にも、がある?
   「色」という漢字の意味は、うずくまる女の上に、男が乗っている図である。


 
二葉亭餓鬼録
  三好達治の詩集
「日本の詩歌」22巻・中央公論社、2001年)を読んでいたら、昭和4年、彼が29歳のときに、ボードレールの散文詩「巴里の憂鬱」の全訳を出していることがわかった。昭和6年には、ポール・ヴァレリーの詩集「ヴァリエテ・Ⅱ」を、河上徹太郎、中島健蔵、佐藤正彰らと輪講をやっている。

そして昭和10年、35歳のときにボードレールの「悪の華」の翻訳を出版している。この詩人は、若いころからフランス詩の翻訳を多く手がけていることがわかった。

ぼくが大学に入学したころは、佐藤正彰教授はすでに退職される寸前で、ご尊顔を拝した程度でおわったけれど、講義はポール・ヴァレリーの詩だった。日本にポール・ヴァレリーを紹介した功績は大きい。

いっぽう斉藤磯雄教授は 、中世仏語がご専門で、モリエールを講じておられた。斉藤正直教授からは、近代フランス文学史を教わった。この人は、ヴィクトール・ユゴーの専門家で、マルロー研究でも知られ、フランス政府から何か送られた。そして、ぼくが卒業してから、斉藤正直教授は明治大学の学長になられた。

ぼくは、学部の学生で、欲張って、英文学と仏文学の両方をやった。仏文はモリエールの戯曲を中心に勉強した。佐藤正彰教授はモリエールの専門家でもある。ぼくは、モリエールとシェイクスピアとの比較文学という、ちょっと欲張りな勉強をした。

先生が大学を去られて、鈴木力衛教授が担当された。

そうしたなかで、ぼくはまえにも書いたけれど、詩人ランボーと出会った。

強烈な出会いだったと思う。

どうして自分は、ランボーを選ばなかったのだろうと思った。ランボーの名前は知っていたけれど、じっさいに作品を読んでいなかった。惜しいことをしたと思っている。だが、大学を出てから、ぼくはランボーを中心に独学で勉強した。フランソワ・ヴィヨンは中世仏語で書かれているが、ランボーは近代仏語で書かれている。その違いは、しかし、えらい違いである。

それはそれとして、ランボーの詩を読んでいて感じたことは、彼の詩行には、色があるということだ。色ばかりか、匂いすらある、そう感じた。

わたしは母音の色を発明した! ――Aは黒、Eは白、Iは赤、Oは青、Uは緑。わたしはあらゆる子音の形と動きを定めた。そうして、本能的なリズムにもとづいて、いつの日にか、あらゆる感覚に通じるような詩的言語を創出するんだと、こころに期していた。翻訳は保留した。

   (ランボー「地獄の季節」の《錯乱Ⅱ》より

こんな詩文が出てくる。

前半の部分は、詩人に必要なものがならべられている。

まず、いうまでもなく想像力、あるいは幻想的ヴィジョンの力がじゅうぶんであることといっている。それさえあれば、既成の大詩人なんか、クソ食らえ! そういっている。シェイクスピアとそっくりである。

大詩人に反発したランボーだった。大詩人に反発したシェイクスピアであった。

彼は「わたしは母音の色を発明した」といっている。これはランボーが書いた韻文詩のうち、「酔いどれ船」とともに、ひろく読まれているあの「母音」のことをいっているわけで、そのなかで、特におもしろいのは、

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、母音たちよ、

おれはいつかおまえたちの潜在の誕生を語ろう、

A、無惨な悪臭のまわりを唸り飛ぶ、

きらめき光る蝿どもの毛むくじゃらな黒い胸当て、



翳った入り江。E、霞と天幕の白々しい無垢、

誇らかな氷河の槍、白い王たち、繖形花のおののき、

I、緋の衣、吐かれた血、怒りに狂った、

あるいはまた悔悛の思いに酔った美しい唇の笑い。



U、循環期、緑の海の神々しいゆらぎ、

家畜の散らばる放牧場の平和、学究の

広い額に錬金の術が刻む小皺の平和。



O、甲高い奇怪な響きにみちた至高の喇叭(ラッパ

諸世界と天使たちがよぎる沈黙、

――おおオメガ、あの人

の目の紫の光線!                     

