歩の中で。


二葉亭餓鬼録 ダ・ヴィンチのデッサン。




草加市手代町のマンションから、駅に向かわず、反対側の綾瀬川の橋をわたり、産業道路に向かって歩きました。その先に古道具店があり、店先に、目印のマネキンが立っています。マネキンにおしゃれな洋服を着せ、きょうの姿は、女性のかっこうをしていました。

小さな店なんですが、この店のあるじは若く、親切なので、ときどき店の中をのぞいています。

「いらっしゃいませ」といってくれたのは、見たこともない50歳くらいの女性でした。

「ちょっと、見せてください」といって、ぼくは小物の入ったショーケースのなかをのぞき込みます。

腕時計とか、指輪とか、ネクタイピンとか、カフスボタン、万年筆などがならんでいます。

ぼくはどちらかというと、ステーショナリーに興味があり、この店でめずらしい文鎮などを買ったことがあります。いまは、ヨーコが条幅紙に何か書くときに使っています。重くて丸いかたちをしたニッケル文鎮ですが、ぼくはもう原稿用紙を使わなくなり、文鎮も、ただの飾りになりました。それでも、また文鎮に目がいきます。

きょうはガラス製の、ありふれた文鎮しかありませんでした。


二葉亭餓鬼録 カッラッチの「インゲン豆を食べる男」。




店を出てから、もときた産業道路のほうにもどり、人でごった返しているスーパーマーケットのなかに、カゴを持って入ります。そこで納豆を買いました。ぼくは納豆が大好きで、北海道北竜町にいたときも、通学の帰りに、農協のそばにある藤沢商店で納豆を買っていました。毎日買うので、おかみさんとは顔なじみです。この店には同級生の女の子がいました。店ではいちども顔を合わしたことがありません。

高校生のときだったでしょうか。ぼくは藤沢商店の息子さんの家庭教師をしたことがあります。彼は小学6年生だったと思います。ぼくが中学生でなくてよかったと思います。ぼくは中学生のころは、ぜんぜん勉強などしなくて、何もわかりませんでしたから。

そのころ、ぼくは作家たちの本を読んでいました。いちばん読んだのは芥川龍之介です。森鴎外、三島由紀夫、川端康成など。高校生のとき、ぼくは芥川とか横光利一にあこがれていました。

農家の仕事は平凡で、なんの興味もありませんでしたが、ただひとつ興味があったのは、稲株のブンゲツ方法に興味があり、稲と稲の間隔をどういう距離におくといいかという研究をしたことです。しかし、よくわかりませんでした。

さて、店を出ると、もうあたりは暗くなっていました。ちょっと寒くなってきましたが、ジャンパーの襟を立て、先を急ぎました。そうして綾瀬川を渡ると、太陽が沈んだあとのほんのりとした明るさが、まだ東京の空のほうに残っていました。東京・足立区はすぐ隣り。あたりが暮れなずみ、たそがれゆく風景は、なんだか戦後の焼け跡のイメージを喚起させます。

ぼくは歩きながら、むかしのことを思い出します。

それは、ミレーの絵を連想させるような田園の景色です。

それとともに頭に浮かんできたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452 - 1519)のデッサンに描かれている「豆のサヤとさくらんぼと野生のイチゴ」とか、アンニバーレ・カッラッチ(Annibale Carracci)の「インゲン豆を食べる男」といった絵です。これらがどうして描かれたのか、ということは何も知らない。

おそらく、イタリア人のカッラッチが描く絵は、農民の苦しさを描いているのだろうと思います。白いインゲン豆を喰う男は、精一杯労働し、疲れたからだを養うために食事をするのだ。

インゲン豆のスープ、パン、ワイン、そしてネギはおそらく生のまま食べたのだろうと思います。貧しいからではなく、ネギはそのころ、だれでも生で食べていました。ワインは、真水がなかったので、水のかわりに飲んだと思われます。だから、ワインは家族みんなで、子供まで飲んだのです。ゴッホにも「馬鈴薯を食べる人びと」という絵があります。これは、貧しい一家の食事の風景を描いてみごとです。

ぼくは、こんなふうな絵が好きだ。水彩画でも描けるだろうか、と思ってみる。もちろんぼくには描けそうにない。帰ったら、きょうの風景をデッサンしてみようと考えました。