北竜町・ンケの

 

もう12月になり、8月にふるさとを訪れて以来、ぼくの脳裏に北海道・北竜町の三谷街道を、クルマで疾走したときに見た風景が頭をよぎります。恵岱別小学校の跡地に碑が建っていて、碑の後ろに記された文言が、幾星霜の時に耐えた物語のように読めました。

竜西で、畑仕事に精をだす女性とことばを交し、しばし仲間たちと歓談しました。「ここ、クマがでるんですよ」と彼女はいいます。

「クマ? ……」

ぼくらは、遠くまで見える青々とした田畑をながめ、山並みを見て、彼女にさよならをいって帰ってきました。その帰りに、ぼくは遠くに見えるペンケの森を見ました。

その森はあったのです。むかしのままです。

 

旅人は、樅の木を植える。

「洪水になれば、そんなものは流されちまうよ!」

と村人がいう。それでも彼は植える。

樅の木は太陽の下で、野ざらしを防ぐから。……

無益な仕事には、だれも微笑みを送らない。

値打ちを入れる入れ物が、変わったのだ。

旅人を疲れさせるだけじゃなく、風景まで悲しませる。

だから、旅人は植えつづけるのだ。

 

旅人の心は、富の源泉でいっぱいに膨らんでいる。

スコップに込めるテコの原理と真心は、

あのナザレの「幼な児」のように福々しく、

村人の心を和ませ、よこしまな風をさえぎるだろう。

生贄(いけにえ)の血を嗅ぐこともなく、

平和なペンケの森となるだろう。

十字の交叉する真ん中で、

人びとの心をきっと篤(あつ)くするだろう。

旅人は、それを信じるだけなのだ。

彼自身の営みは、ひたすら信じることで、はじまった。

「やってみることだよ」と彼はいった。

 

3年後、ふたたびペンケの森にやってきた旅人は、

無惨にも、えぐられた川の土手を見る。

抗争の生々しい傷跡。

激しいぶつかり合い。

――人間同士が戦うのがこんなに好きなのか?

河川の威力を味方につけた生々しい戦場の痕。

おんどりが時を告げるやいなや、人間は朝飯を

食らって、戦いに出かける。

「やつらが信じる神」をやっつけるために。

 

王国の歴史が朝日にあたって、

祝福しているようにそこにある。

彼は、帽子を取って上着を脱ぎ、

ふたたび樅の木を植える。

彼は、植えるだけの人生を生きたいと思い、

それを貫いた。植えるだけ植えてしまうと、

彼は、年老いて死んだ。

 

ある日、ぼくがペンケの森を訪ねる。

街道のわき道に、小さくて古びた

標識が立っているのを見る。

「樅の木のあるエタイベツ川」と

書かれていて、矢印がついている。

ぼくはそのわき道を歩いていく。

川のせせらぎが間近に聞こえる。

夏の日溜りのある森のあちこちで、

小鳥たちの囀りが聞こえる。

土手に向かう間道(かんどう)の入口に、

大きな石がおいてある。

ぼくは、その碑(いしぶみ)に刻まれた文字を見る。

 

「いま見るものは、いまのままである。

いまの現実は、未来には持って行けまい。

そこの人、行け!」

 

樅の木は、エタイベツ川の土手に沿って、

巨大なとばりのように連なっている。

それを植えた旅人の名前を記したものは

どこにもない。

ただうるさいだけの光にひるまず、

黙々と植えたその人は、

ひたすら植えるのに精を出し、

村人たちの「水準器」の狂いを、

ちょっとばかり、知らないうちに直したのだ。

 

――ペンケの森は、それで平和になって、

もう、だれも彼のことを口にする者がいない。

彼を知る者は全員死んで、3代目ももう息子たちに

家督をゆずる年代に年老いた。

 

ペンケの森を訪れた最初の日、

なぜか、ぼくはよそ者に思われた。たしかにぼくは、

もうすでに、ここに寄りつかなくなって50年がたつ。

あの風の音は、亡霊者たちのこだまのように聞こえる。

部族の訛りことばが、もう通じなくなって、

亡霊者たちのことばの音節が、若者たちを迷わす。

しかし、あのペンケの森は、いまもある。

――幸いにもぼくの心のなかに。