たし、婚するかも」1

 

 

この世は、みんなつながっているという人の話を聞いて、そうだろうな、とぼくは考えた。たとえばFacebookは、Facebook, Inc.が運営するインターネット上のソーシャル・ネットワーキング・サービスのことで、ふつう「FB」と略されることもある。Facebookはぼくもやっているので、みんなどこかでつながっているとおもってしまう。

あの世とこの世はつながっていないけれど、生きているかぎり、みんなつながっている。そこで、「6次の隔たり(Six Degrees of Separation)理論」を持ち出す人がいて幻滅するけれど、つながる人は、そんなことは考えない。

――先日、7月14日のことである。

北海道の中学時代の友人からとつぜん電話を受けた。中学校を卒業してからもう50年以上たつ。その間、ぼくらは一度もやりとりなんかしていない。電話もしていないし、会ってもいない。

――そういえば、平成11年に、ぼくは北海道へ行ったとき、同級生だった長谷川律子さんと、砂川で会っている。彼女に会うために、砂川の彼女の美容室へと出かけたのである。そのときに、彼女の口から「小松」という名前を耳にしている。

それ以来、ぼくは彼のことも、クラス会のことも、北海道の仲間たちのことをすっかりおもい出すことなく、漫然区々と過ごしてきた。

電話の相手は、

「田中さんですか? ぼく、北海道の中学校で同級だった小松です」といった。

「おお、小松さん、小松茂樹さんですね?」と、ぼくはいった。

深く考えもしないで、反射的に彼のことをおもい浮かべたのだった。ぼくの知る小松さんは、小松茂樹さんのほかに知らない。

名前は、いってみれば俳句のようなもので、上の句を聞くと反射的に下の句が出てくる。「古池や……」と聞けば、「蛙とびこむ水の音」だ。

「おぼえていて、くれましたか。お元気ですね?」と小松さんはいった。

彼も74歳になった声だった。

だが、ふしぎなことに、彼のイメージはいまも中学生のときのままなのである。髪の毛がないという小松さんは、いま、想像することもできない。

「あはははっ、……ご覧のように、ぼくはとっても元気なんですよ」とぼくはいった。まるで、このあいだまで会っていたかのような会話がいきなりはじまった。同郷同胞のきずなは、半世紀を跳び越える。

「渡辺先生、おもい出しますよ」というので、ぼくは、

「渡辺晋一先生ですね?」といった。この先生はぼくに書を教えてくださった。書ばかりか、漢詩というものを教えてくださった。漢詩を臨書するのだ。臨書って、書き写すことだと勝手におもっていた。

「うーん、うまく書けたな。田中、おまえ、それを読んでみろ」と先生がおっしゃったのだ。ところがぼくは読めなかった。ぼくが読めないことはみんなはとうに知っている。先生だって、そのはずだ。

だがぼくは、みんなの前で恥をかかせやがって! なんてちっともおもわなかった。ただ、転校してきたひとりの女の子、可愛い女の子だ、――その香月幸子さんだけには知られたくなかった。書道教室での出来事である。先生は、なぜぼくの書をほめてくれたのだろう。そのうちにうまく書けるぞ、なんてけっしていわない先生だった。

「おまえたちは、いま、履修しなれければ、永遠にうまくなれないぞ!」とおっしゃった。人の気持ちも知らないで! なんて、ぼくはぜんぜんおもわなかった。ぼくはまじめに受け止めた。

しかし、そのうちにぼくは真っ赤になって、先生を恨んだ。そしてその日、ぼくは決意した。まったくの落ちこぼれだったぼくは、勉強しようとおもった。そのうちに、先生を恨むのは筋違いだ、とさとった。そしてぼくは父といっしょに深川の街を訪れ、書店で広辞苑の初版を手に入れた。知識の辞典はこんなに重いのか、とおもった。とてつもなく深い未知の自然をのぞき見るように、ことばの海は、だれも渡ったことのない韃靼(だったん)海峡を渡ったタタール人のような気分だった。ぼくのからだのあちこちに、たちまち力こぶがみなぎった。

そしてぼくは、

「高橋隆先生もおもい出しますね」と、つけ足した。

高橋隆先生はぼくらの担任で、新聞に、ぼくの短歌が掲載されたことを歓び、「北竜中学校3年、田中幸光」と出ていた「学問を卒えたる途の冬木立」という句をご覧になり、ほめてくださったことをおもい出した。

ぼくが密かに好きだった香月幸子さんは、ぼくの句を読んでくれただろうか、なんて考えた。

《ぼくはあなたと別れる日、とても悲しかった》と告白することはできなかった。卒業式が終わった午後4時ごろ、校舎を離れて、グラウンドのほうに雪をかき分けて歩いて行った。

雪原がどこまでもうねって、夕日にあたって光って見えた。

すると香月幸子さんが、こっちに向かってやってくるのが見えた。

マフラーで顔を隠していたが、ぼくの目は、彼女であることをすぐにわかった。ぼくは彼女とほとんどことばを交わさなかった。――だが、ぼくと彼女は、すごい体験をしている。

ぼくが学級委員会で決議されたことを、後ろの黒板にチョークで書いていたとき、彼女がやってきて、ぼくの後ろでじーっと見ていた。それは気配でわかった。ぼくはとても緊張した。

すると、彼女はくしゃみをした。

いや、くしゃみをこらえたのだ。

すると、彼女の後ろから大きな音が飛び出した。いやー、なんというか、……ぼくは聞こえなかったフリをしたんだっけ。

チョークを持つ手は、中途半端にとまったまま、もう動かなくなった。それはPieeeeeeeeeという、かなり高音域の波動に聞こえた。宇宙派なら波長が長くてだれにも聞こえない。ビッグヴァンはだれも聞くことができない。それだったらいいのにとおもった。それから30年もたって、ぼくはそんなふうに考えた。

香月幸子さんの狼狽する顔を想像していた。

聞こえませんでしたよ、なんていえばよかったのだろうか。ベートーヴェンじゃあるまいし、……。

そんなことがあって、しばらくして、ある日の下校時に、ぼくは正門を出たところで、おしっこを飛ばしていた。すると、香月幸子さんが急にあらわれたのだ。おしっこは止まらない。「すみません」といって、ぼくはおしっこをしながら、頭をさげた。彼女は、ぼくの後ろを大急ぎでとおり、校舎のほうに駆けて行った。

そういうことがあったのだ。