映画「残り」。

カズオ・イシグロの小説「日の名残り」(1989)」は、ブッカー賞に輝いた名作です。この小説を読んだのはずいぶんむかしですが、1993年(平成5年)に公開された映画「日の名残り(The Remains of the Day)」にはちょっとしたおもい出があり、先日、BS放送の字幕バージョンでこれを見る機会があって、それをながめたときの印象もまた、すばらしいものでした。

映画の最後に出てくる雨のシーンが忘れられません。打たれ強さも、多様性も、しぶとい考えも、このイギリスではなんでも映画にすることのできる、一種のタレント性に満ちた国民性があるというのでしょうか、それがおもしろいとおもいました。

ぼくが映画館で見たのは、50歳ぐらいのころでしたから、もう後戻りできない中年の悲哀というものを少しは実感しながら見ていたとおもいます。

この映画をいっしょに見ていた女性はまだ若く、某テレビ局の契約社員で、2年間の契約が切れると、つぎの仕事を追いかけます。彼女は映画を通して、お気に入りのモノをすべてを脳裏に焼き付けるかのようにして、スクリーンを見ていたとおもいます。ぼくにとっても、感動のメモワールとなる映画でした。

ぼくの、ちょっとしたおもい出というのは、そんな彼女を映画に誘いだし、いっしょに食事をし、まる一年間勤務した彼女の疲れを慰めたことです。一年間の息抜きといったらへんに聴こえるでしょうが、ぼくはそのとき、淀川長治さんの話をしたとおもいます。ぼくの映画好きはいまはじまったわけでなく、むかしから好きでしたが、ぼくは淀川長治さんとおしゃべりしていて、いろいろ教わりました。

「映画ファンとしては、年に70本以上見なくちゃ、ファンとはいえません」といわれたことです。読書家なら月に50冊以上。そんな話を聴いていました。50冊以上なら、ぼくは合格だ、とおもいましたが、映画は残念ながら70本とはいきませんでした。――「日の名残り」に登場する俳優、アントニー・ホプキンズ、エマ・トンプソンともほくの好きな俳優です。

ところでついでですが、たいていの日本語の記事では、アメリカ英語で発音する「アンソニー・ホプキンス」と書かれていますが、彼の生まれたイギリスでは「アントニー」と発音し、Anthonyhは無音で、アントニー・ホプキンズといいます。Hopkinsもホプキンスではなく「ホプキンズ」です。

たぶん、そんな話も彼女にしたかもしれません。

ついでにいうと、原題を「日の名残り」と訳されたのはとってもすばらしいとおもいます。そればかりか、映画をご覧いただければわかるとおり、原題のThe Remains of the Day自体がとてもすばらしいのです。

場所はイギリスのオックスフォードシャー。

ダーリントン卿が亡くなり、その広大な屋敷(ダーリントン・パレス)は競売にかけられて、政界を引退したアメリカ人ファラディに引き継がれます。かつてそこで執事を勤めていたスティーブンス(アントニー・ホプキンズ)は、以前、ともにその屋敷で女中頭として働いていたミス・ベン(旧姓ケントン、エマ・トンプソン)のことをおもい出し、彼女から送られてきた手紙を読みます。スティーブンスはあるじのファラディに休みをもらうと、車で彼女に会いに行きます。その目的は、なにしろ深刻な人手不足に陥っていたからです。なんとかして有能なミス・ベンに復帰してもらおうと考えていました。

その途中、かつてのダーリントン・パレスでのおもい出を回想するという執事の目をとおした物語です。映画を見るかぎり、回想は1955年ごろの現在から1920年、30年ごろまでさかのぼります。

映画をご覧になっていない方も多いでしょうが、ここであらすじをいうのは野暮なので、おもい出せるいくつかのシーンを書いてみたいとおもいます。物語の舞台は、農村部にあるカントリーハウスです。

そこで、少しカントリーハウスのことを書きます。

たとえば、「図説 英国貴族の城館 カントリー・ハウスのすべて」(田中亮三、増田彰久、河出書房、1999)という本によると、カントリーハウスができたのはヘンリー8世の時代、バチカンに楯突いてアングリカン・チャーチをつくるにあたって、多くの修道院が没収され、民間に下賜されたことによると書かれています。それがのちに貴族たちのカントリーハウスに変身していったわけです。多くは貴族の邸宅となりました。

オクスフォードシャーにある由緒ある屋敷、「ダーリントン・ホール」は19567月、200年におよぶダーリントン家の所有から、米国の富豪ファラディの手に渡ったのは、映画「日の名残り」を見るまで知りませんでした。

一般的なカントリーハウスには、主棟に接して庭園 (garden) が付随し、さらにその外側にはパーク (park) が設けられていて、パークには家畜の飼料となる植物が植えられ、景観などから現在の英国庭園と称されるものがつくられていったそうです。

このようなカントリーハウスは、その数200ほどあって、最低でも敷地は4キロ四方におよび、使用人は最低でも20人以上働いていたといいます。外働きする人、料理をつくる人、大きな邸宅ではそれ以上の使用人を使っていたようです。

カントリーハウスは集落や他の建築物から数100メートルも離れて孤立している丘の上などに建てられていることが多いそうですが、映画の舞台になったダーリントン・ホールは平地にあり、門からまっすぐな道を行くと、大きな館が見え、たどりつくと車寄せで下車します。客人を迎えるのは執事の大事な仕事です。

