しい景に出会って。

 
 5
月の連休は、あちこち出歩いて、ゆっくりくつろぐこともなかった。

きのうは、勤務先の東京・六本木の眼科クリニックに出向き、右目の濁った水晶体を取り除き、遠くが美しく見える水晶体を入れた。手術時間はあっという間に終わった。きょうの午後まで眼帯をかけていたので、階段ののぼり降りは手摺りをたよりに歩いた。そしてきょう、眼帯が取れて、

「どうですか?」と、ドクターはたずねた。暗い処置室の壁にかかったカレンダーの色が鮮やかに目に飛び込んできた。

「きれいに見えますよ、先生! ええ、おどろくほどきれいに見えます」と、ぼくは感動していった。

「そうでしょう。……もう一度見せてください」といって、ドクターは目を覗き込んだ。

「はい、いいでしょう」といい、そして、「明日も来てくださいね」といった。

 アリス・マンローの「林檎の木の下で」 
 処置室を出たとき、看護師の女性と出会った。その黒い瞳がぱっちりしていて、にこっと笑みを浮かべていた。そして待合室に行くと、ヨーコがこっちを見た。

「どうなの?」ときいた。

「いいよ、いうことないよ」と、ぼくはいった。

裸眼でながめる風景が、なにもかもきれいに見える。左目もよくなれば、もっといいだろうな、と想像した。

そこを出てから、4階の窓辺からビルの下をながめた。六本木通りがきらきら光って見えた。こんな風景は、見たこともないな、とおもった。いままで見ていた風景は、いったい何だったのだろうとおもう。フォトジェニックな都会の風景がきらきら輝いて迫ってくるのだ。

 アリス・マンロー。
 まさしく薫風かおる5月。――木々の緑が生い茂る午後、その足でヨーコと丸の内界隈に出て、あちこち歩いた。ぼくはリュックサックを背負い、ときどきベンチで休んで真昼の都会の風景をながめた。気が向くと、あちこちの店に入り、いろいろ商品をながめ、それにも飽きてくると、こんどは新丸の内ビルに入り、食事をした。

「お父さん、もう5月よね?」とヨーコがいった。

5月だよ、なに?」

「……ただ、いってみたかったのよ」とヨーコはいった。

そして、ふたたび新丸の内ビルの一階で、ベンチに腰かけて休息している人がいて、それにつられるようにして中に入った。燦々と降りそそぐ陽光の影のなかで、ぼくらはごった返す街の風景を見つめていた。

ぼくは数年前から読んでいるはずのアリス・マンローの「林檎の木の下で」という本を持ち歩いていた。こういう日に読むにはおあつらえ向きの本だろうとおもっている。それを読むつもりで持ってきたのだが、一ページも読めなかった。

「林檎の木の下で」は彼女の短編集である。この本のなかにある「キャッスル・ロックからの眺め」がいちばん気に入っている。それをふたたび読んでみたくなった。この小説を読むと、北海道の開拓時代のことをおもい出す。「北竜町をつくった人びと」という記事を書いたのは、この小説を読んでからだった。なんとなく書きはじめたものである。

アリス・マンロー(Alice Ann Munro, 1931年生まれ)はカナダの作家で、短篇小説の名手として知られている。19世紀初頭、スコットランドを出てカナダへ入植し、貧しくとも逞しく生きた作家の祖先は、とても魅力的に書かれている。生々しくて、野卑で、つつましくない生き方もするのだけれど、その血族の生き方にぼくはえらく感動した。

《我々は六月四日に乗船し、五日、六日、七日、八日とリースの錨地に停泊して出帆できるようになるのを待ったが、それは九日のことであった》とつづられる先祖の書き記した記録文書が引用されている。その先には、いったい何が書かれているのだろう。

そうおもって読んだのがはじまりだった。

短編「キャッスル・ロックからの眺め(The View from Castle Rock)のあるページに差し掛かると、「魂は死の瞬間、肉体を去る」と書かれ、「ウォルターは、エトリックのとある老いぼれについてのよく語られるジョークも聞いたことがあった。あまりに汚かったので、死んだとき魂が尻の穴から出てきた、という話だ。しかも大きな爆発音とともに」と書かれている。

こんなふうに語る彼女の小説に、飾らない真摯なものを感じた。

――この話は、ヨーコにはしなかった。

へんに誤解されそうにおもえたからだった。それにしても、きょうの風景はいったい何だろう、とおもう。いままでながめていた風景とぜんぜん違うのである。こんなに美しいとは、おもわなかった。