マルセル・パニョール、
笑いの科学。
マルセル・パニョール(Marcel Pagnol、1895年-1974年)は、フランスの小説家、劇作家、映画作家である。
その自由を、人は忘れてしまうらしい。
たとえ身を拘束されていても、脳は自由であることを。
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ヨーコから新聞の切抜きを渡された。
それを読んだ。
「記事の感想を聞きたい」というので、書いてみた。市川海老蔵さんの記事が目にとまったというのだ。彼の歌舞伎にたいする古典観を述べていたが、よく分からない。ただ「古典は作るもの」といっている。歌舞伎が誕生したのは、天正時代であるという。そのころは、電気というものがなかったから、ロウソクの明かりで舞台を演出していたことになる。古典歌舞伎ということばがあるらしい。
歌舞伎といっても、能の幕間(まくあい)狂言から生まれた当時は、肩のこらない寸劇だったはずである。寸劇にはエスプリが必要だ。
劇作家マルセル・パニョールによれば、笑いは、笑う本人のなかにあるといっている。40年ほどまえに読んだマルセロ・パニョールの「笑いについて」(岩波新書)という本は、そういう笑いの本質に触れている。この記事では、そういうことは書いていない。ただ、古典は作るものだと書かれている。リニューアルするもの、そういえるかも知れない。
「~どこまで行ったやらという例の句、……どうも気になりましてね。考えはじめると眠れなくなりましたよ」とSさんが顔を出して、そんなことをいう。
その話は、たしか去年だったか、Sさんとすでにおしゃべりしたことがあるという話をした。
「そうでしたっけ?」という。
「あれは、だれの句だったか、おもい出しませんな」というので、
「蜻蛉(とんぼ)釣り今日はどこまで行ったやらでしょう?」
「それそれ」
「……加賀千代女の作らしいですよ」というと、
「加賀千代女。ははあ、……おもい出しましたよ」といって、たばこの煙をぷーっと吐いた。
「でも、だれかが勝手につくった贋作であるという説もあるそうですよ」
「贋作ですか!」
「そうじゃなかったですか? たしかなことは、わかりませんけどね、……」
「いつだったか、ミヤコワスレの花をじーっとながめていますとねぇ、トンボ釣りの句が思い浮かんできましてね、……」という。
ああ、あのとき、鉢に植えた「ミヤコワスレ」が玄関においてあったことがあった。
「加賀千代女ねぇ、……」
この人は加賀藩の表具屋の娘だったらしい。
おそらく江戸の加賀藩邸に関係する仕事をしていたのではないかとおもわれる。父親は表具職人。
先日、図書館の帰りに喫茶店で偶然出会った青年とおしゃべりをしたという話をした。偶然といえば偶然なのだが、おなじ喫茶店でよくお目にかかっている青年で、獨協大学の学生さんだ。彼はノートブック・パソコンを持っていて、隣り席になってぼくが本を読んでいたら、声をかけてきた。
「ちょっといいですか? スカイラークのスペルは、lark、それともlerkでしたか?」というのだ。
「スカイラーク? ……ほう、ぼくの好きなことばですね」とぼくはいい、「skylarkですよ」といった。
「北海道の片田舎には、いっぱい飛んでいましたよ」
「北海道ご出身ですか? ぼくは岡山です」と彼はいった。
「北海道の北竜町の出身です。ご存じですか? いまじゃ、ひまわりの町ですよ」
「いいえ、知りませんけど、……」
「そうですか。……でも、skylarkって無造作にいってしまうと、誤解されますよ」といった。
「え? なぜですか?」
「ほら、skylarkって叫ぶと、ふざけるな! って聴こえちゃいますから」
「そうでけすか?」
「アメリカではそうです」
「ぼく、アメリカには行ったことがありません」
「やがて行くでしょう。ぜひそのときは、ニューヨークに行ってください。マンハッタンの、高級レストラン《21》があるはずです。その店には、いまもヘミングウェイの写真が並んでいたら、写真に撮ってきてほしいな」
「《21》ですか、おぼえておきます」「でね、大きな声で、ボーイにskylarkなんていわないでね」といった。
