ずからを企する?

 

ジャン=ルイ・ガセー(Jean-Louis Gassée, 1944年生まれ

  さいきんある本を読んでいたら、「よく生きるということはどういうことか」とあり、そこでいう「よく生きる」というのは主体で、いうまでなく「自分自身」である、と書かれていた。主体はほかのだれでもない、この「自分」なのだというのである。それが「実存」するわたしなのだと書かれている。

さて、この「実存」ということばは、戦後に生まれたことばである。そんなことばはむかしはなかった。

そうかといって、むかしからほんとうになかったかといえば、そうではなく、それらしいことばがあった。それはエッセンティア(essentia)ということばである。しかし、このことばは、いまでは「本質」という概念に置き換えられている。本質が先にあるというのは、ちょっと変だ。本質より前にあるという意味で、戦後、「実存」ということばがつくられた。すなわち、エクシステンティア(existentia)ということばである。

――そこにSさんがやってきて、コーヒーを振る舞おうとすると、

「こんどは、なに、考えているんですかい?」ときいた。

「考えてなんか、いませんよ」といって、パソコン画面を切り替えた。

「投企っていう字が見えましたよ。投企って、なんですかな?」という。そして彼はたばこの煙をぷーっと吹きだした。

「ぼくにもわかりませんよ。哲学者のいうことは。……」

「ぼくは、哲学にちょっと興味ありますねぇ、……」とSさんはいった。

「先日は、オープンソースの話を聞きましたが、こんどは投企ですか?」という。

「さっき、ぼくは北海道の北竜町の話を書いていて、投企は、人間という集団にもある、とおもいましたね。21戸の移民団には、星雲の志があって、みんなひとつだった」

「その話ですか?」

「いえ、そうじゃないけれど、たいてい投企といえば、小難しいハイデッガーの哲学の副産物のようにいいますが、可能性に立ち向かっていく、アゲインストの風を切る志は、みんなでひとつの主体になることですからね、……。そりゃあ、いまのわれわれには想像もつきませんよ」といった。

Sさんは黙って聞いていた。

「実存といえば、かっこうよく聴こえるけれど、だれの子かわからない子供を産み落とした娘も、まだ毛も生えない12歳の若者も、年老いて、ただついていくだけが精一杯の老人も、みんなおなじ船に乗って、みんなで北海道を目指していた。ひとりひとりはばらばらですが、志はいっしょだった。――これをぼくは、ほんとうの主体だとおもいます。ガロアの群論じゃないけれど、集団で可能性に立ち向かう夢、立ち向かう投企とでもいいますか」

「それをいうんですか。そいつは、この自分にもありますよ」とSさんはいった。

「それは、なんですか?」

「うーん、なんでしょうな?」といい、またたばこの煙をぷーっと吹きだした。

「哲学者は、なんで、むずかしいことをいうのでしょうな?」と彼はいった。

むずかしいといえば、ひとつおもい出す。

「垤加爾多(デカールト)」と書かれたむかしの本をおもい出す。

「フィロソフィ」は、「専ラ理ヲ講ズル学」というわけで、「理学理論」と訳された。ギリシャ語の由来は、「ソフィア(知識)」を「フィロ()する」という意味である。知識を愛する学問。これを、のちに「哲学」ということばに翻訳したのは、西周(あまね)という人だった。

ついでに書けば、哲学者カントは「韓圖(カント)」と書き、ソクラテスを「所哥羅垤斯(シオコラテス)」と表記した。それらの論文の中身も、むかしは漢文が主流だったので、すべて漢字に頼らざるを得ない。そこで、アリストテレスは「亞利斯多拉(アリストツトル)」、デカルトは「垤加爾多(デカールト)」、プラトンは「伯拉多(プラト)」、ヘーゲルは「俾歇兒(ヘイゲル)」と記された。

「理性」はヘアヌンフト、「意識」はベヴストザイン、「現象」はフェノーメン、「主観」はズプエクト、「客観」はオプエクト、「概念は」ベグリフ……というぐあいに。哲学論文の邦訳は、およそ呪文のようになっていただろう。

