曳建夫の文明論。

する知」を読んで。


 文化人類学者、船曳建夫氏。

1月6日付けの読売新聞に文化人類学者の船曳建夫氏(東京大学名誉教授)が、「日本人 枠の中で互いに従順」という見出しの記事が書かれているのを読んだ。その記事を読んで、ぼくは船曳建夫氏の書かれた「旅する知」(海竜社、2010年)という本のことをおもい出した。船曳氏は、世界のあらゆる都市を旅されている。サンクトペテルブルク、パリ、ロンドン、ニューヨーク、ソウルの五大都市を中心に「昔」と、「昔が姿を変えた今」を比較しながら、文化人類学の目をもって、その変わる命題の答えを探っていることに興味をもった。

彼がはじめて海外に出かけてからやおら半世紀がたつ。地球上のいろんな国や地域を旅してきた感じだ。そして見つめてきた歴史の時間とともに、あらゆる場所が現在のようにおおきく変わっていった。そこには世界の移り変わりのふしぎなおもいが一杯に満たされいて、その描写をエッセイの形にまとめられたのが「旅する知」という本である。


 船曳建夫「旅する知」。

この半世紀には、東西冷戦の時代があった。街ゆく人びとの表情をこわばらせ、世界のあちこちに暗い影ばかりが落ちていた。そこから解き放たれたとき、人びとはどんなおもいをしただろう。人びとの表情は明るくなったように見えた。

しかし、ほんとうに明るくなったのだろうか? 

希望の見える新しい世の中になったのだろうか?

東西冷戦という巨大な圧政から解放されたというのに、ロシア人は相変わらず陰鬱そうな表情に逆戻りし、いわば冷戦のビクター(勝利者)であるアメリカ人も、いっこうに先の見えない不安から解放されているようには見えない。

だとしたら、この状況をどう捉えたらいいのだろうか? 

歴史家や政治家たちが描く冷戦後の国際関係史は、そういう質問には答えてくれない。人びとの暮らしぶりの変化や、人びとが冷戦を乗り越えてきた彼らの経験値におもいを馳せながら、文化人類学的な側面から、この半世紀の冷戦後にいたるまでの時代をみつめ直してみる。それはまさに、ひとつの旅だろう。

いっぽう、新聞に投稿された記事は、シリーズ名を「羊を生きる」と題されていて、羊の話も出てくる。「古今の日本人論には、強者や権威への従順さを挙げるものがある」とし、「もっと主体性を持てないのかという嘆きもしばしば聞かれる」と書かれている。

たとえば動物の従順さとは、人馴れしているということ。家畜化される過程で、人間に頼ったほうが有利だとわかって従ってきたこと。羊は学習能力や環境適応力が高く、そのため古くから飼育されてきたという。そういう羊は世界の飼育頭数でいえば、10億頭にのぼるそうだ。

はたして日本人は、「従順な羊」なのだろうか? と問うている。

「羊は草を食べて移動するでしょう? そこは違っていて、日本人は動きませんよね」といっている。

ぼくは村上春樹の小説「羊をめぐる冒険」をおもい出した。あれは冒険なのだろうか、とおもう。羊が写っている写真に触発される主人公。「僕」の友人の「鼠」によって、北海道から送られてきた写真だったが、「僕」は会社を辞め、ガール・フレンドといっしょに北海道へ渡るという話だ。

動かないことが、日本人のあり方を規定しているようだという。

島国で、海と山にはさまれ、日本語ということばを、いわば外枠として張り巡らして暮らしている。その内側では、互いに助け合ったほうが得であって、そうではないと頑張ってみても、けっきょく損になると骨身にしみてくる。ひとりひとりの「同等性」を基礎にして、「お互いがお互いにたいして従順なんだと思います」と氏は語るのである。

戦後の日本人論の起点ともなるルース・ベネディクトの「菊と刀」など、集団主義的な視点をとったのは、むしろ日本と交戦したのはアメリカ側の恐怖心によるもので、じつは、互いの損得から従い合うようなまとまり方をしていると見た氏の視点と重なっている。

氏は「海岸線」ということばを使っている。

海岸線と日本語というものによって、日本人は外枠をつくった。ひとつの場所から動かない。それがのちに、外国を意識したとき、日本人は不安になった。幕末に活躍した吉田松陰や高杉晋作の不安と少しも変わらない。

氏の「《日本人論》再考」(日本放送出版協会、2003年)では、近代を通じてその不安の形に応じた日本人論が書かれてきたことを裏づけている。

そして開国と同時に、欧米の情報や暮らし方を取り入れるようになったが、さりとて、西洋側に立つこともできず、アジアにも戻れないままでいるのが、いまの日本人像なのだろうという。

「世界のどこにも仲間がいない孤立感、それを裏返しにして肯定するようになったのが、現在の日本人なのではないだろうか」と分析している。

世界に10億頭もの羊がいるというけれど、島国度の高い日本は、近代までその羊は広まらなかったといっている。

これは、ぼくは文明論であるとおもった。

近年はメディアへの露出も多くなり、歌舞伎や文楽など、芝居を趣味にされているというこの学者には、ぼくは一度もお目にかかったことはないのだけれど、なぜかゼミで接しているような親しみを感じている。