悪魔とも宇宙人とも呼ばれた男、

ォン・イマン。

 フォン・ノイマン(1903-1957年)。
 
  先日からノーマン・マクレイという人の書いた「フォン・ノイマンの生涯」(
朝日選書、2001)という本を読んでいた。ノイマンは、数学の本にも、物理学の本にも、原子物理学、――はっきりいうと、原子爆弾製造の物語のなかにも登場するという男で、のちにコンピュータ原理を構築した人物として忘れられない。
 
   「フォン・ノイマン」(朝日選書、2001年)。
 
  以下、ぼくがそういう男に興味を持った経緯を、いくつかつづってみたい。

そのまえに、ぼくがこの本を手にした理由は、もうひとつある。

著者のノーマン・マクレイ(Norman Macrae, 1923年生まれ)という人物についても興味があった。彼はケンブリッジ大学を出て「エコノミスト」の記者となり、英国空軍の航空士となり、のちに日本を論じたルポルタージュ、「驚くべき日本」、「日本は昇った」、「日本への衝撃」(いずれも竹内書店)という本で、日本政府から勳三等旭日章をいただき、同時に、エリザベス女王誕生日の叙勲でイギリス政府からも上級勳爵士に叙せられた人物だったからである。

彼の日本取材は綿密で、あきれるほど正鵠を射ていた。ちょっと褒め過ぎではないかとおもわれるほど、日本を手放しで高く評していた。興味のある方は、それらの本を読まれることをおすすめしたい。

そういうわけで、ぼくはノーマン・マクレイの目をとおしたフォン・ノイマンという男の実像を学んだ。数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・気象学・心理学・政治学に多くの影響を与えた。第二次世界大戦中の原子爆弾開発や、その後の核政策への関与でも知られる。このように、彼は数学だけでなく、さまざまな分野で大きな貢献をしている。

ぼくは数学の本のなかで、ノイマンの名前にたびたびお目にかかっていた程度だったが、このたびフォン・ノイマンの生涯を知って、じつに驚いている。そして、多岐にわたる緒論が、つねに正しく理解されていたかといえば、そうではなく、賛否両論のかっこうの的になっていたことを知った。偉大な業績のあまりの多さに驚くと同時に、その業績にわりには、アインシュタインのように名前が売れていたとはいいがたい。

それまでのぼくの知識は、20世紀初頭の数学の世界で、ちょっとだけジョン・フォン・ノイマンの時代を迎えていたに過ぎないとおもっていた。その考えが180度ひっくり返ったのである。

彼の時代のはじまりは、1949年から55年にいたる合衆国政府のなかで、スターリンとその後継者が支配するソ連をどう封じ込めるかが議論の的になっていたとき、ノイマンはまわりのだれよりも、タカ派だった。無原則な平和主義を慎重に排除していったノイマンの手腕は、まるで政治家に見える。

そして、ノイマンは、あることに実用につながる道筋を見いだすと、天才的なひらめきをもって事にあたった。自分の生んだマシンは、処理量100培、速さも100培の計算をこなすコンピュータに大きな期待を寄せ、無限のエネルギーを生む核融合も、気象の自在な制御も、20世紀の末にはほとんど目途がついているだろうとして、今日のコンピュータ社会を予言している。

彼の専門は、いったい何だったのだろう、といぶかる専門家も多い。そこにぼくは、本来の、専門性をもたない科学者としてのお手本を学ぶことができる。

彼の著書、――ぼくは読んだことはないけれど、たとえば「量子力学の数学的基礎」と題された本は、現在のコンピュータの基礎を敷いたものだったといわれる。ノイマンが17歳ころからはじめた数学上の業績は、だれもが褒めるすぐれたものだったらしいが、彼の解析学は緻密で、それはゲーム理論の先駆となったし、爆発現象と気象の類似性、その数学的な予想観測する数値解析は、みごとというしかない。彼はもっともロジカルな数学者だったといえる。

数学的な数値解析の元祖といっていい。

その成果が原子爆弾の設計者のひとりとして結実した。そういうことから、彼は戦後、合衆国政府の中枢で、ソ連封じの布石を打った人物といわれている。ノイマンの「生涯」を書いた著者は、最後に「ジョン・フォン・ノイマン氏を経済学者だと信じていた」と書かれているくらいである。

巨人ノイマンの生涯は、繁栄の極にあったハンガリーの首都ブタペストで幸せなユダヤ人として過ごした。ヨーロッパにおけるユダヤ人の街という特異な歴史をもつこの国に生まれたことが幸いした。ハンガリー出身の数学者はゴマンといる。エイブラハム・ウォールド、ポール・エルデシュ、セゲー・ガーボル、マルセル・グロスマン、デネス・ケーニヒ、ジョン・ジョージ・ケメニー、ゾルターン・サボー、ジョン・フォン・ノイマン、ピーター・フランクル、リース・フリジェシュといった錚々たる数学者がひしめいているのである。みんなユダヤ人である。

それが、やがて二度の世界大戦をはさんで、数学や物理学に熱狂する知の新大陸へ向けて、いっせいに国を飛び出していった。ある人は、これを「知の大移動」と名づけた。学術・芸術の重心移動は、地球上におけるふたつの楕円のそれぞれの中心を描き、いっぽうの楕円の中心は、ユダヤ人排斥へと動いた。そのため、ハンガリーから大挙して合衆国へ科学亡命するという歴史をつくった。

ノイマンもそのひとりだった。

この短い記事では、すべてを書くことはできないけれど、ノイマンの大きさは、その考えるロジカルなメソッドにあるとおもっている。それはだれにもわからない。きょうは、そんなことを考えた。