そこで働く人たちはけっして客人とは口をききません。

相手をする人は執事だけですが、用向きをたずねると、あるじに来客がきたことを告げます。映画ではそうでもありませんでしたが、使用人の英語は、ぼくらが想像する以上に乱れています。

一例をあげると、映画「マイ・フェア・レディ」ではありませんが、たとえば、The rain in Spain stays mainly in the plain.スペインの雨は、おもに平野に降る)という英語ですが、これをふつうのイギリス人にしゃべらせると、「ゼイ ライン イン スパイン スタイズ マインリー イン ジ プライン」と発音し、アメリカ英語でなれている人は、おそらくびっくりするでしょう。「エイ」の音がみごとに「アイ」に置き換わっています。

これがふつうのイギリス人のしゃべる英語です。

映画では、アントニー・ホプキンズも、エマ・トンプソンも、ふたりともイギリス人で、うっとりするような、まことにきれいな発音でしゃべっています。ことに、アントニー・ホプキンズの演技は執事になりきっています。この人は、いかにもイギリス人らしい所作を演じ、無言の演技が冴えばしり、元からダーリントン家に仕える執事のように見えたものです。

さて、むかし、――もう20年もまえのむかしですが、はじめてミス・ベンという女性がダーリントン屋敷で働くようになったころ、スティーブンスの父親も、副執事として働くことになります。スティーブンスは、目上のものへの敬称や、礼儀といったことについて、ことあるごとに、形式ばったことを主張し、大ざっぱで無頓着な女中頭のミス・ベンに、口うるさくあたります。このシーンは見ものです。

ダーリントン卿の住まうダーリントン・パレスは、重要な政治的な会議が催される屋敷でもあり、首相をはじめ、さまざまな政治家たちがやってきて、意見を交わす屋敷です。

おりもおり、時代はドイツにおいてナチス・ヒトラーが台頭し、近々ダーリントン・パレスで英、独、仏、米の代表による国際会議が開かれようとしていました。その準備に追われ、老練な執事はなにかと多忙です。いっときも気の休まる時間はなく、会議日程がスムーズに進行するよう気配りをし、会議に使うテーブルや、置物に指をはわせ、ほこりがないかチェックします。咳をするのも容易でないような緊張感の連続です。ダーンリントン卿に会うためにたえず人の出入りがあります。

第二次世界大戦が終わり、執事スティーブンスは、新しい主人ファラディ氏のすすめでイギリス西岸のクリーヴトンへと小旅行に出かけます。まえに仕えていたダーリントン卿の死後、親族のだれも彼の屋敷ダーリントンホールを受け継ごうとしなかったのですが、アメリカ人の大富豪ファラディが名乗りをあげ、彼が買い取ります。

しかし、あるじが変わってから、ダーリントンホールでは深刻なスタッフ不足を抱えています。ダーリントン卿亡きあと、屋敷がファラディ氏に売り渡されるとき、いままで働いていた熟練のスタッフたちが辞めてしまったからです。

人手不足に悩むスティーブンスのもとに、かつてダーリントンホールでともに働いていたミス・ベンから手紙が届きます。ベンからの手紙には現在の悩みとともに、むかしを懐かしむことばが書かれています。彼女は結婚したけれど、うまくいっていないという悩みがつづられています。ベンに職場復帰してもらうことができれば、人手不足のいくぶんかは解決すると考えたスティーブンスは、彼女に会うために、旅に出ることをおもい立ちます。

しかし彼には、もうひとつ解決しなければならない問題がありました。

彼のもうひとつの問題、――それは彼女がベン夫人ではなく旧姓ケントンと呼ばれていた時代からのものです。旅の道すがら、スティーブンスはダーリントン卿がまだ健在で、ミス・ケントンとともに屋敷を切り盛りしていた時代をおもい出します。

映画では、ミス・ケントンに打ち明けられない煩悶を抱えていましたが、それを打ち明けることなく、別れています。ほんとうは、元上司の執事としてではなく、ひとりの男として何かいいたかったのです。

いまはもう過去になってしまった時代なのですが、スティーブンスが心から敬愛する主人・ダーリントン卿は、ヨーロッパがふたたび第一次世界大戦のような惨禍を見ることがないように、戦後ベルサイユ条約の条件下で、経済的に混乱をきわめたドイツを救おうとして、ナチス・ドイツに肩入れするような言動をとります。ドイツ政府とフランス政府・イギリス政府を、宥和させる運動へと傾斜していきます。

やがて、ダーリントンホールでは秘密裡に国際的な会合が繰り返されるようになり、しだいにダーリントン卿はナチス・ドイツによる対イギリス工作へと巻き込まれていきます。しかし彼の思惑がはずれ、戦後の国際新秩序を模索する会議のなかで、彼はしだいに孤立していきます。

そんなおり、ふたりの若い女性の使用人をケントンのすすめで雇いますが、ふたりともユダヤ人であったことから、間もなく解雇します。

この言動を疑問におもったスティーブンスですが、あるじの方針を変えることはできません。最初はユダヤ人を救うという大義名分を受け入れたものの、時代が変わり、あるじの考えも変わったものの、ダーリントン卿を見つめる世界の目は変えられません。

当時のイギリスは、反ナチスの気運で高まっていて、スティーヴンスの主人がナチ・シンパであることから、戦後はだれからの相手にされませんでした。彼は傷心をかかえたまま亡くなります。それでも執事は、そういう主人に仕えるわけです。いっさいの私情を消して、無心に仕えようとします。――物語が終わってみれば、いいようもない過去の栄光につつまれた時代、それも終わったのだという印象が深く残ってしまいました。