「ほう。……人の名前まで翻訳されたってことですか」

「そうですよ。ドナルド・キーンさんは日本人になられた。そこで彼の日本名は、鬼怒鳴門(きーん・どなるど)と名乗りましたね」

「ほう。……ホイットニー・ヒューストン、彼女はもう亡くなったけど、彼女の名前なら、どう翻訳しますか?」ときた。ぼくはちょっと考えてから、

「圃壱屠尼琲豚とでも、しますか?」

ははははっ、……彼は笑った。

「ヴィビアンリーなら?」

「毘屁餡狸、……ははははっ。どうですか?」

「なんだか、生々しくて、匂ってきそうな名前ですなあ」と彼はいった。

むかし、松浪信三郎の「哲学以前の哲学」という本や、林屋辰三郎の「歌舞伎以前」という本を読んで、とってもおもしろかったことをおもい出す。「……以前」というのがいい。華屋与兵衛のつくった「江戸前寿司」みたいな趣きがある。

それはいいのだが、松浪信三郎は、デカルトのcogito, ergo sumを「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」としないで、「わたしは考える、ゆえにわたしは存在しない」といい出した。

このくだりは、いくら勉強してもわからない。

このcogitoには「わたしは考える」という意味もあれば、「わたしは疑う」という意味もある。彼は疑うほうをつよく意識したらしい。自分のまわりにあるものは、ほんとうに存在しているのかと、なんでも疑うことができるのだが、そういう「わたし」自身の存在は疑うことができない。そのような意味で、わたしの存在こそが、すべて確実な知の基礎になっているとデカルトは主張した。

ところが、松浪信三郎は、こういっている。

デカルトは、「わたしは何か?」という問いにたいして、「わたしは考える者である」と答え、そのようにいう「わたし」とは、いったい何者なのか、というのである。文章の最初にある「わたし」と、述部の「わたし」とは、ほんとうは違うのではないか、と松浪信三郎はいっている。「考える者である」という述部にある「わたし」も、ともに対象としている「わたし」という存在は、けっしておなじではない。いま現に疑っている「わたし」自身は存在しない、というわけである。

松浪信三郎の「哲学以前の哲学」という本はおもしろかったが、ぼくには理解できなかった。

「田中さんに理解できないってこと、あるんですかい?」とSさんはいった。

「ありますよ。……だって、デカルトはすべてのことを疑ってかかっているように見えますが、ただひとつ、神の存在は疑ってはいませんでしたからねぇ。そこがむずかしいんですよ」といった。

そういうことは、いくらでもある。こういうことばもある。

「エデンの園でイブがかじったリンゴは、人類に「知の味」を教え、人類と世界の関係を決定的に変えてしまった。」Eve’s was the first apple to provide man a taste of knowledge and thereby.Alter forever his relation to the world;……                              (ジャン=ルイ・ガセー)。

西洋の哲学者の多くは、こういう考えに基づいている。疑いを持ってはならない。神はおわします、というわけである。そこにおいて、デカルトといえども、はじめから神の存在を取り除いた、とぼくは考える。それが彼らの常識なのである。

さて、この「常識」って、いったい何だろうと考えたい。ある人はいう。 

「そいつは、コモンセンスのことですよ」と。ますます分からなくなる。

コモンセンスは、進化するためにはどうしても必要なもの。これはビジネスにも必要だ。熱いものに口をつけたネコは、2度と口をつけない。体験上知りえたチエである。

これをコモンセンスというのだとぼくはおもっている。ここでいう「常識」は、そういう意味である。知識じゃない。コモンセンスと想像が、思考やビジネスを発展させるのだとおもう。どれだけ想像することができるか。その想像に、どれだけリスクヘッジすることができるか。リスクのないビジネスなんて存在しない。

ネコにもわかるコモンセンスこそ、考える人であり、企業人の常識だとおもっている。

しかし、最先端を走るグーグルだって、まだウェブ上に存在しているわけじゃない。リアルな会社で、あくまでも地上に存在し、数万人の社員と数万台のコンピュータをかかえている。社員は、全員グーグルという企業に所属し、そこから給料をもらっている。

ビジネスマンだけでなく、世の中には、いろいろな人がいる。

バーのホステスもいれば、おまわりもいて、年金暮らしの人もいる。病気で寝たきりの人、産み落とした子供をひとりで養えないОLもいれば、ホームレス稼業から抜け出せない男もいる。

「そういうとき、みんなおなじ常識を持っているといえますか?」

「バーのホステスさんと大学教授が、おなじ常識を持っているなんて考えられないでしょう?」

「そりゃあそうですなあ」

「うちのヨーコとぼくが、おなじでないように、いくらでも違ったコモンセンスを持っているんですから、……。哲学でいう常識は、いっこうに進歩していませんね」

「そのとおりですなあ」と彼はいった。

「ですから、せめて、みずからを投企することのできる世の中にしたいものですよ。自分をよくするためにね」