緑の森に寄せる人びと。
きょうは、ぐずついた一日となりました。雲が出ているかと思うと、たちまち小雨が降ってきました。傘を持って近くの店で肌着を物色しているうちに、雨がやみました。ここがもしも森の中だとしたら、どうでしょうか。ドイツ人ならば、思索や瞑想にふけり、自然を愛(め)でながら森の中へと歩をすすめるかもしれません。
ドイツ人の称賛する散策は、ベートーヴェンのような気持ちでしょうか。ぼくはベートーヴェンじゃありませんので、その気持ちは知りようもないのですが、京都大学に哲学の道があるように、草加の街にも哲学の道があります。
ぼくが勝手に名付けているだけですが、駅の東側のマロニエ通りを少し東にすすみ、むかしの商店街を左折します。すると、コーヒー店はありませんが、通りを歩いていると、むかしながらの店舗が目に入ります。その道を、ぼくは哲学の道と思っています。
そこには、だいたいお年を召した方々に出会います。
30日に、諏訪湖周辺に行き、温泉に入ってゆっくり入って、くつろいでくるので、肌着を求めてぶらりと散歩に出ました。
さっき、歩きながらドイツ人の「散策文化」についてちょっと考えていました。散策文化といえばちょっと大げさかもしれませんが、ドイツ人はよく歩きます。もしも春の森の中に入るとすると、木漏れ日の落ちる場所から何かが立ち昇っているかのように、美しくひらひらするものを発見します。
蝶々です。
失われた「色」が、立ち現れるのです。
冬に閉じ込められていた「色」が、ふたたび森の中に戻ってきます。中世の吟遊詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(Walther von der Vogelweide, 1170年頃 - 1230年頃)、――ドイツ語はちょっと舌を噛みそうですね。ベートーヴェンだって、ドイツ人にしゃべらせると、「ルートヴィヒ・ファン・ベート・フォーヴェン」Ludwig van Beethovenと発音しています。「おはよう」は、グーテンモールゲン。
イギリスのホテルに泊まると、たいがい冷蔵庫に「ニヒト・ドリッケン」と書かれた水が置いてあります。「飲んじゃダメ」とドイツ語で書かれています。イギリスにはいい水がないので、ドイツから仕入れています。ドイツはヨーロッパでいちばんうまい水の産地です。
ついでにいえば、「グーテンモールゲン」がほんとうの英語。これが「グッドモーニング」になっていったわけです。
低地ドイツ語は、そのまま英語になりました。そのころは、英語は、ゲルマン語といっていました。それはともかく、詩人フォーゲルヴァイデは、さしずめ日本でいえば松尾芭蕉みたいな存在でしょうか。ドイツ人なら、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」のように、だれでも知っている詩があります。
すばらしい五月よ この世のすべてのものを
平和にしてくれる五月よ
森や川を美しくいろどり
野原を美しく飾ってくれる五月よ
五月の野原は色とりどりだ
「お前より俺の方が高いぞ」
五月には 草むらで
花とクローバーが 背くらべをしている
――という詩です。
どこかで聴いたような気がしませんか? そうです。これはシューマンがハイネの詩にもとづいてつくった歌曲集「詩人の恋」のはじめの曲です。それも、「すばらしく美しい五月」にささげられています。
すばらしく美しい五月になり
すべての蕾が花開くとき
ぼくの心のなかにも
恋が芽生えた
すばらしく美しい五月になり
すべての鳥がさえずるとき
ぼくはあの女(ひと)に打ち明けた
ぼくの愛と憧れを
――という詩です。
ハイネの詩は、ぼくは音楽を通してしか知りませんが、こうしたドイツ人の詩を読むにつけ、古きヨーロッパ世界の暮らしが見えてきそうです。というのも、彼らは森の中を散策するとき、だれでもちゃんと正装して出かけました。ときにはイギリス人もそうしていましたが、ドイツ人ほどではありません。女の子は花柄のついた南ドイツ風の民族衣装を、男の子はスーツにネクタイを締めて森の中を歩きます。
そのころのドイツでは、社交の場は森の中でした。
散策というのは、ちょっと歩くという感覚ではなく、少なくとも一時間は歩いたそうです。木々のなかを歩くと、フィトンチッド(phytoncide)という殺菌力を持つ揮発性物質が出ているので、森林浴の効能としてもよく耳にします。――ちなみに、この成分を発見した人は、1930年ごろロシアのボリス・トーキンという人だそうです。フィトンチッドは、「植物」を意味する「Phyto」と、「殺す」を意味する「cide」の造語だそうです。
よこ道に反れましたが、そういうわけで、現在もドイツの色は、緑色です。国旗ではありません。
ドイツの町には、かならず森があります。
ベルリンはむかしから、ヨーロッパ最大の大都会ですが、そこにも大きな森があり、湖を囲うようにしてひろがっています。ベルリンは、むしろ森の中につくられている、といっても過言ではないでしょう。ヴェーバーの「魔弾の射手」に登場する漁師の民族衣装も、ジャケットは濃緑色です。車体も緑色のクルマが多く、森を守る運動として生まれた「緑の党」は、そういう理由から生まれたそうです。
余談ですが、この「緑の党」の組織の名前は、英語で「Green Party」と「Greens」という2通りのいい方があるようです。
日本語では、両方とも新聞では「緑の党」と訳しているので混乱してしまいます。しかし、アメリカにもおなじ党があり、それは「Greens/Green Party USA」と書かれます。ここでも両方の名称を党名に併記しているため、同党の名称の決まった日本語訳はまだないので、米国で別個に活動している「Green Party」と混同されることが多いようです。
ゲーテとともに、19世紀のドイツの詩人たちは、ほとんど例外なく森の中を歩くことのよろこびを歌った詩が多い。そのよろこびは、ベートーヴェンでいえば、「交響曲第6番(田園)」からも聞こえてくる森の表情です。ベートーヴェンはつぎのような詩を書き残しています。
森のなかの全能なる御身よ
森のなかにいる幸せがこみあげ
どの樹も御身を通して話しかけてくる
おお 神よ この森の
なんという素晴らしさ
森の高みには安らぎがある
神に仕える安らぎが
――ベートーヴェンも森の中の神を見出しています。ゲーテの「若きヴェルテルの悩み」も同じです。
草加には大きな森はありますが、ちょっと遠い。草加公園は人工的につくられたものです。大きな池があり、散策道があり、春には桜が咲きますが、けっして迷子になるほどの巨大な森ではありません。けれども、ぼくはヨーコとよく出かけます。そこで弁当を食べるだけですが、身近にある手ごろな森です。
ぼくは北海道・北竜村字恵岱別の森を見て大きくなりました。迷子になるほど巨大な森です。営林署の人でも、迷い込むほどの森。
いま、ドイツ人の森の文化を考えると、幾星霜の時をきざんで、守りぬいてきた偉大な森であり、そんな森を舞台にした芸術作品の多いことに驚きます。彼らは北方の野人でしたから、……。
ライン河とローレライ、菩提樹とさすらい人、緑ゆたかな森、――日本人と共通する文化を持つドイツ人の国民性は、ヨーロッパのなかにあっても特異なものです。「なじかは知らねど、心わびて」と歌うドイツ人は、日本人のこころにも共通するものがあるようです。