語は、

ずかしいという話。2


 ミケランジェロ作「ダビデ像」。

かつてアメリカで、小さな銀行が大銀行を飲み込む買収劇があった。――巨大企業パン・アメリカン航空が、ローカル企業のアメリカン航空にあっさりと飲み込まれたのも記憶にある。

ちょっと古いけれど、2000年2月、イギリスの金融界を揺るがす大きな事件があった。

イングランドの名門銀行、ナショナル・ウェストミンスター銀行(通称ナットウェスト銀行)に対し、バンク・オブ・スコットランド銀行(BOS)が買収をしかけ、その後、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド銀行(RBS)も買収に乗り出し、両銀行のあいだで激しい買収合戦が繰り広げられた。そして、翌年の2月、ナショナル・ウェストミンスター銀行がロイヤル・バンク・オブ・スコットランド銀行の買収提案に応じると発表し、決着がついた。

この買収劇は、2つの点で画期的な出来事だった。

ひとつは、スコットランドの銀行がイングランドの銀行を買収したことである。

もうひとつは、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド銀行(RBS)の株式時価総額がナショナル・ウェストミンスター銀行の約半分であったという点である。常識で考えれば、とても買収できるとはおもえない。ロイター通信によると、この合併によって資産規模の時価評価でヨーロッパ第7位、イギリス第3位の大銀行が誕生したという。なぜ買収できたのだろうか、その裏話はこの本筋から脱線するので省略するけれど、さて、「タイム」にはどう報じていたか。

ナショナル・ウェストミンスター銀行は、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド銀行による総額210億ポンド(約3兆7000億円)の買収攻勢に屈したことを認め、「タイム」は、「最新テクノロジーを背景にしたリテール分野の銀行革命が進行中である」と述べた上で、つぎのように報じた。

 

So, David beats Goliath as the Royal Bank of Scotland ends NatWest`s three centuries of independence.

したがって、ダビデがゴリアトを倒した。ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド銀行の3世紀にわたる独立に終止符が打たれた。

 

ここで突然、聴いたこともない「ダビデがゴリアトを倒す」という文章が飛び出してくる。そこにつづられている「David」は、どうして「deivid」と発音される語なのに、なぜ「ディビッド」ではなく「ダビデ」となるのか? 

約3000年前、イスラエルの第2の王となったダビデは、若いときは羊飼いの少年だった。このダビデの話は、「旧約聖書」に出てくる。英語版のDavidは、日本語版では「ダビデ」となっている。日本語は人名や地名を現地の発音に準じてカタカナを使用するので、聖書のなかにあるDavidは、ヘブライ語の読み方では「ダビデ」となるが、英語では「ディビッド」と発音する。

「ダビデの星(Star of David)」は、2つの正三角形を60度ずらして重ね合わせた6星形の象徴。ユダヤ人にとってはキリスト教徒にとっての十字架のようなもので、ゲシュタポに逮捕されるユダヤ人の腕には、この「ダビデの星」を入れた腕章をつけられる。

映画「シンドラーのリスト」でもおなじみの光景だ。英語ではthe City of Davidと書いて「エルサレム(Jerusalem)」となり、David and Jonathanと書いて「無二の親友」となる。

ダビデとゴリアトは、「旧約聖書」の「サムエル記」に書かれている。欧米などのキリスト教文化圏ではよく知られた紀元前10世紀ごろの物語である。ダビデは羊飼いの少年で、たて琴の名手だった。

彼はベツレヘムの長老エッサイの8人の息子の末っ子である。当時イスラエルはペリシテと戦争している最中で、両軍がにらみ合った状態だった。ペリシテ軍にはゴリアトという、「背丈3メートルを超え、頭には青銅の兜をかぶり、身には125ポンド(約57キログラム)の青銅の鎧をまとい、足には青銅のすねあてを着け、肩には青銅の槍を背負った」男があらわれた。

彼は、イスラエルの隊列に向かって一騎打ちを要求。

自分が勝てばイスラエルが、イスラエルが勝てばペリシテが奴隷になるだろうという場面。イスラエル軍は、彼の勇士を見て震え上がった(「サムエル記」上、17・1・11)。その巨大なゴリアトに立ち向かったのは、なんと、少年ダビデだった。

ダビデは武具も着けず、近くの川で拾ってきた石5つを入れた投石袋を持っている。杖、石投げヒモだけで、ゴリアトと対決しょうというのだ。

少年が出てきたのでゴリアトはダビデを侮り、ダビデの投げた石で額を砕かれ、前のめりになったところでとどめを刺されるのである(「サムエル記」上、17・17・51)。神のご加護を受けたダビデが、邪悪な敵ゴリアトを打ち破るというシーンである。

