くが生まれた 
 
  ぼくが生まれたのは、昭和17427日、早朝、6時ごろだったと、父は手紙に書いてくれました。父たちが村役場に婚姻届けを出したのは、生まれる2ヶ月まえの、2月のことだったそうです。当時は、そういうことはざらにあったようです。

婚礼を挙げたのは、いつのことなのか、父の自叙伝にもくわしく書かれていません。

ぼくが母の胎内に宿ったのをみて、村のものたちが大急ぎで挙式の準備をしたと書かれています。北海道北竜町恵岱別で挙式し、一年くらいは恵岱別の本家に住んでいたように書かれています。

それからやわらの三谷区(19)に分家して、家を建て、引っ越しをしたようになっています。

当時は、街道に沿った富井家に通じるおなじ道を通り、それよりも奥まったところに家がありました。街道から離れていたため、わが家には通電されず、ロウソクの灯りか、ホヤつき石油ランプの灯りで生活をしていました。想像すると、わが家では、両親と馬とネコだけの暮らしだったそうです。

昭和16年、父は旭川第七師団に応集し、陸軍機関銃兵部隊の配属となりました。そして間もなく満州にわたり、昭和2012月に帰還しました。ですから、ぼくが生まれたころは、父は満州にいて、ぼくの誕生に立ち会うことはなかったのです。

きょう、ぼくは絵を描きました。

父が、ぼくの誕生した日に、そばにいたような気がして、さもそれらしく、若い父がぼくを見守っているようなシーンに描いてしまいました。そんなことはありえない話なのですが、ぼくの記憶には、そういう父がいます。ぼくの名前は、父が決めたのは事実だと母からきかされていました。

満州で、ぼくの誕生の報せを受け取り、かねて用意していた名前を送ってきた、というのでしょうか。そのあたりは、よくわかりません。それとも、あらかじめ、名前を送っていたのかも知れません。生まれたら、役場には「幸光」と届けでるようにと。

将来は幸多く、光かがやくことを願って、「幸光」と命名されました。

長男として生まれたぼくは、月足らずで生まれたため、ぼくの将来があやぶまれましたが、日本は戦争に突入し、「産めよ増やせよ」の軍国時代を迎えていたため、将来はお国のために役立つ人間になることを願って、大事に育てられました。

去年、99歳になる父から受け取った手紙には、「幸光は、朝、6時ごろやっと生まれた」と書かれています。この話は、去年亡くなった母から聞いていたのでしょう。生まれる場面に立ち会っていたかのように書かれていました。

ぼくが誕生した時間を知りたくて、父に手紙を書いていました。その返事がきて、朝の6時に生まれたことを知りました。

そういうことは、大した話じゃありませんが、なにごとも書き魔だった父は、いろいろなシーンを書き残しています。そういう父を見て、ぼくはやっぱり、父の子なのだな、とおもいます。

父とおなじことをして暮らしているからです。

いつのころからか、わが家には、大型種のボルゾイ犬がいました。サハリン生まれの犬だと聞いています。やつといっしょに遊んだことがおもい出されます。当時は、野犬がうようよいましたが、ボルゾイ犬のいるわが家にはよりつかず、とても賢い犬でした。

ぼくが生まれたとき、やつがすでに家にいたという確証はありませんが、ほとんど、いっしょに生まれたみたいに感じています。――さっき、夜が明けるまえに、散歩をしてきました。例の川に沿った小道を歩き、ぐるっとまわって、きょうはコンビニエンスストアに立ち寄り、コーヒー缶を手に入れ、当時の父のことを想いだしていました。ぼくの記憶には、ほとんど何もありません。

ぼんやりとした、まるできょうの朝の空のように、かすんでいます。

現実と空想の境目が消えてしまい、現実も空想も、ほとんど見分けがつかなくなっています。焚き火とか、野犬とか、ソリ、馬、ボルゾイ犬、……など、物語の断片がきらりと光っているように見えるだけで、それさえも、はっきりしません。何か書くと、どうもそうでないような気がしてきます。

父は一世紀を生きぬいて、何を考えているのだろう、とおもうことがあります。父のことですから、都合のわるいことは、さっさと記憶のなかから消去しているのでしょう。父にはストレスというようなものは、何も感じません。飄々としています。だから長生きをしたのかも知れません。

きょうは、そんなことを考えました。