勝牧場がおもしろい!

安産願って追い。


二葉亭餓鬼録 十勝毎日新聞」電子版-13/01/15 13:40より転載。




氷点下14度、北海道・音更町の牧場。

雪を蹴散らして馬たちが走っている。

およそ140頭の馬たちが、いっせいに一周800メートルの雪のグラウンドを走っている。壮観なシーンが写っていた。なかには妊娠している馬もいて、運動不足の馬たちを厩舎から出し、安産のために運動させているというニュースだった。

きょうの毎日新聞の夕刊で、ぼくはこのニュースを知った。駆ける馬たちの写真が大きく掲載されている。さっそく電子版であちこちの写真をながめた。この風景は、ぼくの子供のころの記憶を呼びさました。ぼくは北海道雨竜郡北竜村で、子供時代を過ごした。


二葉亭餓鬼録
  あのころは、北海道に15万頭もの農耕馬がいた。そのまえまで、戦争に徴用された馬がたくさんいて、満州で生涯を終えた馬も多かったと聞いている。

北海道の農村部も、昭和30年代の後半から機械化がすすみ、ほとんど馬の姿を見かけなくなった。札幌郊外でも、たまに見かけることがあるが、すでに年老いた馬たちで、老後をのんびりと過ごしている姿しか、ぼくは見たことがない。記事によれば「農用馬」と書かれているが、いまでも農村部で馬が働いているというのだろうか。ぜひ見てみたいものだ。

音更町は、国内では公的機関でただひとつ、農用馬の改良や増殖を手掛けているという。ばん馬の基礎種になるブルトンや、ペルシュロン種、在来馬など178頭を飼育しているというのである。ぼくは知らなかった。ブルトン種は、北海道のばんえい競馬の輓馬の改良には、ペルシュロンとともに多く用いられてきた馬だ。わが家にいた馬も栗色をしたブルトンだった。サラブレッドみたいにスレンダーではない。お尻は大きく、脚もでっかい。いかにも「馬力」という表現がぴったりの馬だった。馬には馬の、鼻づらの表情がいろいろある。馬の頭部――といっても、大きな鼻づらに、いろいろなかたちをした白斑がある。ほとんど真っ白になった馬もあれば、星が光っているようなかたちをしたものもあり、流れ星みたいな白斑もあって、「星」や「流星」とよばれる白斑をもつ馬は、かっこうよかった。

ブルトン種は、道産子や木曽馬とは違って、馬体が大きい。

ぼくは子供のころ、――小学6年生のころから馬の世話をしてきた。父は長男として生まれたぼくに、馬の世話をするように仕向けた。それがうれしくて、ぼくは馬とともに暮らした。

ぼくが生まれたのは、昭和17年。午年生まれである。

冬場、アルバイトで長距離電報の配達をしていた。そのころ、ぼくは馬を連れて深夜、8キロの道を往復した。吹雪で道なんか見えないこともあったが、相棒を連れていると、なんとなく安心した。

馬を連れて行っても、馬の背に乗るわけじゃない。ただ、いっしょに歩くだけなのだが、これが楽しかったなあと思う。途中で知った人と立ち話をし、ぼくが立ち止まれば、やつも立ち止まる。ぼくが歩き出すと、いっしょに歩き出す。轡はしているが、手綱はない。鞍もつけていない。雪が降ると馬も背中に雪をのせて歩く。何か馬とおしゃべりしながら歩くと、深夜でも、ぜんぜん怖いとは思わなかった。人家のない道を歩いていると、とつぜん眠っていた水鳥たちが、足元の叢林からいっせいに羽ばたいて飛び出すことがあった。そういうときは、馬もぼくも、びっくりしたものだった。

夜道は、いろいろなことを考えることができて、とってもいい時間になる。勉強はぜんぜんしなかったが、こんど馬橇で、恵岱別の本家のおばちゃんを見舞いに行こうとか、江部乙の母方の本家に遊びに行こうとか、そういうことばかり考えていた。恵岱別の本家には、しばらく子守りをしてくれた「トッ子姉ちゃん」がいた。ぼくが中学生になるころ、どこかにお嫁に行った。

ぼくは、トッ子姉ちゃんと親しかったので、恵岱別の本家に行くのが、いつも楽しみだった。本家を過ぎると、もう人家の灯りはなく、運がよければ月夜となり、うすぼんやりと白くなったおだやかな平野や、山間の沢を流れる音が聴こえた。月夜の晩は、寒さですべてが凍りつき、キーンと張り詰めた空気が流れ、歩くと乾いた音がした。馬の鼻から真っ白な鼻息が出ていた。

「おまえも、食べるか?」といって、リンゴをふたつに割って与えると、やつは、おいしそうに食べた。食べ終わると、「もっとくれ!」といって、鼻づらを向けてくる。

「帰りに、食べるぞ!」といって、やつの鼻づらを撫でてやる。そのうちに、轡(くつわ)のハミに何か引っかかったのか、首をしきりにまわしている。

「いそいで食べるからだよ」といって、また歩き出す。

ぼくが運ぶ電報は、ほとんどダム工事で働く人宛てのものが多かった。ぼくは電文を読まなかったが、ほとんどいいニュースはなかったようだ。

深夜、飯場にたどり着くと、そこだけは、煙突から真っ白な煙が出ていて、飯場のなかは温かかった。さっきまで酒を飲んでいたらしいアルコールの匂いが立ち込めていた。ときには、酔った人間と鉢合わせになることもある。タバコに火をつけたまま放尿している男もいた。

ぼくは、飯場のおばさんとは顔なじみで、大きな声を張り上げておばさんを叩き起こす。やがて起きてくる。そこで電報を渡し、印鑑を押してもらうと、ストーブの火に手をかざすこともなく、飯場を出る。

「お兄さん、ちょっと、……これ持っていきなさい」といって、ミカンをいただいたりした。ぼくが詰襟の学生服を着ていたからだろう。ときには、玄関先まで見送ってくれることもあった。

「あらー、馬に乗ってきたのかい?」という。

「うん、……」といって、いい加減にこたえることもある。何かおしゃべりしたこともあったが、ほとんど思い出せない。

北海道の冬の物語は、いろいろある。

早朝、太陽がのぼるまえ、厩舎のかんぬきを外し、裸馬を出して、雪の上を走らせたこともあった。きょうの写真のように、馬は嬉しそうに走りだすのだ。街道の入口まで走って、やつは戻ってくる。途中までのんびりしていて、何を思い出したのか、首を大きく振り上げると、急に走って向かってくる。何が嬉しいのか、ぼくらのいる雪のパドックに駆け込むと、白い鼻息を出して止まる。――そのころの記憶が、思い出されてくる。しかし、もうすべての記憶が凍りつき、こうして、何かのきっかけがないと、めったに思い出すこともなくなった。きょうは、うれしいニュースに接した。