さて、このふたつの固有名詞は、その後善悪を切り離して、小さい者が大きい者に打ち勝つという、大きさの対比でのみ使われる熟語になった。

先のニュースがまさにそうで、巨大なナショナル・ウェストミンスター銀行をゴリアト、小さなロイヤル・バンク・オブ・スコットランド銀行をダビデになぞらえ、小さな銀行が、強大なナショナル・ウェストミンスター銀行を買収したと報じている。欧米人にとって、DavidGoliathということばを聞いただけで、この物語をそくざにおもい浮かべることができるだろうけれど、われわれ日本人には、とんと馴染みがない。

NatWestはナショナル・ウェストミンスター銀行、Royal Bankはロイヤル・バンク・オブ・スコットランド銀行。略して書かれている。

世界最高峰のヨットレース、アメリカズ・カップの挑戦艇を決めるルイ・ヴィトン・カップが大詰めを迎えていた2007年1月20日、米「ニューズウィーク」誌の記者は、レース会場からつぎのようにレポートした。

 

On New Zealand`s treacherous Hauraki Gulf,America One from San Francesco is battling to bring home yacht racing`s Holy Grail.

ニュージーランドの、油断のならない天候のハウラキ湾では、サンフランシスコから参加したアメリカ・ワン号がヨットレースの聖杯を故国に持ち帰るべく、奮戦している。

 

1851年、イギリスから持ち帰って以来、アメリカが堅持してきたアメリカズ・カップ。

しかし1983年のアメリカズ・カップで、ニューヨーク・ヨットクラブのリバティー号がオーストラリアⅡ号に敗北。カップはオーストラリアに奪われてしまったという解説記事がある。これをきっかけにアメリカズ・カップはさまがわりした。レース終了後、オーストラリア側は勝利をもたらした秘密兵器、ウィンドキールという最新型のキール(竜骨)を公開した。以後、現在までつづくヨットの技術開発競争がはじまったというのが、記事の中身である。

1999年10月、7つの国の11隻のヨットが参加し、ルイ・ヴィトン・カップは開幕した。そしてアメリカ・ワン号はルイ・ヴィトン・カップの決勝に勝ち残った2隻のうちのひとつになった。

アメリカ・ワン号がここまで残ったのは、その開発のために3000万ドル(約32億円)もの費用を投じた最新技術に支えられていたからだった。アメリカ・ワン号の船長ポール・カヤールによれば、勝利の70パーセントは技術によるものだと明言した。

しかしイタリアからやってきて、同様にここまで勝ち残ったプラダ・チャレンジ号は、さらにその上をいく600万ドルを費やしていた。両艇の対決を1月26日、「ニューズウィーク」誌のピーター・ジェニングス記者は、Holy Grailということばを使って、つぎのように伝えた。

 

In the waters off New Zealand this week, the final round has begun for the right to challenge New Zealand which currently holds the America`s Cup the Holy Grail of ocean racing.

今週、ニュージーランド沖の海で海洋レースの聖杯、アメリカズ・カップを現在保有するニュージーランドへの挑戦権を得るための決勝戦がはじまった。

 

ヨットというスポーツは、ぼくは詳しくない。ひとつのcupをめぐるニュースをここまで読んできて、それを勝ち取るために賭けられたものの大きさに、まず驚かされる。

Holy Grail(聖杯)にもたとえられたアメリカズ・カップは、まさに聖なる杯なのだろう。――しかし、なるほどと、ここで分かったような気分になっては、なんにも分かっていないのとおなじである。「聖杯」とくればあのダ・ヴィンチの絵に登場する「最後の晩餐」のシーンに出てくるHoly Grailをおもい出さないわけにはいかない。あるいはヨーロッパの「聖杯伝説」を連想するかもしれない。

どっちにしても「聖杯」にまつわる物語は、東洋のわれわれには馴染みがうすい。

さて、ここにあるHoly Grailとは、いったい何だろう? その謎を解くカギはもちろん聖書のなかにある。――聖書というのはおもしろいものだ。

巻末に「index」が載っている。重要な語彙をかんたんにしらべることができる。ついでだけれど、このindexについてひとこと。――Indexはもともとギリシャ語だった。ギリシャ語もラテン語も「人差し指」という意味である。のちに、ローマ教皇庁がつくった信仰の妨げになる禁書リストという意味にもなった。現在の「見出し」や「索引」は、ずっとのちにできた意味だ。Index(索引)の反対は、contents(目次)である。

Contentsはデジタル映像時代になって、番組などの「作品、制作物」という意味にもなった。イタリア語の「オペラ(opera)」とおなじだ。こっちも「仕事」、「作品」という意味である。Contentsはもともとは「満たす」という動詞形だった。本の中身を満たすもの、という意味で、「目次」にもなった。Contentscon-comとおなじで、「共に、……ある、する」という意味である。「共に満たす」という意味から、conception(妊娠)という語ができた。妊娠はひとりでは不可能で、男女「共に」あってはじめて妊娠するものだからだろう。中世英語はconcepciounで、もともとはフランス語である。

近代語になってコンセプションは、われわれがコンセプトという「構想」、「創案」、「概念」というふうに意味が拡張していったが、意味の基本は妊娠である。生まれる前の状態をいう。