透徹した眼差しで、血族を描く。

檎のの下で」を読む。

 アリス・マンロー「林檎の木の下で」(新潮クレスト・ブックス、2007年)。

  スコットランドの寒村から新大陸へとやってくる、3世紀におよぶ時を描く壮大な物語を読みました。アリス・マンローの渾身の作。原題はThe View from Castle Rock
キャッスル・ロックからの眺め)といい、そのタイトルが付された物語も本文に収録されています。この小説は、ぼくはすでに読んでいて、ちょうど、北海道の「北竜町をつくった人びと」という記事を書いていたときを前後して読んでいます。

 エドウィン・コルバートの「恐竜の発見」(早河書房、2005年)。

   たぶん、この歴史ある小説を読んで、ぼくは自分の生地のことをおもったのだろうとおもいます。アリス・マンロー自身の持っているビューアーに写る風景は、途轍もなく大きくて、巨大な一本の木のように見えます。彼女は、ほかの作家が描く、現在、北米で起こっている政治や思想、権力、金や歴史といった物語には見向きもせず、ただ自分の信じるルーツを大事にして、こつこつと自分の境地を切り開いていった作家です。ぼくは彼女の本をたいして読んでいませんが、どれを読んでも、ひとつの一本の木を描いているな、という印象を持ちます。

この小説は、一族に流れるスコットランド系の血筋をたどり、自分の人生を振り返る、という物語になっています。このような切り口で語る物語は、とても多い。

けれども、彼女の語る物語は、ただ一点、自分の視覚を通して眺められるシーンを克明に描くことに心血をそそいでいます。

カナダの作家で最もノーベル賞に近い短編の盟主といわれ、この本に収録されているどの物語も、自伝的です。

――と、ここまで書いて、ぼくは以前、マンローのこの本について、すでに何か書いたような気がしました。書かないはずはないのです。そうおもいながら、また本に目を転じます。ああ、もしかしたら、マンローの「イラクサ」について書いたのだろうか、とおもい直しました。

ぼくは読む予定の本を、いつも用意しておき、必要に応じて、あるいは寝しなに、ひっくり返って本を読むクセがあり、いつの間にか途中で眠り込んでしまいます。そうして読む本がたくさんあります。ときどき付箋をつけて、何かの目印にしているのですが、一ヶ月もたつと、その目印がどういうものか、もう忘れてしまいます。

もう忘れてしまった目印が、いっぱいついています。

そのひとつが、「生砂(グリーン・サンド)」ということばと、「緑の砂(グリーン・サンド)」ということばです。

 

「まだきれいになっていないんだ。あれをホイールアブレーターという機械にかけるんだよ。風が吹きつけて出っ張りをぜんぶとってしまうんだ」

つぎは、大量の黒い粉末、というか黒い細かい砂だ。

「石炭の粉みたいに見えるけどな、なんて呼ばれるかわかるか? 生砂(グリーン・サンド)っていうんだ」

「緑の砂(グリーン・サンド)?」

「鋳型に使うんだ。砂に結合剤を加えてあるんだよ、粘土みたいにな。アニマ油を使うこともある。だけどこんなこと、面白いか?」

わたしは面白いと答えた。――という部分だ。Green Sandという語は、きらきらしたリゾートビーチを連想しますね。

この部分は、たぶん創作ではないだろうとおもいます。マンローが子供のころ、じっさいに父とこのような会話を交わしたのだろうとおもいます。こんな他愛もない話ながら、イメージが立ち昇ってきます。こういう文章が書けるというのは彼女の特技です。何も飾らない。何も付け加えない。生(グリーン)のままの光景です。

 ところで、このGreen Sandという地質学の専門用語ですが、ぼくがこれまで本を読んできて、そのことばにたびたびお目にかかっています。なぜか大文字でつづられます。たいがいは恐竜にかんする本のなかで出会っています。たとえばデニス・ディーンの「ギオン・マンテル伝 恐竜を発見した男」(河出書房、2000年)とか、エドウィン・コルバートの「恐竜の発見」(早河書房、2005年)という本のなかで、よくお目にかかっています。地質学的には「緑色砂岩」とか「緑色砂岩層」とか訳されています。最も読まれているジョン・ウィルフォードの「恐竜の森」(河出書房新社、1987年)は、ピューリッツア賞に輝きました。
  1822年、イギリスのマンテル夫妻が発見した先史時代のふしぎな歯の化石。トカゲに似ていますが、それよりもずっと巨大な歯、それが世界ではじめて発見された恐竜の化石なのです。人類が恐竜の骨に出会ってまだ200年足らずなんですね。記事には書きませんが、ぼくは恐竜には、縄文文化とおなじくらい興味を持って、いろいろ読んでいます。
  それから、もうひとつおもい出すのは、世界でいちばん短い短編を書いたグアテマラのアウグスト・モンテローソという作家の「恐竜」という作品です。
「彼が目を覚ましたとき、恐竜はまだあそこにいた。(Cuando despertó, el dinosaurio todavía estaba allí.)」
  たったこれだけの一行の作品です。簡潔で奇抜で、おとぎ話のような世界。時間的な視点が奇抜です。「彼」というのはだれでしょうか。もしも自分だったら、とおもうと愉快です。

――TVもなければ、月へ行くロケットもなく、避妊のピルもない。鎮静剤も、ポケットに入る電卓も、パソコンも、核ミサイルだってなかった時代。

そのころのぼくの記憶には、蒸気機関車とおとぎ話があっただけです。

子守りのスーちゃんに泣きついて、おっぱいで目のなかのゴミを流してくれ! って頼んだ変なおもい出が甦ってきます。スーちゃんはまだ子どもでしたから、母のようにおっぱいは出なくて、ぼくは残念におもったものです。――記憶の連鎖。それが因果の連鎖となり、ふしぎにも記憶はひとかたまりにならず、ぜんぶDNAの塩基配列みたいにつながって、その気になれば、いつだって引き綱みたいにたぐり寄せることができそうです。

マンローは、カナダの一地方を舞台にした数々の作品を発表しつづけ、アメリカの「ニューヨーカー」にも作品が掲載されて、国外での高く評価されているそうです。やがて全米批評家協会賞をはじめWH・スミス賞、ペン・マラマッド賞、オー・ヘンリー賞など多くの文芸賞を受賞し、2005年には、「タイム」誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれたそうです。2009年に国際ブッカー賞を受賞。ノーベル文学賞の候補としても名があがっているとか。

ときどき、彼女の本を事務所にもってきて、漫然とページを開きます。

仕事で頭がしびれているときなど、あるいは、だれかにむかしの話をつづるとき、だれかの声を想い出したいときなどに、この本を広げると、たまらない癒しになります。 ぼくにとって、記憶の再生にはもってこいの本です。