ランボー「地獄の季節」の《母音》より

というような詩文である。

まるで、語彙の羅列のような、語彙カタログような文章である。――媚態芬々。

よーく読めば分かるとおり、これは一種の女体賦であり、性交時の女性が、だんだんとエクスタシーにのぼりつめようとする隠微な過程を描写したものと思われる。詩人がいっているアルファベットの「A」は、ぼくが考えるには、この字をさかさまにすると、あきらかに女体のデルタ地帯を連想させるし、「毛むくじゃらな黒い胸当て、/翳った入り江」というのは、まさにそのながめだろうと思われる。

Eは、ちょっと分からない。

もしかしたら、この字を筆記体に書き直すと「ε」となり、それを90度傾けると、女性の「おっぱい」の形に見えなくもない。

「霞と天幕の白々しい無垢」というのは、乳房の尾根を下った女体の平野地帯を指すのだろうか。そして、「誇らかな氷河の槍」とは、はるか遠くに見える時代の果てに、誇らしげに聳え立つ男の「槍」を思わせる。

最後の「O」につづく3行は、エクスタシーに達した女性の口、声、叫び、表情などを連想させるし、また、ヴァギナのアナさえ連想させるじゃないかと思った。――こんなことを書くと、女性読者のひんしゅくを買ってしまいそうだけれど、書く。

これは、ジェームズ・ジョイスの「ユリシーズ」に出てくる女の媚態とおなじだろうと思う。女の尻から出てくる「おなら」は、「Peeeeeeeeeee……」と書かれたり、「Buuuuuuuuu……」と書かれたりしている。音声的な効果ばかりじゃなく、ちょっと悪趣味かもしれない、匂いたつシーンをいろいろと書いている。

――いやはや、こう考えると、じつに楽しい。

後世の学者たちの解釈も、ぜひ聞いてみたいものである。詩人冥利につきるというものだ。それはそれとして、解釈の行為と、詩作の行為とはまったく別ものである。詩作の行為は、ランボーの場合、言語社会への反発、あるいは反抗、批判そのものであったと思われる。

ぼくらがふつう使うことばは、こう考えてみると、あまりにもニュートラルな気分を装っているように見え、陳腐のなにものでもないように思える。こう、あからさまに書かれてしまうと、色や、匂いが、芬々とただよってくる。

ランボーの詩の特徴は、それである。同様に、ランボーの死後に出版された詩集「イリュミナシオン」の《あげぼの》という作品も、きわめつけの詩だ。

「ぼくは、夏のあげぼのを抱いた」ではじまる有名な散文詩である。

ぼくは、夏のあげぼのを抱いた。まだ何も動いていなかった。水は死んでいた。野営した影たちは、森の道を離れてはいなかった。ぼくは歩いた。生き生きとして生暖かい息吹きを目覚めさせながら。すると宝石たちは目を凝らし、翼は音もなく飛び立った。……とつづく。

ランボー「イリュミナシオン」の《あけぼの》より

ここでは、詩のミューズが「あけぼの」になっているわけだけれども、しょせん、こころに描くのは女神である。女神=エロス。

そう読んでしまうと、あまりにも生々しくて、みずみずしい。世界の始まりを生きるエロスの衝動を感じさせる。詩人になりたいという、読む者をその気にさせるような文章である。

これらは詩人の物語であると思えばいいかも知れない。詩人は挫折し、物語のてっぺんからいきなり反転し、ランボーが切りひらいた現代詩全体の宿命、可能性の限界のすべてが、ここに盛り込まれていることに気づく。

