たし、婚するかも」2

 

 越谷で。この子は5年もこうして笑っている。

 

それはふたりだけの事件だった。

ふたりの秘密はずーっと守られた。廊下ですれ違うとき、おたがいに目礼し合っていた。「あの秘密、だれにも洩らしませんから」とおもいながら。

彼女もぼくも、ぜんぜん何も話さなかったのに、中学時代のふたりだけの思い出となった。そして、きょうでお別れというとき、彼女はグラウンドのほうにやってきたのだ。

やってきたのはいいけれど、香月幸子さんはしばらく、何もいわなかった。ぼくは息がつまった。胸が苦しくなり、何かいってよ! とおもった。すると、か細い声で、彼女はいった。

「田中さん、進学するんでしょ?」

彼女と会話をしたのは、そのときがはじめてだった。ぼくはどきどきしていて、急にはことばが出てこなかった。

「……ええ」と答えた。

そしてやおら10分ほどして、ぼくは、

「香月さんは?」ときいた。

彼女は下を向いたり、雪を踏んづけたりしていて、なかなかいわなかった。10分ほどたって、彼女はいった。

「わたし、……お嫁に行くかもしれません」といったのだ。

ぼくは、頭がガーンと鳴った。

お嫁にだって? 

お嫁に? ……ぼくは、地球の自転が一瞬止まったように感じた。

彼女は自分の人生のスタートをだれよりも早く切ろうとしている。ぼくを置いてきぼりにしようとしている。ぼくは香月幸子さんが、急に大人びた顔に見えた。結婚して子供をつくる気だろう。

ぼくが高校を出るころには、彼女には子供が生まれているかもしれないのだ。――ほんの少しの時間だったが、ぼくの願いはヴィッグバンみたいに打ち砕かれた。

あのころの淡い希望は、北海道の雪だるまになったまま凍りついてしまった。凍りついてしまった記憶を、ふたたび溶かすのは、容易なことではない。それができるのはぼくじゃない。ぼく以外のだれかだ。そうおもって、ぼくが50歳くらいのころ、その出来事を小説に書いた。

それを読んだ同僚は、

「田中さんは、おんな心を知らなさすぎますよ」といった。

「彼女が、お嫁に行くかもしれないといったのは、そこで、行かないでくれって、いって欲しかったんですよ。もったいない話だ!」と、彼はいった。

ははーん、そういうことか!

30年以上もたってから合点するという、なんという間抜けの自分に、あきれてしまった。そうして、ぼくは小説なんて書けないな、とおもった。書けるわけがない。

そしてぼくは、北竜高校と札幌南高校に進学し、香月幸子さんや、小松茂樹さんたちとは別れてしまった。その後の仲間たちのことはわからなくなった。だが、みんなの顔はちゃんと今でもおぼえている。

学級委員の長谷川の律ちゃんも、素早い人生のスタートを切った。律ちゃんは、小学校の時代から、大人の魅力がそなわっていた。明るくて、ドッジボールが得意で、その軽やかにはずむ彼女の重みは、男子生徒の視線をあつめていた。

律ちゃんは、57歳の律ちゃんとなり、その年の秋、ぼくらは再会した。

そして香月幸子さんの話を聞いた。

「彼女、結婚が遅かったのよ。クラス会に、子供さん連れてきたわよ」という。

「田中さんが彼女のこと、好きだなんて、ちっとも知らなかったわ」と律ちゃんはいった。

そればかりか、律ちゃんは、ぼくのことを覚えていないといったのだ。

「……ごめんなさいね。卒業アルバムを見たら、わたしとツーショットで、学級委員として写真に写ってたのね。田中さんて、おとなしかったから、ごめんなさいね、よくおぼえていないのよ。……写真見て、わかったわ」と彼女はいった。

