交差点で出会う。その彼らの100年は、いったいどういうものであったか、そういう話が描かれています。

ぼくはこの本を読みはじめて、いちども本を置きませんでした。きのうの深夜、370ページをぜんぶ読みました。すばらしい小説です。

なぜなら、――そうですね、かねて先生に申し上げているぼくの北海道の123年の物語と、瓜二つなんです。ぼくはショックを受けました。こういう手があったのか! と。疎外感とか、孤独とか、秘密とか、――そういう描き方をしているけれど、ぼくには100年という時間をかけて家族の《家》を建設する物語なんだとおもいました。

たとえば、第1章の「一九九六年 病院」は、記憶の痛みについて書かれています。

 

痛みが巨大な波となってかぶさってくる。わたしをとらえ、引きずっていく。点滴の瓶から血管へ流れ込んでくる液体が、痛みと苦しみを覆い隠している。体は引き裂かれるような激痛を感じているのに、わたしは感じない。

病室にいるわたしの手は、片方がヨハンネスに握られ、もう一方をカーリナに取られている。この女は四十年もおなじ家に住んでいるが、わたしはいまでも親しくファーストネームで呼びかけたりしない。

 

――こんな文章ではじまります。そして、第7章の「一九三〇年 求愛のさえずりの小道」は、……

 

どこで目を覚ましたのか、オンニはしばらく把握できなかった。向かい側に立つ石造りの建物の正面に太陽が照りつけはじめていて、窓ガラスに反射した光が射し込んでくる。寝返りを打ってベッドの上にあおむけになると、鉄製のベッドのスプリングが体の動きについてきた。部屋の中に向けた目の焦点が合ってくるのにまかせるうちに、天井の真ん中にあしらわれた、真っ二つにひびの入った石膏の円花飾りと、壁をぐるりに巡らされた、石灰で白くした幅広の板が見えてきた。首をまわしてみる。部屋は質素で、暗い色合いの壁紙が貼られていた。フラワーバルコニーの右に鋳鉄製のラジエーターがあって、隅には安楽椅子と、丸いかさのついた電気スタンド、ベッドが面している壁にドア。ベッドの頭上の壁に、木の十字架にはりつけられて苦悶するキリスト像がかかっている。

 

「うちに父さんとヨハンネスと母さんと、アンナがいるんだぞ。それでも足りなかったら、通りすがりの人たちに、手を貸してくださいと窓から呼びかければいい」その発想に、娘は笑っている。

「馬で引っ張り上げられる?」

「きっとできるさ。父さんがおばあちゃんをそりに座らせて、引き綱を持って階段を上がって、窓から垂らすんだ。そいつをヨハンネスがトゥオヴィラさんとこの首にくくりつければ、おばあちゃんは見事、上に向かって滑っていくってわけさ」

「電話、引いてくれる?」

「約束するよ」

 

うちのなかは静まり返って、家も死んだようになった。子供たちが巣立っていくにつれて、あの子たちの会話に出てくる姑は物語に変わっていった。「覚えているかな、昔おばあちゃんが」みんなが集まったごちそうの食卓で、子供たちはそんなふうにして、悪意も意地悪も感じさせない思い出話をはじめる。以前はおそろらく少し驚きを込めて、最近ではほとんど説明して聞かせるように。子供たちの話は、ともにテーブルを囲んで聴いていてるガールフレンドや夫に向けられてはいなくて、そういう人たちにはマッシュポテトやロースト肉の皿が回される。共通の思い出は、きょうだいのためでけに食卓に上るのだ。――

「おばあちゃんに言われたことある?」

「言われたよ」

 

この小説では、それぞれ秘密の部屋の奥にしまい込んで、だれにも打ち明けないということがあるそうです。だれにもです。そういうことのできる民族なのでしょう。

フィンランド人は、ふしぎな国民です。というのは、日本人が自然が好きなのとはちょっと違ったかたちで自然を愛しています。彼らは耐えることの好きな国民なのです。親の膝下からはなれて、いったんひとり立ちした家族は、どんなに苦境の最中でも、けっして親に泣き言をいわないようです。ひとりで闘うのです。クロスカントリーで知られる彼らは、よく冬山にひとりで行きます。

「さびしくありませんか?」ってたずねると、

「だれもいない森の中、最高だよ!」っていいます。

たったひとりになれるんだ! というのです。ぼくはまだ、こういうフィンランド人を理解することができずにいます。先生は、どのようにおもわれますか?