子の

 

サンフラワーパーク北竜温泉ホテル。

 

むかし読んだ小説を、ふたたび読み返す動機はいろいろありますが、半分はなつかしいからかもしれません。先日、ふたたび読み返したのは、ソウル・ベローの「その日をつかめ(Seize the Day)」でした。これを読んでいて、ぼくはニューヨークではなくて、北海道の風景を想い出したのです。もちろんひまわりです。そこが「サンフラワーパーク北竜温泉ホテル」だったからです。

いなかのホテルなんだけれど、そこにはむかしの仲間たちが30人以上もいて、みんなでお酒を飲んで、58年前の話をしているんです。

「彼女にラブレターを送ったのは、サブだよ」といったのは滝本光男くんでした。

「その話は、送られた女性から、聞いていますよ」とぼくがいうと、

「いつ?」というので、「ついさっき」というと、

「彼女、なんていってました?」とききます。

「うれしかったそうだよ。うれしかったけど、うーん、わたしのタイプじゃないっていってましたよ。それでね、だれがタイプなの?」ときいたら、

「それはいえないって! ぼくじゃないよね? ってきいたら、田中さんとは近づけないほど遠い距離だったわ」というんです。

「どうして? ってきくと、わたしにとって、遠い人でした」と、またいうんです。

「ぼくは宙ぶらりんの男だったからね」というと、

「そうじゃないわ、おとなしいけど、強い人だった」というんです。

「いまもそう思うかい?」ときいたら、

「いまも……」

「たばこ吸っているからかな?」

「それもある」とかいっていました。

「でも、わたしは田中さんじゃなく、中学生で、たばこが吸える人って、なんとなく、あこがれた時期があったわ」といいます。

「吸ってたやつ、いたかい?」

「いました」

「だれ?」

「ここにいない人よ」

「だれかな?」

「田中さんとは、ぜんぜん違う人」

「ぼくは少しは不良だったよ」というと、

「知ってます」と、彼女はいったのです。

へぇぇ? ……知ってたって?

「間違ったらごめんなさい。……だれかのことを、菩薩って書いてあって、ぼさつ、ぼさつ、ぼくのぼさつとかなんとか書いてあって。ははははっ! あれ、何ですか?」

「ぼくのノート見たの?」

「はい、見ました」というのだ。

ぼくは急に恥ずかしくなりました。ぼくは「菩薩」ということばを覚えたんだ。ある本には、「菩薩の境地」とかなんとか書いてあって、どんな境地なのかぼくにはわからなかった。とっても気持ちのいいことをいうらしいと察して、ぼくは「菩薩」という詩を書いたんだ。

でも、菩薩って何だろうって、考えたんだ。

それはいくら考えてもわからないんだよ。

たぶん、女の人の身体のある部分のことをいうらしいと考えたんだ。それは、「静子の店」でだったかもしれない。ぼくは静子のことを菩薩って呼んでいたっけ。よせばいいのに、ぼくは静子に菩薩の詩を見られてしまい、そればかりか、彼女はその詩を持っていってしまったのだ。もちろん、「菩薩」はぼくの暗号文で、静子にわかるわけはない。そう思っていたんだが、彼女にはわかったらしい。

「ゆきちゃん、文通でもしません?」って、彼女はいったんだよ。ぼくはドキッとして、こころの内を見透かされているみたいだった。それからぼくは、静子のことを菩薩だっておもっていた。それからぼくらの文通がはじまった。1年後、とつぜんぼくらの文通が途絶えた。静子が伴侶と巡り合ったのだ。その彼は、静子の旅館に泊まっていた客人だった。客人が酔ってリンゴ1個を盗んだというので、静子の父親は怒りだしたそうだ。それをとめたのが静子だった。

「お父さんのバカ! リンゴひとつ盗んだからって、……。わたし、この人といっしょになる!」といってしまったとか。話はそのとおりになった。客人は静子の夫となり、しばらくして父親は亡くなった。それから「静子の店」は繁盛し、やがて温泉を掘り当てた。

「静子の店に、いったことある?」ときくと、彼女は、

「ありません」といった。でも、ノブもコージも行くそうだよ。その話をよく聞くので、どんな店か、だいたいわかると彼女はいっていた。

「田中さんは行かないの? 従弟なのに」

「むかしは行っていたよ。いまは行かないけどね、……」

「行ってみたい?」

「行ってみたい」

「誘ってくれたら、わたし行ってみてもいいわよ」と彼女はいってた。

彼女にとって遠い存在だったはずなのに、ぼくのはじめての誘いに応じてくれるらしい。台風10号がやってこなけりゃ、その夢は実現していたかもしれない。あいにくと、ぼくはその翌日、小松茂樹さんとともに、旭川に逃げた。

そして旭川空港で、滝本光男くんとふたたび会ったんだよ。ウソみたいな話だけど、そのつづきの話を、機内でたっぷり話し合ったっけ。

すると、ふたたびサブの話になり、彼はもう、亡くなったという話になった。同期会で知ったことは、112名中、28人が亡くなっているということだった。

ぼくらはバカな話をし、あっという間に羽田に着いて、「また会おう」といって別れた。

こんど北海道に行くときは、きっと「静子の店」に行きたい。それもまたバカま話だ。

人はいったん躓(つまず)くと、バカでもいいと思うものだ。ほんものの大バカでも。バカであることに誇りさえ感じるものだ。誇らしいことなんか何もない――いいかい? 何もないのさ。おれはそういう態度をとったからっておやじを責めたりしない。

ソウル・ベロー「その日をつかめ」より