ひばりは「スカイラーク」という。
英語ではskylarkと書く。「skylark」といって叫んだら、「ふざけるな」「バカ騒ぎする」という意味にもなる。レストランに「すかいらーく」という店があった。ほとんど行ったことがない。日本語ではひばりのことを「雲雀」と書く。雲という字があるのは、雲間からその鳴き声が聞こえることから名づけられたようだ。これには「告天子(こくてんし)」という別名がある。むかしの書物では「日晴(ひばり)」と書かれている。
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脱線した。――マルセル・パニョールは、ふたりとも、耳が聞こえない男を登場させ、ふたりが、さも耳が聴こえるかのように会話するという劇を創作した。これは笑えるのだ。街行く人たちには、彼らは耳が聞こえないやつだとは知らない。
「釣りに行くのか?」ときくと、相棒は、
「いや、釣りに行くんだ。おまえはどこに?」
「おれはてっきり、おまえは釣りに行くのかとおもったよ」
まあ、こんな他愛もない会話がえんえんとつづくドラマだ。笑いは、それを見た人にあって、当人にはない。
アイルランドの作家、劇作家のサミュエル・ベケットに、戯曲に「ゴドーを待ちながら」という名作がある。副題に「二幕からなる喜悲劇」と書かれている。これは1940年代の終わりにベケットの第2言語であるフランス語で書かれたという。初出版は1952年で、その翌年パリで初演。
また、不条理演劇の代表作として「マーフィー」という作品がある。
「ゴドーを待ちながら」では、ゴドーを待つふたりの男の会話だけでドラマが進行する。けっきょくゴドーはあらわれないというのが、物語の本筋。人間は、いつもだれかを待っているのだ。待ちながら、人は成長し、生き、年老いる。これで彼はノーベル文学賞を受賞した。
「ああ、そこから《マーフィーの法則》ってやつが生まれたんですかね?」と、Sさんがきく。
「マーフィー。……まさか!」
マーフィーの法則とは、――
「失敗する余地があるなら、失敗する」し、「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」という話だった。つまり、先達の経験から生じた数々のユーモラスで、しかも哀愁に富む経験則をまとめたもの、といわれていて、さっきのマルセル・パニョールの劇を理論化したような考えだろう。たしかにユーモアの類で、単純に笑えるものだけれど、なかには悲しいほど重要な教訓を含んでいるものがある。
――では、ここにじっさいに起こった、笑うに笑えない歴史的な出来事をあげてみよう。
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ナイジェリアの某将軍が国賓としてロンドンを訪れ、ヴィクトリア駅までエリザベス女王が馬車で出迎えた。いっしょに宮殿へ向かう途中の出来事だった。
ふりたが馬車に乗っていると、2頭のうち、1頭の馬が尾っぽを高くあげ、国賓目がけて大きなおならをぶっ放した。女王は、将軍のほうに向かってこういったのだ。
「まあ、ほんとに、申しわけありません。いらして早々、こんな粗相をいたしまして、……」
「いや、どうも。……お気になさらないでください」といい、
「――わたしは、てっきり馬がしたのだと思っていましたから、……」と。
女王陛下は、これには何も弁解されなかったらしい。にがにがしい顔をして、「わたしじゃなく、馬が、……」といわなかった理由を知りたいと思った。こんな話、ニュースにもならないけれど、だれかが、かげ口でささやき、ひろまったものかもしれない。やがて、加瀬英明さんの耳にも達したのだとしたら、なかば、公然たる話といえる。
彼の父は、外交官の加瀬俊一で、母・寿満子は、元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘で、加瀬英明さんは、どのようないきさつでこのエピソードを聴くことになったか、それはわからない。日本外交のれっきとした本のなかに、この加瀬英明さんの話が出てくる。だからマルセル・パニョールの劇よりおもしろいのだ。