だから、小松茂樹さんから電話を受けたとき、ぼくはつぎつぎに同級生の話をするものだから、彼はびっくりしていた。

ぼくは落ちこぼれだったから、みんなの輪に入れなかったのだ。

そういう自分を変えようとおもったのは、中学校を卒業した瞬間だった。自分でも、それまでの自分とは180度変えたいとおもっていた。

高校生になると、全方位独学で、猛烈に勉強した。

テキストは2倍。日曜日には沼田高校に通った。夏休みの2ヶ月間は札幌での授業を受けた。ぼくには日曜日というのはなかった。それは自分との闘いだった。

広辞苑を読破し、漢和辞典を読み、英和辞典を読み、ことば、ことば、ことばの連続で、やがてシェイクスピアの「never,never,never」の世界を知った。

高校生でフランス語や、フランスの亡命文学時代に取り込んだのは、おそらくぼくだけだったろう。80枚の論文、「フランス文学史上における亡命文学とその時代」を完成させたのは高校を卒業する寸前だった。大学受験の勉強など、何の関心もなかった。もしもそのころ、香月幸子さんと再会していたら、まったくべつの人生を歩いてきただろうとおもう。

「たしかに、あなたは変わったようですね」と、小松さんはいった。

「変わりましたとも! 自分でいうのもなんですが、三国志に出てくる《男子3日会わざれば、括目して待て》ですよ。3日も会わないとですね、人は変わっているぞ、気をつけろ! というわけですね。妻にもいいます。妻はおそらくぼくの顔なんか、とうに見飽きているにちがいないんです。だったら、こっちが変わればいいんだと思いましたね」

「うーむ」

「でも、ぼくはむかしの友にはこころから感謝しています」

「ほう」

「ぼくがおまわりにつかまって、何かの容疑をかけられて尋問を受けても、ぼくはいっこうに平気です。だってそうでしょ?」

「は?」

「ふるい友は、忘れるもんじゃありませんね。ぼくのことをいちばん知っているのは、さいきん知り合った友じゃなくて、ふるい友ですよ。田中を知る、田中の専門家は、いってみれば、むかしの友なんですからね」

小松さんは笑っていた。

「あなたと、あらためてことばを交わすと、わかりますねぇ。田中さんは変わったっていうか、……」

「ありがとう。――ついでにいいますと、いまフランソワ・ロシュフコーのことばを想いだしますよ」

「それは何ですか?」

「えーとですね。《旧き友を試すために、新しき友を求めることなかれ》っていうんです。これ、ぐさりと胸に突き刺さっていますよ。そして、かつてのおとなしいぼくは、冗漫で、饒舌家になりました。《少しも尊敬していない人を愛すのは難しい。しかし、自分よりはるかに偉いとおもう人を愛することも、それに劣らず難しい》っていうんですが、これはあたらない」

「ほう」

「ぼくは、川田浩二という友人をこころから尊敬しています。生徒会長をしていた彼ですね、偉ぶることなく、ぼくなんかと、つき合ってくれましたからね。7月30日、東京でのクラス会、たのしみですよ」とぼくはいった。

電話を切った翌日、昼寝をしていて、ぼくは小松茂樹さんの夢を見た。2度目の電話で、小松さんにその話をした。

「夢の中身? そいつは、会ってからのおたのしみっていうことにして、……」とぼくはいった。

「わかりました。たのしみにしていますよ。……夢ですから、消えてなくならないようにね」

「はい。メモっておきます。夢も、肉体も、この世の舞台で自分らしく演じるにはなくてはならないものですが、芝居の出場がなくなると、さっさとこの世の舞台から消えていきますからね。それを避けてとおったものなんか、ひとりもおりません」

「ははははっ、……おしまいの第4幕ということですか?」

「消える前に、ぼくは香月幸子さんと再会しておきたいですよ。今なら、平気で会えます」とぼくはいった。

「すごいですね。50年まえのこと、まだ忘れないんですね」

「忘れるもんですか! でも、みんなつながってるんです」

「みんな、つながつている感じですね」と、彼もいった。

都内でクラス会をしようという電話だったが、電話でふたりだけのクラス会をはじめている気分だった。この「みんなつながっている」というのは、ぼくの発想ではない。電話ではいわなかったが、ぼくはそのとき、柄にもなく、知り合い関係を芋づる式にたどっていけば、比較的かんたんに世界中のだれにでも行き着く、という仮説「スモール・ワールド現象」についてちらっと考えていた。

「自分の知人の、そのまた知人の、さらに知人の……、とたどっていけば、あらゆる人に行き着くことができる――」というのは、じつにふしぎなことだ。つながっているのに、出会うことはない。出会いたい人に、いっこうにたどり着けない。

だが、待てよ!

「お父さん、まだなの?」と妻から電話がきた。そうだった、夕食ができたといっていたのだった。あした考えよう。