                         ♪

西條八十や、三好達治、小林秀雄らを虜にした悪魔が潜んでいる。

「地獄の季節」は、語られる意味さえも極端に変えてしまった。

変えてしまったばかりか、いわばパッチワークのように継ぎ足された物語の割れ目から、近代散文詩の「あけぼの」が差し込んできたかのようだ。文学史のなかでは、これを「自由詩の誕生」といっているらしいのだが、この気運にもっとも大きなはずみを加えたのは、ヴェルレーヌとともに新しい韻文の探求につとめたアルチュール・ランボー(1854-91)だったといえる。

わずか数年のあいだに、「生きながらにしてみずからに詩の切除手術を施した」(マラルメ)といわれるほど、ロマン派や高踏派をやっつけている。

そのあゆみは、ヨーロッパ絵画のあゆみと完全に重なって見える。ランボーが印象派絵画におよぼした影響は、はかり知れない。

マネの女たらしのスキャンダルは、マネの芸術を変えたし、カンヴァスに塗る色さえを変えた。太陽のイメージにまつわる愛の希求に象徴される描き方は、ランボーの詩文とそっくりである。「太陽と交じり合った愛」。太陽と番う海。愛の究極的な1点を指し示した裸身の抱擁。瞬間を身にまとった永遠。――そういう考えを深めていった時代であったと思う。

「マネの色は激しく、それでいて、磐石なデッサン力に支えられている。この両方をきわめた最初の画家は、おそらく、マネだったでしょうね」と、画家の高橋俊景さんはいわれた。

有彩色の革命。――しかし、そういう意味ではゴーギャンもゴッホも、革命的な絵を描いている。しかし、そのふたりは、デッサンとのバランスに欠けた、と日本画家の高橋俊景さんはいう。色を全面に出す人は情熱家で、そういう意味ではゴーギャンもゴッホも、実人生のバランスを欠いていたといわれる。高橋俊景さんはそう力説された。

この話はおもしろい。じつに、おもしろいと思った。

ゴッホの色彩は、情熱そのものだからだ。まるでカンヴァスが燃えるような色遣いである。しかし、高橋俊景さんにいわれてみれば、デッサンは2の次、そういう印象がある。そういう人は、人生のバランスさえ欠き、彼らが生きているうちに報われることはなかったという。

ランボーも、15歳からの4年間はひときわ輝き、ヴェルレーヌとの事件を引き起こすまでは、まぶしいほど輝いていた。彼の輝きは、詩文における色彩だった。彼が好んで画家たちと交わったのは、そういうことも原因していたかも知れない。

ランボーの凛々しい美少年ぶりは、作品のイメージと強く結びついて、作品とは切っても切れないものがある。石川啄木の美少年ぶりとよく似ている。ふたりとも夭折のアーティストだった。いっぽう、ランボーの友人だったヴェルレーヌは、短い生涯のあいだに、彼自身の容貌にかなり苦しんでいる。

ヴェルレーヌはきわめて美しく、繊細な叙情的な詩をたくさん書いたが、どう見ても彼の容貌とは釣り合っていない。それが強いコンプレックスとなり、奇行に走ったり、女性不信からランボーと同性愛にふけり、痴情のもつれから、ランボーにピストルを発砲して逮捕されるという事件まで引き起こしている。

ルネサンス期のイタリアをして、まさに人間の悪が花咲いた時代だったとすれば、ゆえにこそ、絢爛たる豪奢を帯びた時代としての魅力ある芸術が生まれていった。ルネサンスは、「神を差し引いた人間の時代だった」。そういったのは梅崎春生である。

そしてまた、ランボーの時代に、詩の世界と絵画の世界が軌を一にして、スキャンダラスな悪の芸術が生まれていった。そういえるかも知れない。


――きょうも、高橋俊景さんと外でコーヒーを飲み、ついさっき帰ってきた。台風が接近して、はげしい風雨なか、びしょ濡れになった。パンツのなかまでびしょ濡れになった。吹き荒れる風雨のなか、ぽつんと見えるのは、一個のあかりだった。ともしびだった。時代の暗雲のなかに見える、かすかな燈火。ランボーもまた、一灯の希望のともしびを求めていたのかも知れない。